ユニオン・ショップ制を超える
現段階の労働組合の衰退の一つに、1980年代に解決が求められた「ユ二オン・ショップ制」をめぐる労働組合陣営の側に戸惑いがあったことは歴史が証明したのではないか。
ユニオン・ショップ制は、総評の解散において、日本型労働組合主義をめざした人たちが根本方針を出せなかった、「大理屈」だった。
総評系の官公労系で全労協に参加する郵政労働者ユニオンを選択した長崎の中島さんは、その苦渋のプロセスを下記のように書いている(「郵政労働者ユニオンのめざすもの」、月刊「地域と労働運動」、No.109号、〈2009年10月5日〉)。
“公然と団体などの機関誌で批判も浴び、はみ出し者、独りよがり、組織分裂主義者などとされた。いわゆる左翼小児病批判である。社会主義革命路線のテーゼとして言われるレーニンの組織論である。「労働者はどんなに腐敗した組織であろうとも、組織内にとどまり、大衆とともに歩め」という立場である。私たち郵政全労協は、仲間であるはずの労働情報の誌上ですら、左翼小児病の典型的な労組と笑われた。そのくらい少数だったということだが、全労協再編の当時では問題外の泡沫労組だったのである”。
しかし、昔から東京の下町(葛飾区)で奮闘している「全国一般東京東部労組」は、“ユニオン・ショップと労働組合ユニオンショップ協定や「名ばかり労働組合(御用組合)」で困っている仲間へ”という文書を社会に発表して、ユニオン・ショップ制の誤謬について、全面的なたたかいに挑んでいることが分かる。
この文書では、“「企業内に複数の労働組合が存在し、別組合に加盟した場合、または新たに企業内に労働組合を設立した場合、ないしは社外の労働組合に加入した場合、多数組合が締結したユニオンショップ協定の効力は、判例においては、「労働者には、自らの団結権を行使するため労働組合を選択する自由」があるから、「ユニオン・ショップ協定のうち、締結組合以外の他の労働組合に加入している者及び締結組合から脱退し又は除名されたが、他の労働組合に加入し又は新たな労働組合を結成した者について使用者の解雇義務を定める部分は、右の観点からして、民法90条の規定により、これを無効と解すべきである」としています(三井倉庫港運ショップ制解雇事件・最高裁判決
平元・12・14)”、と労働者の「不安除去」のために判例を引用して呼び掛けている。
一方、「全労連」系の人で、このテーマに関する当事者の発言が少ないことが分かって残念だ。
WEB上で全労連の「21世紀の新しい労働組合づくりをめざして」や「行動綱領」など方針は読めるが、「階級的ナショナルセンターとしての全労連の今後の方向とユニオン・ショップ制」、「大企業労働者への基本方針について」、非正規労働者の組織化については、もちろんすすめているが、「本工労働者・ホワイトカラーたちの複数労働組合への参加は容認するのか」、「連合や全労協系の労組・ユニオンとの連携・統一行動の方針」など、知りたいことはいっぱいあるが…。
日本における「ユニオン・ショップ制」の意味を彼らなりに分析をしていた『サスコミ』(インフォーマル組織の機関誌)がいま手元にないが、そこでは「日本の企業内組合は、51パーセント条項で勝ちとれば、反対勢力(「情報の共有化グループ」から疎外した部分)は絶対、反抗してこない」と書いていたことを記憶している。
政党政治の前に「労働組合・ユニオン」を基本にする人びとの複合的なネットワークがつくられることが、現在の衰退を超える力を生みだすはずだ。
▽追加2015.09.07
http://blogs.yahoo.co.jp/toukyoujititai/15799922.html
▽追加2015.09.07
『格差社会にいどむユニオン――21世紀労働運動論原論』(花伝社、2007年9月20日)
第V部 戦後労働運動史の断面――企業別労働組合の形成
第11章 企業別労働組合をめぐる論争をふりかえる
二 労働組合をめぐる諸議論
1 企業別組合論の展開と批判
2 労働運動側の「企業別組合」肯定論
◆経営側の「企業別組合」賛美論
第9章でみたように日経連は一九六三年の第一六回総会で、「日本的労務管理を育てよう」と題する労働情勢報告のなかで「わが国の企業別組合というものは日本という土壌の中に育った長年の歴史的伝統をもっている組織である。この組織は実に欧米でも心あるものはうらやましがっているほどの組織である。したがって、この企業別組合がもっているところの長所、良さ、これはどうしても保存してゆかなければならないと信じる」と企業別組合を積極的に擁護する姿勢を示した。
この時期に、経営者団体がこれほど手放しで日本的労使関係を賛美したことは注目される。これにはわけがある。この定時総会で採択された文書「今後の労使関係と経営者の見解」で、「戦後一八年を通じて労使は双方に尊い体験を経て今日に至った。労使の階級的対立感、政治闘争偏重主義、組合に対する偏見等がいかに労使関係ならびに社会秩序の混乱を数多く招いたかを身をもって経験してきた」、「長期的展望に立って新しい労使関係の建設に努力せねばならない」と述べている。すなわち戦後労働運動「第一期」における民間大企業の大争議で労働側を敗北に追いやった体験、経営側がこの「尊い体験」をつうじて出した結論が日本的労使関係、なかんずく企業別労働組合の擁護だったのである。
◆企業別組合の「積極面」への着目
今日からするならば、経営者側がこれほどまでに賞賛し誉めそやすものに対して、労働側は、怪しいものとみて疑ってかかる姿勢が必要だっただろう。そのような感覚があれば、冷静な分析や対応も考えられたに違いない。しかし、驚くべきことに、左派的組合潮流の研究者から企業別労働組合の「積極的側面」と「消極的側面」という形でそれを肯定する見解が示された (戸木田「日本における『企業別組合』の評価と展望」)。
戸木田嘉久は、大河内一男が「労働組合の日本型について」のなかで「全員加入の企業別組織」で工員・職員の「混合組合」の組織形態であったことが、「却って組合はよく活発に動き得たのだし、また、企業別の全員組織であることがよく経営側に圧力を加え得た」し、「かなり有利な地歩を、経営の内部に、最初から占めることができた」と述べている部分を、企業別組合の「積極的側面」として評価した。戸木田も企業別組合が「産業別統一闘争」や「未組織労働者の組織化」の面や「企業意識が専攻し企業に癒着しやすい」という「消極的側面」をもつことも指摘しているが、力点は「積極的側面」におかれていた。
戸木田は二つに分けた1で、これまで「積極的側面を生かすことが」「目的意識化されてきたとはいえない」として「積極的側面」に着目した。「『企業別組合』の消極的側面と積極的側面とはいわば表裏の関係であり、そこにおける階級的・民主的という潮流の力量いかんが、……あるばあいにはその積極的側面を前面におしだすことになる」。「したがって、『企業別組合』……の弱点の克服というとき、階級的・民主的潮流のそれへの意欲は、この組織の積極的側面を現実化するというはっきりした目標と結合され」なければならないと述べた。そして、「大河内教授が提示されている『企業別組合』の積極的側面……は、経済民主主義と企業の民主的規制における労働組合の役割が問われてきている今日、ますます重要な意味をもってくる」としているが、戸木田のいう積極的側面なるものは、企業内的発想から一歩も抜け出ていない領域での評価であることがわかる。
ここにおいては、本来の労働組合のもつ企業横断的な組合機能が、企業別組合では決定的に欠落しているという根本的欠陥は語られていない。戸木田の見解は、この欠陥に対する凝視の眼を曇らせる役割を果たしたと言わなければならない。戸木田は「次の結論が引き出される」として言う。「『二〇年を一年に圧縮した』ような緊迫した情勢のもとで、強大『企業別組合』の主導権を階級的・民主的潮流が握ることになれば、独占資本の管制高地は、たちまち労働者階級の巨大な城塞に転化することになる、と」。日本の左派的な労働運動にとってこのような「展望」しか提示されなかったことはまことに不幸なことであった。
さらに、驚くべきことには、左派的労働運動に強い影響力をもつ日本共産党からも「一企業一組合」という見地から企業別労働組合を肯定する態度が示されたのである。当時、書記長の宮本顕治は、「ナショナル・センターの選択の問題は、個々の労働組合自体の自主的な選択に かかわるわけであって、これは労働組合運動の公理であります」。「労働組合というのは、私どもはある職場、ここでは一組合であるべきである、そしてそれがかりに反動的な、右翼幹部が指導権をもっていても、そのなかで忍耐強く組織の統一を守って、そういったところでの指導方針が気にくわないという形で分裂すべきではないと考えております」(宮本「革新エネルギーと革新勢力の新しい構築の展望」、『前衛』、1980年5月号)と述べた。
ナショナル・センターの選択は労働組合の「自主的な選択」であるが、労働組合の選択は「一企業一組合」の名の下に労働者の「自主的選択」ではないとする驚くべき見解である。これも戸木田と同じように、「階級的民主的潮流」がやがていつの日か、企業別組合の組合権力を握るであろうから、左派の勢力はそれまで企業別組合のもとに収まっているべきだということである。さらに、この「一企業一組合論」は、一企業複数組合を当然視する「個人加盟ユニオン論」を否定する理論となる。この主張は、戦後労働運動の後退局面のなかで、致命的な誤りであったとみるべきだろう。
一つの企業になかでは一つの組合が存在していることが望ましい。世界の労働運動の理想は「一企業一組合」である。それは企業別組合で実現している。その組合員が他の組合を選択したり、作ったりするべきではない。これは今日もなお先進的な労働者のなかに、企業別取合にいつづけるべきだという呪縛となっている。戸木田も「企業別組合、……それは組織形態上は資本と賃労働に対峠する直接的な場を基礎にした、『一企業一組合』の組織原則にかなった組織ということになる」と述べている(戸木田「日本における『企業別組合』の評価と展望」)。
* なお、戸木田の企業別組合肯定論は、労働組合論だけでなく、当時の学会動向とも通底しているように思われる。企業別組合ではなく、それとも関連して、日本的労使関係の軸となる年功制の理解において、「年功制=独占段階説」という研究傾向が一九六〇年代、宇野理論の影響のもとに台頭してきた。野村正賓は、「段階論的発想」からきたその傾向は、「日本の特殊性はあくまでも付加的なものとして論じられたのであり、強調されたのは独占段階における他の先進国との共通性であった」と批判している(『日本の労働研究』六五頁)。
また、遠藤公嗣も賃金論に引きつけて、小池和男を批判し、「年功制=独占段階説」は「非宇野理論の多数はマルクス経済学者の支持もまたえやすかった」。それは、小池理論が賃金の「上がり方」を重視し、「その理由は生活給思想(家族賃金観)にあるという主張だった」(『賃金の決め方』三〜二二頁)からであるとしている。
このような見解に対して中林賢二郎は批判を加えた。「一企業一組合」というスローガンは、一九世紀のヨーロッパにおいて職業別組合から産業別組合へ移行する時期に「一つの工場のなかにさまざまな職業別組合が組織をもっていた」なかで「産業別労働組合をつくろうとした場合に、一工場一組合のスローガンが掲げられたのであって、一工場のなかに一つの企業別組合をつくるという意味ではなく、一工場の労働者を一つの産業別組合の地域組織に結集する意味であった」と説明している。「産業別労働組合は、産業別団結と地域別団結の二つの組織原理を基礎にして、組織されている」のであり、企業内団結だけの企業別組合とまったく無縁である(中林『現代労働組合組織論』二〇二〜二〇三頁、労働旬報社、1979年)。
ともあれ、戦後労働運動の「第二期」・「第三期」の後退期、労働組合戦略の再構築が求められていた時期に、左派的な労働運動は「『企業別組合』の主導権を階級的・民主的潮流が握る」まで、「忍耐強く組織の統一を」守り続けることといった「展望」しかもち得なかったのである。しかし、このように言うことは、戦後労働組合の決定的な後退局面に至った今日からする後知恵ではない。日本的労使関係なかんずく企業別労働組合に対して問題意識を持ち主張し、行動した人々がいた。
3 企業別労働組合への批判と対応
藤田若雄は、戦後労働運動「第二期」の表層の高揚のなかで、少数であることを前提にして企業意識から身を離した集団を形成することを提唱していたことは先にみたとおりである。「運動のエネルギーを街頭に蒸発させてしまうものではなくて、企業の枠を超えた活動家集団として産業別組合(従業員組合)の中に、産業別の活動家クラブをつくることも可能である」(藤田『日本の労働組合』三二〜四〇頁、日本労働協会、1972年)と述べたが、藤田がこのように言うのは「労働組合とは何か。労働者の誓約団体である」という「誓約団体として近代的労働組合」(藤田『増補版労働組合運動の転換』二六三、二九四頁、日本評論社、1970年)の原点から、日本の企業別組合を批判的に把握していたからである。労働組合は、中世から近代への移行期に生まれた個人の自発的結社の一つ「同職クラブ」を基礎において形成された。ここに従業員一括加盟の企業別取合と、個人加盟ユニオンとの対抗関係の重要性があった。藤田は新左翼系労働運動にこの産業別活動家集団の役割を期待した感があったが、それは実現しなかった。
全造船の調査部長を務めたことがある小川善作は、労働運動「第二期」に続発した労働組合の分裂・脱退問題を、全造船と造船総連との関係で体験した。一九七〇年、石川島播磨分会で全造船からの脱退問題が起きた。「脱退賛成七五〇〇、反対二九〇〇という結果で全造船脱退が決まった」。全造船は、脱退に反対してきた「全造船を守る会」の組合員に対して、「分会組織の維持指令」を出したが、分会に残ったのは三〇名ほどであった。「左派と言われた人たちが、この脱退をあるがままに承認して、全造船と袂を分かっていくという経過」をとった。これこそが、企業別組合の主導権を階級的民主的潮流なるものがいつの日か握るだろうという「展望」のもとでの悲劇的な典型事例であった。小川善作はその後、「いずれ職場の多数派になるといっても、それは百年河清をまつに等しい」(小川善作「造船産業における少数派運動」「労働法律旬報」1988年2月25日号)と語った。
(注)造船産業における少数派運動、造船問題研究家・小川善作、労働法律旬報(1186)、1988―2―25
▽追加2015.08.28
以下の文書はWEB上にあるが、堂々と書かれているのを初めて読んだ。
経営支部の一部同志たちによる「連合」組合からの脱退と別組合結成の問題について(2000年11月7日、神奈川県委員会)
〔出所〕うずしお
http://kenritousou.jp/index.html
共産党資料――000107連合職場での組委結成批判 県委員会
http://kenritousou.jp/siryou.html
〈はじめに〉
1.経過について
2.職場情勢の見方が分岐点……今日の職場情勢の激変・労働者の変化をいかにとらえ、確信するかが重要
3.いったいだれが「連合」労組の民主的階級的強化の課題に責任をもって取り組むのかが問われている課題
4.根本にすえるべき重要問題
5.議論の途中での「見切り発車」は党規約と組織原則にかかわる重大な問題
6.指導機関としての自己検討
経営支部の一部同志たちによる「連合」組合からの脱退と別組合結成の問題について
2000年11月7日 神奈川県委員会
〈はじめに〉
1999年9月30日、川崎南部地区委員会の日本石油化学の党支部に所属する7人の同志と同地区地区委員のA同志が、日石労組(『連合」1076人)を脱退し「化学川崎地域労組」(川崎労連)に『加盟」という問題が起きました。これは、川崎南部地区委員会と県委員会が関係支部と担当地区委員であるA同志に対して、指導と話し合いを行っているその途中で、しかも、この問題で中心的役割を担っているA同志との関係では、99年7月の地区と県委員会との話し合いで、機関の指導に納得しないA同志の「中央委員会に意見を出し、中央と話したい。中央がダメといえばそれで納得せざるをえない」との意志表明を受け、同時に「それまでは立ち上げない」との約束があったなかでの一方的行勤であり、きわめて重大な問題です。
この問題が党の方針と組織原則にてらし、何が問題であるかを解明し、問題の解決と今後の指導に生かしたいと思います。
1,経過について
まず経過の問題ですが、97年川崎市川崎区の石油コンピナー(ママ)のなかの日石化学、日本ユニカーの党支部と活動家を中心として、「連合」を脱退し、新しい組合を立ち上げようとする動きが生まれました。
98年5月、川崎南部地区委員会として関係党員から事情を聞く場を持ち、機関として正確に事態を掌握することとなりました。このなかでは、同年4月時点ですでに「結成準備会」として「よびかけ」「Q&A」「組合規約」などが作成されていて、具体的に準備が進んでいることも明らかとなりました。
その後、地区委員会と県委員会は、日石化学と日本ユニカーの支部と担当地区委員に対して、「連合」を脱退しての「別組合の立ち上げ」は党の基本方針にてらし、誤りであることを解明し、この間延べ十数回話し合いを続けてきました。
しかし、そうした話し合いのなか、98年9月「化学川崎地域労組」が発足し、98年11月には日本ユニカーから二人の管理職がこの組合に加わるなど、「少数派組合の立ち上げ」が具体的に進行され、機関の指導をうけている途中にもかかわらず、〈はじめに〉でのべた事態に至ったものです。
2、職場情勢の見方が分岐点・・・今日の職場情勢の激変・労働者の変化をいかにとらえ、確信とするかが重要
重要なことは、なぜ党員が党の方針とは異なる道を選択しようとしたかという問題です。同志の中には「そういう方針だとは知らなかった」という人もいましたが、「少数派組合の立ち上げ」に固執した背景には、「これまでの職場を中心にした活動だけで仲間を増やし、闘いを継続して行くことは極めて困難」「現状の労働組合の中で多数を制することは極めて困難」(結成準備会のQ&Aより)という職場情勢の見方に関して敗北主義的なとらえ方、見方の問題があります。
第21回大会決定では、「労働組合の民主的な発展の問題では、全労連とともに職場のなかでの党と民主的な人々の努力が決定的に重要である。経営での多数者の獲得をめざした党活動、職場革新懇の結成と発展、大きな破綻のもとにある『連合』路線を職場で包囲し、労働組合の階級的民主的強化をめざす活動などを、これまでにもまして強める。日本の社会と運動のもっとも重要なこの分野に、強固な陣地をひろげ、圧倒的な影響力をうちたてることをめざす。」とのべて、今日、日本共産党と国民との関係が新たな段階に入り、職場のなかでも反共のカベが崩れ、支配の体制が崩れはじめている現在の新たな情勢のもとで、いよいよ本格的に労働組合の階級的民主的強化をめざす活動に取り組むことが、経営支部の任務として提起されていることを明解にしました。
今日、戦後の労働運動や大衆運勘に大きな影響力をもってきた社会民主主義勢力の凋落は、労働者の団結と労働戦線統一の最大の障害となってきた「特定政党支持義務づけ」路線が名実ともに崩壊したことを意味しています。それは、職場の労働者が切実な要求にもとづいて団結できる条件、様々な潮流の労働組合が一致する要求や課題で共同をすすめ、労働組合運動の初歩的・基本的原則にもとづいて労働戦線を統一する条件を大きくひろげるものです。こうした情勢に確僧を持って「連合」職場での活動を前進させる必要があります。とりわけ、「連合」の中心部隊の民間大経営でのたたかいは、日本の独占資本主義の牙城での闘いとしての特別の意義をもつものであり、そこでの不屈のたたかいと潮流があってこそ、階級的ナショナルセンターを中心とする全国的な統一闘争とあいまって、要求闘争の前進と労働組合の階級的民主的強化の可能性を現実に転化させることができるのです。
こうした見地から「労働組合運動の階級的民主的な転換をかちとることを、党と民主勢力全体の共同の歴史的任務と位置づけ、あらゆる努力と知恵をかたむける必要があります。」と21回大会決定は強調しているのです。
99年10月に開始された「全国都道府県委員長会議」の志位書記局長の報告のなかで「かつてない大規模なリストラ人減らしの嵐が、民間、公務員をとわず吹き荒れています。しかもそのリストラの鉾先は、これまでそういう対象に比較的ならなかった管理職層やホワイトカラーもふくめて、すべての労働者にむけられています。」
「このことが職場支配の体制に激変をもたらしています。従来の『企業第一主義』『反共支配体制』による職場支配の“秩序”が内部から崩壊しつつあります。日本共産党への偏見の壁も大きく変化しています。これは、経営支部が困難なもとで不屈に陣地をまもり、労働者の利益をまもってたたかいぬいてきた結果であると思います。」とのべ、「こうした職場情勢の激変は、経営支部の党活動の発展に新しい条件をひらいています。」と指摘していますが、いまこそ労働者の中に打って出て「今のままでは職場は変えられない」との認識をいかに実践的に克服するかが問われています。「連合」職場、大企業のなかにあってこそ、こうした職場情勢を正しく攻勢的にとらえて、ねばり強くしかも大胆に職場での多数派獲得をめざした活動、労働組合の階級的民主的強化の課題に本格的に取り組むことが求められていると思います。
さらに、99年の「大運動」推進交流会議での不破委員長のまとめで「70年代半ばからの第二の反動攻勢のなかで、戦前を思わせるようなひどい抑圧をうけながら、民間大経営でもがんばって党組織を維持し発展させてきました。そういう党組織を私たちは全国かなりの規模でもっています。こうして苦しい時代に陣地をまもりぬいてきた経営の党組織が、いま『支部が主役』という時代に、何を求められているか、相手側の職場支配の根幹が大きくゆるぎだし、労働者の要求がかってなく切実なものになってきたいま、経営の支部が職場をかえ、組合をかえ、職場で労働者の多数派になるという方向で何が求められているのか、これがいま指導の側の大きな問題になっていると思います。」としている点をいまいちどしっかり受けとめる必要があると思います。
3、いったいだれが「連合」労組の民主的階級的強化の課題に責任をもって取り組むのかが問われている問題
なぜ今回の「連合」労組から脱退しての「別組合の立ち上げ」が、わが党の方針との関係で誤りになるのかについてです。
わが党の労働組合運動に関する方針として、基本的で包括的なものは10大会6中総決定です。このなかで「職場を基礎にした活動を強化するためには、たとえその労働組合の現在の傾向がどうであっても、労働組合の諸組織を積極的に活用することが重要である。労働組合が右翼社会民主主義者の指導と影響のもとにあるからといって、党が、職場における労働者の要求や闘争を積極的にとりあげさせる努力をおこたったりすることは正しくない。独占資本とつながる反共右翼分子が労働組合の諸機関をにぎり、反共と労資協調を基本方針にして、独占資本に協力しているようなところでは、この活動は、きわめて困難であるが、たとえどんな右翼的な傾向の労働組合であっても、それが労働者の大衆組織として組織されている以上、労鋤者の利益をまったく無視することはできないという一面をもっている。党は、職場の労働者自身が組合組織を活用して団結し、組合に要求をとりあげさせ、たたかいを組織するよう活動しなければならない。」とのべて、経営の党組織はどんなに困難なもとでも、職場に深く根をおろし、職場を階級的労働組合運動の不抜の砦に変えるため奮闘することを、経営支部の基本的任務として強調しています。
これに対しA同志は「今日の状況は30年前とは大きく異なり、この決定をもって単純に決定違反というのはおかしい」と10大会6中総の見地を否定しますが、30年たっての今日の情勢はむしろ10大会6中総のその基本的見地をますます重要なものにしています。
1980年に宮本委員長(当時)は、日本記者クラブで講演し、「労働組合というのは、私どもはある職場、ここでは一組合であるべきである、そしてそれがかりに反動的な、右翼幹部が指導権をもっていても、そのなかで忍耐強く組織の統一を守って、そういったところでその指導方針が気にくわないというかたちで分裂はすべきでないと考えております。労働組合の基礎組織、職場の組織においては、反動的な方針がでていても、やはりそこの職場の大衆といっしょに根気く(ママ)、よくするために奮闘する」と「別の組合をつくる」ことに対しての党としての基本的見解を示しています。
第18大会決定では、「各級機関の労働組合運動への指導を改善し、指導能力をたかめ、総評や県評が解体してゆくというこの重大な機会にも未組織労働者の組織化をふくめ労働組合運動へのとりくみを抜本的につよめる必要があります。」(中央委員会報告)「労働戦線の右翼的再編に抗して前進できる不抜の力を経営や職場のなかにきずくために、労働者のあいだでのとりくみをいっそう意織的に追求する必要がある。」(大会決議) と「別の組合をつくる道」ではなく、あくまでもその労働組合の民主的階級的強化のため奮闘することを確認しています。
19回大会時の決議案討論においては、埼玉の同志から「いかなる反動的労働組合のなかでも、労働者大衆の利益のために活動するという不動の原則を堅持し」(大会決議案)とのべていることに関連して、「党中央は労働者固有の権利である組合選択の自由を、分裂すべきでないとして認めない方針」であれば、「賛成できない」「民間大経営内の活動家は、その力量のあるところは、連合系の組合を脱退し、第二組合を結成し、産業別組合を結成し、全労連に加盟していくべきだ」という意見が寄せられました。
これに対し、中央委員会の佐藤正之同志が、「第一に、『決議案』がのべている『いかなる反動的労働組合のなかでも、労働者大衆の利益のために活動するという不動の原則』とは、すべての経営・職場に強大な党を建設することをぬきに労働組合運動の前進はありえないという経営内における党建設の重要性を強調しているものです。周知のように、『連合』は独占資本の牙城である民間大経営の労組を基礎にしています。『連合』参加の職場では、本来、労働者の生活と権利を擁護すべき労働組合が、『労資一体化』路線をとって、逆に労働者を苦しめる役割を担い、労働者の階級的な結集を妨害しています。これらの職場で労働者の利益をまもってたたかっているのは、日本共産党の党組織と党員です。この党を大きくつよくすることをぬきにして、日本の労働組合運動の階級的前進を切り開くことはできません。もし、このことを軽視し、たとえば少数の日本共産党員が中心になって別組合をつくることを基本にし、その他の広範な労働者をいつまでも反共労働組合の支配下におくようなことをすれば、労働者の階級的結集を土台に労働組合運動の真の統一をめざす日本共産党の任務を自ら放棄することになるでしょう。第二に、(埼玉の)同志は労働組合運動の政策として、党中央が組合選択の自由を『否定している』かのようにのべていますが、党中央は労働者の組合選択の自由を否定したことはありません。労働者には、労働組合への加入、脱退の自由があり、労働組合の選択の自由は、労働者一人ひとりの権利に属するものです。(中略)
問題の核心は、この権利を労働者の利益を擁護する労働戦線の階級的統一をめざすたたかいのために行使するかどうかということです。重要なことは、全労連が結成されたという新たな条件のもとで、階級的な労働組合の強化、拡大とともに、反動的な労働組合のなかでも党建設を土台として労働者の利益擁護、要求実現のたたかいを全労連の支援のもとにいっそう強化することです。(中略)
今日、全労連が結成されたもとで、『連合』内の労働者をはじめ広範な労働者のなかで、切実な要求にもとずく多様な共同行動を発展させる活動が、いよいよ重要となっています。それだけに日本共産党とその党員が『決議案』に示された立場を堅持して、不屈に活動することが求められているのではないでしょうか。」と反論を展開しました。
19大会決議は「同時にいかなる反動的労働組合のなかでも、労働者大衆の利益のために活動するという不動の原則を堅持しその経営の組合がどの流れに属しようと、また組合 (ママ)未組織の状態にあろうと、すべての経営・職場で、党建設と党勢の拡大、大衆闘争の強化、労働組合の組織と民主的階級的強化のために奮闘する。『連合』参加労組の職場、とくに民間大経営での活動は、日本の独占資本主義の牙城でのたたかいとして、特別の意義をもつ。」とのべ、経営支部の活動における原則的見地を明確にしました。
A同志はこうしたわが党の方針について「18〜21回大会での討議も論点がづれている』とし、「組合が別であっても同じ職場で同じ労働条件で働いているのですから、大衆と一緒にねばり強くたたかうことに変わりはないし、労働者大衆を見捨てることにはならない」と主張します。そして『民間経営の中で闘う場合、労組法という公的権利を行使して組合掲示板に私たちの考えを示し、機関誌を配布し、不当な攻撃を具体的に阻止できる事を示し、『連合』所属労働者に勇気と希望を与え、組合としての組織拡大と党建設を進めることが職場を変えて行く近道だと確信しています。」とし「企業内組合を脱退し、地域労組への加盟」することを、より積極的な方針として認めるべきとしています。
しかし、現在第一組合にあって少数ながらも第二組合の労働者も視野に入れ、要求実現などに取り組み奮闘している例は沢山あります。しかし、それで第二組合がその影響を受け自ら変化してゆくものでないこともまた、多くの事例の示すところではないでしょうか。
問題は「連合」労組のなかでの民主的階級的強化をだれが責任を持って推進して行くかという問題です。
現在、全労連は106万人を組織し、「連合」はその7倍の743万人を組織しています。国政革新の事業を考えたとき、労働戦線の統一の課題、「連合」労組の民主的階級的強化の問題は、国政革新の事業を左右する問題と言っても過言ではありません。
いずれにせよ「連合」の組合員から脱退・別組合の結成を見た場合、動機や理由に共感を示したとしても、それは組合分裂行動であり、労働者の団結、組合の団結をみだす行為と写ることはさけられないのではないでしょうか。それは、多数派を形成してゆくうえで大義名分を自ら放棄するものであり、党の「職場に責任を負う」という立場に照らし、労働者大衆とともに不屈性を発揮し、組合を変え職場を変えるという根本的なところでの問題となります。激しい資本の攻撃のの(ママ)なかで、労働者大衆とともに苦楽をともにしてこそ信頼関係を高め、党員拡大を中心とする党勢拡大の条件を広げ、職場のなかに多数派を形成して行く展望が開けるのではないでしょうか。
なお一部に「少数派組合」を否定されているかのように誤解されている人たちがいますが、問題となっているのは、自ら「連合」労組を脱退し少数で別組合を立ち上げるということについての党としての考え方、方針についてなのです。現在も会社の分裂策動に屈することなく戦い抜いている歴史と伝統をもった「少数派組合」は多数存在しています。また、やむにやまれぬ事情から「連合」労組を脱退し、新しい組合を作ったり、別組合に加盟をしている経験もあります。そうした事例を否定しているものではありません。
4、根本にすえるべき重要問題
労働組合の選択の自由はすべての労働者の基本的権利です。と同時に、共産党員は自由な意思に基づき加わった、その結社の構成員としてのスタンスを考える必要があります。労働組合の選択権をどのような見地で行使すべきかという問題です。一般的には基本的権利であるが、共産党員はその組合、または労働戦線の状況下でどういう行使の仕方が最も労働運動を前進させ、多数の労働者の利益を守る道かを基準にして行うべきです。具体的には、階級闘争における最高の到達点であり、全国の英知の結集である党の大会決定に基づいて行使すべきです。
なお、階級的立場とは何かですが、それは必ずしも“戦闘的”“先進的”に要求をかかげてたたかうことだけを意味するものではなく、広範な労働者の団結、広範な労働者の要求にもとづく統一と共同行動を組織することにあります。今日の情勢は特にこのことが重要になっています。かかげている要求そのものが正しくても、多数の労働者の共感と支持を得るものでなければ、階級的見地に立ったものとはいえません。今日最も重要なことは、路線、潮流にもとづく組合選択ではなく、切実な要求にもとづく協力・共同を探求することです。ましてや組織的な選択を優先させることではありません。
5,議論の途中での「見切り発車」は党規約と組織原則にかかわる重大な問題
党の民主集中の組織原則にてらしての問題です。地区委員会や県委員会の指導をうけているその途中でありなが「別組合の立ち上げ」を進行させ、ついにはその指導を受け入れず、一方的に「連合」労組からの脱退を強行したという点に、重大な組織的問題があります。
そもそもは経営支部の基本にかかわる大変重要な問題であり、事前に地区委員会の指導を受けるべき内容でしたが、機関にたいして何らの相談、報告もないまま「別組合の立ち上げ」が進められていたという経過があります。そして、機関の指導が入ってからもその指導を受けとめず、一方的に「立ち上げた」という点で、党規約の組織原則=規約第十四条(四)「党の下級組織は、その上級の指導機関にたいし、その活動を定期的に報告するとともに、その意見を上級機関に反映する。」(五)「党の決定は、無条件に実行しなくてはならない・・・下級は上級に、全国の党組織は、党大会と中央委員会にしたがわなくてはならない。」(第22回党大会蟻案・党規約改定案では変更)にてらして、重大な逸脱となる問題です。
さらに、規約第二十一条では、「党の政策・方針について、下級組織は、党の組織内で討論をおこない、その上級機関に自分の意見提出することができる。ただし、上級機関が決定したのちは、それにしたがい、実行しなくてはならない。もし、上級機関の決定が、下級機関の実状にあわないと認めたばあいには、下級組織は上級機関にその決定の変更をもとめることができる。ただし、上級機関がなおその決定の実行をもとめたばあいには、下級組織は無条件にこれを実行しなくてはならない。」とのべています。この点で、党の方針にたいしての意見は、おおいに提起され、討論されてしかるべきですが、今回の場合、たび重なる地区委員会・県委員会の指導にかかわらず、その方針を理解しようとせず、一方的におし進めた点で、党規約と組織原則にかかわる重大な問題です。
6、指導機関としての自己検討
最後に、党機関としての指導の問題についてですが、「連合」労組から脱退し別組合の立ち上げる、という問題がわかった段階で、機関としての対応という点で機敏さに欠けていたこと。この間、参議院選挙、一斉地方選挙などがあったとはいえ、指導が緩慢であったことなど、指導機関として反省しなければならないことがあります。
また、関係支部への指導という点で、担当地区委員まかせとなり、支部や関係する同志にたいし党中央の決定や方針を十分に理解させ、納得を得るというところまで援助しきるという点で不十分さがあり今後の教訓にしなければなりません。
日石化学や日本ユニカーの党支部のなかには、「連合」労組にとどまって頑張っている同志たちもいます。いま大切なことは、引き続き支部への援助・指導を強め、誤りを克服し団結を回復してゆくことです。
政治の革新と労働運動の新たな前進方向を切り開くうえで、経営のなかでの党建設は不可欠の課題です。日本の労働運動が新たな段階に入ったもとで、労働運動の発展のため、党建設とりわけて党員の拡大はまさに焦眉の課題となっています。ここでの前進を勝ちとることに機関としての努力を一層かたむけて行きたいと思います。
地区委員会・県委員会は、この痛苦の経験を今後に生かし、神奈川での労働運動の前進、経営支部での強大な党建設のため奮闘する決意です。
以上
▽追加2012.12.28
わが国労働組合の組織問題、『現代の労働と生活V 労働組合の民主的変革』、深井龍雄(黒川俊雄編、1985年3月、労働旬報社) (PDF版)
(「それぞれの労働組合運動史・論1」のページへ)
▽追加2012.07.07
▽追加2015.09.10
郵産労との統一についての私見(出所、以下のwebサイト)
2009年6月2日、長崎・中島義雄
http://www.yuseiunionkyusyu.jp/yuusanroutoutonotouitunosiken.pdf
@ はじめに
この数年、郵政労働者ユニオンは郵産労との組織統一についていくつかの動きを行ってきました。そして昨年の全国大会で、統一の延期を決定し、一区切りをつけたかに見えましたが、最近になって、「郵産労サイドからの丸のみでの統一提起」が噂され、大会での再提案が争点化しています。この流れを受けて、私見をまとめてみました。
去年の全国大会で統一が延期された原因は、郵産労が統一のためのいくつかの条件を出し、ユニオンがこれを受け入れなかったからだとされています。そして今年、郵産労が統一の前提条件をすべて棚上げし、組織統一をはかるとしたら、郵政ユニオンは統一しかないということになります。今回の長崎全国大会は大事な場となります。だとしたら、長崎はどうあるべきかを考えるためのたたき台の文書です。仲間の議論を期待します。
A 労働界の現状と再編
労働界の現状は、いうまでもなく89年に行われた総評の解体に始まる再編劇の結果生まれた連合、全労連、全労協の三鼎立時代で、20年続きました。全労協は当時の右翼労働戦線統一反対の諸潮流の流れの中で、国鉄闘争支持、国労防衛の中で、総評路線の継承・発展を掲げて旗揚げされた組織です。私たちは郵政戦線の中で、反連合・非全労連、全労協結集を選択し、独立労組の路線をとりました。89年から90年にかけて組織戦を闘い、91年6月、京都で8労組187名の参加で郵政全労協がスタートしました。その後、幾度か再編を経て、新たな仲間を加えながら、19年後の今日、郵政労働者ユニオンとなり、6地方本部、500余人の組織として全労協の貴重な全国組織です。
89年12月9日、全労協は公称50万人の組織で結成されます。国労、都労連などが主たる組織でした。しかし、国労は組織数の激減の中で苦しみ、都労連は全労連との二重加盟が実態です。残る全国組織は全国一般全国協(約2万人)だけです。しかし、昨年来の新自由主義の破綻と、その労働運動=連合の限界がだれの目にも明白となるとき、全労協もその存在が問われていることは明らかです。
一方、全労協以前の全逓時代、私たちは郵政労働者全国協議会(郵政全協)を名乗り、労働情報グループとも別称されていました。70年代の初めころの新左翼諸党派の混乱の中、武力闘争路線以外の人の集まりというレベルでしたが、非共産・社会党の新たな左翼を目指す組織が共通認識でした。現在はその範囲をはるかに越え、多くの仲間が集まっています。
そうした中で、この19年の中で時代はかなり変わりました。郵政労働者ユニオンも時代に対応すべきという話の中で生まれた郵産労との組織統一問題で、舵を切り違ってはなりません。これが現状認識です。
B 国鉄闘争をめぐる20年の総括
まず全労協の中心、国労問題と国鉄闘争です。この闘いは86年の国労修善寺全国大会で「改革反対」が決まり、始まりました。しかし、1047名の解雇撤回闘争は、90年代初頭の四党合意路線で一度終わろうとします。しかし、闘争団の中の3
割の解雇者の290 名の決起=鉄建公団訴訟原告団の裁判開始と、それを支援する新たな国鉄共闘会議の結成という情勢を受け、四党合意路線が崩れます。以降は、05年の9・15判決での不当労働行為認定判決で、国鉄闘争は息を吹き返します。国労も再度舵を切り替え、4者4団体の闘争へと転換します。
しかし、国労が目指す運動と組織路線は、いまもって全労協にとどまるのではなく、JR 連合との組織再編を伺う実態です。現在の1047名闘争の整理の最大の目的は、「納得いく解決」ではなく、「早く終わる」です。いずれにしても、国労とJR 内の労組再編劇はそう遠くない時に、しかも国労内左派の敗北という形で起きる可能性は高いといえます。
雑誌「地域と労働運動」(09年4月号)に「1047名問題の核心と関係諸勢力の評価について」と題する長文が載りました。書かれたのはこの雑誌の編集長であり、国鉄共闘会議の機関誌「ともにGO」の編集長である川副さんです。読んでいただければわかりますが、国鉄闘争のありようについて、国労が正しいのか、JR総連=動労が正しいのかを問う文章です。私たちの見方でいうと、全労協が正しいか連合が正しいかの論戦だと感じます。(川副さんは全労協だとは言っていない)。
そして次の号には、この批判の相手、労働法学者・戸塚秀夫さんの反論が掲載されています。一言でいえば、動労は間違っているという川副さんの指摘は「風評であり、証拠がない」というものです。いよいよこの20
数年の日本労働運動の検証・総括のための一石が投じられました。この議論の行方次第では、日本の左派のありようと、私たちの選択、全労協独立労組の正当性が問われる状況です。
なぜ、こうした議論になっているかというと、80年代からの国鉄改革に反対する闘いは、具体的中身に違いはあるが、建前は国労闘争支持が日本左派のすべての一応の陣型でした。しかし動労の総評脱退、協調路線への選択で、これが破れます。以降、日本労働運動や諸党派の一致した見解は、「動労は間違っている」でした。
それが、20 数年後となり、国労や岩井章の方針は間違っていたという論争が起き、労働法学者の戸塚秀夫さんや、労働情報元編集長の樋口さんとか、社会主義協会代表代行の山崎さんとかが、「動労の路線も理解できる」と言い始めたのです。もともと、樋口さんは「全労協や国鉄闘争とは無縁だったから関係ない」という人もおられますが、労働情報の象徴的な人です。また、山崎さんは向坂さんの直系で、多数派ともいわれます。詳しい背景はわかりませんが、国労修善寺大会への批判は当時の総評、社会党にも強くあったからですし、解決できない事態への批判もあります。また、それぞれの自らの生き残る組織選択と国労の現状、あるいは国鉄闘争の主導権を国鉄共闘会議が事実上握っていることを嫌う人たちが、動いていると感じます。一口でいえば、解雇者の「納得いく解決」の思いとは異なり、現実的な多数派につくという路線です。
C 全労協の動揺、社民党の少数化。
戦後の日本国憲法が掲げる「平和と民主主義を守る」勢力は総評・社会党でした。国はこれからの転換を戦後体制の総決算と位置づけ、攻撃をかけます。具体的には、労組の弱体化=協調路線への転換、御用労組結成がその常套手段でした。連合はその象徴で、全労協結成は左派の必死の抵抗の結果でした。
また、政治の世界での再編攻撃は社会党解体=民主党結成でした。左派として抵抗の旗をあげた新社会党は二度の国政選挙で議席を失います。かろうじて残る、社民党も議席はわずかです。敵の攻撃はさらに進み、社民党などを支持する一部の公務員労組攻撃のなか、再度、国鉄改革時の国労攻撃と同じ質の攻撃が自治労と日教組にかかります。社会保険庁再編時の再任用なしや農林省の闇専従攻撃などがそれに続きます。自治労や日教組の中のレッドパージが強行され、これらの労組に求められるのは連合と民主党への同質化です。
いよいよ、全労協の動揺が始まります。国鉄闘争と岩井章を否定して全労協は生き残れないでしょう。新社会党系の社会主義協会派グループの力だけでは非力です。無論労働情報グループの力だけでも結果は同じです。また、全労協を支える全国一般全国協や郵政労働者ユニオンの母体であった労働情報誌も財政的に苦境にあります。しかも、もし労働情報が廃刊となれば、私たちでない他(某党派)がこれを引き継ぐという話もあるようです。(労働情報は現在が二代目で、私たちの専有物ではありませんが…)
D 組織統合は再編につながるか。
そうしたことを前提として、郵政労働者ユニオンと郵産労の組織統一問題を考えます。もし、実現すれば、上部組織の異なる労組が組織統合をする非常に珍しいことになります。これは、ナショナルセンター三鼎立時代の再編への引き金となれるのでしょうか。推進者の視野はそうしたことを見通していると考えます。
しかし、そうなるか。これが問題です。私は、現在は難しいと思います。全労協自身がナショナルセンターではなく共闘組織であるという限界があり、なによりも全労連はそのことを認めてはいません。
統一に関し、私の全労協の先輩たちはだれもが「なにを考えているのか」と厳しい意見でした。統一はいいことだと言ってくれませんでした。理解されなかったのです。理由は、郵産労は良くても、全労連は違うとか、共産党は違うという意見でした。また、数百の組織では取り込まれてしまうという指摘です。
私は改めて、新社会党と郵政労働者ユニオンの関係を思い起こします。当初、確かな組織決定ではなかったかもしれませんが、社共に代わる新たな政治勢力への結集がユニオンの方針でした。しかし、その後の関わりや、現在、全国のそれぞれの方は今、どういうスタンスについておられるか? 疑問があります。今回の統一劇はこうしたことの二の舞にならないのかとも思います。
E どういう判断が必要か
私は、この時期、労働界の再々編という流れが起きる状況ならば、どうした選択が正しいかを考えます。
私たちの原点は、二つ。共産党や社会党に代わる新しい政治勢力。反連合・非全労連の新たな組織でした。そして出た方向が全労協で、新社会党や社民党であったと考えます。
今回の組織統合はこれを一部変えることで、まだ内部の議論が成熟しているとは思えません。そしてなによりも全労協の仲間の理解と同意が得られていません。これは大事なことです。一方で、民主党と連合があり、片方で共産党と全労連があるという間の全労協と郵政労働者ユニオンの組織清算の必要性が現実的にあるという状況にきているのだろうかと感じます。そのためには、全労協の組織状況が明確になるまで、この郵産労との組織統一は凍結することが一番だと思います。全労協と全労連の統一があれば、この矛盾の一つは解消できますが、その話も聞きません。
89 年の再編劇の中で、全労協の独立労組の旗を掲げ全労協の参加した私たちは、今日、少数といえども全国一般全国協とともに全労協を支える全国組織です。その私たちが、たとえ、全労協の組織の中にとどまるとしての郵産労との統合であったとして、全労協への影響は大きいといえます。全労協の他労組から見ると、全労協からの離脱と受け取られかねません。これは郵政労働者ユニオンも本意ではないはずです。
したがって、ここは国鉄闘争の解決後の国労の行方を見極める。そう長くないうちにこの闘いは終わります。そのとき、もし国労がJR連合化し、全労協を抜けるとき、私たちも組織選択をせざるを得ません。そのときは全国一般全国協との組織存続協議が必要となるでしょう。
F 全労協原理主義者として
全労協が完全になくなるとき(そうなると断定はしていないが)、郵政労働者ユニオンは連合か全労連かを選択しなければなりません。郵産労にはそのときまで待ってもらうということを意志表明する。これが郵産労との組織統一問題の現状ではないでしょうか。
89年、既存の労組を脱退、もしくは制裁を受け、独立労組へ舵を取った人たちは、全労協の中でもそう多くはありません。その意味では私たちは全労協原理主義者で、全労協ありきの組織論者でした。このことは多くの批判を浴び、郵政全協(郵政全労協ではない)の仲間からも、賛同を得られない場合がありました。しかし、これは乗り越えました。極少数派だと周囲から嘲笑されての船出でしたが、今なお少数派です。将来も少数派でいいという意味ではありませんが、逆転満塁ホームランが出る可能性も薄い感じです。
全労協の実態もこれと同じです。だからこそ、JR総連が正しいという流れが出てきているわけですが、しかし、この運動と組織の正当性は譲れません。なぜか。あの厳しい国鉄改革攻撃のとき、国・資本・会社と協調した人は、今後再び、連合すら許せないとい質の攻撃がかかるとき、再び、いや三度、同じ行為をくりかえします。なぜなら、生き残る道の選択の結果、彼らは連合を選択し、国鉄闘争を「会社倒産運動」と批判し、闘う人の対岸に立ったのです。いわば、10万人首切りの敵の背中を押したのです。そして、いま、前の決断が正しいとして、そしていまもそれが正しいとするなら、次もまた正しいからです。彼らは必ず三度、背信します。これは今後共に闘うためには一度清算されるべき課題です。
G 国鉄闘争と4・28反処分闘争の正当性の総括は譲れない
私は日本労働者全体のために国鉄労働者が決断した抵抗闘争は、結果的に仮に敗北したとしても、当時では正しい決断だったと確信します。全労協はその組織的な証ですし、4・28 反処分闘争の総括はそこにあります。
敵の攻撃が厳しい中、諦めて多数につき、抵抗を放棄するなら、その場はしのげるかもしれません。しかし次にはもっと攻撃が強くなり、労働者はもっと後退を余儀なくされたはずです。新自由主義の30年間、連合として国・会社・資本と強調した結果が、解雇自由、非正規、格差社会が到来したという現実はそれを物語ります。同時に現在の社会は国鉄闘争で左派が負けたからだという批判は正面から正しく受け止めます。しかし、力及ばずとも、闘ったという事実は歴史的に残ります。厳しい冬の時代を抵抗しながら生きてきたからこそ、新自由主義の崩壊時代が来たのだと思います。私たちは少なくとも、協調という名で、この攻撃に手を貸したことはありません。これが人として生きることの原点です。
真実は少数にあるという言葉があります。組織は多数が正しいとい言う論理だけなら、全労協などあり得なかったからです。全労協という少数の船に乗り合わせた仲間と共同の闘いを20 年継続してきました。私はその船の先行きが不透明な時代であったとしても、先頭で船を下りることはありません。これが結論です。
(以上)
2009 年6 月2 日
長崎・中島義雄
私見2
補足意見
「組織統一凍結」へ異論もあろう。理由の一番は、去年まで反対しなかったのに「なぜ」という意見である。一言でいえば、情勢が変わったである。以下。
@、取り込まれるという指摘が正しかったことにある。3月のスト予定拠点支部が、郵産労のスト延期を受けてユニオンの支部がストを倒した。これは取り込まれることの典型である。そのときユニオンの本部は直ちに行動できず、スト脱落となった。理由の詳細は不明だが、取り込まれたことの証明である。
A、統一の推進役だった一人が来期3月で定年となる。また、別の一人も、上記理由などで統一後の影響力は減少する。そして運営の責任を負う立場からは引くことは必至だ。全国展開の郵政全協の主導権は失われる。中執会議でも同様だろう。私がこれまで言ってきたことは、「TとTの二人がいうのだから従う」であった。これが揺れたわけで、前庭条件が崩れたと感じる。
B、国鉄闘争の終盤にきて、終わり方や、労働界の再編劇に動きが出た。郵産労との統一も組織再編の流れの一部となると思う。私たちはその中で全労協を解体する勢力にはくみしない。なぜなら、日本の左翼の一員として、運動論ではなく、明確に組織的立場を明らかにして存在するというのが郵政ユニオンの姿だからだ。
国鉄闘争のためにできた全労協である以上、この総括は譲れない。JR総連などの連合派でいいとする多数派につくことは決してない。しかし、だからと言って、もう一つの極へ初めに動くのは、ほかの全労協組織へ信を欠く。
C、結成19年目。われわれはなに者かを確認する。89〜90年、労働界再編で全労協独立労組へ舵を切り、国鉄闘争を担ってきた。戦後最大の争議であり、
日本労働運動の浮沈がかかる負けられない闘いだからだ。そしてその延長線上にあった郵政民営化に対しても「反対」を貫き、全員解雇、争議団化を決意した。身を削る覚悟であった。この時、連合内反対派はなにをしたのか。この路線の正当性は譲れず、不変である。
D、という立場で「統一凍結」を提言し、全国大会で否決された場合である。あるいは、一部でも「統一に動く」とした場合の整理の仕方である。
・凍結案を取り下げる。
・組織分裂も辞さないと押す。
・再度「延期」でお茶を濁す。
であるが、中執会議の分裂が明確になる。来年までの、討論となるだろう。
以上。
2009年6月6日
中島
資料、1、
稲岡さんからの手紙
中島 様
ご無沙汰しております。
12日のユニオン非正規プロジェクト会議から帰ってきてからまた熱を出し、今日も寝込んでいたこともあり、返事が遅れて申し訳ありません。
追伸です。
組織統一問題について、郵産労の近畿地本の役員は、「ユニオンの提起を全て丸呑みしても統一を」と言っているようです。どうも郵産労本部もその方針で対応してくるのではないかとのことです。
京都の多田さんの退職を祝う会で棣棠さんにお会いしたのですが、棣棠さんは今回のストの関係を含め、統一は基本的難しくなったのではないかといわれていましたが、どうなるのかよく分かりません。ただ、郵産労が「丸呑み」してまで統一を急ぐ理由もよく分かりません。どうも、分からないことばかりです。
2009年5月14日
稲岡 次郎
資料3
中島の手紙
稲岡さま
ありがとうございます。体調はご心配ですね。ソフトは一太郎も入れておりますので大丈夫です。統一は、去年の大会で遠のいたと感じています。丸のみでも統一推進の棣棠さんが「投げている」と思います。とりわけ、在京の本部役員が全部統一はないという態度ですから、うわべだけだと思います。そもそも去年の最終局面では、郵産労は「丸のみ」だったのです。内田、須藤、倉林らがけったのが真相です。松岡君がどう思っているかは知りませんが、彼はそのとき、推進に動かなかったと思います。今年、また同じような統一をいうと、彼は不信感を持たれます。中国などが統一を言っても、その他は及び腰で、昨年大会のくりかえしです。ただ、三役が入れ替わる新三役のもとでの合併問題は予想外のことも起こるかもしれませんが。
29日の神奈川の竹内さんの追悼会に行きますので、また彼らと話してみます。長崎は去年できなかった時点で、この話は振り出しだと思っていますので、今度は賛成しないでしょう。
お大事に。
5,15 中島
資料3
中島の手紙2
稲岡さま
お忙しいことでしょう。
先日29 日、横浜の竹内さんの追悼会に行ってきました。幾人かの人と組織統一問題などの話を聞いてきました。その結果、長崎では昨日、執行委員会で議論をしました。まだ決まったわけではなく、以下は、中島の個人的な感想です。
@、5月17日の本部人事の話し合いでは結論は出なかった。6月6〜7日の中執会議待ちとなる。
A、近々、郵産労と非公式な話し合いをする。
B、郵産労から出ているという「丸のみ案」は公的に確認されていない。
などでした。
私は、一地本が全国大会で明確に反対するなら、この統一問題は消えるのかと聞きましたが、答えは明確ではありませんでした。棣棠さんは来年3月に定年であり、鍵は松岡書記長が握るという感じでした。しかし、追悼会には松岡さんはいなく、尋ねることはできませんでした。
そこで、私の結論です。
C、郵産労との組織統一は、国鉄闘争が終わり、国労の行方を見極めてから行うとして、それまで凍結したいと郵産労にお願いする。
D、国労や都労連が全労協を抜けて、全国一般全国協だけとなる時期に、組織方針は郵政ユニオンの両者で協議する。
E、その場で二つのナショナルセンターのいずれかを決めることとなるだろう、と考えます。いずれが現実的かは不明ですが、以上が全労協原理主義者としての個人的感想です。ちなみに、雑文を書いている最中です。未完成ですが、添付してみます。ご一読ください。
6/2 中島義雄
資料4
稲岡さんからの手紙2
中島様
報告ありがとうございます。
この間、様々な事務的な仕事が重なり、物事を考えるとうのではなく、物事を処理するという状況が続いています。これではいけないと思いますが。送信していただきました郵産労との合併等について、私もいわば原理主義者であり、私たちが全労協の一翼を担い闘う道を選んだことは正しかったと自負しています。
ただ、ユニオンの中であの時代をくぐり抜けてきた仲間のみなさんの多くが退職されていかれる状況の中で、人間としての生き様としての組織選択といったことが理解されにくい状況もありますし、そのような視点で合併問題も捉えていくことにはなかなかならないようです。
この間、郵政非正規雇用労働者の問題を中心に係わってくるなかで、連合路線を選択した全逓が「事業防衛路線」を突き進むことによって、非正規雇用の拡大を推し進めてきた大きな責任があることをつくづく感じます(それ以外にも、多くの要因はありますが)。
そして、かつての郵産労も、本工主義(ユニオンは本工主義とは無縁であったというえらそうなことは言えませんが)であり、ゆうメイトの労働条件改善等に真剣に取り組んできたとは思えず、「票」としてのゆうメイトではなかったのではないかとの思いもあります。
しかし、一方では「実利」的な見方も捨てがたいのがあります。期間雇用社員の相談等に対応しつつ、やはり全国組織の必要性をつくづく感じます。今のユニオンの力量では対応できません。
私は、力量の中でできる限りのことをする、と一種の開き直りをしていますが、しかし、相談の切実な悩み・苦しみに十分対応できないもどかしさを常に感じています。
現在の私は、退職していることもありますが、非正規センター(ゆい)の活動を軸に、ユニオンとの関わりもある面ではゆうせい非正規労働センターとの関わりの中で係わっているという立場であり、ある意味ではユニオン決定に従うといった「気安さ」もあるのは事実です。
その立場から見ますと、共同会議という枠組みの中で様々な取り組みが進められていますが、もう少し具体的に、例えばゆうせい非正規労働センターがNPO法人となったこともあり、そこを一つの結集軸にし、郵産労も積極的に係わる中で、組織統一も視野に入れた運動を展開するということも一つの選択肢ではないかとも思いますし、そのような方針をユニオンとして提起することも可能ではないかという気もしています。
ただ、本当にそうなりますと、私自身は理事を担うには重すぎますし、そのような器でもありませんので、理事をひくことになると思いますが。
全労協の存在そのものの危機は理解していますが、全体状況はよく分かりません。中島さんからの提起でかなり状況がつかめてきました。
全労協のあり方の中でユニオンの方針も決まってくるのではないかと指摘は理解できます。ただ、そうなりますと大阪全労協を含めて、第三の局が出てくる可能性もあるのではないかという気もします。
いずれにしろ、三木さんとも話しをしているのですが、今までのようにだらだらと現状を引きずるのではなく、長崎大会では一定の方針はきっちり決めるべきだと思います。
長崎大会には、ユニオンの了解を得、傍聴に行くようにしたいと思っています。その時はよろしくお願い致します。
2009年6月2日
稲岡 次郎
▽追加2012.07.07
追記
全労連の人ではないが、以下のページにお三人の論をUPした。
私たちの労働組合運動史論・あれこれ 2012/08/19 new
対抗戦略としての社会的労働運動 ――脇田憲一(労働運動史研究者)
「労働組合選択の自由」を論ずる 明日へのうた――労働運動は社会の米・野菜・肉だ(戸塚章介のブログ)
日本的労働組合論――ユニオンショップ協定の問題点――牛丸修(『からむす6号』1996年)
▽14.02.02 追加更新
働く皆様、労働組合に入っていますか?
先日、我が横須賀三浦地域合同労働組合(よこさん合同労組)も、ついにWEBサイトを開設しました。
神奈川で働く、もしくは生活する労組未加入の皆様、ご興味おありの方々、是非下記バナーをクリックして覗いてみてくださいませ。
ちなみにサイト制作担当は僕です…って、一目瞭然ですが(笑)
さて。
ここから先はあくまでも僕の個人的意見であり、横須賀三浦地域合同労働組合及び全労連の見解ではありません。
『ユニオンショップ協定』って、ご存知ですか?
企業内に協定を結んだ労働組合がある場合、その組合から脱退した場合、雇用者はその労働者を解雇しなければならない、という規定です。
法的には『労働組合法第7条1項・但し書き』が根拠になっています。
つまり、その会社に採用されたら同時に(強制的に)組合員になる制度で、組合を抜けたらクビ、ということです。
ある程度以上の規模の企業によく見られる制度ですが…,
僕はね、これ、大嫌いなのですよ。
労働組合というものは、あくまでも労働者の利益・権利を守るものでなければならない。
いいですか。
『権利』です。
権利というのは義務として行使、あるいは守るものではなく、労働者本人が自主的に行なうもの であり、そうあるべきなのです。
強制的に為されるべきものではありません。
皆様は『労働組合』と聞くと、『企業別組合、企業内組合』を思い浮かべる人が多いでしょう。
実際、日本の労働組合はこの企業別組合の割合がかなり高いです。
そして、残念ながらこのユニオンショップ協定が企業別組合の人員確保を支えているのも事実。
さらに残念なことは、それが労働者にとってはモノの役にも立たぬ、経営者側と癒着した『御用組合』を作り出す最大の原因になっていることです。
労働組合って、なんですか?
生産手段を企業の経営者に握られた弱き階級である労働者が団結し、自らの利益と権利を守るための組織です。
前述した我が組合のWEBサイトでも解説していますので、是非お読みください。
http://yokosangoudou.okoshi-yasu.com/rknani.html
労働者が団結するのは『権利』であり、『義務』『強制』であっていいはずがない。
ましてや労働者を守るべき労働組合がその労働者の生殺与奪の権を握り支配下に置くなど、僕に
言わせれば言語道断、本末転倒もいいところです。
大体、こんな協定があるから『御用組合』が蔓延り、労働組合そのもののイメージを悪くし、忌避される原因になるのではないですか。
これを読んでいる方の中にも、「労働組合」と聞くと即座に御用組合を思い浮かべ、ろくでもない印象しか持っていない方もかなり多いはずです。
僕自身、この協定のある企業に勤めていたことがあります。
『ブラック企業』として名前が挙がることはあまりないですが、僕に言わせれば会社のマークになっている猫と同じ色、暗黒運送会社です。
「組合がしっかりしているから勤めやすくて安心」だ?
あれが「勤めやすい」会社なら、勤めづらい企業など世の中のどこにあるというのか。
書類上とは大違い、8時出勤のはずが強制的に6時半に出勤させられ、退勤は夜の9時半から10時。
昼休憩が2時間あって午後6時に退勤とは、本当に『書類上』の話です。
「しっかりしている」はずの組合は、何をしている?
社内でいじめに遭っている僕を放置していたのは、どこの『部署』?
ユニオンショップ協定のある企業に勤めるということは、二重に権限を握られるということでもあります。
なんの権限?
『クビ』です。
その他、社内での扱いの様々な労働者の権利に関することです。
会社には逆らえない、その上組合のご機嫌取りもしなければその会社で生きていけない。
そんなならば、労働組合が無い会社に勤めたほうがよほどマシです。
派遣労働じゃあるまいし。
馬鹿にするな。
このユニオンショップ協定の問題点は、少なくともWEB上で盛んに批判的な論を展開しているのは全労協系の組合が多いようです。
次世代のための労働運動ルネッサンスのページ 〜ユニオンショップ制を超える〜
ユニオンショップ協定や「名ばかり労働組合(御用組合)」で困っている仲間へ 全国一般東京東部労働組合
特に上の『現代労働組合研究会』のものが興味深く、残念ながら全労連系からこの問題についての発言が少ないという意見にも僕は賛成します。
文中にある『21世紀の新しい労働組合づくりをめざして』を読んでみても、正直なんとも歯切れが悪く感じる。
今、どこのナショナルセンターも組織の縮小化が進み、労働組合のあり方や存在意義が問われているこんな時代だからこそ、ユニオンショップ協定の全面撤廃を方針として打ち出しても良いのではないか。
下の東京東部労組など、ユニオンショップ対策として僕らのような合同労組の活用まで提案している。
あのね。
労働組合が労働組合対策の『駆け込み寺』になって、どうするの?
労働者に、労働組合選択の自由があるのは当然のこととして、労働組合として機能していない組合を放置するばかりか『御用組合』形成に力を貸すような協定をいつまでも撤廃出来なくて、労働者を守っていると言えるのでしょうか。
我らが全労連系も、このへんもう少し強く出てもいいと思いますけどね。
僕のような末端組合員が「労働組合に入りましょう!」と、なんの後ろめたさもなく声高に言える状況にするためにも。
今ですか?
後ろめたくはないけど、ユニオンショップ協定や御用組合に対する腹立たしさはありますよ。
たっぷり。
▽14.05.10 追加更新
故 本多 淳亮(大阪市立大学名誉教授)
http://www.eonet.ne.jp/~h4kaikyoubus/unionshop.html
一.本四海峡バスのショップ制解雇事件をめぐる事実閑係
1.この事件は、本四海峡バス株式会社(以下、会社という)の従業員で全日本海員組合(以下、海員組合)の組合員であった者58名が、労働協約改訂交渉等をめぐる海員組合の活動方針に不満を抱き、海員組合に脱会届を出して全日本港湾労働組合関西地方神戸支部(以下、全港湾)に加入届を出したところ、会社が全港湾の当該分会の三役3名(分会長・副分会長・書記長)を解雇した。その後海員組合から復帰工作が行われたため、58名のうち14名が脱会届を撤回、残り44名が全港湾の傘下にとどまるという経過をたどった。本件はこのような状況の下で発生した事件である。
2.会社と海員組合の間の労働協約にはユニオンショップ協定が含まれていたが、海員組合を脱退して全港湾に加入した者のうち、中心的な役割を担っていた前記3名の労働者が、海員組合からの脱退行動は統制違反の分派活動であるとして、海員組合から除名処分を受け、さらにユニオンショップ協定に基づいて会社から解雇を申し渡された。
3.これに対し右の3名が、神戸地方裁判所に地位保全及び貸金仮払いの仮処分を申し立てたところ、同裁判所は平成12年1月31日の決定をもってその申立を容認した。
4.同決定の要旨は、ユニオンショップ協定によって解雇の威嚇の下に特定組合への加入を強制することは、それが労働者の組合選択の自由及び他の組合の団結権を侵害する場合は許されないというべきであり、したがって、ショップ協定締結組合以外の組合に加入している者、及び締結組合から脱退しまたは除名されたが、他の組合に加入しまたは新組合を結成した者について使用者の解雇義務を定める部分は、民法90条により無効である。この場合、労働者に対してなした解雇は、解雇義務が生じていないのになされたものであるから、他に解雇の合理性を裏付ける特段の事由がない限り、解雇権の濫用として無効と解すべきである、という。
5.そのうえで、本件において解雇の合理性を裏付ける特段の事由があるかどうかにつき、あらためて検討を加えつつ、その理由がないことを判示する。とくに本件ユニオンショップ協定は、海員組合の組合員の再就職先の確保を実質杓な目的として締結されたものであるから、その目的の限度で海員組合の団結権権が優先され、これ以外の全港湾などの団結権は制約されるべきであるという主張に対しても、結局、ショップ協定の目的は、組合の組織強化を通じて自己の組合及び組合員の利益を図ることにほかならないから、団結権の価値に優劣があると解すべき理由を見いだすことができない、と論じている点が注目される。
6.なお、このような神戸地裁の仮処分決定の要旨は、同決定の中にも引用されているとおり、組合併存の場合におけるユニオンショップ協定の効力に関する2つの最高裁判例、すなわち三井倉庫港運事件・最高裁一小平元・12.14判決(労働判例552号6頁)及び日本鋼管鶴見製作所事件・最高裁一小平元・12.21判決(労働判例553号6頁)の判旨にそうものである。
二.本件における問題の捉え方
1.ユニオンショツプ協定は、諸外国においても、わが国においても、長年にわたり実施され、多くの紛争を巻き起こしてきた制度なので、その効力などの法理論についても、論ずべき点は極めて多岐にわたる.しかしもちろんここでは、その多面時な法理を俎上に載せる必要はあるまい。本四海峡バスのショップ制解雇事件にかかわる側面に焦点を絞りながら、以下に論じてゆきたいと思う.
2.その趣旨では結局、企業内に二つの労働組合が併存している場合、あるいは企業内で組合分裂が起こつた場合に、一方の組合が締結していたユニオンショップ協定はいかなる法的効力をもつと見るべきか、という問題が中心にならざるを得ない。つまり、組合併存ないし分裂下のショップ協考の効力いかんという問題である。この論題の解明に焦点を置きつつ、併せてそれに関する周辺の問題点に関しても、論議を展開してゆくことにしたい.
3.そして本意見書では、わが国におけるユニオンショップ制の実態や、その効力をめぐる学説・判例の動向などをさぐりつつ、それらを踏まえて私見を展開することとする。
三.ユニオンショップ制の実態と機能
1.わが国で普遍的・一般的に行われているショップ制は、ユニオンショップである。これは、企業に採用後一定期間内に労働組合に加入しない者、労働組合から脱退しまたは除名された者を解雇することを使用者に義務づける制度である。企業に採用される前からすでに組合員であることを要求するクローズドショップ制とは、採用の際の要件が異なるが、脱退者・被除名者の解雇を使用者に義務づける点では、両者は共通しているわけである。
2.このクローズドショップ制は、本件の海員組合のような産業別組合のもとでは本来採用可能な制度であるが、実際には海員組合もクローズドショップ制は取り入れず、ユニオンショップ制にとどまっている。この海員組合以外のわが国労働組合の圧倒的部分は企業別組合であるため、労働者に採用前から組合員資格をもつことを要求するクローズドショップ制は導入できず、ほとんどが、「従業員となった者は組合に加入しなければならない」というユニオンショップ制をとっていることは、周知の通りと言える.
3.ところが、このユニオンショップ制も、組合不加入・除名・脱退の場合は必ず解雇すると定めるもの(完全ユニオン)はむしろ少なく、使用者が解雇しない余地を残すもの(不完全ユニオン、尻抜けユニオン)や、解雇について全く規定しないもの(宣言ユニオン)がかなり多い。それが現実の状況である。
4.このユニオンショップ制は、労働者に組合加入を強制するという機能をもつ点で、組織強制の手段であることは疑いがない。とくに企業別組合の場合は、企業別従業員の一括加入を使用者に認知させ、それをテコにして、全従業員を組合に結集することにより組合組織の強化をはかる制度である、と認めることができる。
5.しかるに、この制度が現実に果している役割を見ると、対使用者の関係における組織強化というよりはむしろ、組合が組合員への統制を強める手段として機能していると認めざるを得ない面がある。除名が解雇に結びつくため、個々の組合員にとっては、組合幹部に睨まれ統制違反として除名の対象にされないようにというプレッシャーがかかる。その結果、組合内部における組合員への統制機能が一段と強化されることになるわけである。
6.また、この状況は、使用者側にとっても利益をもたらすことが認識されるようになった。ユニオンショップ制により全従業員が一つの労働組合に組織されていることは、労働組合対策や労務管理にとって有用であることが明らかになってきたからである。そこには、次のような事情が伏在していると言えるであろう。
7.使用者側は当初、ユニオンショップ制に否定的な態度をとっていたが、今日では労働組合の62.1%においてこれが認められるようになっている(労働大臣官房政策調査部編・平成9年版日本の労働組合の現状U19頁)。そして大企業を中心にこの制度が廣く定着するに至っている。これは、判例などの上にも明確に現れているとおり、ユニオンショップが使用者に対して組合組織の強化を図るというよりも、むしろ労使一体となって、組合の統制に従わない積極的活動家を企業外に排除し追放する役割を現実に果たすようになっていることと無関係ではない。近年はその実態と機能から見て、このような指摘がなされるようになっている点にとくに注目する必要があろう。
四.ユニオンショップの効力をめぐる学説・判例の動向
1.今日の学説や判例の多数意見では、ユニオンショップ制を一応有効な制度と認める傾向にある。そこには、労組法7条1号但書にユニオンショップを是認するごとき規定がおかれていることの影響もあるのかもしれない。しかし、同但書規定の文意は本文と直接的には結びつかないし、この規定はたんにショップ協定を結んでも不当労働行為にはならないと推定できるというだけのもので、ショップ協定の有効要件を定めたものではないと見るのが、ほぼ現在の定説になっている。結局、今日の多数意見では、ユニオンショップの有効性は、憲法28条による団結権の保障から直接導き出されるものと判断しているのである。つまり、組合組織の強化を意図する団結権(積極的団結権)は、個々の労働者の団結しない自由(消極的団結権)よりも優位に立つがゆえに、個人の団結しない自由を制限するにとどまるユニオンショップ制は、積極的団結権の保障に根拠をおく適法かつ有効な制度と見るわけである。
2.ただし、学説上は少数ながら、今日ユニオンショップを無効とする見解も現れている。その理由としては、団体に加入するか否かは個人の自己決定によるべきであって原則として加入を強制されてはならない。そのことを含む個人の尊重(憲法13条)や結社の自由(憲法21条)の原理は、労働組合にも当然妥当すると解すべきであるという。この無効説は、あくまで労働者個人の主体的決断を通じて組合加入の可否を決めるべきであって、強制は労働者個人にとっても組合にとっても利益にならないと見るのである(西谷敏・労働組合法・有斐閣法律学大系95頁以下)。
3.今日、欧米諸国では、ユニオンショップないしクローズドショップの制度を明確に禁止したり(ドイツ、フランス、イタリア)、厳しく制限する国(アメリカ、イギリス)が増えつつある。法制度の中身には国によってそれぞれ多少の違いがあるものの、いずれも個々の労働者の自由や権利を尊重すべきであるという理念に発するものと判断される。最近のわが国におけるユニオンショップ無効説も、同様の発想に基づくものと見ることができよう。
4.このように、ユニオンショップ制の効力それ自体についても、これを疑問視する意見が登場するに至っているけれども、従来の学説・判例の大勢は、これを一応有効な制度と認めてきた。しかし、一企業内に、ユニオンショップ協定を締結している組合と、その締結組合とは別個の組合(別組合)が併存しているような場合は、その協定の効力が及ぶ範囲につき問題が起こる。そして結論時に言うと、組合併存や組合分裂の場合にユニオンショップを適用して、別組合の組合員を解雇したり、除名・脱退者のうち別組合に加入した者を解雇することは許されないと見るのが、今日ではもはや動かしがたい定説になっていると認められるのである。
5.とりわけ、先に挙げた二つの最高裁判決、すなわち三井倉庫港運事件判決(最高裁一小平元・12・14判決)と日本鋼管鶴見製作所事件判決(最高裁一小平元・12.21)、及びいすず自動車事件判決(最高裁三小平4・4.28、労働判例608号6頁)なども、この定説となった法理を確認したものと判断することができる。
6.右の三判例のうち、最も詳しく法理を展開する三井倉庫港運事件判決の判旨を要約して述べると、次の通りである。ユニオンショップ協定は、組合員資格を取得せずまたはこれを失った労働者を使用者が解雇することによより、間接的に組合組織の拡大強化を図ろうとするものであるが、他方、労働者には、労働組合を選択する自由があり、また、ユニオンショップ協定の締結組合の団結権と同様、同協定を締結していない他の組合の団結権も等しく尊重されるべきであるから、同協定によって解雇の威嚇の下に特定組合への加入を強制することは、労働者の組合選択の自由及び他の組合の団結権を侵害する場合には許されないものというべきである。したがって、ユニオンショップ協定のうち、他組合加入者及び締結組合からの脱退・被除名者で他組合に加入した者または新組合を結成した者について使用者の解雇義務を定める部分は、民法90条の規定により無効と解すべきである(憲法28条)。そうすると、ユニオンショップ協定に基づきこのような労働者に対してした解雇は、解雇義務が生じていないのにされたものであるから、客観時に合理的な理由を欠き、社会通念上相当なものとして是認することはできず、他に解雇の合理性を裏付ける特段の事由がない限り、解雇権の濫用として無効であるといわざるを得ない、と。
7.ここで銘記すべきことは、これらの最高裁判例は、それまでの下級審判例の流れを確認するという形で打ち出されたものであるという点である。古くはこのような場合に、ユニオンショップ協定の効力を肯定する裁判例が登場したこともあるけれども、昭和30年代後半以降は下級審判例も、労働者の団結選択の自由及び別組合の団結権の尊重を理由に、その効力を否定する方向で固まってきた。最高裁判例も、格別に独自の見解を打ち出したというわけではないのである。
8.ただ、最高裁は、脱退の場合のみならず、除名の場合でも、新組合を結成したり、別組合に加入した者については、ユニオンショツア脇定の効力は及ばないとしている。従来、下級審判例では、締結組合からの除名がからむ場合は、まず除名の効力を否定し、そのうえでユニオンショップ協定に基づく解雇の効力を否定するという形をとったが、最高裁は、除名が真にやむを得ない場合であるかどうかにかかわりなく、被除名者が別組合に加入した場合には、もはやユニオンショップ協定の効力が一切及ばないと見るかのごとき見解を示している。これは、従来の下級審判断よりも一歩踏みだし、組合併存・分裂の場合の協定の効力を一段と消極的に見る立場を明らかにしたものと認めざるを得ない。
五.本意見事の考え方
(T)前提となる諸事情
1.以上に述べた学説や判例の動向を踏まえながら、この間題に関する私見を以下に展開したい。とくに海員組合側は、本件除名・解雇が通常のユニオンショップ制(以下、ショップ制と表現する場合もすべてユニオンショップ制をさす)に基づくものとは異なり、本件のもつ特殊性を基礎にして実施されたものであることを殊のほか強調するので、その点にもなるべく配慮しながら、その特殊性なるものが果たして法理論として根拠があるものかどうかを検討していきたいと思う。
2.ユニオンショップ協定の効力について、これを全面的に否定する見解さえ現れるに至っていることについては、先に一瞥したとおりである。しかしここでは、この問題に触れるつもりはない。ここで論じたいのは、一企業内に労働組合が分裂・併存という形で複数存在する場合のショップ制の効力についてである。
3.わが国においては、労働者の団結(労働組合)は、憲法上の団結権保障の理念に適合する自主的な団結である限り、すべて等しい法価値をもつものと認められている。それが、一律かつ無条件に勤労者の団結権を保障した憲法28条の法意にかなう見方にほかならない。団結構成員の数が相対的に多いか少ないかとか、構成員(組合員)の職種、性別、企業内における地位・身分等のいかんによって団結の法的評価に差異が生じるなどという考え方は、憲法の団結権保障が前提とする労働組合平等の原理に反するわけである。
4.この点、たとえばフランスにおける組合複数の原理(le principe de la pluralite syndical)の下では、組合相互間の関係は組合員数の多少にかかわらず絶対に平等であるという考え方が確立されている。それは、同一職業部門内で労働者はいくつかの競争組合を結成する自由をもつこと、競争組合相互聞の関係は組合員数の多少に閑わらず絶対に平等であること、労働者はいずれかの組合を選択する完全な自由をもつこと、などから成り立っている。
5.これに対しアメリカでは、極めて厳しい条件付きでユニオンショップが認められている。その条件とは、締結組合が交渉単位内の代表組合であること、秘密投票で従業員の過半数がショップ協定を支持していること、組合からの除名・脱退につき解雇が認められるのは組合費や組合加入費の滞納が理由になっている場合にほぼ限られること、などである。ショップ制はこのように、組合内の規律保持の機能を失って、組合費徴収の手段と化していると言われるようになった。そのうえ、今日多数の州に登場している勤労権立法(right to work law)では、個人の働く権利を保護するためショップ制を禁止するという措置をとるに至っているのである。
6.このほか、イギリス、ドイツ、ベルギー、オランダ、デンマークその他の諸国では、法律上または事実上ショップ制が禁止なされるか、または厳しく制限されている。とりわけ、対立する複数の組合が併存する場合は、組合相互間の組織化争いの手段としてショップ制が利用されることを防ぐために、ショップ制を違法無効とする傾向が強い。ショップ制が使用者によって、一方の組合の御用組合化と自主的な組合の排除のために利用される危険性が高いことも指摘されてきた。このような取扱いは、組合不加入・除名・脱退が使用者の解雇権と結びつくという、ショップ制の−般的・普遍的な構造に由来するものであって、この構造の上に立つショップ制である限り、それぞれの国の特殊性を超えた共通普遍の機能に関わる問題点として捉えなければならないのである。(以上に述べた諸外国の状況については、本多淳亮・ユニオンショップの研究・有斐閣昭和39年刊第1章〜第7章参照)。
(TT)組合の分裂・併存とユニオンショップの効力
1.ユニオンショップ制はもともと、使用者との労働力取引に関し、組織労働者に対する競争者としてあらわれる未組織労働者を排除する狙いをもって設けられた制度で、ある。未組織労働者が労働力の安売りをして、組織労働者の賃金や生活を脅かし、ひいては組合の団結を切り崩す効果が生じるのを防ぐことを目的とするものと言えよう。つまり、対使用者の関係で、産業・職業・企業内の労働市場を独占してその交渉力を強めることを意図する制度なのである。
2.このことは、ショップ制の目的が、対使用者との関係において組合の団結を強化する点にこそあり、組合間の組織化争いの道具として利用されるべきではないという課題を裏打ちするものと判断される。組織争いにこれを利用することは、ショップ制の本来の目的から逸脱していると言うべきであろう。先に述べたとおり、労働者の団結(労働組合)は、憲法上の団結権保障の理念に適合する自主吋な団結である限り、すべて等しい法価値をもつというのが、労働基本権の保障を確立した憲法の根本原理である。ある団結が他の団結との組織上の競争のためにショップ制を利用することは、団結相互間の平等の原理に反するし、対使用者の関係で細結を強化するというショップ制の目的に背くと言わなければならない。
3.このことをさらに、団結権の構造から論じてみよう。およそ団結権には、労働者個人がもつ権利であると同時に、労働組合という団体がもつ権利でもあるという二つの側面が存在する。権利の主体という点から見て、団結権のもつ個人的側面と団体的側面という二重の構造を捉えることが、問題把握の出発点である。憲法28条は「勤労者の」権利という表現で個人の基本権として構想しているかのごとくであるが、現実には団結権は、労働組合などの労働者団結の機能をとおして初めて現実に具体化される.その意味では、団結権はすぐれて団体的権利であることを見失ってはならない。
4.このような労働組合の権利としての側面に目を向けると、その団結権の機能には、当該組合の構成員に対する対内的な統制権能だけではなく、組織外の労働者を組織に組み入れようとする対外的な働きかけの権能が存在す。つまり団結権は、対内的・対外的な二つの権能を併せもっているのである。ショップ制が組織の外部にいる労働者の組合加入を強制する点は、団結権の対外的権能を制度的に確立しようとするものであり、除名・脱退の場合の解雇を要求する点は、団結権の対内的権能を強化せんとするものにほかならない。
5.ところで、同一企業内に2個の組合が併存する状態のもとで、新規採用の労働者に両組合が同時に組合加入を勧誘する場合は、両組合がそれぞれもつ団結権の対外的権能が衝突することになる。また、一方の組合に属する組合員が当該組合を脱退して他方の組合に移るような場合は、一方の組合のもつ団結権の対内的権能と他方の組合のもつ団結権の対外的権能とが衝突する。両組合がいずれも自主的な組合である場合は、ここに団結権の競合の問題が生じることになるのである。
6.この場合の競合とは、労働組合という団結体のもつ団結権がその機能面で衝突するということであって、労働者個人のもつ団結選択の自由という角度からは事態を的確に捉えることが難しい。組合併存の場合における団結権としては、従来主として個人の団結選択の自由という立場から論じられてきたが、むしろ、先に挙げた最高裁判決も指摘するように、「労働者の組合選択の自由」及び「他の労働組合の団結権を侵害する」かどうかという双方の観点から問題にすべきである。そしてここではとくに、後者の、別組合の団結権を侵害するかどうかを判断することが、重要な課題であると言えるだろう。
7.そうすると、事態は二つの組合がもつ団結権相互間の問題として捉えることができる。労働者が一方の組合を脱退して他方の組合に加入するような場合は、一方の組合から見ると団結権の対内的権能を害される現象と言えるだろうが、他方の組合から見ると団結権の対外的権能の発現形態と認められる。しかも両者の団結権は、その法的評価において本質的な差異はあり得ない。
8.それゆえ、一方の組合がユニオンショップ協定を結んでいても、当該組合を脱退して他方の組合に移る者については、この協定の存在を理由に使用者が解雇の義務を負うことはないと言える。もしも彼を解雇するならば、一方の組合の団結権の対内的権能を守ることにはなっても、他方の組合の団結権の対外的権能を無視し蹂躪するという結果を招き、この面において団結権侵害の問題を引き起こすからである。
9.ユニオンショップ制は本来、労働組合の団結を強化し拡充することを目的として設けられた制度であることは疑いがない。ただ、この制度の顕著な特徴は、組合不加入者や組合からの除名・脱退者が出た場合、使用者によって解雇してもらうこと、つまり使用者の解雇権を借用することによって組合の団結や統制を強化するという側面をもつ点にある。言い換えれば、使用者の助力によって団結を強制することが、この制度の内包する重大なアキレス腱なのである。
10.このことは、次のような問題を引き起こす。使用者が一方の組合から他方の組合に移る労働者をショップ制を理由に解雇することは、他方の組合の団結権を侵害するという結果をもたらすゆえに、それは当該使用者による他方の組合に関する支配介入(組合組織に対する介入)の不当労働行為(労組法7条3号)、及び被解雇労働者に対する不利益取扱(他方の組合への加入を理由とする差別待遇)の不当労働行為(労組法7条1号)になると認めざるを得ない。組合が一つしか存在しない場合のショップ制解雇は、被解雇者個人の団結しない自由(消極杓団結権)を侵害するにすぎないから適法と言えても、併存する組合間を移動する労働者に対するショップ制解雇は、使用者が一方の組合のもつ団結権を侵害するとともに、その解雇権行使により被解雇者個人に対する不利益取扱という不当労働行為をも必然的に引き起こす。われわれはとくにこの点に注目しなければならないと考えているのである。
11.ただ、これらの場合、労働組合がすべて団結権の保障を受けるに値する自主的な組合であることを自明の前提とする。団結権によって守られる団結は、主として使用者に対向するという性格をもつべきであって、組合が使用者に対向せず、もっばらこれと提携し協調するという方向に傾き、あるいはすでにその支配を受けているという状態にあっては(いわゆる御用組合の場合)、団結権を保障すべき理由を見いだしがたい。従業員の懇親団体や非自主性のあらわな第二組合などは、自主的な多数組合の結ぶユニオンショップ協定の適用下にさらされると見るべきであろう。しかし一般に、組合の自主性の欠如を立証することは困難を極めるため、わが国ではその立証に成功した例は皆無に等しい。
(V)本件のもつ特殊性の検討
1. ところで、本件・本四海峡バス事件では、会社側がとくに事件内容の特殊性を強調している部分が、他の事案とは異なる点として目を引く。その特殊性として挙げられているのは、本件ユニオンショップが、一般の企業内組合におけるものとは異なり、唯一の産業別組合たる全日本海員組合のショップ協定であること、しかもそれは、海員組合による本四架橋離職船員のための会社設立と離職船員の就業受け皿確保のためという、通常とは全く異なる目時をもったショップ協定だということである。そしてその点において、一般のショップ協定を前提とする最高裁判例の射程外の事業であり、かつ、ショップ制を違法なるものとして扱うヨーロッパ諸国の場合とも異なることを力説する。
2. さらに、次のような点も強調されている。会社は、その設立目的自体が離職船員の職場確保にあり、海員組合は組合員の雇用確保のため組織ぐるみのたたかいを組んできたこと、会社内に二組合が併存することになれば、そこはもはや離職組合員のためのみの職場ではなくなり、新規雇用にあたっても離職組合員を優先させることはできなくなること、これらの事情から、本件ユニオンショップはまさに公益目的のための協定であることを理解せよ、とも述べる。あるいは、本件ショップ協定は、海員組合が本四海峡バス会社という職場を確保するためのものであるから、それは労働法上の契約でありながら、民法上の職場確保契約でもあるという主張さえ行われている。
3.このほか、本件ショップ制の中身が、企業別組合の締結する通常のユニオンショップ協定といかに異なるかを、贅言を尽くして論証しようとしている。そこに論じられているような、会社設立をめぐる特殊な事情が存在することは、第三者時な立場から見ても一応理解できないわけではない。しかし他方、そこで主張されている特殊性は、海員組合のみが唯一の正当な組合であるかのごとき妄想の上に立った、全く独善的な見解と見ることもできるだろう。おそらく海員組合は、船員・海員労働者に関する日本の労働市場を独占してきたという歴史的経緯が長いので、その市場に海員組合以外の労働組合が参入することは我慢ならないと見る思いが強すぎるのではなかろうか。
4.しかし、先に−言したとおり、欧来諸国のユニオンショップやクローズドショップが今日厳しい禁止や制限の措置を受けているのは、ショップ制が複数組合間の組織化争いの道具として利用され、その弊害が顕著になってきたことに主要原因の一つがある。欧米では産業別・職種別の企業横断的組合が主流を占めているけれども、この種の組合のショップ制も、使用者の解雇権という助力を借りて他の組合ないし組合員の団結権を侵害するという要素を伴うゆえに、制限禁止措置の対象になってきたという経緯があるのである。産業別組合のショップ制としてその特殊性を強調する日本の海員組合だけが、この制度のもつ構造的弊害と無縁であるとはとうてい言えないことを認識しなければならない。
5.そしてとくに、会社側の主張で理論的な難点と認められるのは、二組合併存の場合に組合間を移動する労働者の行動が、組合相互間の団結権の衝突という観点で捉えられていないことである。それは、海員組合という団体の団結権と、そこから脱退して他組合(全港湾)に移る労働者の団結選択の自由という個人の団結権との衝突・抵触の問題としてのみ把握されている。しかしこの現象はまず、海員組合という団体の団結権と全港湾という団体の団結権との抵触関係、つまり団体的な団結権相互間の衝突の問題と見なければならない。言い換えれば、海員組合の団結権の対内的な権能と、全港湾のもつ団結権の対外的な権能との衝突の問題にほかならない。そしてそこに、組合間を移動する労働者個人の組合選択の自由という団結権の侵害の問題が絡むわけである。
6.さらに法理論として敷衍すれば、海員組合からの脱退、全港湾加入を理由とするショップ制解雇は、会社の全港湾に対する団結権の侵害、つまり支配介入の不当労働行為の問題を引き起こす。それと同時に、全港湾加入の労働者個人に対する差別待遇の不当労働行為をも構成する結果になる。いかに会社設立の特殊事情を強調しても、使用者の解雇権という助力を借りて組織強制を行うというショップ制の構造自体に変りがない限り、このような問題は避けられないことを知るべきであろう。しょせん、ショップ制を組合間の組織争いに利用することは、国内外の経験や教訓に照らしても、絶対的に断念すべきであると言わざるを得ないのである。
▽追加2013.06.20
――日本における 「福祉国家」 と労使関係、中京経営研究 第22巻 第1・2号、165、中京大学 経営学部教授・猿田 正機
(「それぞれの労働組合運動史・論3」のページへ)
▽追加2012.02.19
明日へのうた―― 労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
戸塚章介のブログ
争議団の団交権は憲法28条で保護される
2011/9/25(日) 午後 0:11
「団体交渉の当事者資格」と労働協約締結権について調べる必要があって、石川吉右衛門の「労働組合法」をめくってみた。そこで思わぬ発見。争議団の団体交渉権に関する記述だ。「一般に、争議団と言われるものも、団体交渉の主体として認められている」というのだ。
石川教授は「争議団」の定義を次のように言う。「@労働組合とは異なって恒久的な団体ではない。Aある特定の時期に、特定の問題を契機として集まった労働者の集団である。Bその目的は、使用者との団体交渉にある。従って、交渉不調の場合は、争議行為に出る可能性もある。C交渉が終われば、その集団は解散する」この定義はまさにおれたちが日頃接している「争議団」そのものである。
石川教授はさらに「労働組合でなくても、労働者の集団が使用者と団体交渉をしようとすれば、それは憲法28条の適用下にあるのであるから、団結権・団体交渉権・団体行動権は保障されていることになる」と明言し、「不当労働行為についても、労組法7条2項は、これを包含する」と言い切る。
この点、菅野和夫著「労働法」では「労働組合の組織をもたない労働者の集団でも、代表者を選んで交渉の体制を整えれば、憲法28条の団体交渉権の保護は受ける」と、一応争議団の団交権は認めるものの、「しかし、労組法の不当労働行為救済制度の保護を受けるか否かは否定的に解すべきであろう」と師匠の石川教授とは別の見解だ。理由は「労組法は、労働組合の結成を助成し、それを通じて団体交渉の樹立と労働協約の実現をめざしていると解されるからである」というのだが……。
労働委員会への不当労働行為救済申立には、組合申立と個人申立の2種類がある。労組法7条2項の団交応諾請求を個人が申し立てることは労働委員会では予定していない。争議団では組合資格は認定されないことが確実だから、おれなんかも「争議団の団交権については法的保護は受けられない」と頭から決め付けていた。実際上も「争議団の団交応諾申立」事件は、おれの知っている範囲では見当たらない。石川さんが中労委会長時代に申し立てていれば面白かったな。
しかし、石川さんも菅野さんも「争議団の団交権」そのものは認めているのだから、「そもそも争議団には団交権などありえない」というところから議論をするのは誤りだということになる。少し遅ればせながら、おれも頭を切り替える必要がありそうだ。人間いくつになっても勉強が肝心だな。
いいだもも、笹森清の追悼文を読んで思う
2011/7/19(火) 午前 10:54
7月17日付『毎日』の「悼む」欄に最近死んだ2人の「追悼文」が出ていた。3月31日に85歳で亡くなったいいだもも氏と、6月4日に70歳で世を去った笹森清氏。「稀有の資質・才能の人(いいだ)」は評論家の来栖宗孝、「『力と行動』思い半ば(笹森)」は元毎日新聞労働記者の山路憲夫が執筆している。
いいだももは「70年安保」闘争時代、共産主義労働者党の最高幹部として過激な運動を指導した。彼らは街頭や学園・職場で暴れまくった。出版労働運動では「マスコミ反戦」がゲバ棒を振るって執行部に襲いかかったこともある。「その後は理論・政策の相違から三分裂し、それからは敗北につぐ敗北、挫折につぐ挫折の小党派に落ち込んだが意に介さなかった」と来栖氏はいうが、彼に煽られて傷ついた若者にとっては「意に介さなかった」では済まされない問題だろう。
さて「力と行動」の笹森氏の方だが、山路元労働記者は次のように言う。「(2001年に)連合会長に就任後は、『力と行動』を旗印に『21世紀連合ビジョン』をまとめ、企業内に閉じこもりがちな日本の労働運動を社会的労働運動へと舵を切ろうとした。しかし企業別組合の厚い壁に阻まれ、成果を上げられなかった」――無難な評価だがこれたけでは本質に迫っているとは言えないのではないか。
確かに、笹森会長は連合としては思い切ったことをやった。中坊公平氏を責任者にして「連合評価委員会」を発足させ、連合組織の弱点を追及しあるべき姿を探ろうとした。
2003年には、@連合を取り巻く状況は危機的である、A企業主義からの脱却を目指さなければならない、B企業内組合と地域ユニオンなどの二重加盟も検討すべきである、など画期的な内容を含んだ「企業内組合の限界を突破し、社会運動としての自立を」という標題の「最終報告」がまとめられた。
この「最終報告」は結局、連合の組織方針には反映されることなく連合内外で忘れ去られてしまった。その原因は何か。山路さんの言われるように「企業別組合の厚い壁に阻まれて」ということもあろうが、おれにはもっと本質的な「連合の労使癒着体質」が指摘されなければならないように思える。笹森氏の出身である東電労組、電力総連はまさに「労使癒着」にどっぷり浸っていたのではないか。そこから脱却できなかった、しようともしなかった、それが笹森氏の「思い半ば」の原因だろう。
原発推進の二人三脚 東電の労使癒着
2011/5/14(土) 午前 11:15
菅政権の本質が「政労癒着」であるように、東京電力の経営体質は「労使癒着」だとおれは思う。断っておくがここで言う「労」とは連合および労使協調の企業内巨大組合のことである。今週の「週間金曜日」の特集「東京電力の正体」の中に「労組頼みの民主党に脱原発は難しい」「原発推進の連合、背後に電力総連あり」という4ページの記事。この角度からの掘り下げは一般紙には絶対載らない。
以下「金曜日」の記事をもとに電力産業の労使癒着についてまとめてみる。――電力総連は、加盟組合230、組合員21万5000人の巨大産別組織である。現在の会長は東電労組出身の種岡成一氏。ちなみに、連合南雲事務局長も三代前の連合会長で今菅政権の内閣参与である笹森氏も出自は東電である。
電力総連は、戦後の労働運動を牽引した「日本電気産業労働組合(電産)」を分裂させ、資本の介入でつくられた第二組合だ。旧同盟の主力単産の一つ。原発については当初から推進の旗振り役を任じてきた。原発推進へ総評加盟労組も含め、他労組への働きかけも活発に行われていたという。
東電労組は組合費とは別に月500円ほどの会費を徴収して「東電政治連盟」を運営している。この政治連盟は潤沢な資金を使って管内に網の目のようなネットワークを張っている。「このように網目のごとく張り巡らされたネットワークで、地元の議会関係者や他労組幹部に原発PRなどを行っているわけだ。加えてこのほど本誌で東電労組政治連盟の政治資金を調査した結果、東京銀座の高級クラブやスナック、料亭などの飲み代に多額の『経費』を割いている実態が明らかになった」
電力総連は、国政、地方の選挙で絶大な影響力を行使している。09年の衆議院選挙では272人の推薦候補を支援し、「政権交代」を助けた。組織内候補として、参議院には関西電力出身の藤原正司氏、東電出身の小林正夫氏を送り出し、このほか約150人の電力総連出身地方議員を擁する。
政党としての「民社党」は消えたが、旧同盟系労組を中心に「民社協会」として今でも力を温存している。この「民社協会」が原発推進の中核的役割を果たしているという。「民社協会」理事長の川端達夫衆議院議員が、文部科学相に就任するや停止中の「もんじゅ」を再開稼動させたことは記憶に新しい。
おれは、労働組合が企業や政治に影響力を発揮して物を言うことは大切なことだと思っている。しかし、今の連合や東電労組と菅政権、東電との癒着関係は労働組合の本来的あり方とは相反する。根本から変えなければならないと思う。
「組合選択の自由」は憲法上の権利
2010/12/5(日) 午前 10:52
昨4日午後、おれが特別顧問をしている金融ユニオン(昨年8月までは「銀産労」)の会議に出て夕方から委員長はじめ幹部の人たちと秋葉原の大衆酒場で飲んだ。金融ユニオンは個人加盟の組織である。最近の労働運動における個人加盟組合の意義と、されどなかなか組織が広まらない難しさが話題になった。
おれは「金融労連 調査時報」09年11・12月合併号に「金融ユニオン結成を祝い期待する」という小文を寄稿した。
「金融ユニオンの結成は、今の労働界を覆っている閉塞感のようなものを突き破るカギとなるかも知れない。なぜなら、既存の労働組合が持ち合わせていない労働者の団結体としての基本的な位置づけをきちんと踏まえているからだ」とおれの気持ちを述べた。
次いでユニオン結成の三つの意義を強調した。――@個人加盟の組織である、A非正規労働者に対等な組合員資格を認めている、B組合選択の自由の精神で貫かれている。
おれが言いたかったのは、特に3番目の「組合選択の自由」ということ。「憲法28条に明記された『勤労者の団結する権利』とは、普通、@組合結成の自由、A組合加入の自由、B組合選択の自由を『国民の権利』として認めたものとされている」「ところが、日本の現状はこれら三つの権利がいろんな理屈をつけて否定されている。特に大企業における『組合選択の自由』は土足で踏みにじられていると言ってもいい状態だ」。
「組合選択」というからには、ヨーロッパのように組合が複数あることが前提である。「組合が一つの方が強い団結力を発揮できる」という意見はそれなりに正当だと思うが、日本の大企業労働組合を見る限り机上の空論と言わざるを得ない。新入社員を、ユニオンショップでエスカレーター式に組合員とし、企業組合に縛り付ける。企業内に複数組合が存在することは絶対認めない。これは、団結力の強化でもなんでもなく、憲法28条の「勤労者の団結する権利」に反する違法行為だ。
いま、合同労組や地域ユニオンなど個人加盟の組織が全国で芽を出しつつある。金融ユニオンはその中でも20年の歴史を持つ貴重な存在だ。苦しいこともあるだろうが、労働運動の本道を歩いているのだという確信で困難を切り開いていって欲しいものだ
「過半数組合」のみに与えられる特権は疑問
2010/4/16(金) 午後 5:25
日本の労働法制では、過半数を占める組合も、少数組合も、個人加盟組合の合同労組も、団体交渉に関しては同じ権利を有する。少数であることを理由に団交申し入れを拒否すると、不当労働行為として団交応諾を命じられる。ところが、たとえば「三六協定締結権」のように、過半数組合があればその組合にだけ権利を認める「過半数組合代表制」も存在する。しかもその事例がおれが思っていた以上に沢山あることにびっくりした。
労働委員会の労働者委員連絡協議会が発行する「月刊 労委労協」10年2月号に、徳住堅治弁護士の「非正規労働者と労働組合・労働委員会」と題するかなり長い論文が掲載されている。これが大変興味深い。「過半数組合代表制」が法律で定められているのは、「時間外・休日労働協定(三六協定)」の他に、「事業場外労働におけるみなし労働時間に関する協定」「専門業務型裁量労働におけるみなし労働時間にかんする協定」など60項目にも及ぶのだそうだ。
「ユニオンショップ協定」の締結権、「就業規則の作成・変更にかかる意見聴取」の権利も過半数労働組合の専権事項だ。会社破産の場合のように、労働者の死活に関わる問題でも、過半数組合が重要な役割を独占する。例えば、@再生手続開始の裁判所からの意見聴取、A事業等の譲渡の許可に関する裁判所からの意見聴取などは過半数組合が独占して行う。徳住弁護士は「非正規労働者の意見は排除されている」と指摘する。
こう見てくると、「過半数労働組合」が労働者の生殺与奪の権限を独占しているといっても過言ではない。労働組合は、その大小にかかわらず同じ権利が与えられるべきだ。それが憲法28条の精神だとおれは思う。特に日本の大企業労働組合の全てが、会社の意のままになる労使協調型組合になつてしまっている現状を見るとき、団結権尊重の思想が徹底されなければならないと考える。
「食品一般ユニオン」の結成に期待する
2010/3/10(水) 午後 2:11
先週の土曜日、6日の午後に東京労働会館地下会議室で「食品関連一般労働組合(略称・食品一般ユニオン)の設立大会が開かれた。明治乳業争議団を中心に、ネッスル、三井製糖、雪印乳業、雪印食品などの労働者が参集。OBが圧倒的だが現役労働者の顔も見えた。
食品関係の労働組合は、製造部門がフード連合、流通部門がUIゼンセンとなっていて、いずれも連合民間単産の主力組合。食品産業には多数の非正規労働者が働いているが、その働く権利や労働条件は不当に低く抑えられている。今回「食品ユニオン」が結成されたことによって、たたかう非正規労働者の受け皿ができたことの意義は大きい。今後に期待するところ大である。
おれは、この「食品ユニオン」の結成準備の段階で、昨年暮れに「労働組合をつくることの今日的意義」と題して話をする機会を与えてもらった。おれは話の中で「団結権を構成する三つの自由」として、@組合結成の自由、A組合加入(脱退)の自由、B組合選択の自由、を挙げた。この三つの自由は、今の大企業労働組合には根本的に欠落している。
「食品ユニオン」は、結成にあたっての「運動理念」の中で、「この労働組合は、食品に関連する全ての業種に働く労働者で構成する。パート、アルバイト、の非正規雇用も誰でも1人でも加入できる組合です。また協力組合員として二重加盟も可能な個人加盟のユニオンです」と組合の性格を明らかにしている。
既存の大企業労働組合と地域や産別の個人加盟組合との二重加盟問題は、労働運動の組織論としていまだ手付かずの分野である。企業内組合側はもちろん二重加盟を認めない立場だが、個人加盟組合の方でも二重加盟に否定的な意見が多いように見受けられる。産別個人加盟組合としては先輩格に当たる「電機ユニオン」は規約上二重加盟を認めていない。
閉塞状況からの出口を見出すことのできない「労使協調型企業内組合」に対抗して新しい労働運動を構築する意義は各方面で語られている。この際、二重加盟形式による組合づくりも選択肢の一つとして議論に加えていく必要があるのではないかとおれは思う。
フランスとイタリアにおける共産党の衰退
2010/1/19(火) 午前 11:23
不破哲三著「激動の世界はどこに向かうか 日中理論会議の報告」を読んだ。文句なしに面白い本だ。中国共産党側が事前に21項目にわたる質問を用意していて、日本共産党(不破さん)がそれに答えるという内容。今回の質問は中国側の希望で「世界経済危機」にしぼられた。
「金融危機が世界の政権党でない共産党におよぼす影響をどうご覧になるか。これらの党は新たな情勢下で、どのような発展戦略を打ち出すべきか」との質問。不破さんは、日本共産党が「ルールある経済社会」と評価しているヨーロッパを例に挙げて要旨次のように答えている。
フランス、イタリアに代表される西ヨーロッパの「ルールある経済社会」は、それを形成する過程で担い手となったのは共産党でなく社会民主主義の政党だった。不破さんはそう言い切る。どうしてそうなったのか。フランスやイタリアの共産党にはどんな戦略上の間違いがあったのか。
フランスとイタリアの共産党は、1960年の国際会議で「社会主義革命一本槍」に固執。日本共産党の民主主義革命を経た多数派形成による社会主義的変革路線と対立する。ところがその後の行き詰まりから、フランス共産党は「先進的民主主義」という中間段階を模索し、イタリア共産党は「民主主義的、反ファシズム革命の第二段階」としてキリスト教民主党との「歴史的妥協」を打ち出すことになる。
その結果はどうなったか。フランス共産党は「先進的民主主義」の道筋を示せないまま行き詰まり、再び「社会主義革命」路線に逆戻り。社会党内閣で入閣したのにその力を発揮できないまま党勢は衰退の一途。イタリア共産党は、「歴史的妥協」路線を進めついにNATOを容認するところまで行き着き結局共産党を解党する。
不破さんは言う。「私たちは、社会主義的多数派形成の戦略をもたない社会主義革命論の危うさと同時に、革命戦略を真剣に探求する意欲をもたないままの安易な戦術転換の危険性を、そこからくみとるべきではないでしょうか」
それはそうかも知れないが、おれには、共産党抜きでも「ルールある経済社会」ができるとしたら、共産党というのは一体何なんだろう、という疑問が残るのだが……。
連合の労使協調路線は変わるのか
2010/1/17(日) 午後 0:32
去年の12月6日の本ブログで、日本共産党第25回大会決議案について読んだ感想を書いた。
「労働運動の現状をどう捉えているのか、興味をもって注目したが直接触れている箇所はなかった」と若干の不満を述べておいた。同じ不満を持った人がいて意見を上げたらしく、昨日閉会した大会で決議案の「国内的共同を」の項目の中に「労働運動」部分が補強された。
「労働運動では、一致する要求を掲げ、ナショナルセンターの違いをこえた共同が、さまざまな分野ですすんでおり、それを発展させることが重要になっている」で始まる16行だ。この書き出しに続いて、「共同の流れ」をさらに発展させるうえでも、「連合指導部が、特定政党支持路線と労使協調路線という二つの重大な弱点を克服できるかどうかが問われている」と連合指導部に対して路線変更を求めている。
連合が「特定政党支持と労使協調路線」を改めてくれればこんな喜ばしい話はない。しかし、それを求めることは、「連合」という労働組合の存立理念を捨てろということに等しいのではないか。1970年代後半から、「労働戦線統一」論議が画策され、民間大企業労組の幹部たちが集まって「統一推進会」をつくった。彼らが示した統一の理念が「反共と労使協調」路線であり、これを踏み絵にして総評加盟の労組をゆさぶり、右翼的労戦統一を完成させた。統一推進会は全民労協になり今の連合になったのだ。
「確かに成り立ちはそうかも知れないが、連合も労働組合なのだから変わらないとはいえないのではないか」という議論がある。議論としては面白いかも知れないが、それで大企業労働運動を縛らないでほしい。連合労組の中で「特定政党支持と労使協調」路線を変えさせるたたかいだけが唯一の方法であって、職場労働者の要求を掲げる資本から独立した労働組合をつくるのは「分裂主義」だなどと誤った方針は押し付けないでほしいのだ。
おれは、「特定政党支持と労使協調」が労働運動の路線として現に存在し、大企業では圧倒的だということは否定しがたいのだから、それに対置する労働運動を自ら確立する、複数労働組合主義が必要だ、と以前から主張してきた。今回の共産党の決議案を見てさらに思いを深くした。
共産党大会決議案を読んで
2009/12/6(日) 午前 10:52
日本共産党が第25回大会決議案を発表した。党のホームページで志位さんの解説(2時間35分)を聞きながら一応全部読み終えた。労働組合運動の現状をどう捉えているのか、興味をもって注目したが直接触れている箇所はなかった。「国民的共同――統一戦線の新たな発展のための探求を前進させる」とあるから何のことかと思ったら30周年を迎えた革新懇運動のことだった。
「職場支部の活動の本格的な前進」という項目。前大会以後2度の「職場講座」を開き「この分野の活動の新たな探求・発展にとりくんできた」という。私も赤旗に掲載された「職場講座」の記事を読んだが、何が「新たな探求・発展」なのか見えなかった。
決議案が、最近の非正規労働者のたたかいの前進について「長い間、職場支部が、きびしい迫害のもとで党の旗を守り、不屈に活動し、非正規の仲間に心を寄せて粘り強い活動をしてきたことが、たたかいの発展の大きな力となった」と述べていることに私も共感する。
では、粘り強く活動してきた職場支部は今後どのような活動を任務とするのか。決議案では「労働者のなかでのたたかいと党づくり」だという。いま大企業の職場組織は、活動家層の定年退職により軒並み消失の危機にさらされている。その中で党組織を維持し、新たな党づくりを行うことの重要さはまったくその通りだ。しかし、新たな党づくりは大衆闘争の前進が基礎にならなければならない、と私は思う。
つまり、「新たな党づくり」は「新たな労働組合づくり」と両輪で進めなければならないし、それでなければ党も労働組合も資本の攻勢に飲み込まれてしまう、それが現状なのだということ。大学卒業生の半数以上が「労働組合に関心があり、組合に入りたい」と思っているという。大企業に入社すれば、とたんにユニオンショップ制度で組合員になるだろう。しかしその組合は、彼が入りたいと思っていたイメージとはまったく異なる会社労務部の手先のような組織なのだ。
私は、大企業の職場支部が「労働組合に入りたい」と願う青年の受け皿になるような労働組合をつくることが「決議案」の言う「新たな情熱、探求と開拓の精神をもって挑戦し、大きな前進をかちとる」要(かなめ)だと思う。大企業労働運動の分析と変革の方針が速やかに打ち出されることを望む。
明日へのうた―― 労働運動は社会の米・野菜・肉だ。
戸塚章介のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
▽追加2012.02.19
――フランス労働運動から学ぶこと
(戸塚章介著、共同企画ボォーロ 1680円、2004年12月)
目 次
序章 ロストユニオンの時代
第一章 フランスの労働運動
一 日本の労働争議とCGTの関わりから
エールフランス日本支社の差別反対争議/パリメーデーと失業者労組/地下鉄車内で物乞い?の演説/争議勝利報告の席で
二 フランス労働者のたたかい
世紀末に続発した労働争議/勝ち取った労働時間短縮
三 フランスの労働組合組織
五つの労働総同盟/独立系労組、自主労組/複数組合主義/組織率の低下と組織構成
四 スト権に関する日本とフランスの違い
日本におけるストライキ権/フランスにおけるストライキ権/ストライキの形態
五 労働組合の社会的意義と活動
組合の支持率を競う二つの選挙/従業員代表および企業委員会制度/労働審判所制度/日本の個別労使紛争処理制度/企業内組合活動の獲得/団体交渉と労働協約/フランス労働運動の健全性を保つカギ
第二章 日本の労働運動
一 歯止めのかからぬ組織率低下傾向
二 戦後労働運動は個人加盟産別単一組織を目指した
爆発的に広がった組合づくり/「個人加盟の産別組織」への志向=新聞単一の結成/新聞単一の分裂/「個人加盟の産別単一組織」の終焉
三 根づかなかった「個人の尊重」の思想
形式的だった「個人加盟」/総評による個人加盟組合運動の前進と停滞
四 ユニオン・ショップの功罪
新聞単一のユニオン・ショップ協定/法的に見たユニオン・ショップとチェック・オフ/ユニオン・ショップ協定は「健在」、それでも組織率は低下する/ユニオン・ショップ協定の落とし穴/@「組合員の範囲」が限定されること/A組合選択の自由が制限されること/Bユニオン・ショップ協定に寄りかかり、独自の組織活動が薄れること/C「複数組合主義」「個人の尊重」という考え方が否定されること/組合を「堕落」させたのは誰か
第三章 高度経済成長期における青年労働者のたたかい
一 労働運動の高揚と反動
六〇年安保闘争/農村から都会へ=労働力の大移動/職場労働運動の担い手/大企業経営者による反動攻勢/石川島東京工場での反共攻撃と全造船脱退/インフォーマル組織による明乳労組市川支部の乗っ取り/原水禁運動の分裂
二 労働運動の理論上の問題
「階級的民主的労働運動」論/四・一七ストをめぐる問題/炭鉱労働者は「革命の前衛」なのか/東独の労働運動の反省から
三 第三章を終わるにあたって
第四章 ロストユニオンへの挑戦
一 いろんな組合ができつつある
銀行の賃金差別争議団がつくった個人加盟労組/組合員が結成一〇年で二〇倍になった公共一般労組/出版労連の二つの個人加盟労組/首都展開の個人加盟の組合、全労連・全国一般東京地本合同労組/大手私鉄の中に新労組/元気のいい年金者組合/職人・一人親方の個人加盟労組「全国建設労働組合総連合」/「失業者の組織化」への試み
二 労働組合再生へ=問題点の整理
「個人加盟の産別組織」を目指す韓国・言論労組/組合再生への切り口=労働者個人を尊重した労働組合/@組合選択の自由=二重加盟問題に言及して/A労働協約と個人の不利益問題/B個別労使紛争の解決システム/C「組合による個人の支配」の排除/組合再生への切り口=複数組合主義への接近/@対立する労働組合をどう見るのか/A大企業の労使幹部の不安/B日本の複数組合/C分裂と統一(新聞労連の経験から)/D「丸抱え」と分裂、その中での少数派のたたかい/E複数組合主義への接近
終章 組合再生への熱い思い
あとがき
▽福岡県「弁護士の読書」より(2005年9月14日)
http://www.fben.jp/bookcolumn/2005/09/post_839.html
著者:戸塚章介、出版社:共同企画
フランス労働運動から学ぶこと、というサブ・タイトルがついています。ご承知のとおり(と思いますが・・・)、フランスでは今も盛んにストライキがやられ、ときにはゼネスト(全国的な統一ストライキ)まで決行されます。日本のようにストライキが死語となってしまった国とは大違いです。そして、労働時間は週35時間、残業のないのがあたりまえの国です。フロシキ残業とかカローシ(過労死)とは無縁の国です。といっても、ニッサン(ルノー)のゴーン氏のようなひと握りの特権的エリートが猛烈に働くのは、日本と同じのようです。
私の身近な話としては、私がフランス語を習っているフランス人は、自分の労働条件について日本の弁護士である私に相談するとき、日本では労働組合というのはまったくあてにならないようだが、フランスではそんなことはないし、労働者の権利を守るためにたたかうのは当然だ、黙っていたら権利は守られないと考えている、そこが日本人のメンタリティーとは全然違う、このようにしきりに強調していました。日本人の奥さんをもち、日本語を自在にあやつる人ですが、私はあくまでフランス人なんだと断言するのです。私は、権利の上に眠れる者は救われない、という法格言を思い出し、なんだか申し訳なく、かなり恥ずかしい思いをしました。
そんなフランスでも、実は労働組合の組織率は8%となっています。イギリスの31%、ドイツの27%に比べてもかなり低いのです。その理由のひとつに、フランスに組合費のチェック・オフ制度がないことがあげられています。つまり、組合費の徴収は組合の手でなされるのです。私はいまNHKの受信料の支払いをやめていますが、誰だって意義を認めたくないお金は支払いたくないですよね。
ストライキの盛んなフランスですが、それは労働組合の組織的行為ではなく、労働者個人を主体としています。ええーっ、ストライキって労働組合がやるんじゃないのか・・・と驚いてしまいました。もちろん、提起するのは労働組合です。ストライキ委員会が労働組合の違いをこえて組織されますが、これはあくまでも一時的な組織です。
職場には労働組合が複数存在し、お互いに労働者の支持を競い合っています。2つある選挙が組合の支持率を明らかにします。従業員代表制度と労働審判制度です。労働審判制度は毎年16万件から19万件の申立があります。
フランスの複数組合主義は既に長い歴史をもっています。これは、路線のちがいをお互いに認めあったうえで、対立はするが、相手の抹消は目ざさないというものです。
日本のユニオン・ショップ協定は形骸化し、その本来の意味を喪っている。自動的に増えた組合員は組合の力にならなくなっている。
著者はこのことを再三強調しています。日本の現状を見ると、まったく同感です。
ニッサン労連の塩路一郎元会長のように経営(人事)にまで口を出し、労働組合の原点を忘れてしまった文字どおりの「ダラ幹」をうみ出している根源がそこにあります。
ところで、この本では昭和30年代、40年代に、青年労働者の改革の息吹を当時の経営トップたちの度量のなさから弾圧していったことが、今の労働運動の低迷ひいては日本経済全体の混迷をもたらしたという趣旨の指摘がなされています。
この点については、もちろん経営側からの反論も大いにありうるところでしょう。でも、いまのように職場に労働組合の姿が見えず、過労死やフロシキ残業が常態化していて、成果主義のかけ声のもとで、ますます個人の持ち味が圧殺されている現状は、大いに反省すべきだと思うのですが、いかがでしょうか・・・。
ちなみに、旅行会社で働いている私の娘も長時間のサービス残業などでくたくたに疲れています。自分の健康を損なってまで会社に尽くす必要なんかない。そんな会社はさっさと辞めて、自分にあった仕事を早く探した方がいい。私は娘から相談を受けたときに、そう言いました。今の若者にとって、仕事がないか、過労死寸前まで酷使されるか、その両極端ばかりです。労働者の権利を守る砦としての労働組合の復活が日本の将来のためにも必要なのではないでしょうか・・・。
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