次世代につなげるために
現代労働組合研究会は、日本国憲法を遵守し、次世代のための労働運動のルネッサンスをめざします。

 高度成長期以降の労働組合運動 Ⅰ

                2017.10.17更新

それぞれの労働組合運動史・論1

  • ●2017年07月10日:服部 一郎 facebookより、7月5日 0:52 ·
    電産中国や広電の研究で有名だった早稲田の河西宏祐さんが亡くなったそうです。この人の場合はもうやりたい研究をやりつくしたという印象がありますね。https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=798756126959939&id=100004766769230&pnref=story
  • ●2016年12月01日:中林賢二郎論文批判 ――フランス総同盟「ドゴール体制下の労働運動と五月ゼネスト」(『左翼少数派労働運動――第三組合の旗をかかげて』、三一書房、1973年1月、p391~p394)
  • ●2016年05月30日:『あたりまえの労働組合へ』(佐藤芳夫、亜紀書房、1973年4月)その続編(「人間としての尊厳をもとめて――『小沢一郎の暗躍を支える連合』、第1部 佐藤芳夫稿 第2部 対談:中野洋、社会批評社」、1993年12月)
  • ●2016年02月05日:『組合潰しと闘いぬいた労働者たち――化学産業複数組合連絡会議30年の軌跡』(編著者  化学産業複数組合連絡会議、2010年2月13日発行、株式会社アットワークス)、30周年記念誌刊行の狙いと読者への期待(化学産業複数組合連絡会議議長 末吉 幸雄)+目次。1960年代から2000年代の労働組合運動をになった世代/[大企業組合の現状を知るための情報―4]
    書評:『組合潰しと闘いぬいた労働者たち――化学産業複数組合連絡会議30年の軌跡』『労働情報』(794号・2010年7月1日)、評者・中岡基明(全国一般全国協)  
  • ●2015年10月10日:『新左翼労働運動10年 Ⅰ――三菱長崎造船社研の闘争』(三菱長崎造船社研・藤田若雄ほか著)、『新左翼労働運動10年 Ⅱ――三菱長崎造船社研の闘争』(三菱長崎造船社研・藤田若雄ほか著)、『左翼少数派労働運動――第三組合の旗をかかげて』(三菱長崎造船社研社会主義研究会著)
  • ●15年09月05日:(168)書評:河西宏祐著『企業別組合の理論 もうひとつの日本的労使関係』、下山房雄、1990.10、東大・経済学論集56巻3号→河西の企業別少数派組合論の展開を積極的肯定的に評価する。
  • ●15年07月26日:河西宏祐著『講演集・労働組合とはなにか―広電型労働組合主義の原像を求めて』、A4判、224ページ、2015年2月28日、河西 宏祐(早稲田大学名誉教授)
  • ●15年07月20日: 河西宏祐著『路面電車を守った労働組合――私鉄広電支部・小原保行と労働者群像』(平原社、定価:2000円+税、2009年5月)
     1 弁護士会の読書、更新日:2009年8月 5日(福岡県弁護士会)
     2 公益社団法人 教育文化協会HPで紹介(山根正幸)
     3 河西宏祐著 『路面電車を守った労働組合――私鉄広電支部・小原保行と労働者群像』、(平原社、定価:2000円+税、2009年5月)
     評者:山本 潔(東京大学名誉教授)(大原社会問題研究所雑誌 No.613/2009.11)
     4  『電産の興亡』(早稲田大学出版部 河西宏裕著)+『路面電車を守った労働組合』(平原社 河西宏裕著)、特定非営利活動法人 労働者運動資料室、18号(09.8.21)
  • ●15年07月20日:河西宏祐著『全契約社員の正社員化―私鉄広電支部・混迷から再生へ(1993年~2009年)』[新装版] (早稲田大学学術叢書、A5判、302ページ、2012年7月25日)
    河西宏祐著『全契約社員の正社員化を実現した労働組合』(平原社版 、46判、326ページ、2015年2月20日)
    河西宏祐著『全契約社員の正社員化-私鉄広電支部・混迷から再生へ』
     1 公益社団法人 教育文化協会HPで紹介、評者:鈴木 玲(法政大学大原社会問題研究所教授)
     2 評者:嵯峨 一郎(熊本学園大学)、日本労働社会学会年報 / 日本労働社会学会編集委員会 編、23号、2012年
     3 評者:龍井 葉二(連合総合生活開発研究所副所長)、河西 宏祐 著 『全契約社員の正社員化─私鉄広電支部・混迷から再生へ(1993年~2009年)』、日本労働研究雑誌 2012年5月号(No.622) 
  • 番外 佐古生明委員長の講演、雇用と生活を守る取組み――契約社員の正社員化事例を通じて、佐古生明(私鉄中国地方法労働組合広島電鉄支部執行委員長、一橋大学フェアレイバー研究教育センター、労働法律旬報、NO.1806、2013年12月25日)
  • ●13年03月04日:労働者協同組合論を批判した人――労働者協同組合とはなにか、「労働運動」、新日本出版社、351号、1994年9月。
  • ●13年02月16日:階級的・民主的労働運動をになった人たち――食品労働者・明治乳業争議団のメンバー紹介より――その2
  • ●13年02月03日:階級的・民主的労働運動をになった人たち――金属労働者の文集『追悼・岡安政和』(「追悼・岡安政和」編集委員会、1982年6月)――その1
  • ●13年01月19日:『良心の歴史をつくりたい』――(1970年6月、報知新聞労働組合・報知印刷労働組合・報知印刷大阪労働組合編、労働旬報社)
  • ●13年01月16日:『モップとダイヤルの叛乱』――自治体職場の非正規労働者とともにたたかった記録(制作:竹の子ニュース編集部、協力・越谷委託労働者組合・自治労・越谷市職員組合・埼玉学校委託労働者組合、JCA出版 発売時定価1,500円 1982年5月20日1刷)
  • ●12年12月28日:企業別組合をどうとらえるか――古くて新しい問題、「わが国労働組合の組織問題」、『現代の労働と生活Ⅲ 労働組合の民主的変革』、深井龍雄(黒川俊雄編、1985年3月、労働旬報社)
  • ●12年12月22日:少数派労働運動の歴史の御紹介、《下田平裕身(信州大学)「<書き散らかされたもの>が描く軌跡 : <個>と<社会>をつなぐ不確かな環を求めて : <調査>という営みにこだわって 」 「氏原教室」あるいは「東大社研グループ」からのはぐれもの下田平裕身氏の回顧録。いろいろな意味で大変に貴重な証言である。》
     『少数派労働運動の軌跡――労働の現場に生き続ける人びと』(「少数派労働運動の軌跡」編集委員会編、金羊社、四六判、2007年9月、1990円)
  • ●12年04月17日:『地域ユニオン・コラボレーション論 オルグから見た地域共闘とは』(小野寺忠昭著、発行・インパクト出版会 、2003年)
    パラマウント製靴共働社、『協働の未来に光あれ! パラマウント製靴の歩みと労働者生産協同組合へ』(シーアンドシー出版刊、1995年8月、B5判並製、400頁)
    『転形期の日本労働運動――ネオ階級社会と勤勉革命』(東京管理職ユニオン、緑風出版、2003年12月)
  • ●12年04月18日:松井 保彦 著『合同労組運動の検証──その歴史と論理』の書評と紹介
     1 高須裕彦 大原社会問題研究所雑誌 No.627/2011.1
     2 呉学殊  日本労働研究雑誌、82 No. 609/April 2011
     3 早川征一郎 ((財)日本ILO協会編『世界の労働』2010年8月号、第60巻8号)
  • ▲【追加 2024年10月16日:長崎 広さん(2024年10月16日)と石川 源嗣さん(2020年10月16日)のfacebookでの紹介。
  • ●12年04月18日:「Windows95」以前の労働組合史《その3》
    7 私たちの労働組合運動史論・あれこれ  2012/02/19 new
    連合よ、正しく強かれ――「連合」労働運動の過去・現在・未来  要 宏輝(元連合大阪副会長)
    対抗戦略としての社会的労働運動 ――脇田憲一(労働運動史研究者)
    高野実思想の継承と発展を――戦後労働運動二回の大高揚とその反動 樋口篤三(元「労働情報」編集長)
    「労働組合選択の自由」を論ずる 明日へのうた――労働運動は社会の米・野菜・肉だ(戸塚章介のブログ)
    日本的労働組合論――ユニオンショップ協定の問題点――牛丸修(『からむす6号』1996年)
    ●《その2》は、平沢栄一さんの自伝『争議屋』(1982年、論創社)
    ●《その1》は芹澤寿良さんが紹介している《1960年代の「八幡製鉄所のインフォーマルグループ」の育成文書》だ。

16.05.30
『あたりまえの労働組合へ』

佐藤芳夫著、対談:中野洋


――『あたりまえの労働組合へ』(佐藤芳夫著)とその続編(「人間としての尊厳をもとめて――『小沢一郎の暗躍を支える連合』、第1部 佐藤芳夫稿 第2部 対談:中野洋)[大企業組合の現状を知るための情報―5]
 
   
『あたりまえの労働組合へ』の著者紹介

1928年 東京都浅草に生れる
1948年 石川島播磨重工に管理工として入社
1951年 中央大学専門部経済学科(二部)卒業
1952年~金造船機械労組石川島分会の執行委員、三役などに専従活動のはか,石播重工労連中央執行委員長、全造船機械労組中央執行委員長、中立労連議長など歴任
1971年3月 職場復帰
現 在 全造船機械労組石川島分会委員長

1973年4月
亜紀書房刊

 
『小沢一郎の暗躍を支える連合』の著者紹介

▼奥付は、左と同じ。

現在 全国労組交流センター代表運営委員


1993年12月
社会批評社刊


2006年11月25日 没



『あたりまえの労働組合へ』――まえがき



 ぼくが石川島播磨重工に入社したのは、昭和二三年の春のことだから、今年で満二五年を数えることになる。波乱万丈の時代を生きてきたものにしては“よくもまあ”いつまでも……、といえるかも知れぬ。今でも、自分自身は何の変哲もない男だと思っているのだが、それでもとにかくいろいろのことをやってきた。さいきんの二年間をふくめ、工場の現場で働らいた経験は六年あまりで、あとの一九年間は、労働組合の専従幹部をつとめてきたが、ぼくが野望家でないとするならば、時々のなりゆきでそうなったのかも知れない。
 二三歳で、当時五千人を擁する組合の書記長に選ばれたのを皮切りに、その後トントン拍子で石川島の委員長、石播重工労連の中央執行委員長、そして昭和四一年には全造船機械労組本部委員長、はてほ中立労連議長などの大任に就き、通俗的に言えば、この世界の老練家の地位に至った。
 ぼくの思想的立場は、昭和二七年の春に、当時の「青年よ銃をとるな」で一躍注目を集めた左派社会党に入党したことをもって象徴されるように、いわゆる左派の道を選択した。もっとも、今考えてみれば、それも括弧つきの左派であったのだが、社会主義社会を実現することに甘い期待を抱いて闘ってきたのである。
 ところが――である。いまやその「輝ける」地位は大きく転換し、同じ石川島の現場で管理工として働らきつつ、わずか三二名の労働者で組織する石川島分会の委員長として活動している。旧石川島分会の大多数の労働者は、組合の分裂によって、同盟―造船重機労連の支配下におかれている(そう、弁証法の大家をもって自認する活動家をもふくめて)。石播重工東京地区の労働者は、今や、一万二千人対三二人という組織的対時の中で運動がすすめられている。
 先日、工場の門前で資金カンパ運動を行っていたが、思いがけなくある古い同志に逢った。彼はぼくの真黒に汚れた作業服を無遠慮に見ながら「君もずいぶん苦労してるんだネェ」と激励? の言葉をかけてくれた。同志愛なのか、それとも憐憫かは知らぬが、千円札を一枚、カンパ箱に入れてくれた。
 人の目には人生の流転劇と映るのかも知れない。今のぼくにとってみれば、“光栄なる憎まれ者”として、石播独占と同盟の真っ只中で「あたりまえの労働運動」を構築しようと意気込んでいるので、特別に苦労とも思わぬが、近頃、どうも既成の大幹部を見ると、異和感を持つようになった。これは反常識派のせいだろうか。むろん、こん日に至った“総括”については本書の中でのべていくつもりだ。ただ、さいきんぼくはこんなことを思うようになった。「ぼくの二〇年あまりにわたる企業内労組幹部としての経験を、胸の中にしまっておくのは、ちょっと惜しいなあ。」
 かくするうちに亜紀書房の棗(なつめ)田さんとの出合いとあいなった。彼は、「二十数年かけて体得したことを広く伝えて、これから育ってくる活動家の糧をつくることも、大切な仕事ではないでしょうか。」と、このぼくに熱心に執筆をすすめられた。ぼくのような活動視界が、果して糧になるものかどうか、特に五〇冊になろうとするノートの整理やらを頭に思い浮べると、休日もろくに休めないぼくにとって、執筆する時間を割くことができるかどうか。実は大変に躊躇してみたものの、以前から考えていたことでもあり、そう言われてみると何やら使命感みたいなものが湧いてきて、「やろう」ということになった次第である。少しでも活動家の皆さんの参考になれば幸いである。

     昭和四八年一月

                         佐 藤 芳 夫

序章 本物の労働者とは何か
Ⅰ 転機
 一 生と死の境界 
   弟の死――戦争体験者
   番ちゃん――世の中のからくり
 二 運動の振り子  
   キリスト教の限界  
   「赤」追放  
   振り子  
   絶対愛と階級闘争  
 三 企業の壁を越えて
   資本との癒着  
   暴力団  
   退屈な問答  
   地域の保守性と勤評  
 四 波乱の中の組合幹部  
   一八の娘にズボンがない  
   紅燈  
   安保闘争と青年  
   労働者のど根性  
 五 分会委員長の苦悩 
   硬骨の人  
   たてまえとほんね  
   企業内労組幹部の条件  
   深夜の重役宅  

Ⅱ ハイライト
 一 “時の人“になって 
   本部委員長   
   まぼろしの「プラン」つくり  
   “時の人”  
 二 危機到来
   思いあがり  
   モスクワで  
   空洞化 
Ⅲ 光栄なる憎しみの的
 一 右派との対決′ 
   激闘  
   決断――日共の逃亡 
   人間模様  
 二 労働者として蘇る  
   連帯の実感  
   無名な指導者  
   一八年ぶりの職場復帰  
終章 夜はもともと暗いもの
   ピース!  
   年老いた労働者たち  
   少数派への必然性  
   ある新加入組合員の父 


  あとがき

 朝の六時一〇分に自宅を出て、会社の食堂で朝めしをくい、八時入門。一日の労働が終ったあと、夜遅くまで諸活動をすすめるぼくにとって、長い原稿など書く暇はない。だが、仲間たちの好意によって、年末・年始をふくむ休日と何日かの活動をサボらせてもらい、原稿書きに専念した。それでも、脱稿予定は大幅に遅れてしまった。だが、原稿を書いているうち、「これも活動の一つだ。」と勝手な解釈をするようになり、休日の前日は、徹夜で頑張った。それに、亜紀書房の方々も、ぼくの事情を了解されたせいか、温かくぼくを激励してくれた。
 現場の労働者が、物を書くというのは、大変なことだが、過去の経験を、文章化するということは、労働運動家にとって、大切なことだと思う。思い出したくないことも、うんと思い出し、自分の目の前にそれを突きつけ、自己革新を果していかなくてはならないのではないだろうか。
 文章も、作家のようなわけには、むろんいかない。まあそれでもいいではないか。みんなで経験を総括してみょう。書いているうち、いろいろな智恵が浮ぶというもんだ。読者諸兄姉の御批判を乞う次第である。
  昭和――この昭和っていう奴は、本当は嫌いなんだが、どうもこの方がぼくにとって判り易いんだから仕方がない。
   昭和48年2月28日
                  佐藤芳夫

その続編(「人間としての尊厳をもとめて」――『小沢一郎の暗躍を支える連合』)――はじめに


 ぼくは一九九三年九月で満六五歳を経過した。このうち約四〇年あまり、日本の労働運動の一翼を担ってきた。そして今なお、半分“現役”のような立場で活動を続けている。
 ここ数年の間に内外情勢は目まぐるしく変容している。ソ連邦の崩壊、自衛隊の海外派兵、五五年体制の崩壊と社会党の「細川連立政権」への参加など、数えあげればきりのない変化が生まれ、もはや歴史的転換点などという言葉すら古めかしい言葉になろうとしている。
 とりわけ日本労働運動の主流を形成している連合が政権を支えることになったが、このことに対しては特別の感慨はない。というのは、すでに連合はその結成(八七年結成、八九年一一月「官民統一」の新連合)以来、一貫して国益主義的労働運動に、言葉を換えていえば“新産業報国会”に移行し、労働者をたぶらかし、旧自民党政権を支えてきたからだ。労働者をたぶらかすという評価は穏やかではないが、事実、最近の連合の動きを見れば、かなり公平な評価といえるだろう。
 たとえばバブル景気崩壊後の資本主義大不況(平成恐慌)のさなか、経営者は一斉にリストラクチャリング(事業の再構築)とやらの合理化を加えてきた。その中味は、配転、出向、不採算部門の切り捨てはいうに及ばず、希望退職という名による管理職まで含めた退職の強要である。これは東芝・松下・NTT・さくら銀行などの大手企業まで拡がっている。
 問題はここでの「労働組合」の役割だが、ほとんどの労組が協力的なのだ。労働省の九三年四月末の労働調査の統計からも争議が年次ごとに減少し、今や争議行為を行った労組は一〇パーセントだという。不況の中で経営者に協力せず、争議を行うような組合は「過激派」とでもいいたげである。
 驚くに値しないことが多いのだが、例の日本生産性本部の「労使関係白書」(八九年四月) の指摘には、驚きだ。これは近年の労働組合組織率の低下についてこう述べている。「組織労働者の発言力が低下し、他の社会集団との政治力の均衡を崩し、社会的不安定を増幅させる危険性がある」ので「パートタイマー・退職者・管理職の組合員化に取りくむべきだ」。これは労働組合の側ではなく、あの国鉄分割・民営化の実行司令部隊長を務めた亀井正夫住友電気工業会長ら、生産性本部の有力メンバーが打ち出したものだ。
 要するに労働組合組織率の低下は、資本主義の基礎を揺るがしかねない、連合こそは、日本の経営者にとって労働者を管理し、支配する有力な機構ということなのだ。だからぼくは、よく労働講座に呼ばれると連合を評し、単組の中には、労働者の利益のために奮闘しているところもないわけではないが、全体としていえることは連合は労働組合ではない。その本質は企業内でいえば人事課・労務課・勤労課であり、労組をかたった労務管理機構であると説明している。これは何も神経を高ぶらせ連合憎しのための主観的な評価としてではなく、資本家自身が、正直そのように評価しているのである。
 ところで、今日、総務庁の推計によれば、敗戦以降に生まれた日本人は、七千九六二万人で総人口の六四パーセントに達したという(九三年三月末現在)。
 一九二八年生まれのこのぼくも、どうやら、爺さんの仲間に達したようだ。しかし、ぼくが尊敬してやまない高島喜久男先生が、確か来年の春には八五歳になられる。にもかかわらず、各方面でまるで現役のように筆舌の闘いを続けておられる。こうみるとぼくが「爺さんの仲間」などと言ったら、まことに借越かも知らん。「この若僧めが、喝!」とやられそうだ。幸いなことに(というか恥ずかしながらというか)ぼくの心は、一九五〇年、あのレッドパージの嵐が吹き荒んでいたころの全造船石川島分会の青年協副議長の気分が、少しも抜けていないのだからお笑い草だ。正真正銘そうなのだから仕方がない。いまだに猪突猛進型でいつも恥をかいている。率直にいって、今の若者たちの七千九六二万人は“お利口さん”が多く、石橋を叩いて渡っているようだ。猪突猛進を笑う。柱におでこをぶつけ、タンコブができて反省するぼくなどは、軽蔑の対象でしかない。しかし、ぼくは今なお、いろいろな学習会で「若者よタンコブを作れ、若年寄になるな」と叫んで笑われているが、本人は真面目に言っているつもりだ。
 さてぼくは、この四〇余年「労働運動の表を担ってきた」と前述したが、その一翼たるや、振り返ってみれば我ながら妙な男だと思う。本書の中にも書いておいたが、戦後、「ヤーさん」をやったり、「ヤーさん」と喧嘩したり、仲良くしたり。日本共産党を尊敬したり、すごく軽蔑したり。二〇年に及ぶ社会党員だったころ、高野実さんや穂積七郎さんらの平和同志会に加わったかと思えば、江田三郎さんらのいわゆる構改派に所属したり。かと思えば岩井章さんら向坂の爺さんをふくむ協会派の面々とことのほか親しくなり、脱党直前は「三里塚派」つまり、新左翼のファンになっていたというわけだ。
 もっと言っておこう。ぼくは東京・台東区清川町周辺、つまり山谷の日雇労働者の闘いに少しばかり参加し、時には越冬闘争、炊出し支援のため山谷に出入りしたが、ナント中立労連議長のころ、あの首相官邸に出入りもしていた。一二〇万の組織を束ねる中立労連の議長かと思えば、その三年後、わずか二八名の分裂「極」少数組合の委員長になって石播軍需独占資本に噛みついたりもした。
 人生、ダッチロールのような男だが、一つだけ考えてみればキーワードがある。それはマルクスさんやレーニンさんの理論で武装された高遠な識見があったわけでもない。つまりぼくのキーワードは正義感だった。あの歌を憶えているだろうか。「義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界……背中で吠えてる唐獅子牡丹」。
 今でこそ、帝国主義に抗する階級的戦闘的労働戦線の構築をなどと口にするが、ぼくの心はお見とおしでたいした人間じゃあない。だから最近は「階級的」という言葉より“仲間を裏切るな、自分と他人のために闘おう”と言っている。
 さて「まえがき」のまとめとしてこの本の出版趣旨を述べておこう。
 その一つは、すでにお読みになった人もおられると思うが、本書は一九七三年に発刊した『あたりまえの労働組合へ』(亜紀書房)の〝続編″のような性格を持つ。そしてこの際、あの本の中で不正確だったいくつかの点や考え方について、それを糾す運動上の義務を感じたことだ。
 その後、日本の労働運動は、総評・同盟・中立労連・新産別の解散と連合結成による労働戦線の右翼的統一の完成があり、「統一と団結論」という左派の価値観を右派が大いに活用しての統一という名の分裂と、労働者管理方式の深化が進んだ。同盟に対して相対的に左に位置していた総評が、なぜかくも無惨に解体されたのか、ここの総括が絶対必要だと思ったことだ。ここをキチンとしなければ、新しい情勢に対応しての「守勢から攻勢へ」の転機がつかめないと考えたのである。
 もう一つは、細川=小沢内閣という非自民非共産政権の成立と社会党の与党化という中で、その細川=小沢政権を実体的に支えている連合を、その性格と本質を含めてこの段階できっちりととらえておくことが必要だと考えた。この間題については、ぼくとぼくが尊敬してやまない指導者である動労千葉の中野洋委員長と、長時間の対談の中で、その方向性を明確に示すことができたと信ずる。その意味でこの本の発刊の半分の意義は対談にあり、したがって、この本は、ぼくと中野さんの共著といえる。
 「人は、人生のあるがままの姿に同調し、人生のあるべき姿のため闘おうとしない。私はひどく腹が立つ」 (ドンキホーテ)。
 
▼以下、目次
第一部 人問としての尊厳を求めて
 プロローグ
 第一章 レッドパージの嵐の中で
 第二章 左派労働運動の再建
 第三章 六〇年安保の前後
 第四章 中ソ労働組合との交流
 第五章 民間労働運動の変質と総評の危機
 第六章 少数派労働組合として
 第七章 「労働戦線の統一」に反対して
 第八章 動労千葉との連帯
 第九章 全国労組交流センター運動

第二部 小沢・山岸連合の支配に抗して
       対談 佐藤芳夫Vs中野洋
 第一章 細川・小沢政権の狙いと社会党
 第二章 小沢支配を支える山岸・連合
 第三章 大不況下の連合支配の危機
 第四章 新たな戦闘的労働運動を求めて
 
 ▼『生涯一労働者――あたりまえの労働組合へ(続)』

http://www.zenshin.org/f_zenshin/f_back_no07/f2290.htm#a3_5



16.02.05
組合潰しと闘いぬいた労働者たち

化学産業複数組合連絡会議30年の軌跡

   

――1960年代から2000年代の労働組合運動をになった世代[大企業組合の現状を知るための情報―4]
 
   
『組合潰しと闘いぬいた労働者たち――化学産業複数組合連絡会議30年の軌跡』 2010年2月13日発行
 編著者  化学産業複数組合連絡会議
 発行者  塩見 誠
 発行所  株式会社アットワークス

 

http://www.atworx.co.jp/works/pub/60.html


 
(表:宇部窒素労組1953年の闘い)
【上】新日窒労組の争議に子供も「頑張れ」と市民ぐるみの応援(1953年)
【下】機動隊に護られて入場しようとする第二組合を阻止する新日窒労組青年行動隊(1962年)

(上の写真をクリックすると大きくなります)

書評:『組合潰しと闘いぬいた労働者たち――化学産業複数組合連絡会議30年の軌跡』『労働情報』(794号・2010年7月1日)、評者・中岡基明(全国一般全国協)


30周年記念誌刊行の狙いと読者への期待
              化学産業複数組合連絡会議議長 末吉 幸雄
 ●本書発刊の狙い
総評が解体され、労働組合は春闘も闘えなくなった。職場で労働者の生活と権利を守る労働組合が少なくなった。2009年、世界的な金融危機により生産や販売が一気に縮小し、そのシワヨセが多くの労働者に強いられた。とりわけ派遣労働者やパート労働者など非正規労働者へのシワヨセが大きかった。
戦後から高度経済成長の一時期、労働組合の運動は平和を守り、国民生活を向上させてきたが、1970年以降、職場の支配力を強めた会社によって活動の場を大きくせばめられた。企業は管理機構を強化し、職場末端から労働者を個別に支配してきたが、これに労働組合は対抗しきれなかった。
 なぜ春闘が闘えなくなったのか。労働組合がこうも弱いのか。本書はこうした日本の労働組合運動の弱点を見直し、労働組合運動の再構築を模索しようと企画された。
 
●戦後の化学産業労働運動と組合分裂
 戦後、化学産業の労働組合は、春闘という賃上げ闘争に立ち上げることに寄与した。春闘の先頭に立って闘ってきたために、化学の労働組合は会社から攻撃されてきた。宇部窒素労働組合と太田薫は、その最前線で奮闘した。新日本窒素労働組合は、安定賃金導入と果敢に闘った。大争議となり、第二組合が作られた。
 従業員=組合員という組織形態は会社の分裂攻撃に弱かった。会社によって採用された新入社員は、第二組合に入った。賃金差別や嫌がらせにより、闘う労働組合は組合員を減らされていった。

 ●企業内組合の弱点
 複数組合会議の各組合は、戦後の労働組合運動でトップレベルの成果と運動を作り上げてきた。しかし新たな組合員の獲得が困難となり、組合員の多くが定年退職して戦力を低下させた。一度、労働組合が分裂すれば、多くの労働者は会社ににらまれるのを避け、会社が支配する第二組合に閉じ込められる。
 労働組合の運動は本来、未加入の労働者に働きかけ、組合員を拡大して、会社との交渉力を高めていくものである。しかし、戦後の日本の労働組合はこの苦労をしないで、会社が採用した社員をそのまま組合員としてきた。組合員意識の向上、組合民主主義の徹底、資本からの独立を常に心がけていれば、企業内組合の弱点を補強していけるが、多くの労働組合でここを会社に突かれた。
 これから会社とどう立ち向かっていくか。本書でもその答えを出しきれていないが、新たな運動の芽はいくつかある。それを読者とともに考えたい。

 ●反撃の芽 工場内にも民主主義を
 国鉄労働運動を弱体化させた結果、引き起こされた福知山線脱線事故で、会社側の労働者に対する姿勢、事故調査委員会への隠ペい工作が改めて問題になりつつある。
 2009年の総選挙で長く続いた自民党が政権の座から降ろされた。企業経営者はこれまで「不当労働行為はやり得」と考えてきた。どんなに悪事が明らかにされても「金さえ払えば和解で解決できる」と思ってきたが、それを糾弾して社会的に制裁する機会が訪れた。「民主主義は工場の門の前で立ち止まらせることができる」と考えてきた経営者に「そうではない」と突きつけることが出来たら、派遣労働を含め、労働法違反を少なくすることが出来る。
 年休の取得は労働者の権利だが、会社の許可が必要だと思わされている労働者は多い。「怪我と病気は自分もち」で、労災として申請されないケースも多い。残業をしても、残業代が支払われない会社もある。「民主主義を工場の中にも復活させる」ことで、職場で組合運動再生の芽が出てくる可能性が高くなる。
 民主党を中心とする連立内閣の下で、これから会社と国民・労働者の綱引きが行われる。

 ●闘いから学んでほしいこと
 本書は、各組合の闘いの経過と教訓点を5人の編集委員で整理した。4人はOBである。争議の中心であった先輩の多くはすでに亡くなり、その後、苦戦を強いられた活動家も現役ではなくなった。関係者が元気な間にこれからの若い人に教訓を伝えようと書いた。多少の記憶違いや誤記があるかも知れないが、これは実際に闘った労働者の70年の記憶である。自分の人生の半分以上をかけて闘った記録である。
 どういう時に争議が起こるか。その背景も分析した。経営にとっても組合潰しは重大事である。組合潰しにより事業を拡大させた会社もあるが、ジリ貧もしくは低迷させた会社の方が多い。組合潰しは、それほど企業のエネルギーを消耗させ、職場の人間関係を荒廃させてしまう。組合側も同じである。ギリギリの攻防のなかでも時には一歩も二歩も後退し、内部固めをしてから反撃した方が有効な場合もある。組織の限界が、戦術の限界でもある。伸びきったゴムが切れるまで引っ張っていくやり方は、戦力を大きく消耗する。


 組合の分裂だから、労働者の意見や考え方の違いが原因と主張する人もいる。しかし、日本の企業における労働組合の分裂は、会社の組合潰しによって起きている。
 また、どういうことが争議の引き金となったのか。その結果、労働者はどう闘ったのかを中心に書いた。ストライキとロックアウト、第二組合発生から次第に少数になりながらも、労働組合が裁判や地労委、抗議交渉など様々な手段を活用して、どう闘ったのかを書いた。
 化学産業における会社側の組合潰しは、宇部窒素に始まり、日本板硝子でほぼ完成するが、その手口はほとんど同じである。これを克明に書いた。日本板硝子では、組合潰しを始めるにあたり「日常の業務だけでなく、人も管理(支配)することが管理職の仕事」と強調された。組合潰しが社内のすべてに優先させる時期が長く続いた。有能な管理職も、組合潰しで突っ走る「出世欲の強い」勢力に駆逐された。企業そのものの体質が大きくねじ曲げられた。
 会社側のやり方をよく学べば、労働者側が注意すべき内容も明らかになる。それを読み取っていただきたい。
 会社のなりふり構わぬ組合切り崩しに対して、組合はどう闘ったのか。少数となっても、 どういうことができるのかを書いた。分裂の初期、会社は第一組合の組合員数を出来るだけ減らそうとするが、「これ以上は落とせない、これ以上やれば摩擦が大きくなる」と考えるようになると、第一組合からの第二組合の組合員への影響力を弱めようとする。ここに攻防の軸が移っていくと、労使交渉や職場での力関係でも変化が出てくる。運動の仕方によっては少数派組合の活動領域を増やすことができる。
 争議で多くの解雇者が出た。裁判と職場の聞いで復職させるケースもあったが、そうでないこともあった。複数組合の戦術としても誤りがなかったとはいえない。どういう時に負けたのか、それもよく勉強してもらいたい。

 ●負けない工夫を

「闘いは勝つ時もあれば、負ける時もある。「どうすれば勝てるか」という時代は、まだ来ていない。今は「どうすれば負けないか」が重要になっている。負けない工夫をどうするか。
 争議となれば、労働者の団結を強めることが重要になる。職場のみんなが見ている。特に多くの事業所(組合の支部)にまたがる労働組合では、日々の連絡と適切な指示が不可欠となる。中心になる人がこの努力を惜しむと、運動は一気に後退する。
 会社から攻撃を受けた時の支援をどうするかも大切だ。地域や産業別の支援があれば、会社も手加減せざるを得ない。そのため、日常から幅広い付き合いが大切になる。特定の党派や勢力の広告塔と見られるような運動の仕方は避けた方が賢明だ。
 職場の人間関係も重要だ。会社がどういうことをやろうとしているのか、管理職から貴重な情報が入ることがある。会社側(経営者や管理職)のすべてが一枚岩となって労働組合潰しをやろうとしているのではない。時には彼らが排除の対象にされることもある。
 組合内部の運営や人間関係には、いろいろと配慮が必要だ。争議がきつくなってくると、少ない組合員のなかでストレスが高まり、それが感情的な対立となりやすい。こうなると、そこで運動がストップしてしまう。
 闘いは長期戦になるから、時には楽観的になることも大切だ。苦しい時でも楽観的になれば、ものどとがよく見えることがある。

 ●少数派組合の運動
 少数でも闘う組合がある職場(会社)にいる方が、多くの労働者にとっては幸いだろう。しかし、その負担のほとんどが、少数派組合にのしかかる。苦労のほとんどを少数派組合が抱えることになる。
 これでは組合員の再生産ができず、運動の継続ができなくなる。だから分裂組合になり、少数で闘うことは薦めない。しかし、どうしてもやらざるを得ない時がある。その時は、自分と仲間の「人生の半分以上をかけた闘い」になる。その覚悟を決め、一度闘いをやり始めたら中途半端では止めないことだ。敗北感が蔓延すると、そこでは再起不能になる。
 複数組合で闘った多くの先輩は、自分の半生をかけて闘った。苦労もしたが、より充実した人生を送ることができた。闘う少数派組合には苦労は付きまとうが、地域をはじめ全国に仲間がいる。仲間を信頼してがんばろう。

30周年記念誌刊行の狙いと読者への期待   末吉 幸雄
苦闘30年 本書の発刊に期待する       塚田義彦
三池労組と新日本窒素労組の闘いに参加して 日高 弘 
関西地区におけるさまざまな闘いの思い出  平城一郎

闘いの軌跡
化学産業複数組合連絡会議の歴史 化学労働運動のほんりゆう

宇部窒素労働組合     春闘の先頭を駆けた闘い
新日本窒素労働組合    安定賃金反対闘争を経て、水俣病と闘い、差別是正
旭化成守山労働組合    労働運動と社会運動 公害闘争と労災闘争の取り組み
昭和電工秩父労働組合   伝統にこだわらず、新規事業で雇用確保 
昭和電工東長原労働組合  連合会から除名、主体的な運動を模索
東洋高圧労働組合     組合分裂から組織統一を果たす
川崎化成労働組合     コンビナートで首切りと闘い、職場復帰後に安全闘争
全セキスイ労働組合    少数派組合への差別をはね返し、労働条件向上の道を切り開く
東洋シリコン労働組合   企業再篇の嵐のなかで再統一
昭和電極労働組合     じん肺、職業性ガンの労災認定から集団訴訟の先がけ
日本板硝子共闘労働組合  非正規労働者との連帯
豊年製油労働組合     丸抱え御用化に抗して、ユニオンショップ解雇との闘い
二チバン労働組合     2本立て労働条件を許さず、法廷闘争と実力闘争で勝利
内山工業労働組合     自動車会社の間接介入、5名解雇と闘い、今なお不当攻撃と闘争中 
大鵬薬品工業労働組合   薬害を未然に防ぐ
大塚製薬労働組合     業務譲渡リストラとの闘い

▼資料
化学産業複数組合連絡会議関連年表 
労働組合変遷一覧(戦後労働組合中央組織・複数組合連絡会議)
化学産業複数組合連絡会議 規約 
合化労連複数組合連絡会議 相互支援基金規定 
あとがき 





15.10.10
長崎造船・左翼少数派労働運動の軌跡
――1960年代から2000年代の労働組合運動をになった世代[大企業組合の現状を知るための情報―3]
 第1巻――「ある感傷を序にかえて」「編集にあたって」、目次、第2巻――目次、あとがき、第3巻――まえがき、目次、などをPDF版としてUP 。

△『新左翼労働運動10年 Ⅰ――三菱長崎造船社研の闘争』(三菱長崎造船社研・藤田若雄ほか著)

三一書房
1970年7月31日

△『新左翼労働運動10年 Ⅱ――三菱長崎造船社研の闘争』(三菱長崎造船社研・藤田若雄ほか著)

三一書房
1970年10月15日

 

△『左翼少数派労働運動――第三組合の旗をかかげて』(三菱長崎造船社研社会主義研究会著)

三一書房
1973年1月31日




▽15/07/26

河西宏祐著『講演集・労働組合とはなにか―広電型労働組合主義の原像を求めて


A4判、224ページ、2015年2月28日、河西 宏祐(早稲田大学名誉教授)

1 はじめに


 本書には、私がこれまでにおこなった講演録のいくつかを収録している。
 第1篇は、新入組合員(海員組合)を対象とした「労働組合とは何か」という入門講座である。第Ⅱ篇は、「企業内複数組合と少数派組合」に関しておこなった2つの講演録である。第Ⅲ篇は、私鉄中国労働組合広島電鉄支部(私鉄中国広電支部)に関する2つの講演録を、「広電型労働組合主義とは何か」というテーマでまとめてみた。
 研究者を志した大学院生時代以来、私の研究テーマは「労働組合論」であった。それを、聞き取り調査を中心とする実証研究によっておこなってきた。
そのため、ずいぶんたくさんの労働組合とお付き合いをし、組合役員や労働現場の人々との交流を重ねてきた。
 その過程で、講演を依頼されることも少なくなかった。いろいろの義理や義務もあって、断り切れずに引き受けたこともあったが、基本的には講演をするのはあまり好きな方ではなかった。「講演」というものにつきまとう「上から目線」になじめなかったからである。
 できることなら、労働組合の内部に立ち入って、組合役員や労働現場の人々の日常の営みを、インタビュー法や参与観察法、感得法によって、じっくりと把握し理解したかった。そのためには、できるだけ目立たないようにし、「調査対象の片隅にひっそりとたたずむ」という姿勢をとることが多かった。
 それでも、実態調査をやらせてもらった“お返し”をしなければならないことは、いうまでもない。調査結果を調査対象者に報告し、できるならば運動に役立てていただくのは、調査者の義務である。
 このような事情で、振り返ってみれば、これまでに結構な数の講演をおこなってもいる。そのうち、まとまったかたちで講演録ができているものの中からいくつかを選んで、本書に収録した。
 内容についてみれば、私の研究史を反映して、電産史・少数派組合論(第Ⅱ篇)、そして私鉄中国労働組合広島電鉄支部(私鉄広電支部)(第Ⅲ篇)に関するものとなった。
 私の研究史の始まりは、電産史研究である。その中央本部関係資料を探索している過程で、すでに1956年に解散したと伝えられている電産が中国電力内に「企業内少数派組合」として存在している事実を知った。そこから、「企業内複数組合と少数派組合」が私の研究テーマとなった(第Ⅱ篇)。
 その過程で、「少数派組合は多数派に発展できるのか」という疑問に応える必要が生じ、それを実現した私鉄広電支部を対象とする「多数派への発展条件」の把握が研究テーマとなった(第Ⅲ篇)。
 さらに、多数派に発展するに留まらず、第二組合を吸収して「組織統一」を成し遂げ、「1企業1組合」の「全員加盟型」の企業別組合に復して後も、少数派時代の「志」を見失うことなく発展をつづけることができるかどうかが、私の研究テーマとなった。このことを、同じく私鉄中国広電支部を対象として実態調査を継続している。そして、同労組の「活性化」の理由を、同労組が「24時間の労働組合」「生涯組合員」を実現していることに求めている(同上、第Ⅲ篇)。
 このように私の研究史を振り返ってみれば、結局「労働組合とは何か」を求めつづける旅路であったことになる。そして、現在のところ、その回答を<「24時間の労働組合」「生涯組合員」を実現する過程が、すなわち「労働組合の活性化」である>というところに求めている。
 さて、そのようにみると、ごく初期に書いた「労働組合とは何か」という新入組合員(海員組合)を対象とする入門講座用の論稿が、すでにそのことを論じていることに改めて驚きを禁じ得ない(第1篇)。 そこで、これを本書の冒頭に置くことにした。
 結局、長い研究者人生を通して、基本線としては同じことを一貫して追求してきたのだと、本書を編集しながら再認識することとなった。
 なお、それぞれの章の初出は、各篇の扉に付けた「解題」を参照されたい。
       2015年如月(草木張り月) 早春を求める日々に
       河西 宏祐


2 目次+著者紹介
 (PDF版)
 『講演集・労働組合とはなにか―広電型労働組合主義の源蔵を求めて』「労働社会学資料シリーズ 8」(河西宏祐編、2月28日、自家版)



3 「広電現象」の反響
 (PDF版)
 『講演集・労働組合とはなにか―広電型労働組合主義の源蔵を求めて』「労働社会学資料シリーズ 8」(河西宏祐編、2月28日、自家版)




▽15/07/20 

河西宏祐著 『路面電車を守った労働組合――私鉄広電支部・小原保行と労働者群像』(平原社、定価:2000円+税、2009年5月)

 

1 弁護士会の読書、更新日:20098 5(福岡県弁護士会)

http://www.fben.jp/bookcolumn/2009/08/post_2253.html


 久しぶりです。労働組合って何をするところなのか。労働運動のすすめ方。職場で労働者の権利を守って闘うための工夫。少数派に転落した労働組合が再び多数派に回復する闘いで求められるものは何か。この本には労働組合活動の原点とも言うべき大事なことがぎっしり詰まっています。
 この労働組合は、市内を走る路面電車を存続させ、契約社員を正社員化させたのでした。私鉄広島電鉄支部の物語です。
 私は大学1年生のときに学生セツルメントに入り、若者サークルで活動しました。ですから、青年労働者の実情を知ると同時に、労働組合運動の状況も知りたいと思ってたくさんの本を読みました。司法試験に合格して司法修習生になったときにも労働現場を知りたくて修習生仲間で職場訪問したところ、誰がどう間違ったのか第二組合を訪問してしまい、お互いに気まずい思いをした覚えがあります(全金東京計器支部を訪問するつもりだったのです)。
 そんなわけで、久しぶりに労働組合運動の大切な原点が一人の指導者のすさまじい生き方を通して生き生きと語られている本を読んで、感動とともについつい学生時代のことを思い出したのでした。
 この本の主人公は小原保行という人ですが、惜しくも10年も前に早逝されています。1930年生まれですから、生きていたら、もう80歳近い人です。戦後まもなくのバス運行の現場ではチャージ(料金横領)が横行しており、労働組合幹部が不正を働くベテラン運転士と結託していた。うへーっ、ひどいものです。
 会社側が第二組合をつくって分裂策動をすると、昨日まで左翼的な言辞を吐いていた左派と目されていた連中が一夜にして主張を変えて脱退の旗を振った。
 残念なことに、どこにでも起きる構図ですよね、これって・・・。
 小原保行は、1954年、24歳にして書記長に選出され、以来、定年までの36年間、ずっと組合役員をつとめた。
 1960年代に入って路面電車が赤字になると会社は、電車撤去のための布石をうちはじめた。人を入れない。電車撤去のときに身軽にしておきたい。たくさんの人を抱えていると、人員整理に困るから。終電時刻を切り上げ、運転間隔をあける。こうやって利便性を落としていって、利用者を減らす。そこで、組合は、電車の機能を高める、その社会性を高めるたたかいに取り組んだ。
 マイカーの軌道敷内通行が禁止され、スピードが回復されると、利用者が徐々に戻ってきて、ついには大赤字だった路面電車が黒字になった。
 損益分岐点は、組合も無視してはいけない原則的な問題なのだ。うーん、そうですか……。
 このおかげで、広電支部は路面電車部門で一気に多数派になった。労働組合の団結力は、第一に、学習・集会・行動。第二に闘争資金。第三に、青年・女性部の活動。第四に、共済活動。第五に、政治力。それから、家族組合、退職者同盟、地域共闘、産別統一闘争。
 契約社員を正社員として、賃金体系と労働条件を統一する。そして契約社員を廃止したというのです。すごいですね。やはり、労働組合は、自分たちだけに目を向けてはいけません。こうやって自分たちの足下を固めて、広げていくべきなんですよね。
 すごくいい本でした。著者に拍手を送ります。
(2009年5月刊。2000円+税)


 2 公益社団法人 教育文化協会HPで紹介
  

http://www.rengo-ilec.or.jp/report/10-6/5.html


(山根正幸)

河西宏祐著『路面電車を守った労働組合――私鉄広電支部・小原保行と労働者群像』(平原社、定価:2000円+税、2009年5月)

 広島電鉄といえば、鉄道に詳しい人の間では、多くの都市が路面電車を廃止・縮小してきた中にあって、現在でもそのネットワークを維持していることで知られている。労働問題に関わる人であれば、私鉄中国地方労働組合・広島電鉄支部(以下、広電支部)による契約社員の組織化・正規雇用化の実現がまず頭に浮かぶだろう。路面電車ネットワークの維持と非正規労働者の組織化・処遇改善という、一見無関係に見える2つの事柄、実は、労働組合のたゆまぬ努力という共通の背景でつながっている。――― 本書は、労働社会学者である筆者が、四半世紀以上にわたるインタビュー調査を通じて、広電支部の黎明期から分裂・少数派転落、そして多数派の回復・再統一と新たな課題への挑戦を、長年広電支部の運動を牽引してきた小原保行をはじめとする組合リーダー達の姿を軸に描いている。

 広島電鉄は、規制緩和や合理化の流れの中で2001年に契約社員制度を導入したが、広電支部は、その当初から契約社員を含めたユニオン・ショップ協定の締結を要求し、実現している。その後も広電支部は、正社員登用や賃金・労働条件改善の取り組みを粘り強く続け、2004年には「勤続3年経過後の正社員化」を勝ち取る。しかし、この正社員化は、新たに「正社員Ⅱ」という区分を設け、従来の正社員との間に労働条件格差を残すという、組合要求から見れば不十分な内容であった。そこで広電支部は賃金体系統一に向けた要求を積み重ね、ついに2009年に賃金体系統一を実現する。
 広電支部の取り組みについては、ベテラン正社員の賃金原資の一部を契約社員の賃上げに配分した点を指して、世間では「正規と非正規が痛みを分かち合う」といった点ばかりが取り上げられがちである。しかし、本書を読めばわかるように、広電支部は同時に65歳までの雇用延長も勝ち取るなど、単なる労働者間の痛み分けだけではなく、中長期的な視点で闘ったことを見逃すべきではない。さらに言うならば、長年にわたる運動の中で培われてきた「差別を許さず、職場にいる全ての労働者のために取り組む」土壌、そして後述する「位(くらい)取(ど)り」の発想があったからこそ、要求の実現につながったのだろうと思う。

 もっとも、契約社員の処遇改善の取り組みは、本書では補論的な記載である。むしろ本書が全体を通して描こうとしているのは、現在の運動に連なる過去の様々な取り組みであり、それらの運動を戦略的に取り組んだ、小原保行をはじめとする組合リーダー達の姿である。
その最も重要な取り組みとして描かれているのが、「路面電車を守る闘い」である。契約社員をめぐる取り組みから遡ること約40年前の1960年代後半、路面電車廃止の布石を打ち始めた会社に対して、小原委員長率いる当時の広電支部は、単なる合理化反対闘争でなく、電車の機能とサービスを向上させることで雇用と公共交通を守る取り組みを展開する。労働強化につながるという組合員を説得し、約15年にわたる企業、行政に対する働きかけ、そして組合員自ら取り組んだサービス向上により、ついに路面電車部門の黒字転換を実現していく。そしてこの取り組みは、組合分裂によって少数派になっていた広電支部が労使関係の主導権を取り戻す最大の転機となった。
ここで筆者は、一連の闘争を通じて小原が身に付けた「位取り」の発想に注目している。利潤を追求する会社と、労働者の雇用と家族の生活を守る労働組合、両者の目的は一致しない。だからこそ労働組合は、経営と対等に渡り合う「位負けしない力」を付ける。そして、会社に頼らず自立した労働者集団として、自ら職場と雇用、家族の生活を支え合う活動に取り組む、というものである。
 「路面電車を守る闘い」以前にも、小原らは、バスの配車基準をはじめとした職場における差別・不合理に対して、様々な闘争を仕掛けており、これらの取り組みを通じて職場の労働者の共感を獲得し、組織拡大につなげている。このなかで、筆者は小原独特の「差別論」に注目している。それは「敵は最小に、見方は最大に」という言葉に集約されているように、差別の中にこそ組織拡大の機会があるという発想である。職場における属性に関わらず、労働者の差別そのものを問題視し、全ての労働者を対象とした差別撤廃運動を通じて、組織化に結びつけていくというものである。小原が遺した「差別そのものは怖くないが、差別されたことに対して団結の働きかけをしないことがいちばん怖い」という言葉は、現在の労働運動が直面している非正規労働者の組織化、格差是正の課題を前に、強いメッセージとして響いてくる。

 ところで、なぜ、広電支部には小原保行という戦略家が現れ、次代のリーダー達が育てられてきたのか。この点について本書だけで多くを得ることは容易ではない。労働組合の内部でどのように人材が発掘・育成されていくのか、そうした側面からの調査・分析の必要性を感じるところである。ただ、少なくとも筆者は、登場人物を傑出した才能の持ち主として捉えることはしていないように感じる。巡り合わせの中で偶然同じ職場に集った人々が、労働組合の旗の下で学び、不条理や差別に怒り、闘ってきた事実の積み上げを通じて、筆者は、どの職場にも同じような環境はあるはずだというメッセージを込めているようにも思える。
もう一点、短期的には収入減となる組合員が出た契約社員の正規化、あるいは組合員に労働強化を求める「路面電車を守る闘い」を進めるにあたって、組合員の反対や不満が示されたことは想像に難くないが、これに対して執行部はどのように説得したのだろうか。この点について、本書では必ずしも多くのページが割かれている訳ではない。現在、非正規労働者の組織化・処遇改善の取り組みは労働運動の大きな課題であり、ほとんどの組合リーダーはその必要性を理解している。しかし、その実践に際して、対象となる非正規労働者、さらには既存組合員の理解を得ることへの躊躇の声が少なくないのも、また実情である。あるいは、インターネットの発達による組合内コミュニケーションのバーチャル化についても、その功罪について様々な意見がある。
 職場において労働組合として労働者とどのように向き合うべきか。時代によって変わる部分はあるにせよ、現場に赴き対話を重ねる姿勢を最後まで貫いた記述など、小原らの具体的な行動の中に、組合内コミュニケーションのあり方を見つめ直すヒントが隠されているような気がする。

 小原や広電支部の運動が守ったのは、路面電車だけではない。差別と闘い、全ての労働者のために活動する労働組合の姿である――本書のタイトルには、そうしたメッセージが含まれていると思うのは考えすぎかもしれない。しかし、労働組合組織率の低下、社会の格差拡大が指摘される中、「現場に目を向けよう。当たり前のことを当たり前に取り組もう。今が全ての労働者のために労働組合が頑張るときだ」という筆者の呼びかけが聞こえてくるような気がする。本書の内容について、とくに具体的な場面での記述や評価には賛否がとうぜんあろうが、非正規労働者の処遇改善・組織化に取り組む労働組合リーダーに、問題提起の本としてぜひ一読して頂きたい一冊である。(山根正幸)



3 評者:山本 潔 
 (PDF版)
河西宏祐著 『路面電車を守った労働組合――私鉄広電支部・小原保行と労働者群像』、(平原社、 定価:2000円+税、2009年5月)
評者:山本 潔(東京大学名誉教授)(大原社会問題研究所雑誌 No.613/2009年11月)

http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/613/613-07.pdf


4 特定非営利活動法人 労働者運動資料室 

 http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/index.html

 18号(09.8.21 *2ページ 文献紹介・①

 『電産の興亡』(早稲田大学出版部 河西宏裕著)
 『路面電車を守った労働組合』(平原社 河西宏裕著)
 

 http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/myweb1_324.htm

 
 題名を見て分るとおり、同じ著者の本を紹介します。はじめの本は第二次大戦後の日本労働運動の牽引車であった電産労組が、力を発揮した時代から分裂、解体されてゆくまでの歴史をたどっています。わが資料室の会員でもある森茂さんも、歴史の証人として何ヶ所かで登場します。

 二つ目の本は、私鉄中国地方労働組合広島電鉄支部(私鉄広電支部)の歴史を、小原保行さんという指導者に焦点を当てながら描いたものです。広電支部には社青同の活動家も多く、現在も活躍中ですから、ご存知の方も多いと思います。『社会主義』6月号には、佐古委員長の「契約社員の正社員化を闘って」という論文が載っています。非正規労働者の組織化、待遇の改善という現在の最重要課題への果敢な取り組みの報告で、おおいに注目されるべき内容です。

 『電産の興亡』は、同著者の『電産型賃金の世界―その形成と歴史的意義―』の続編となっています。有名な電産型賃金を勝ち取った1946年の「十月闘争」の経過は、前編のほうに入っているのですが、46年「十二月協定」の内容は、本書のほうに書かれています。

 この賃金体系は、生活給の典型とされるものですが、当時の情勢の産物らしい特徴ももっています。

 たとえば「生活保証給」は本人給と家族給とからなっているのですが、「ここで想定されている家族は『核家族』ではない。後に詳しく検討するように、ここで想定されているのは<寄り合い世帯>である。したがって『扶養家族』の範囲がきわめて広くとられている。」(41頁)というものです。扶養家族の他にも、本人の収入を頼らなければ政経を維持できない者にも「扶養家族に準じて家族給を支給する」(74~5頁)と、協定の「取扱要綱」で明記されているのです。敗戦後の日本で、たくさんの縁者が身を寄せ合って生活していた社会情勢の中で生れた賃金体系です。

 当時の電産労組は、優れた人材を揃え、経営側を圧倒する力量をもっていたと、著者は評価しています。ところがこの電産労組も、第三章で書かれている地域人民闘争の過程で亀裂が入りました。民同派(「東北みどり会」などの極右派と、民同左派)が生れたからです。第四章に書かれている1950年の「レッドパージ」が追い討ちとなりました。さらに51年には、電力事業が九分断され、企業別の分断が生じました。

 第五章に書かれている「電産五二年争議」においては、本部は民同左派が握っていたのですが、企業エゴを押し出す民同右派に切り崩されて、組織は壊滅的な打撃をうけました。五六年に中国地方本部を残して、電産労組の大半は第二組合に吸収されました。九州地方には全九電という労組があって、社青同、『まなぶ』の仲間が多かったので、記憶されている方も少なくないと思いますが、この労組は、いったん電産を脱退して第三組合を目指す動きがあって、それが失敗した後に結成された組織です。数の上では電産中国より全九電のほうが多かったのですが、組織を継承して電産の旗を守り続けたのは電産中国ということになります。

 著者は1983年に総評調査団の一員として、私鉄中国広電支部を訪れました。当時、総評は民間労働運動においてIMF・JC、中立労連、同盟などに圧されていたのですが、巻き返しの手がかりを求めて、佐伯造船所労組と私鉄広電支部に調査団を派遣したのです。前者は造船業不況のなかで全員解雇による倒産・整理を通告されながら、市長や市経済界の支援も受けながら闘っていた労組です。私鉄中国広電支部は、分裂し、少数組合に陥りながら闘いの実績で第二組合を上回り、多数派になったことで注目されていました。著者はその調査ではじめて、小原保行委員長と出会ったそうです。

 小原保行という人は、かなり個性の強い人のようですが、公休の輪番制、大手並み賃上げを目指す賃金闘争、ダイヤ協議権闘争など様々な闘争で、対話を大事にしながら組合員の意見をまとめつつ、多数派の第二組合を圧倒しました。そして路面電車を守る闘い社会党議員団を動かしながら、「交通政策闘争」を展開して会社の合理化方針を変更させました。そうした運動の過程で数多くの活動家を育て、労組の力量を高めてきました。

 小原委員長が90年に定年退職した後、93年に第二組合と統一したのですが、このときの組織は1,400名と900名でした。「両組合はそれぞれ上部団体を脱退し、まずは企業内組合として合体・統一する、そして一定の期間(約三ヶ月)をおいて連合傘下の私鉄総連、および私鉄中国地方労働組合に加入し、その広電支部となる」(264頁)、という合意の下での統一でした。第二組合の顔を立てながら、事実上の吸収合併であったわけです。

 調査団は、両組合についてよい報告書をまとめたと思いますが、総評運動はその後も立ち直れず、ご承知のような結果となりました。しかし、広電支部の運動は一貫しています。会社は、人件費削減のために合理化の一環として、2001年から契約社員制を採用しました。この本の中でもその点にふれていますが、さきにふれたように、『社会主義』に、佐古委員長がその続きを書いています。

 「広島電鉄の雇用構造は、雇用形態、身分の違いで正社員・正社員Ⅱ・契約社員の三重の構造になってしまった」、そして「会社は、乗務員の今後の採用については契約社員での採用のみとする方針を出して」(『社会主義』6月号、58頁)いるという合理化との対決でした。

 「2006年の労働協約闘争で『新たな職種別賃金体系を導入し、労働条件を統一する』合意」(同58頁)がなされました。その後さらに交渉を煮詰め、08年4月に労使の合意を経て親制度の素案がまとまりました。契約社員、正社員Ⅱの賃金引上げのコストを捻出するためには、正社員、ことに勤続の長いベテラン組合員の賃金を下げなければなりません。当然、いろいろ意見が出ます。しかし委員長は「ベテラン組合員の賃金の下落幅も受忍限度内に収めることが出来たと思っている。このことによって名実ともに広島電鉄から非正規雇用労働者の存在を削除する扉が開けたのである。」(同、60~61頁)と述べています。まだ職場討議中だとのことですが、ここまでまとめたということは、画期的です。

 こうした討論ができたということは、少数組合時代から常に問題と真正面から向き合い、組合員を信頼して討論を重ねてきた運動の積み重ねがあったからだと思います。総評運動の優れた面が継承され、労働運動の危機的な局面に力を発揮していると言えます。





▽15/07/20 

 
   
 『全契約社員の正社員化―私鉄広電支部・混迷から再生へ(1993年~2009年)』[新装版] (早稲田大学学術叢書、A5判、302ページ、2012年7月25日)
 『全契約社員の正社員化を実現した労働組合』(平原社版 、46判、326ページ、2015年2月20日)




 1 公益社団法人 教育文化協会HPで紹介

河西宏祐著『全契約社員の正社員化-私鉄広電支部・混迷から再生へ(1993年~2009年)-』(早稲田大学出版部、定価6,100円+税、2011年5月 )

評者:鈴木 玲(法政大学大原社会問題研究所教授)
  http://www.rengo-ilec.or.jp/report/12-02/3.html

 本書は、1993年以降の広島電鉄の労使関係、とくに私鉄中国労働組合広島電鉄支部(広電支部)の活動について詳細に調査・分析した研究書である。広電支部は09年に経営側と「新賃金制度」について合意し、すべての契約社員(非正規社員)の正規化を達成した。これは、社会問題化している非正規労働者の増大に抗する事例として広くマスコミに注目された。しかし、本書が明らかにするように、広電支部が契約社員の正規化を達成するまでの道のりは、決して平坦なものではなかった。広電支部は、広島電鉄で分裂・対立関係にあった2つの組合が93年6月に40年ぶりに統一して結成された。広電支部は、その後変形労働時間制導入による労働強化、規制緩和圧力による経営側の人件費削減攻勢への対応に苦慮した。さらに広電支部執行部は、労働強化や賃金削減で不満を強めた組合員からの強い批判にさらされた。しかし、「交通政策論」による合理政策への対抗、ユニオンショップ制による契約社員の組織化、さらに契約社員正規化に伴う新賃金制度構築で積極的役割を果たすことで経営側に対する反転攻勢を強め、その過程で組合の「再生」を図った。
 本書は、近年国内外で行われている「労働組合の再活性化」研究の一部とみることができる。ただし、多くの研究が地域の社会運動との連携や社会問題への取り組みなどで既存の労使関係制度の殻を破る「社会的ユニオン」「社会運動ユニオニズム」を強調するのに対し、本書の特徴は「伝統的」な労働組合主義に基づいた労働組合の再活性化の道筋を示したことである。すなわち、広電支部は団体交渉や争議権確立など既存の労使関係制度で認められる権利を行使し、また「だれでも言いたいことは遠慮せずに言う」組合員の「労働者文化」による活発な議論を通じ、経営者攻勢で「内部崩壊の危機」に立たされた組合組織を再び強化・活性化させたのである。しかし、著者はこのような組合再活性化事例が交通産業の特殊性によると示唆し、労働組合運動全体に広がること(普遍性)について一定の留保を示している。
 以下では、本書の各章(序章、終章を除く)の概要を紹介する。
 第1章は、私鉄総連傘下の(旧)広電支部と交通労連傘下の広島電鉄労働組合が統一して新たな広電支部が結成された背景について触れたうえで、新支部と経営側の労使関係の展開を検討する。新支部は企業存続のための経営体質改善を重視し、統一後最初に取り組んだ完全週休二日制の導入をめぐる交渉で、人員増を伴わないこと、さらに合理化を進め生産性を向上していくことを経営側と確認した。しかし、完全週休二日制および変形労働時間制の導入は、労働密度の強化と一日の労働時間の延長につながり、さらに時間外労働が減少したため組合員の収入が減った。そのため組合員は不満を強め、96年の組合大会では激しく執行部を批判した。この大会で選出された執行部は、同年の秋闘で労働条件の改善を要求するストライキを新支部発足後初めて構えたが、このストライキはすでに締結した労使協定の修正を要求した「異例なストライキ」であった。組合員の強い不満に「たじろいた」経営側は、労働条件を一定程度改善する譲歩を行った。
 第2章は、交通事業の規制緩和の文脈における経営側の「企業存亡」を旗印とした激しい合理化攻勢と、広電支部の対応と「反攻の糸口の模索」について扱う。この時期(96~02年)、広電支部は「これまでのやや過剰な経営側へのすり寄りの姿勢を捨て、労働組合としての基本的な姿勢を旧支部時代の〈生産協力・分配対立〉・・・の運動路線に立ち返ることを明確にした」とされる(98頁)。経営側は諸手当の廃止や賃金カット、赤字のバス部門の分社化などを次々に提案して合理化攻勢をかけた。組合側は公共交通サービス向上を目的とした「交通政策論」を打ち出し、経営側の規制緩和を理由とした合理化攻勢に対抗するとともに、自治体当局に対して同政策に基づいた申し入れを行った。バス部門の分社化にかんしては、「退職金20%カット」や「年功賃金カーブの是正」を組合側が受け入れることと引き換えに、同合理化案をかろうじて阻止した。2000年以降も会社の合理化攻勢が続くが、会社の経営収支が改善したこともあり、広電支部はさらなる人件費削減案の撤回、人事考課の規制などを勝ち取ることができた。さらに広電支部は、「経営側に〈適正な経営論〉を提示」して、経営者の合理化攻勢に守勢的な労使関係から、組合側が「『積極的な(経営上の)取り組みを会社に対して求める』」(121頁)新たな労使関係の足がかりを築いた。
 第3章は、契約社員制度をめぐる労使交渉と組合側の導入の合意(2001年)、導入に伴う契約社員のユニオンショップ制の労使協定締結(このような事例は「全国でも希有」であるとされる)、組合内の正規・非正規組合員の利害調整(準組合員制度の導入および廃止)、組合側の契約社員の賃金・雇用条件改善へ向けての要求(正社員の登用制度)などを取り上げる。契約社員の正社員への登用は、契約社員制度導入当時は制定されていなかったが、組合側のスト権確立を含めた粘り強い交渉の結果、02年の秋闘で「採用後3年後の正社員登用」の協定を勝ち取った。しかし、経営側は「正社員Ⅱ」(雇用は保障するものの賃金体系は契約社員と同様)を新たに設け、登用した社員をこのカテゴリに分類した。さらに、経営側は2000年代半ばに契約社員制度により優秀な人材が集められないと判断し、06年秋闘で組合側に対して「全員を正社員化」すると同時に「賃金水準は契約社員並み」にするという「驚天動地」の提案をした(169頁)。すなわち、経営側は正社員の年功制に基づいた賃金体系を大幅に改定して、「職種別賃金」を導入して総額人件費を削った賃金体系を全社員に対して適用することを狙った。他方、組合側は経営側の提案を逆手にとり、新たな賃金体系が労働者側に有利なものなるように交渉していく戦略をとった。このような両者の異なった思惑は、その後の新賃金制度の創設をめぐる労使の攻防の伏線となった。
 第4章は、06年秋闘の「職種別賃金制度導入」による全従業員(正社員、正社員Ⅱ、契約社員)の「労働条件統一」の労使合意以降の新賃金制度制定に向けた労使交渉および組合内部の新賃金制度をめぐる利害対立(とくに賃金が減額になる正社員組合員の不満)をカバーする。結果(2009年春闘での妥結)から言うと、組合は経営側との間で新賃金体系案を何度もやり取りすることで粘り強く交渉をして、組合の基本姿勢を守った。すなわち、年功賃金(「勤続年数別賃金」)を各職種賃金の細いランク分けにより実質的に達成し、賃金が減額になる組合員の犠牲を「10年間の減額措置」により最小化した。さらに、経営側の当初の総額人件費削減の目論みとは逆に、新賃金制度導入および定年延長により「賃金原資の大幅増額」となった。他方、経営側は末端職制の職種別賃金を他の職種別賃金より手厚くすることで、経営側が今後組合員間に今後「クサビ」を打ち込むことを可能とした。
 本書は、膨大なインタビューや一次資料分析に基づいた実証研究のみが示せる「活き活きとした」団体交渉での組合と経営側のやり取り、組合員の組合幹部に対する突き上げや組合幹部の苦悩の描写している。関心のある方は、ぜひ本書を手にとって団体交渉や組合内の議論の活写を読んでほしい。



2 評者:嵯峨 一郎 
 (PDF版)
 (熊本学園大学)、日本労働社会学会年報 / 日本労働社会学会編集委員会 編、23号、2012



3 評者:龍井 葉二 
 (PDF版)
 河西 宏祐 著 『全契約社員の正社員化─私鉄広電支部・混迷から再生へ(1993年~2009年)』、龍井 葉二(連合総合生活開発研究所副所長)、日本労働研究雑誌 2012年5月号(No.622)

 

http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2012/05/pdf/087-097.pdf#dokusho_1



番外 佐古生明委員長の講演
 (PDF版)

 雇用と生活を守る取組み――契約社員の正社員化事例を通じて、佐古生明(私鉄中国地方法労働組合広島電鉄支部執行委員長、一橋大学フェアレイバー研究教育センター、労働法律旬報、NO.1806、2013年12月25日)



▽13/03/04 new
労働者協同組合論を批判した人
  ――労働者協同組合とはなにか、「労働運動」、新日本出版社、351号、1994年9月。
 (上記下線部をクリックして下さい。PDFで読めます)

 本サイトの「黒川俊雄のページ」に以下のように、3本の労働者協同組合の理論的文献をUPした。

  http://e-kyodo.sakura.ne.jp/kurokawa/kurokawa-index.htm

 労働組合運動と労働者協同組合、黒川 俊雄、三田学会雑誌、慶応義塾経済学会、慶應義塾大学出版会、78(6) 、1986/02
 今、なぜ労働者協同組合か――今日の労働組合運動と労働者協同組合、黒川 俊雄、労働旬報社、賃金と社会保障、934号、1986/03/25
 協同同組合運動の現代的課題と意義、 黒川 俊雄、桜美林エコノミックス、桜美林大学経済学部、27号、1991/12

 黒川先生には、『いまなぜ労働者協同組合なのか』(大月書店、46判、1993年4月刊)という出版物がある。これは『仕事の発見』(第一期、中高年雇用・福祉事業団全国協議会刊〔現日本労協連〕)に連載したものをまとめたものだ。

 問題関心・内容について、上記単行本と論文を読んでほしい。

 このような論理志向・思潮に「今日の労働組合運動と協同組合運動の一部に、〔中略〕有害な影響をひきおこしつつある理論と思想の内容、その誤りの要点」について、「ある著名な経済学者の最近の著作の議論から、検討したい」と、猛然と批判した人がいる。

 その人は、私が1990年代初頭に大阪の小さな生協の生活文化情報誌で、産直などの取材で出会った「紀ノ川農協」の関係者で、以前、『労働・農民運動』誌の編集長をになった人だ。  
 毎年、大阪でよどがわ市民生協と日本全国の産直交流をすすめていた西日本有数の産直農協(協同組合の一員)の関係者が、なぜ今頃、批判論文を書いたのか意味が分からなかった。

 ただし私には“既視感”がよみがえった。それは、大昔の1960年代の構造改革論とそれを批判する政党側の批判と共通するものがあった。  
 またつぶしにかかっているのかという、感想を持ったが、歴史はどのように判断しているのか。

 その後、その政党関係者Aさんにお会いしたとき、評価をたずねたが「綱領に入っていない」という返事をいただいた。Aさんはイタリアの労働組合や協同組合の実際をつぶさに見てきた人で大変くわしい人だが、政治の世界は、そういうものかと、あまりこちらから関係を持つものではないな、と一人判断をしたことを記憶する。



▽13/02/16 new
階級的・民主的労働運動をになった人たち――その2
 ――食品労働者・明治乳業争議団のメンバー紹介より

 一地域のユニオンが発信している興味深いブログが「奈労連・一般労組支援」。
 TOPには、「なくそう格差と貧困、人間らしく生き、働ける社会と職場。 奈労連・一般労組の活動紹介。 全国の労働問題の紹介・支援。労働相談は奈労連まで、一般労組は個人加盟も可能です。 とにかく相談を、今こそ労働組合加入を!」と書かれている。

http://narouren.jugem.jp/

 現在(2013.02.16)のページのTOPはなんと全国の争議の紹介だ。  
 東京争議団議長の挨拶、12月20日 深夜、和解成立(キヤノン争議)そして、明治乳業争議団の記事などが続いている。  

 全面解決に向け総決起の新年です! 明治乳業争議団
 昨年、明乳争議団は放射能汚染問題や、粉ミルク納品をめぐる官製談合事件など、明治HD及び(株)明治の不祥事・不正行為を告発し包囲する運動を強めてきました。同時に、都労委「全国事件」への救済命令を求め、月一回の都労委要請行動を定着させる等、全面解決への道筋を確実にするために奮闘しています。
 いよいよ、長期闘争を勝利解決に結実させる新年です。今春に交付される都労委命令を契機に、一気に解決局面を切り拓く決意です。総力を結集しての勝負の年! ご支援を重ねてお願いします。
 
 このブログの中に、明治乳業争議団メンバー紹介がある。写真などが外れて見にくいが、その人物紹介は、1960年代に明治乳業へ入り、地道に職場の民主化に取り組んだ人びとの人間性がよく表現されているので、是非、紹介しておきたい。 (下にPDF版)

 http://narouren.jugem.jp/?eid=5531

 元のページがあった(明治乳業争議団紹介)。
 http://meinyu-sougi.chips.jp/member.html#Anchor-35882

   一人ひとりは御存じないが60年安保、三池闘争などの後、高度経済成長社会の下、職場の民主化や職場・地域の文化活動、政治革新をめざした多くの人士がいたことの事実をインターネット上に残していきたい。
  会社とインフォーマル組織に攻撃された人びとの願いを、次代に引き継ぐためにも「親父たちの、そして母たちの生涯をかけた思い」を一人でも引き継いでほしい。 この文章の中に登場する何人かの人たちは、争議解決を見ずにお亡くなりになっている。

 しかし、たたかいの歴史は残っている。

  =明治乳業争議団員リポート記=(争議団ニュースから転載)
 : 
「奈労連・一般労組支援」(PDF版)


▽13/02/03 new
階級的・民主的労働運動をになった人たち――その1
 ――金属労働者の文集『追悼・岡安政和』(「追悼・岡安政和」編集委員会、1982年6月)

 

 1950~60年代、職場に入った労働者の多くが鬼籍に入りつつあり、日本の戦後労働運動史に刻み込んだたたかいの歴史が、インターネット社会にUPされずに、忘れさらえようとしている。
 戦後の労働運動高揚期の歴史は、「2・1スト」「産別会議」をはじめ出版物として残され、高度成長前期に当たる総評・炭労の三池闘争などの出版物は散見できるが、「日本経済の高度成長下の労働(組合)運動史」に関する出版物は数少ない。出版事情が許せば、その当時の運動家の本をまとめられたのだろうが、残念ながらそういう状況ではなかった。
 そこで1960~1970年代の労働運動をになった人たちの歴史を、少しでも伝えておく役割があるのではないかと思い、1冊の金属労働者の文集『追悼・岡安政和』(「追悼・岡安政和」編集委員会)をUPしたい。  
 岡安さん個人とは面識がないが、1970年代前半の「企業ファシズム」とたたかう労働組合・全金北辰電機のリーダーだった。はげしい住友資本の組合分裂に抗して、「資本から独立した労働組合」を守るたたかいの渦中・1981年春闘中に急逝された人だ。


 はしがき――「その遺志を運動の階級的民主的再生の力に」で、岡安さんを次のように紹介している。  
 岡安さんは定時制の小山台高校で勉学に励み、一方では社会の動き、社会の仕組みに厳しい目を向け、一九五一年、学費値上げ反対闘争の先頭に立って指導性を発揮し、その頭角をあらわしました。一九五二年北辰電機入社、一年後労働組合に加入し、組合大会で多くの先輩をまえに三十分の演説を行い、会場のドギモを抜き、労働組合指導者としてのスタートをきりました。そのごの活動は、年譜にしめしたとうり、働く者の生活と権利を守るため、みずからの労苦と犠牲を惜しまず、労働者の良き相談相手となり、労働者の期待を一身に集めました。  
 一九七二年、住友資本の組合分裂攻撃にたいしては「資本から独立した労働組合」を守るためにあらゆる攻撃の矢面に立ち、全金の旗を守りました。資本の攻撃には厳しく、労働者の悩み.要求にはやさしく真剣に考える岡安さんの姿は敵に恐れられました。岡安さんは全金南部地協議長、全金東京執行委員などの経験のなかから、「職場の自由と民主主義を守る中央連絡会議」、「統一戦線促進労働組合懇談会」等の活動に積極的に参加してきました。
 岡安さんは自らの信条にもとづき、政治の革新、日本の平和、民主主義の問題をも日常活動の分野として位置づけ、砂川基地反対闘争をはじめ、五〇年代以降の主要な政治闘争のすべてにわたり、北辰の労働者の先頭にたって大きな役割を果してきました。

 全金北辰電機と住友資本のたたかいがあった1970年代に「労働法律旬報」で何回か取り上げられ、「企業ファシズム」と呼ばれていたのに違和感を持っていた。
 特別に北辰電機と背景資本の住友資本が異常なのではなく、高揚した民間労働組合の春闘を抑え、組合乗っ取りを図っている資本の「インフォーマル組織づくり」がテーマなのではないかと問題提起した経験がある。
 追悼したある人も、「次に、一九七二年に北辰電機は分裂させられましたけれど、分裂をかけられる前に、北辰電機の中には労友会と言うインフォーマル組織がつくられ、資本は、この人達を使って北辰電機の分裂にのり出しました。」と語っている。  
 分裂した多数派の同盟北辰電機リーダーの一人がインフォーマル組織の機関誌『サスコミ』で得々とその成果をインタビューで答えていたのを記憶する。

 
 

   『追悼・岡安政和』(PDF版 「追悼・岡安政和」編集委員会、1982年6月)
   (一部訂正:2014.07.02)

 

▽参照:ある編集者のブログ
どこに消えた『サスコミ』グループ――インフォーマル組織物語Ⅸ

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-d4b4.html


▽13/01/19 new
良心の歴史をつくりたい』
 ――(1970年6月、報知新聞労働組合・報知印刷労働組合・報知印刷大阪労働組合編、労働旬報社)  


 1960年代、高度成長期に都会(東京)に集積した若い労働者の「たたかう労働者のど根性」を描いて励ました『東京争議団物語』(市毛良昌。佐藤一晴ほか著、旬報社のHPで読める)は、労働者によく読まれた本だが、1970年代に向けて昭和二ケタ世代の「普通の労働者・サラリーマン・記者たち」が読売資本の意を受けた報知新聞経営者の、一方的な「ロックアウト」に抗して立ち上がったドキュメントが、このPDF版『良心の歴史をつくりたい』だ。  
 亡くなったドキュメント作家・今崎暁巳さんも参加して編集・出版された。    

 

 まだ労働者という言葉が、社会に訴える力があり、「アロハシャツを着て、スポーツカーみたいな車に乗って」全国の新聞労連傘下の労働組合や国労、全逓、県評などを回ったと語り継がれたたたかいだ。    

 企業別組合の底力が発揮されて解決していくわけだが、その後、『早く高く勝利を』(単行本)も出版し、報知印刷労働組合は第2組合を解散させた「力」をもって、企業内でもイニシャチブを一貫して発揮つづけてた。

 そして、官公労が中心だった総評運動に並行して千代田区労協などの「地域共闘」の育成でも、全国でも有数のレベルの労働組合になり、1970年代から80年代には、日本製紙、大映、日本フィル、浜田精機、細川活版などの大型争議解決の先鞭をつけ、ニチモウ・キグナス争議、そして沖電気争議などの東京争議団や東京地評などの東京総行動を発展させた「拠点」となった。

 
▽13/01/16 new
モップとダイヤルの叛乱
 ――自治体職場の非正規労働者とともにたたかった記録

 越谷のブログ:共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す
  昨年、「協同まつりinこしがや」の実行委員会の同行者・「「NPO法人 障害者の職場参加をすすめる会」の山下さんのブログ「共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す」を読んでいるうちに、ある本に出会った。

 <<  作成日時 : 2012/11/23 01:02   >>http://yellow-room.at.webry.info/201211/article_8.html

  その本は『モップとダイヤルの叛乱』(制作:竹の子ニュース編集部、協力・越谷委託労働者組合・自治労・越谷市職員組合・埼玉学校委託労働者組合、JCA出版 発売時定価1,500円 1982年5月20日1刷)
 

 

  越谷市立病院委託紛争記――出版社が書く「帯」には、次のように打ち出されている。 「埼玉県のベットタウン越谷の市立病院で働く、おそうじおばさんと電話交換手が、労働組合を作った。逃げ出した会社、導入策すハイエナ企業、右翼も団交に! ついに市長は自主管理を潰そうと、警察に出動を要請した…が。」    

 この本が、インターネット上にあるので読んでみた。

   (いまはこのページ←クリックして:2020.07.08)

 http://www2.plala.or.jp/kokyomnkn/mop/honbun.htm#プロ-1

 とにかく30年ほど前に、市立病院の現業下請け労働者を正規雇用公務員労働者の面々と非正規ユニオンのメンバーが、正面から受け止め、その組織化と待遇改善のたたかいを組織したドキュメントだ。

 自治体職場に蔓延する「非正規労働者」と今後、どのように協同していくか、自治体労働組合には大きな課題だ。その魂の一端を考えさせてくれる本だ。


▽12/12/28 new
企業別組合をどうとらえるか――古くて新しい問題



 慶応義塾大学・黒川俊雄教授の還暦を記念して、労働問題研究者や労働組合関係者の3冊の本を企画・編集し、出版したのは1980年代半頃だった(全体のプロデューサーは日本大学教授の永山利和さん)。
 その中の1本の論文をPDFで復刻してUPしておきたい。  

 わが国労働組合の組織問題、『現代の労働と生活Ⅲ 労働組合の民主的変革』、深井龍雄(黒川俊雄編、1985年3月、労働旬報社)

 書いた人は今は亡き石垣辰男さんだ。まだ電機労連の調査部の仕事をしていたはずだ。当時、沖電気争議が起こり、東京総行動を始め全国に運動を広げていた。
 石垣さんは、単産内の仕事の傍ら、さまざまな問題を提起していた。その内の1本が、当該論文だ。  

 編者の永山さんは、あとがきで“日本の「半強制的」労働組合ではなくして「労働組合活動家集団」のような新たな労働者のイニシアティブを確立するため、「一人でも入れる」ゼネラル・ユニオン形態などによる未組織労働者の組織化、情報処理技術者の組織化、全労働者階級の視点に立つナショナル・センターの確立、既存労働組合組織の民主化・労働組合選択の自由・産業別に組織された活動家集団の組織化などにょる労働組合の「民主的変革」を追求することが重要である”と書いている。  

 いまは個人加盟のコミュニティ・ユニオンの面が強調されているが、石垣さんの提起した「一人でも入れる」ゼネラル・ユニオンも忘れてはいけないはずだ。

 黒川俊雄さんの本書Ⅰ・Ⅲ巻の巻頭論文は、「黒川俊雄のページ」にUPした。
 ▽2012.12.27更新 
  労働の意義と現代労働者支配の歴史的位相、『現代の労働と生活Ⅰ 現代労働の支配と変革』、黒川俊雄(198411月、労働旬報社)
 現段階の労働組合運動の「停滞」を飛躍に転換させるために――経済民主主義のための地域コミュニティ運動をふまえて、『現代の労働と生活Ⅲ 労働組合の民主的変革』、黒川俊雄(19853月、労働旬報社)


▽12/12/22 new
少数派労働運動の歴史の御紹介

 少数派労働運動に関する文章を紹介したい。

 下田平裕身さん(信州大学)の自分史・労働運動に関する大論文(自分史か)を読んだ。

下田平裕身「<書き散らかされたもの>が描く軌跡 :(PDF版) <個>と<社会>をつなぐ不確かな環を求めて : <調査>という営みにこだわって 」 「氏原教室」あるいは「東大社研グループ」からのはぐれもの下田平裕身氏の回顧録。いろいろな意味で大変に貴重な証言である。》

 http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20090810/p1

 1970年代初頭の少数派労働運動については、その後、あったという歴史しか知らなかった。
 下田平さんによると「1960年代後半から70年代前半の時期は、戦後日本労働運動にとっての大きな転換期であった。いや、むしろ、70年代後半以降の労働連動がどのように推移したかを考えれば、労働組合運動そのものが<解体>へと向かう転換期であったというべきだろう。この時期に先行する1950年代後半から60年代は、労働組合運動の拡大期であった(少なくとも、そのように見えた)」としている。  

 そして「1970~72年には、私が個人的に関わりあうことになる分裂少数派組合のほとんどが形成されている。70年には、ゼネラル石油、長崎造船第三組合、全造船・石川島、特殊製紙労組・岐阜、71年には、日本カーバイト、全金・本山、72年には、船舶通信士組合、全造船・浦賀、同玉島、東京都学校事務労働組合などである。これらの分裂少数派組合は、組合運動のなかで大きな流れを形成するほど、数多く生まれたわけではない。労働組合違動のく正史〉では完全に無視されている」として「少数派労働組合運動」へのオマージュを述べている。
 戦後直後をのぞき高度成長期における「労資対決」の姿を学ぶためにも、有意義な労働運動史の一端だと思う。 (この部分のみ以下に掲載)
 少数派労働運動(2006-02-28発表、PDFで読めます)

 ここで書かれている「本山闘争」についての本『労働組合の死と再生――全金本山闘争の記録』(拓殖書房、1974年)は、下田平裕身さんが実質的に執筆したと書かれている。

https://soar-ir.shinshu-u.ac.jp/dspace/handle/10091/656

 本山闘争は、つい最近、解決していることが報告されている。

 「激闘34年に勝利! バルブメーカー本山製作所による一人の首切りから始まった工場移転・首切り合理化に向けた組合つぶし攻撃…組合分裂攻撃…暴力ガードマン導入…ロックアウト・別棟就労攻撃…、そして、警察権力の介入弾圧に屈せず闘いぬいて、私達は、解雇撤回・原職奪還を果たしました。争議開始から33年10ヶ月になります」

http://www.geocities.jp/zenkinmotoyama/index.html

 一方で、下田平さんが紹介している『あたりまえの労働組合へ』(佐藤芳雄著、亜紀書房、1973年)や『労働問題研究』(藤田若雄さんほか東大系の執筆者が多い。亜紀書房、1970年代初頭)は神田・神保町のウニタ書房で購入して読んだ記憶がある。ただ私の周りには、これらの本を論評する人はいなかったが。


《追記》▽13/04/15
 下田平さんの上記のエッセイ・論文をTOPにした単行本が出ている。
 『少数派労働運動の軌跡――労働の現場に生き続ける人びと』(「少数派労働運動の軌跡」編集委員会編、金羊社、四六判、2007年9月、1990円)

   

地域共闘・中小運動・コミュニティユニオンのページの御案内

▽12/04/17 

 10年ほど前に出版された2冊の本を紹介したい。
 第一は、『地域ユニオン・コラボレーション論 オルグから見た地域共闘とは』(小野寺忠昭著、発行・インパクト出版会 、2003年)を読みなおした。


  

 小野寺さんは、パラマウント製靴共働社が出版した『協働の未来に光あれ! パラマウント製靴の歩みと労働者生産協同組合へ』石井光幸さんが編集した。シーアンドシー出版刊、1995年8月、B5判並製、400頁)の編集作業のときに何回かお会いした。

    

 「東京地評の組織オルグ」という仕事で、下町人間としてユニークな論議をする、このような世代の人もいるんだと思ったことを覚えている。

  2003年の出版を祝う会の雰囲気をインターネット上から探して紹介しておきたい。
 【小野寺忠昭さん出版祝う会 / 地域ユニオン・コラボレーション論 / 仁義と友愛の運動を】
 三十七年間、東京地評オルグとして数々の労働争議を闘ってきた小野寺忠昭さんが、一月東京地評を定年退職したのを機に、『地域ユニオン・コラボレーション論』というタイトルの本を出版した。二月二十日に開かれた「退職と出版を祝う会」には二百人近くがかけつけ、今後も労基法改悪反対闘争や国鉄闘争を舞台に活躍を誓う小野寺さんに激励のエールを送った。
 その呼びかけ人の一人が、上記の大部な『協働の未来に光あれ!』を企画編集したパラマウント製靴共働社代表の石井石光幸だ。

 http://www.labornetjp.org/NewsItem/20030209tera/

  ご両人は、日本フィルの争議団も参加して展開した東京総行動の下町版「働く仲間の労働祭」を主催し、80年代の地域共闘・地域争議支援の協同の根城を作って、奮闘していた。
 いまでも下記のように。その当時の伝統を書き続けている組合もある。
 「東京東部地域はペトリカメラやパラマウント製靴の自主生産闘争、全逓4・28反処分の闘い、国鉄分割民営化反対の闘い、韓国スミダの闘い、障害者差別反対の東部労組・大久保製壜の闘いなど、地域運動の力で多くの争議に勝利してきた」(NPO労働相談センター)

 http://www.rodosodan.org/

  さて、小野寺さんの本の紹介している文章を次に揃えて掲載したい。 

1 職人気質や仁義で綴る労組論―地域・中小労組運動だからこそ・・・の目線と語り(インターナショナル第134号:2003年4月号掲載)

 2 労働運動再生への問題提起――「地域ユニオン・コラボレーション論」 
   (アサート No.311(2003年10月25日) 「アサート」は、改革と民主主義をめざす「主張・参加・交流」のための情報誌です。)

 http://assert.jp/data/2003/31104.htm

  3 「山本崇記」制作:小野寺忠昭 『地域ユニオン・コラボレーション論』 インパクト出版会

  http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db2000/0302ot.htm

 第二は、「管理職ユニオン」の結成から10年を経て、その運動をまとめた本=『転形期の日本労働運動――ネオ階級社会と勤勉革命』(東京管理職ユニオン、緑風出版、2003年12月)。

   

 あとがきに次のように書かれている。

“本書の第二部は、東京管理職ユニオンが結成10週年を迎えるこの時点で東京管理職ユニオンの「運動組織としての位置づけ」を試み、これからの運動方向について考えるというコンセブトのもとに企画したものである。東京管理職ユニオンの結成この方その運動に注目しご指導ご支援をいただいてきた労使、救済機関の目利きの方々にそれぞれの視点から、東京管理職ユニオンが日本の労働運動に投じたものを語っていただいた。平賀健一郎中小労組政策ネットワーク事務局長は、「様々あるユニオン、合同労組、一般労組との運動の交流、協力関係に気を配り、その運動の触媒になってくれればと願っている」と結んでいる。 第二部のアンカーには田端博邦東京大学教授にお願いした。「管理職ユニオンやコミュニティ・ユニオンが生み出し、生み出しつつある新しい運動は、新しい質をもっている。それは、日常的世界における個人の自発性を基礎にした連帯をつくりあげるということである。そのような新しい質の労働運動が広がるなら、日本の労働運動全体が質的な進化をとげる可能性がありうる」という田端教授の「おわりに」の言葉から、第二部のタイトルを「転形期の日本労働運動を考える」とさせていただいた“。

  第一に紹介した小野寺さんの持論に協同・連携する提案を以下の本で、平賀健一郎さんが概略下記のように提起している。

 いま日本の労働組合は社会的意味で存続の阻路にいるといってもよいが、この打開策で現実に視野に入っているのは中小・零細・「非」正規労働者を仲間に迎える運動で、その主軸が一般労組やユニオンの活動である。

 「労働組合が、労働者の要求があるところに労働組合が必要なのは当たり前といえば当たり前なのだが、ここに根付く新しい運動が求められている。これを抵抗なくやっていける労働組合は、今のところ、ユニオンや合同労組、地域の運動をやっている組織が最右翼に位置する。管理職ユニオンもその一翼を担って、力強いこれからの一〇年を歩み始めてほしい」

 「東京管理職ユニオンの活動領域と組織・運動形態はどうやら、東京という意味では地域性を、個人加入・産業を超えるという意味では一般合同牲を、管理職という意昧では職能組合と同じに各産業を輪切りにしている。……運動のスタイルでいえば、コミュニティ・ユニオン型に近い」、と指摘している。

 さらに「コミュニティ・ユニオンを名乗るところを除いて、いわゆる一般労組や合同労組運動を展開している組合を類型化してみると、①業種別では建設、港湾、運輸、印刷、流通サービスなどの業種が多く、②地域別の労組としては東部一般、三多摩一般、宮城合同、全国一般東京なんぶ、OO地域支部などの命名が多く、地域合同労組の伝統を受け継いでいる。また、職業別には新運転、建設、土建、看護婦派出婦、日本音楽家ユニオンなどがあげられるが、管理職ユニオンはこのどれにも当てはまらない」

 しかしその触媒としての役割を果たしてほしいという注文を投げかけている。

■内容構成

 第一部 ネオ階級社会と勤勉革命──東京管理職ユニオン結成一〇周年記念シンポジウム

 英国社会と労働運動─ネオ階級社会労働運動への提言  林信吾
 日本型労働運動の深層─勤勉革命について  宮本光晴
 これからの労働組合を考える──東京管理職ユニオンの一〇年から  設楽清嗣

   はじめに/東京管理職ユニオンの結成の意味/東京管理職ユニオンによって、新たに生み出された労働組合の組織と運動/東京管理職ユニオンの組織と運動の性格、特徴
 東京管理職ユニオンの労働組合運動としての弱点/東京管理職ユニオンの今後の方向と課題
 いわゆる「管理職」労働者階層はどうなるか/今日の労働組合運動総体の弱体化と地盤沈下に対処するために/東京管理職ユニオンの今日的課題は労働組合運動総体の課題でもある

 第二部 転形期の日本労働運動を考える

 管理職ユニオンは「労働組合」にあらざるか ──〈東京管理職ユニオンをめぐって〉労働委員会の視点から  水谷研次
  「企業外労組」のニューウェーブ──〈東京管理職ユニオンをめぐって〉経営側の視点から  三宅文雄
 転形期労働運動の触媒に──〈東京管理職ユニオンをめぐって〉合同労組の視点から  平賀健一郎
 はじめに/そもそも「管理職ユニオン」とは/コミュニティ・ユニオンなどと比べて
 合同労組のはじめ/戦後労働運動の再出発と合同労組/合同労組の出発
 地域合同労組と産別 整理/全国一般の成立/総評綱領草案と合同労組の組織方針
 一般・地域合同労組/合同労組とオルグ/現在の合同労組/労働組合運動の現在と未来
 管理職ユニオンが触媒に

 「ニュー連合」加盟で労働運動の再生を──〈東京管理職ユニオンをめぐって〉コミュニティ・ユニオンの視点から  高井晃
 コミュニティ・ユニオンと日本の労働運動──社会的連帯としての労働組合  田端博邦
 あとがき──「失われた一〇年」のラフスケッチ(橋本忠治郎)

  東京管理職ユニオンは、現在、二つの組織が並立しているようだ。編集子はその経緯は知らないが、以下に載せておく。

 東京管理職ユニオン・池袋(執行委員長 橋本忠治郎)

 http://www.mu-tokyo.com/

 東京管理職ユニオン(執行委員長 設楽 清嗣)

 http://www.mu-tokyo.ne.jp/

 

 さて、東京における「最後の総評系労働オルグ」といわれたお二人の活動をどのような人が受け継いでがんばっているのか、知りたいものだ。(編集子)
                                     2012/04/18 new
  本ページに以下の本の【書評と紹介】を掲載しておく。 


  

 松井 保彦 著『合同労組運動の検証──その歴史と論理』の書評と紹介

1 高須裕彦 大原社会問題研究所雑誌 No.627/2011.1
2 呉学殊  日本労働研究雑誌、82 No. 609/April 2011
▼2012.06.29更新 
3 早川征一郎 ((財)日本ILO協会編『世界の労働』2010年8月号、第60巻8号)



2024.10.16
「長崎 広さん」(facebookの発信)
(2024年10月16日)

★4年前の石川さんの投稿! 
我が葛飾の記憶すべきサンエス工業の大争議!





2024.10.16
「石川 源嗣さん」(facebookの発信)
(2020年10月16日)

★松井保彦『合同労組運動の検証 その歴史と論理』(フクイン2010.01)。

1961年、東部一般統一労組が取り組んだ東京都葛飾区にあったサンエス工業での組織化と半年間におよぶ大争議についての記載。

要約引用。
サンエス工業は、葛飾区所在の輸出おもちゃの製造販売、資本金400万円、従業員総数370人。輸出金属玩具では日本で一位、二位を争う企業。1953年創業で、1960年社屋を新築、ベルトコンベアー導入。1961年春、新卒の中卒、高卒の少年少女を東北と南九州から募集、一気に160人を新規採用し、集団就職させた。

しかしその労働環境は、労働者の寄宿寮には6畳に三段ベットが二組、六人が生活し、夜になると「南京虫」「ノミ」が疲れた身体に食い付き、少年達の健康に影響がでるほどで、いわゆる「タコ部屋」に押し込まれ、時間外労働に対する賃金も一切払われていなかったという。そのため、4月に入社した集団就職の新卒若年労働者が中心になって、1961年5月1日、日給250円、月額の手取額4500円以上との募集要項に対して、手取額は1500円であることに抗議して、(1)日額100円の賃金引き上げ、(2)現行食事付き寮費4000円の引き下げと食事の改善、(3)厚生施設の改善を内容とする要求を会社に提出し、寮生60人が寮に立て籠もった。しかし、会社は即座に中心人物を解雇し、事態に蓋をしてしまった。

この事実経過について、宮崎県から集団就職した高卒の労働者が克明に記し、出身高校の担任の先生に手紙で訴えた。その手紙が宮崎県教組に渡り、宮崎県教組から日教組本部へ、日教組本部から東京の都教組、都教組から葛飾教組へ、そして、葛飾教組から葛飾地区労へと、6月初旬に回送されてきた。

葛飾地区労、東部一般の松井オルグらは、早速手紙の送り主である青年に夜間「田舎の先輩」と名乗って寮に三日間通い、一部始終を聞きだすことからオルグを開始。6月3日、従業員約350人中、230人の組織化に成功し、日額150円の賃上げ要求を決め、翌日会社にサンエス工業分会公然化の通告を行なった。

しかし、会社は合同労組であることを理由に一切の面会拒否、まったくの団交拒否の態度をつづけ、労働委員会による団交促進の斡旋も拒否しつづけた。そして組合の抗議ストライキに対してはロックアウト、さらにスト中の労働者に対して、暴力団を使って刃物、のこぎり、丸太棒をかざして暴行するなどの暴力行為をくり返すようになった。その上、寮の寮監を委員長とする御用組合を会社の職制を動員して結成し、われわれの分断を図ってきた。さらに会社は、集団就職した労働者の親元に脱退工作のための家庭訪問をする、他方では労働組合および組合員排除のために、裁判所に”立ち入り禁止”の仮処分申請をする、また、下請企業の労働者を動員して、組合及び組合支援団体等の工場への入場を阻もうとするなど、争議戦術もエスカレートしていき、労使の間では、連日、激突がくり返されるようになった。そして、使用者側に経営者団体や経営法曹が加わり、会社側からの連日告訴・告発、さらには警察機動隊の出動なども行われ、区内初めての大争議へと発展した。

半年間の争議を経て、争議は解決したという。
しかし、争議解決のわずか半年後には、会社の資金繰りが困難になり、倒産するという結末をむかえた。
会社がロックアウトを断行し、紛争が長期化し、その間、生産が停止したことによる海外輸出(欧米のクリスマスプレゼント用玩具)に支障をきたしたこと、下請企業の一部が離反したこと、設備投資返済の資金繰りに詰まったこと等の他に、争議解決後の職場において、作業中に第一組合と第二組合との組合員間の対立感情がとけなかったこと、その結果として、生産体制の一体化に欠け、生産性が低下する、などが倒産要因だったという。




*私たちの労働組合運動史論・あれこれ



 労働組合については、運動史・歴史的に判断して読んでほしい。脇田憲一樋口篤三両氏は故人になっているが、これは「Windows95」以前の労働組合史《その3》だ。

 

 要宏輝さん(元連合大阪副会長)の文章は、全金大阪から連合に参加した当事者の思いが出ている。

今話題の維新・「ハシズム」(橋下徹大阪市長)に、連合がなぜ一致して抵抗できない構造にあるのかが、理解できる。


 全労連の人ではないが、「労働組合選択の自由論」やユニオンショップ制論を展開しているのを2本紹介する。

 第一は現在も「労働運動は社会の米・野菜・肉だ」を書き続けている毎日新聞労組・新聞労連出身の元都労委労働側委員の戸塚章介さんのブログに書かれていたものだ。戸塚さんは、出版物として『ロストユニオンに挑む』(共同企画ボォーロ 1680円)を書いていることも発見した。

 第2の牛丸修さんの文章は、このブログで紹介した電機労働者ペンの会発行の『からむす』誌上に発表されているモノ。「沖電気の職場を明るくする会」(OAK)の松謙さんからいただいたものだ。

 大企業労働者の苦悩が読みとれる。


 しかし、「労働組合の選択の自由」をインターネット上で調べたら、全労連・自治労連の宣言が出てきた。そこには、自治労連はこうして誕生しましたと、あっさりと自らの歴史を下記のように書かれている。

 “1980年代、政府・財界主導による国民・労働者犠牲の臨調・行革攻撃が激しくなる中、当時の総評・自治労は、これを支持し推進する「反共・労使一体、体制擁護」の路線に屈服し、「連合」に吸収合併されました。/こうした状況と「労働者・国民の利益を守るまともな労働組合運動を」という期待と運動の高揚の中で、激しい反共・分裂組織破壊攻撃をのりこえ、「労働組合選択の自由」の権利を行使して自治労連は1989年3月17日結成されました。“

 これまでのような企業別組合を前提にして、その覇権(労働組合の執行部の争奪戦)を競うのではなく、地域別・産業別・一般労働組合づくり(故中林賢二郎法政大学教授の研究・発言)のなかで、連合・全労協・全労連のそれぞれが組織拡大で切磋琢磨するのが、本来の労働組合づくりなのではないか。

 ましてや海外進出をし、多国籍企業になった巨大企業の中核(=コア)の部分に限定した正規労働者の労働組合は終焉を迎えているのではないか。

 「非正規労働者35%時代」において、民間(鉄鋼、電機、金属、食品、IT系、航空・旅・食品サービス産業)や公務部門(自治労系)、昔の公労協(国労、全逓、全電通)職場も、その非正規労働者の組織化を実現したとき、そしてその横にワーカーズコープや社会的サービス協同組合(ふくし生協や高齢協)が町々に生まれたら「労働組合のルネッサンス」が起こるのではないか。

「Windows95」以前の労働組合史《その3》

7 私たちの労働組合運動史論・あれこれ  2012/02/19 new

連合よ、正しく強かれ――「連合」労働運動の過去・現在・未来  要 宏輝(元連合大阪副会長)
対抗戦略としての社会的労働運動 ――脇田憲一(労働運動史研究者)
高野実思想の継承と発展を――戦後労働運動二回の大高揚とその反動 樋口篤三(元「労働情報」編集長)
「労働組合選択の自由」を論ずる 明日へのうた――労働運動は社会の米・野菜・肉だ(戸塚章介のブログ)
日本的労働組合論――ユニオンショップ協定の問題点――牛丸修(『からむす6号』1996年)

●「Windows95」以前の労働組合史《その1》・《その2》

 連合の前に「総評」というナショナルセンターがあり、その民間単産に「総評全国金属労働組合」という産業別単一組合〔個人加盟〕をめざしたユニオン(今流にいうと)があり、果敢に戦闘的にたたかっていた。

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その全金の総同盟時代に参加し、高野実派(総評事務局長)に加わり、その後各地の争議対策を指導した、平沢栄一さんの自伝『争議屋』(1982年、論創社)を読んだ(平沢栄一『争議屋:戦後労働運動の原点』2009年、論創社が新刊のようだ)。

 「使用者概念拡大闘争」「法人格否認の法理」など思いだすことが多いたたかいだった。その法理を推進しし現場でたたかっていた弁護士の先達(亡き東条守一弁護士、山本博弁護士など)の名前に憶えがある。私が出版社時代の大先輩の「K代表」の友人たちである。すごいメンバーが横にいたことが分かる。

 この法理は、4割になろうとしている「非正規労働者」の権利擁護に生かされているのだと思う。

 インターネット上消えさせられている、「Windows95」以前の労働組合史の《その2》だ。

 《その1》は、以下のサイトに掲載した――芹澤寿良さんが紹介している《◇1960年代の「八幡製鉄所のインフォーマルグループ」の育成文書》だ。

 《その1》も《その2》も、いま70代~80代の人の人生だ。






2017.08.07UP







2014.11.16UP












2014.02.11一挙UP(PDF版

InDesign・DTP初心者のために――DTP・InDesign5において―0 
脚注(数字)の付け方の発見――DTP・InDesign5において―1
「句読点の半角モノ」・禁則処理――DTP・InDesign5において―2
くの字点(くの2字分)の発見――DTP・InDesign5において―3
背幅と表紙づくりの寸法のとり方――DTP・InDesign5において―4
クエスチョンマーク(?)とビックリマーク(!)の合体記号(!?)の読み方――DTP・InDesignCS5において―5
○(まる)の中に文字をどう入れたらいいのか――DTP・InDesignCS5において―6
脚注・ルビ(数字)をショートカットで――DTP・InDesign5において―7



文化人・労働関係者のブログ
労働関係のHP      
  (未完成)
労働関係研究者のHP・ブログ
◇リンク

芹澤寿良のページ

下山房雄のページ

黒川俊雄のページ

中林賢二郎のページ


川﨑忠文のページ
(回想の川﨑忠文)

今崎暁巳のページ(「今崎暁巳さんと私」)

早川征一郎のページ

小越洋之助のページ

五十嵐仁のページ

富沢賢治のページ

浅見和彦のページ

木下武男のページ



現代労働組合研究会のHP
  
  それぞれの労働運動史・論 1
  それぞれの労働運動史・論 3
  それぞれの労働運動史・論 4
  労働組合・労働問題の本
  ユニオンショップを超える
  連合を担う人たち
  全労連を担う人たち
  全労協をになうひとたち 

▽書評・論点
『格差社会にいどむユニオン』(木下武男著)
『現代労働問題分析』 石井まこと・兵頭淳史・鬼丸朋子 編著
2012.05.08 追加)
『新自由主義批判の再構築』(赤堀正成・岩佐卓也 編著
 2012.0.04 new
▽労働組合・ユニオンの現場から
連合が分かるリスト《1》 
◆連合の人たちの意識と行動
◆ふたつの研究組織――連合総研と(社)教育文化協会
連合が分かるリスト《2》
連合が分かるリスト《3》

▽労働組合・ユニオン
レイバーネット日本

首都圏青年ユニオン
首都圏青年ユニオンを支える会
東京公務公共一般労働組合
国公一般(
すくらむ)

ユニオンの動向・一端
コミュニティ・ユニオン全国交流集会in阿蘇に320人


ユニオン・ショップ制を超える
 郵政労働者ユニオンのめざすもの――ユニオン長崎・中島義雄
 ユニオン・ショップと労働組合――全国一般東京東部労組
▽国際労働事情・労働運動
韓国版 
連合群馬が見た韓国労働事情
韓国非正規労働者の状態と課題(静岡県労働研究所)

私たちの労働組合運動史論・あれこれ
連合よ (要宏輝)
社会的労働運動論(脇田憲一)
高野実論(樋口篤三)
労働組合選択の自由(戸塚章介)
ユニオンショップ制(牛丸修)


中小企業労働組合運動・地域共闘・管理職ユニオン・コミュニティユニオン

『地域ユニオン・コラボレーション論 オルグから見た地域共闘とは』(小野寺忠昭著)
『転形期の日本労働運動――ネオ階級社会と勤勉革命』(東京管理職ユニオン)
『合同労組運動の検証──その歴史と論理』(松井保彦著)の書評と紹介
1高須裕彦
2呉学殊
3 早川征一郎


▽全労連を担う人たち
  (2012.07.07 new)
全労連を担う人たち(2)
  
(2012.07.23 new)

編集人:飯島信吾
ブログ:ある編集者のブログ
企画・制作:インターネット事業団
インターネット事業団
(メール)


UP  2012年7月07日 
更新  2012年8月16日 
更新  2012年11月09日
更新  2012年12月22日
更新  2012年12月28日
更新  2013年01月10日
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更新  2013年02月03日
更新  2013年02月16日
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更新  2013年04月15日
更新  2014年02月11日
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更新  2014年05月13日
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