◇草創期の全自運から市民生協づくりへ ▽2016.01.20
▽14.04.30+14.08.13+08.24+15.12.30
2015年12月30日:『PROSUME』(プロシューム)〔B5判、50ページ、大阪よどがわ市民生協発行・労働旬報社編、1988年7月30日発行〕 (PDF版)
柴田光郎――生コン労働者から市民生協運動へ (PDF版)
『めしと団結――たたかう関扇運輸労働者』 (PDF版)
(今崎暁巳著、労働旬報社、1970年6月刊)
『めしと団結』のPDF復刻版づくり――柴田光郎(元全自運関扇運輸争議団)
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-9679.html
“かっぱのげんさん”に会ってきた――山内満豊(元運輸一般兵庫地方本部副委員長)
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-e4ed.html
運輸一般OB会『09新年会』
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2009/01/27
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1月25日、「運輸一般OB会の『09新年会』」が、兵庫県尼崎市(JR尼崎駅前)にある「あま湯(温泉)」で開催され、30余名(内・関西支部OB会から5名)が参加して当時のたたかいの話に花を咲かせました。
OB新年会は、若松秀さん(元大阪地本委員長)の「今年も皆さんに会えました、元気な皆さんのお顔を拝見して、自分たちの今日があることを皆さんと共に喜び合いたい(要旨)」との司会で始められ、荒井実会長(関西急送)の挨拶を受け、乾杯の後・宴会へと進められました。
参加者の中には、大自運(全自運の前身)時代から組合員であった方や、旧日本軍の予科練から生還してそのまま組合運動に参加した方(大阪南運送・岩さん)など、60年代・70年代のたたかいの歴史書を紐解くような話がいっぱいでした。中でも、アサノセメントとの関扇運輸のたたかい(飯と団結の本として残された)を語ってくれた三名の仲間たち(柴田・山中・紙谷三氏)もいて、それぞれのたたかいの話にうなづき・懐かしい話で、若かりし頃の思い出がこみ上げてきました。
今日(当日)も午前中は常任委員会を開催していて、早めに会議をきりあげて参加したという、OB会始まって以来初めてとなる関西支部・長島和眞執行委員長も参加され、今日のたたかいの現状を述べた後「25年前の武連帯の分裂のあの事件が、今、正に再現されている、組合員の生活を守り、業界の安定を図るためにはこのたたかいに負けるわけにはいかない、OB会の皆さんの知恵もお借りしながらたたかいを進めたい」と挨拶して、OB会参加者全員の熱烈歓迎の拍手を受け、秋の例会への全員参加を誓い合いながら、「頑張ろう」を三唱して、この日の新年会を閉会しました。(投稿者・長ア屋勉)
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http://www.ctg-osaka.jp/cgi_bin/topics/index.cgi?mode=detail&id=46
◆企業横断的な運動と組織への挑戦
トラック労働運動の到達点――全自運・運輸一般の闘いを通じて、國分武(元運輸一般・書記長)、産業別組合組織(単産)研究T、労働総研労働組合研究部会ディスカッション・ペーパー、2013年10月、労働運動総合研究所
▽14.12.08
集団的労使関係を基礎とする産別機能の形成――活力ある労働組合運動を創造する運輸一般
運輸一般の組織と機能に関する調査報告について、運輸一般組織機能調査研究会、芹澤寿良(高知短期大学)、寺田博(高知短期大学)、吉田美喜夫(立命館大学)、木下秀雄(京都大学)、名古道功(京都大学)、中島正雄(京都大学)、村中孝史(京都大学)、矢部恒夫(大阪市立大学)、大和田巌夫(高知大学)
T 運輸一般の概要と中央本部の組織と機能――新しい中小企業労働運動 (執筆・芹澤寿良)、賃金と社会保障、1983年9月25日号、874号
1 トラック運輸業と労働者および労働条件の特色
2 運輸一般の歴史的歩み
3 運輸一般の運動路線の特徴
4 運輸一般の組織と機構
5 春闘における運輸一般中央本部の機能
6 運輸一般の中小企業政策と集団的労使関係の確立
U 地域的な集団的労使関係確立をめざす運輸一般兵庫地方本部の組織と機能、(執筆・芹澤寿良)、賃金と社会保障、1983年3月25日号、862号
1 運輸一般兵庫地方本部の組織構造
2 運輸一般兵庫地方本部の基本的課題とその運動
3 運輸一般兵庫地方本部の集団的労使関係の確立と展開
V 運輸一般大阪中央支部の労使関係と組織運営の特徴(寺田 博)、賃金と社会保障、1983年6月10日号、867号
W 地域・業種別労働条件決定と飛躍的組織拡大――運輸一般関西生コン支部(矢部 恒夫)、賃金と社会保障、1983年6月10日号、867号
X 組合活性化への胎動――井住運送支部(名古 道功、中島 正雄)、賃金と社会保障、1983年8月10日号、871号
Y 企業危機と中小企業組合運動――田辺運送支部(木下 秀雄)、賃金と社会保障、1983年9月10日号、873号
Z 運輸一般組合員の意識像(吉田 美喜夫)、賃金と社会保障、1983年9月25日号、874号
[ 運輸一般への研究会からの若干の提言 執筆・芹澤寿良(高知短期大学教員)、賃金と社会保障、1983年2月25日号
▽13/12/12
1960年代の生コン労働者のたたかい――『抵抗』(全自運大阪地方本部全自運関扇運輸支部編、1966年12月)
PDF版
今から50年ほど前、東京では『たたかう労働者のど根性』が発行され、『東京争議団物語』(労働旬報社)がそれを引きつぎ、「60年安保」後の高度成長時代における多くの労働者のたたかいを激励した。
この冊子『抵抗』は、大阪でたたかい始めた「生コン労働者」の闘争記である。その序文をここに引用しておく。
うたれ、たたかれ労働者は強くなる
全自運大阪地方本部中央委員長 柳川恒夫
全自運関闘運輸支部のたたかいは、すでに八○○日をこえを(ママ)長期のものとなった。
寺沢委員長を先頭に、現在も三十数名のわたしたちの仲間が、分裂、首切り、刑事弾圧、企業閉鎖、破産宣告など、およそ資本家と国家権力が組合つぶしや、労働者の弾圧につかってきたありとあらゆる攻撃に屈することなくたたかっている。
わたしは、これら兄弟たちと、苦しい生活をささえて頑張って下さっている家族の方々に心からの敬意と連帯のあいさつを送ります。
関扇のたたかいは、独占資本とその系列、下請のもとにある中小企業、その支配機構をもっとも露骨に示す縮図であります。
アサノコンクリートと日本セメントの至上命令のもとに関扇運輸株式会社は、労務に元警察官をやとい入れ、かずかずの不当労働行為をかさね、それが組合員の団結の力で粉砕されるや、関扇運輸の会社もろともつぶしにかかり組合破壊を策してきたものである。
アサノは、組合活動家の首切り、警察権力をつかっての弾圧によっても組合つぶしができないとみると、関扇社の重役陣の退陣をつめより、上田社長を“自殺”に追いこみ、新たな組合破壊の手段として関扇社を破産させるにいたった。
つまり、関扇運輸はアサノの一運輸部門であり上田社長は、アサノ社の運輸課長か労務課長にすぎなかったのである。
いま、大阪地労委において組合は、大阪アサノを相手方として不当労働行為の追求をおこなっている。
アサノの指導のもとにおこなった「合理化」、組合破壊、首切りの謀議、そのための資金融資など、かくすことのできない事実が多数の証拠によって暴露されている。
関経連をはじめ、資本家団体はこれが労働委員会の事件となることをおそれ「不当労働行為の責任は第三者のアサノ社にない」と地労委の公益委員に圧力をかけ審問をひらかせまいといろんな妨害を加えてきた。
関扇の仲間たちは、二○○団体あまりの労働組合や民主団体に支援と共闘をよびかけ、これとの闘いを組織し、連日のように抗議行動をおこない、丸一年かかって審問をひらかせることに成功した。
関扇のたたかいは、中小企業ではたらく労働者が立ちむかうべき方向をきりひらく上で重要な意味をもっていろ。
一方、大阪府警は、組合の弾圧にのりだし、資本と一体となって労働組合として当然の日常活動である「ビラはり」を「建造物損壊」「不法侵入」とデッチあげ、組合員七名を不当にも逮捕し、一一名を起訴した。組合は、これにも反撃をくわえ、会社が淡路警察署警察官に酒食のもてなしをおこなったり、贈賄をなしていた事実を摘発し告発した。いま大阪地裁ですすめられている公判廷は、まさに被告である組合が検察側を追求していく闘いの場である。
一一年前の関扇の仲間たちは、われわれの周囲のどこにでもみられる、「いい父ちゃん、」「いい青年」であった。かれらは、一カ月に一○○時間もの長時間労働を強いられても、生活のためには或る程度はやむを得ないと辛棒して朝早くから夜おそくまで黙々と働いた。
全面的な「合理化」攻撃は、ざらに苛こくな労働条件を生コン労働者に要求した。かれらは、だまっていては殺されるとこまるで追いつめられ、立ちあがったのであった。
憲法に保障された労働者の団結権を資本家はけちらしてくる。分裂がおこる、さらにかたい団結の必要にせまられる。家庭では生活の問題を解決せねばならぬ、一つの問題を克服するとまたあらたな難問がたちはだかってくる、警察は善良な市民の味方だと思っていたが組合に立ちむかってくる、裁
判所は、明らかに偽装の破産を宣告した。このような闘いの中で吸血鬼のような資本家の真の姿をみた、資本主義のからぐり、戦争の問題、すべてをみる目が闘いの中でみずからのものとなっていく。
八○○日の闘いは、関扇の仲間たちの階級的自覚をよびさましたのである。
関扇のたたかいは全自運の貴重な経験であり、日本の労働者階級の土根性を示したのである。
関扇闘争の位置づけは、当事者の「関西生コン」労組の創世記の歴史として、下記のように位置づけられている。
http://www.kannama.com/new-news/rekisi/siburekisi2.html
関扇闘争のそもそもの出発点での要求は「せめて日曜日くらいは休ませて欲しい」というものだった。組合との間で「日曜休日」協定(64年)があるものの、会社はそれを無視して一方的な指名で日曜稼働を強行していた。親会社のアサノは関扇運輸に対し契約更新をエサに組合つぶしを指示し、以後警察幹部あがりの労務屋の導入、組合分裂・乱立、さらに一組への時間外労働のカット(日干し)攻撃をかけた。そして65年1月一組の9人に解雇が通告された。後に判明した事だが、会社はこの解雇に先立って「退職金、賃金、予告手当」に充当する為にアサノに対し「御融資御願」を提出していた。
関西扇支部は警察OBの労務屋や、「守衛」という形で導入された暴力団の脅しの中で解雇撤回闘争をつづけた。3月には社屋ビラ貼りを理由に7人が逮捕される等、警察と会社が一体となって弾圧がつづいた。
背景資本・アサノに対し勝利/69年10月
だが6月1日、大阪地労委は不当労働行為を確認すると共に、残業停止以降の実損1300万円の支払いを命じた。つづいての会社との交渉でも、@残業停止の解除A9人の解雇撤回が確認された。
ところがその交渉から8日目、6月17日関扇運輸上田社長は国電に投身自殺してしまった。遺された遺書には「アサノの指示によりシュンジュンした・・・」と親会社アサノを非難する文面がかきつらねられていた。社長を失った関扇社は自己破産手続きをして雲隠れしてしまった。
組合は既に「1300万円の未払い賃金」について労働債権として差し押さえていたが、これからの長期にわたるであろう闘争を予測して、失業保険、アルバイトの完全プール制、生活保護と財政面での自立の道を確立して行った。また会社の放置した書類中から会社と警察との贈収賄関係や二組づくりの数々の動かぬ証拠も発見した。
そして関扇倒産の真の黒幕であるアサノコンクリート及び日本セメントへの抗議も執拗につづけられた。地労委審問の場にアサノの代表をひきづり出す事にも成功した。ビラ貼り事件で刑事被告席にひき出された仲間の裁判もついに高裁でも一審の無罪判決が支持された(69年10月3日)。
地労委での不当労働行為の当事者責任がもはや、逃げられない。こうしてアサノは軍門に降った。69年10月21日、関扇支部との間で、@30名の就職斡旋、A協定後2ヶ月間の生活保障、を内容とする協定が交わされた。足かけ6年、1856日間に及ぶ闘いの勝利である。親会社である大阪アサノを解決のテーブルに引っ張り出しての勝利であり、後の「使用者概念の拡大」「背景資本追及」の闘いへとひきつがれていくのである。
ドキュメント作家の今崎暁巳さんは、『めしと団結――たたかう関扇運輸労働者』(1970年6月)を書き、当時の生コン労働者の姿、大阪万博とニュータウン建設に向けた都市ビルド、そこにおける資本と警察一体になった攻撃、そして背景資本=アサノの追及などを描いている。
生コン労働者から市民生協をつくった男
この関扇闘争に参加した「若き柴田光郎」さん(1943年生まれ)は、争議解決後、学習協の運動(『学習の友』の普及など)をすすめ、その後(1977年に)市民生協として、大阪よどがわ市民生協を創設した。
柴田さんは、全国の「産直組織」とネットワークを組み、大阪北部の市民とともに「安全・安心な国産の食」を育て上げるユニークな活動を展開した。
その間、吹田市職・保育運動の住民運動とともに(吹田住民懇など)、市民生協としてまちづくり、コミュニティづくりにはせ参じた。
あの時代から、新しい事業・運動を作り出すエネルギーと可能性を労働者・市民が持っていたことを、若い世代に伝えておきたい。
当時出版された以下の本のなかで、みずからの使命として「協同組合の基本的価値とはなにか――よどがわ市民生協が大切にしてきたこと」(PDF版)を書いている。
『新よどがわ市民生協物語――1000班の組合員に聞きました』(山田達夫・矢吹紀人・柴田光郎著、シーアンドシー企画、1992年4月)
▽13/11/25+12/02
沖電気、日本航空、日立における人間の尊厳のたたかい
――1970年代から1980年代の労働組合運動をになった世代[大企業組合の現状を知るための情報―2]
PDF版としてUP
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△『たたかいと愛と、これからも――短編小説とルポでつづるふたりの五十年』(浅利勝美・浅利正著、一粒書房、2013年4月))
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△『俺たちの翼――巨大企業と闘った労働者の勇気と団結』(土井清著、文芸社、2003年4月)
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△『明日へのうた――語りつぐ日立争議』(戸塚章介、大月書店、2001年12月) |
このサイトでは東京争議団、千代田総行動(のちに東京総行動)、総評全金の北辰電機などにかかわった人たちと労働組合を紹介してきた。
今回は社会の矛盾を肌身で感じて社会運動としての労働組合運動をになった人たちの本を3冊、ご案内する。
1冊目は『たたかいと愛と、これからも――短編小説とルポでつづるふたりの五十年』(浅利勝美・浅利正著、一粒書房、2013年4月)
1978年11月、沖電気で起こった会社側の「企業競争に勝ち残れない」と、従業員の一割にあたる1500名の首切り合理化とつづく指名解雇事件があった。
当時の状況を今崎暁巳さんは『何をみつめて跳ぶのか――沖電気指名解雇をこえて』(労働旬報社、1980年)で、「血の入れ替えを行おうとする会社の姿とその若き労働者への指名解雇の姿」を描いた。
浅利正さん(1959年秋田県角館高校定時制卒)は職場の中から、争議を支援したことから仕事を干され、「仕事を取りもどす訴え」を東京都労働委員会に起こし、3年余にわたるたたかいで仕事を取り戻した。
みずからもルポとして「小さな背中で見つづけたもの」などを書いている(初出は下記のルポ同人誌、本書所収)。
さらに浅利さんは“1978年秋、中央労働学院の「ルポルタージュ教室」に学んだ。その時の主任講師が今崎暁巳先生だった。その年の11月、私が勤める沖電気が大量の指名解雇を強行した。今崎教室の受講生で沖電気争議団の事務所を訪問取材し、教室終了後も勉強を続けようと「現代ルポルタージュ研究会」を設立。機関誌創刊号で「特集沖電気争議」を”発行し、同人メンバーと現在『たたかいのルポルタージュ』を15号(2011年)まで発行し続けている。
同誌の13号に浅利さんは「定年退職の日」(同書所収)を書き、そのあとがきに、私の大先輩の文が掲載されている。
筆者の「柳さん」は、先に紹介した『たたかいのルポルタージュ』編集長として尽力し、高度情報社会・大量消費社会・企業社会に振り回されない生き方を創造するために、文化・コミュニティ・人間としての絆づくりの視点から、一人ひとりに分け隔てなく、さまざまな編集プラン・企画・構成を語りつづけていた。
人間を人間らしく扱え・まともな労働を
柳沢 明朗
いわゆる「一人争議」として、このことを主張して差別され続けた浅利さんが、節を曲げずに誇り高い労働者の働き方を掲げきって定年退職を迎えた。人間の尊厳、人格の尊重を根底にすえた近代社会の人間関係、働き方、職場や労使関係を提起した労働人生の完結だった。
二〇世紀の価値観を時代と企業社会に打ちつづけた技術者・労働者魂を尊敬せざるを得ない。
退職の日に出会う元同志。仲人もしたという同志が裏切り″代価として得た出世。その管理者との出会いを淡々と描く退職の日に「ご苦労さん」と涙が滲んだ。なんという人生の違いだろうか。小倉さん〔小倉寛太郎=「沈まぬ太陽」のモデル〕の場合も、働き手を分断していく資本の悪しき衝動の手先が登場するが、酷似した事実に怒りが湧く。
共通した点をもう一つみた。狂気のような異常な外地たらい回しの先々で、人の絆を作りサバンナクラブなどで、仕事を起こしていく小倉さん。同じく流罪先の職場での「仕事をしないことが仕事」の仕打ちのなかで、技術者魂を発揮して、独学で身につけたパソコンを駆使して基板設計実績データの整備をする浅利さん。その五年が誇りだという。次の担当者に引き継ぐときの「浅利さんは天才だ」という継承者のコトバが、自己の技術・労働の主人公となって創造した働き方の評価を示す場面でうれしい。
小倉、浅利、松謙さん〔沖電気争議団事務局次長〕の三人の姿は、人生丸ごとをかけて、企業社会の論理に人間の論理を打ち込み、対峠したものだといえよう。これこそ、西ルポがいうように「近代の普遍的価値である人間の尊厳」の実現への挑戦にほかならない。
もともと「おれたちは奴隷ではない。人間だ」という権利主張が団結の土台だ、労働運動だと、いわれ信じてきていた。英国で「組合を裏切ったことがあるか」と問われた、破廉恥な犯罪者が「オレはそれほどの悪人じゃねえ」といったという話を授業のなかで聞かされた。
この燃えるような権利感情に打たれて生涯を労働法を商売にして食ってきた。だから三人の生涯、価値観に感動し、励まされる。
仲間とともに生きる三人の人生・存在がなかったら、これらの問題提起や考え方、価値観が観念論、卓上の空想、願望になってしまうところだった。幸いなことに私は、夢のように描いていた労働法、労働運動が持つ役割、機能を手にしたり、見たりできた。しかも、誇るべき友人として、わが人生の価値の証として持つことができた。その継承のための価値の発見・確認と表現が今回の特集号の質ではないか。
沖電気争議の特集で出発し、ともにルポし記録し続けたこの雑誌だからこそできることだと思うし、何よりの浅利さんへの記念号だと思う次第だ。(元労働旬報社社長・「現代ルポルタージュ研究会」顧問)
(『たたかいのルポルタージュ』一三号「あとがき」 二〇〇〇年三月)
▽追加(2013.12.06)
柳澤明朗のページ
特筆すべきことに『たたかいと愛と、これからも』は、前半が浅利勝美さん自身の生活リアリズムにもとづく、「短編小説集」だ。
あるページに「職場のなかでのたたかい、裁判、そして経済的苦労とさまざまあったが、子育てのうえでの苦労があまりなかったのは幸せなことだった」と書いてあった。
イクメンと呼ばれる時代には、まったく不向きな男たちの姿も描かれている。
私が書いておきたいと思った、「1960年代に社会変革をめざした、一人の生活者の人間として女性としての姿」も随所に描かれている。ぜひ御一読を。
2冊目は『俺たちの翼――巨大企業と闘った労働者の勇気と団結』(土井清著、文芸社、2003年4月)
本書は、日本航空に入社し、「長時間労働に反対し、職場の人間関係における対等性をもとめ、会社側の一方的で恣意的命令・仕事はずしなどとたたかい、みずからの人生と労働組合の意味を描いた本」である。
土井さん(1935年生まれ)は高卒後、社会の矛盾に気がつき、人間の尊厳を目指した姿を「【『沈まぬ太陽』が話題になったとき、日航労組は結成五〇年を迎える】という題して、「私の生涯の中で、四〇年前に、不当配転で強いられた釧路の生活がなければ、この歳になって高度経済成長下の企業とはなんであったのか、という問題を真剣に考えることもなかったかも知れない。もちろん労使関係について、若いころから自分なりに考えたり、日航労組の仲間たちと議論も交わしてきた。しかし自分の半生を通じて、改めてこれらの問題について考えてみようという気持ちになったのは、釧路の辛い体験が心に焼きついていたからだ。定年になって職場を退いた後、私は組合活動の経験を生かして、賃金差別撤回闘争に関連した裁判や争議の支援を続けている。その中で私が常に耳にし、また常に自分に向かって眩いてきた言葉がある。
「企業とは一体なんだ? 人間の可能性を破壊していくところなのか?」
これはわれわれ高度経済成長の時代に生きた世代に共通した難問にほかならない。しかし、実際に自分たちが生きた時代がどういうものであったのかを把握するには、自分の体験を想起しながら答えを探っても、そう簡単にできることではない。抽象的な世界を具体化して理解することは、それほどたやすいことではない。まして戦後日本という時代背景が加わると、きわめて複雑な様相をはらんでくる。
私がそんなもどかしさを感じているとき、日本航空を舞台にした山崎豊子さんの小説『沈まぬ太陽』の連載が『週刊新潮』で始まった。一九九五年一月のことである。企業戦士の左遷がひとつのテーマとなった作品だったので、私はまるで自分のことのようにこの小説をむさぼり読んだ。小説の記述の中に、四〇年前の日本航空と自分の姿を探そうとしたのだ」と綴っている。
前書きでは、土井さんがおかれた位置(数多くの同時代に生きた労働者・サラリーマンの仲間)を次のように描いている。
「日航労組が政界・財界の猛攻を受けた一九六〇年代から七〇年代にかけて、実は他の大企業でも同じことが起こっていた。具体的な名前を挙げるなら、東京電力、雪印乳業、日立製作所、明治乳業、石川島播磨、凸版印刷など。まず労働組合活動への 「インフォーマル」組織を使っての介入、組合の乗っ取り、それに屈しない者に対する貸金・昇格差別、解雇、それに配転などが労働者の上に襲いかかったのだ。これに抗して地道な反撃が開始された。そしてその闘いは現在まで続いているものもある。」
本書の柱立ては、つぎのとおりである。
目 次
前書き
第1章 わが心の釧路
第2章 消えていった海岸線
第3章 小倉執行部の輝き
第4章 嵐の前夜
第5章 隔離政策
第6章 配転事件の全面勝利
第7章 Nの謀略
第8章 労働運動の攻勢
第9章 賃金差別撤回闘争に勝利
第10章 二人の経営者
第11章 高木社長の膿罪
終 章 高度経済成長の光と影…
後書き
土井さんは「本書『俺たちの翼』は、多くの飛行機好きの仲間が日本航空に入社し、真面目に働き、低い労働条件の向上のために立ち上がった仲間たちの闘いの物語です。しかし巨大企業はその労働者たちを分断し、差別し、隔離し、苛めつくしました。でも私たちはその攻撃に負けることなく、労働組合に結集して普通に、元気に生きてきました。」と書いて本書を締めている。
編集子がびっくりしたのは、「第7章 Nの謀略」だ。巨大企業における労働スパイとしての謀略か! 映画のワン・シーみたいだ。
3冊目は、『明日へのうた――語りつぐ日立争議』(戸塚章介、大月書店、2001年12月)
著者の戸塚さん(1937年生まれ、元毎日新聞労組・新聞労連出身、元東京都労働委員会労働者委員)は、現在でもブログ「明日へのうた――労働運動は社会の米・野菜・肉だ。」で健筆を振るっている。
http://blogs.yahoo.co.jp/shosuke765
本書の日立争議の主人公たちは「残業拒否解雇事件の田中秀幸。中研賃金昇格差別事件の一二人。男女差別事件の五人。東京賃金昇格差別事件の四人。愛知賃金昇格差別事件の三人。茨城賃金昇格差別事件の一七人。提訴外で共同要求団に加わった三二人。茨城関連会社賃金昇格差別事件の四人。関連会社の提訴外者五人。合計八一人(男女差別事件の五人中二人は中研事件と重複)」だ。
前出の浅利正さんも『民主文学』(1992年7月号)で「日立・田中裁判のあとさき」(同書所収)を描いている。
日立争議団の皆さんがどのような人たちなのか、本書では、本文中にカッコ内に出身学校を明記している。第1章「青春」、第2章「活動」から順に拾ってみた。
「中川進悟(都立北豊島工業高校卒)、塩沢正夫(都立中野工業高校卒)、日立工業専門学校、大川武宏(国分寺市立中学卒)、技能者養成所、日立武蔵女子高等学園、佐竹光生(愛知県立岡崎工業高校機械赤卒業)、永井孝二(中卒、日立工業専修学校)、赤川博(北海道立穂別高等学校卒)、渡部則男(北海道立下川高校普通科卒)、馬場豊彦(福島県立平工業高校卒)、宮尾則伸(都立本所工業高校卒)、中村治郎(福島県立川俣高校機械科卒)、斉藤久男(埼玉県立秩父農工高校卒)、植木日出男(兵庫県立龍野実業高校電気科卒)、大内健次(茨城県立大子第一高等学校卒)堀啓一(山形県立酒田工業高校卒)、堀口暁子(都立武蔵高校卒)、酒井清志(長野県立長野工業高校卒)、高野勝義(埼玉県立熊谷工業高校卒)、鈴木正彦(中卒、日立工業専修学校)、真坂秀男(秋田県立矢島高等学校卒)、飯田武(日専校卒)、青田正芳(福島県立相馬高等学校卒)、井川昭雄(長崎県立長崎工業高校卒)」と。
日本の大企業は、高度成長期に全国の農村部(都市郊外エリアも含めて)から優秀な子弟を北から南から集めて、資本蓄積(会社規模の巨大化、グローバル産業としての対外進出の原資)と大量生産・大量消費のい担い手を培ってきた。
その企業社会の変化・発展がひきおこす矛盾を一身に受けた世代が、上記に書かれた労働者階級の面々なのだ。だから戦後2回目の資本の苛烈なる攻撃を受けた、当事者だった。
最後のインフォーマル組織による組合活動家差別事件で、現在もたたかっている明治乳業労働者の姿と、まったく共通するものだ。
「インフォーマル組織の過去・未来」のページ
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/informal.htm
明治乳業争議団員リポート記
また「日本の農村に貧困化がなくなった」と書かれた岩波新書『戦後史』(中村政則著、2005年7月)が描いた時代の前の出身者なのだ。
その後の「受験社会・競争社会の主人公」として人生を出発し、大学生17パーセントの「団塊の世代」の「高度消費社会」を受容し、企業社会への埋没する人生観とは、根本が違っていた。
文部科学省 進学率/年度大学生数推移
本書では、このように語られている。
「日立争議団の多くは、一九四〇年から四五年、昭和でいうと一五年から二〇年の間に生まれている。一九四五年は日本がポツダム宣言を受諾し、連合軍側に無条件降伏した年である。これで第二次世界大戦は終息した。戦争が終わった後の数年間に生まれた世代は、成長して「団塊の世代」と呼ばれるようになったが、日立争議団はそれよりさらに若干さかのぼった世代である。
日立争議団の多くは戦争の末期に誕生し、幼年期を戦後の混乱とひもじさの中で過ごした。戦争は彼らの両親のような庶民の家庭生活を圧迫し破壊すると同時に、民主主義と個人尊重の思想を根こそぎ否定した。生活の破壊と民主主義の否定は戦争という同じ根っこから発生している。争議団員たちは幼年期に戦時体験をした最後の世代として、民主主義と個人重恩想の大切さを幼い頭に刻みつけて育った。
そして彼らは教育基本法に基づいた新しい教育制度の下で小学校に入学する。四七年三月に公布された教育基本法は、前文・第一条で教育の目標を「民主的・平和的人間像」においた。さらに、教育の機会均等(第三条)、教育行政における不当な支配の排除(第一○条)を明記した。これは主権在民をうたった新憲法の精神であり、民主主義の徹底と個人の尊重を何よりも大切にしたものであった。後に日立争議団を形成することになる彼ら少年少女たちは戦後民主教育の躍動期の中で学び、「民主主義と平和」「世人の尊重」の思想を心に根づかせて学校を卒業した」
社会運動史・労働組合運動史の側面から、また会社(資本)の側の苛烈なる攻撃対象になっていった背景を、次のように語っている。
「六〇年安保闘争は、日本の大企業にとつても彼らなりに学ばされることが多かった。戦後急激に昂揚した労働運動は、二・一ゼネストの挫折、松川・三鷹などの謀略事件、レッドパージ、大型争議の鎮圧などであらかた沈静化した。労働運動の指導組織も「産別(会議―編集子)」が崩壊し、五〇年の総評誕生に見られるように反共的労使協調型労働組合が主導権を掘った。経営者たちはほっと一息ついていた。
そこへ降って湧いたような六〇年安保闘争だ。息の根を止めたと思った労働運動が政治闘争化して復活した。なかでも経営者たちを震え上がらせたのが、大企業で働く青年労働者たちの台頭だった。青年労働者は高度経済成長を支える大量生産・大量消費の担い手だ。彼らが労働組合に理想を求め運動を活発化させるのは大企業の経営者にとって死活問題に思えた。
大企業の経営者は青年労働者を労働運動に駆り立てている元凶は、日本共産党とその青年組織の民主青年同盟 (民青)だと決めつけた。共産党・民青の影響力を労働組合や職場活動から排除することが労使関係の安定、ひいては企業の繁栄につながると考えた。この大企業経営者の不安に悪乗りして、共産党・民青を今にも会社をつぶし暴力革命を企てる赤鬼集団のように描き出す反共グループや労務屋が横行した。どこの会社でも競って彼らが主催する反共講座等に人を送った。そしてますます共産党・民青に対する恐怖心と敵愾心を植えつけられて帰ってきた。それは実態がデフォルメされた虚像だったが(中略)。
本書は、高度成長期、その後の社会変化の中で、一人ひとりの社会変革への願い、職場の民主化、賃金・労働条件への同権化へむけた取り組みと、会社のさまざまな「隔離・差別政策」・解雇攻撃、男女差別政策とたたかい、長期にわたる争議を経て、2000年9月に和解した姿を描いている。
▽13/11/10+11/14
大企業組合の現状を知るための情報―1
富士政治大学で青年組合員のマインドコントロールを実行している「大企業組合」の一覧を「ある編集者のブログ」にUP。
大企業組合としてフォーマル化したインフォーマル組織
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-d631.html
「T平成25年度の事業計画について」(公益財団法人 富士社会教育センター)
http://www.e-fuji.or.jp/file01/h25keikaku.pdf
『もう一つの鉄鋼労働運動史―人間らしい働き方を求めた闘いの記録』、発行NPO法人労働者運動資料室、発行者 鉄鋼労働者協会。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/myweb1_270.htm
ブラック企業へ物申し、非正規労働者の組織化に奮闘している青年たちにも、これらの一つひとつの「労働組合乗っ取りの過程」を学んでほしい。
▽13/08/24
ブラック企業とたたかう首都圏青年ユニオン PDF版
ブログ・すくらむ――国家公務員一般労働組合、国の機関や関連法人の非正規職員と正規職員の労働組合のブログ、2013年08月22日 11:57
秋田書店にブラックジャックのメスを――ブラック企業とたたかう首都圏青年ユニオン、山田真吾事務局長
◇2013年8月22日
首都圏青年ユニオン声明、 秋田書店「見解」はブラック企業の開き直りである、首都圏青年ユニオン執行委員長・武田敦
http://www.seinen-u.org/akita-saiban.html
秋田書店にブラックジャックのメスを - ブラック企業とたたかう首都圏青年ユニオン山田真吾事務局長
http://blogos.com/article/68615/?axis=&p=1
DVD『ブラック企業にご用心!―就活・転職の落とし穴』と解説集
PDF版
▼本編中に出てくる事例やキーワードについて解説し、補足となる情報を掲載した資料集です。ぜひご活用ください。
【作品の構成】
・ ドラマで考えよう、ブラックコーポレーションの「研修」
・ 業界・企業研究@ ワタミフードサービス
・ 業界・企業研究A フォーカスシステムズ
・ 業界・企業研究B SHOP99
・ 業界・企業研究C ウェザーニューズ
・ 「研修」はテスト
・ アルバイトブラック経験談
・ 識者によるブラック企業分析
・ ブラック企業とたたかうには
資料集目次
ブラック企業にご用心!
本編出てきたキーワード
コラム「労働は商品ではない」
ブラック企業チェックシート
ブラック企業事件簿
コラム「“社会”は“経済”の中?」
図で見るブラック企業の背景
コラム「こんな働き方も」
労働相談窓口
資料集のPDF
http://www.parc-jp.org/video/sakuhin/black.html
◇PARC:パルクとは
特定非営利活動法人 アジア太平洋資料センター(通称PARC:パルク)は、南と北の人びとが対等・平等に生きることのできるオルタナティブな(今のようでない、もうひとつの)社会をつくることをめざしています。
世界からの情報の収集や発信、研究、自由学校を中心とした教育、さまざまな講演会やワークショップ、政府や国際機関への政策提言活動など多様な市民活動を行っています。
わたしたちは、自分が変わることで日本の社会が変わり、南の人びとと共に生きていける社会ができると考えています。 世界の多様な人びとと国境を越えて出会い、考えや視野を広げるようエンパワーしあい、ネットワークを広げるための媒介役となることをめざしています。
特定非営利活動法人アジア太平洋資料センター(PARC)
〒101-0063 東京都千代田区神田淡路町1-7-11 東洋ビル3F
TEL:03-5209-3455 FAX:03-5209-3453
Email:video@parc-jp.org HP:www.parc-jp.org
★ブラック企業大賞 2013 受賞企業一覧★
2013年8月11日、「ブラック企業大賞2013」授賞式を開催いたしました。
ノミネート企業8社から、以下のとおり大賞・各賞を決定し、「表彰」させていただきました。
【大賞】※一般投票賞とのダブル受賞
ワタミフードサービス株式会社
【業界賞】
アパレル業界:クロスカンパニー株式会社
【特別賞】
国立大学法人 東北大学
【教育的指導賞】
株式会社ベネッセコーポレーション
▽ノミネート企業
ワタミフードサービス株式会社
株式会社クロスカンパニー
株式会社ベネッセコーポレーション
株式会社サン・チャレンジ(ステーキのくいしんぼ)
株式会社 王将フードサービス(餃子の王将)
西濃運輸株式会社
東急ハンズ株式会社
国立大学法人東北大学
http://blackcorpaward.blogspot.jp/
▽13/08/13
建設一般の1990年代の産業別一般労組づくり (PDF版)
「膨大な未組織労働者をどう戦列に加えるか」(特集・現代労働組合の基本的課題、酒井謙弥、労働運動総合研究所、季刊労働総研クォータリー、1996年秋号、No.24)
▽13/08/07
『追悼文集 内山光雄さんを偲ぶ』 (PDF版)
北陸鉄道労組・私鉄総連出身の労働組合リーダーの内山光雄さん(2010年没)の追悼文集をここにUPしたい。
『追悼文集 内山光雄さんを偲ぶ』(2012年11月19日、「内山光雄さんを偲ぶ」編集委員会、総評退職者会気付、03-3251-0311)
目次
内山さんのことども 兵藤 サ
生涯の教師としての内山光雄さん 高木郁朗
大地を踏みしめた天与のオルグナイザー 山本 博
『職場の労働運動』のこと 小松義雄
地域闘争に遺した偉大な足跡 粟森 喬
職場活動こそ人間がいる 渕上貞雄
内山光雄さんのご逝去を悼んで 越田智宏
追悼の辞 渡邊國衛
道南バス会社更正法下の闘いと組合員読本づくり 大谷浩
職場総点検運動 井田隆重
面白うて やがて身に泌む 内山節 高橋征夫
内山光雄さん追悼 高橋 均
自主管理社会の原典を学ぶ 佐々木啓之
観光労連育ての親、そして上司として 北岡孝義
“職場”と“人間”に徹した指導者 瀧井葉二
感謝の言葉 在り日を偲んで 内山一枝
評伝として『はじめに人間ありき―内山光雄と戦後労働運動』(池田 実・前川 清治著、労働教育センター、2002年)がある
▽13/07/24
深見謙介(鬼窪健次)さんの仕事 (PDF版)
下記に「石垣辰男(電機労連調査部長)さんの仕事」をUPしたが、『金属労働研究』、金属労働運動研究所、1998年7月・第34号と1998年9月・第35号に「深見謙介(鬼窪健次)さん」の業績が掲載されていた。
ペンネームの深見さんには、大昔、こちらが労働雑誌担当の編集者時代、たいへんお世話になった方だ。
とにかく具体的な論点を探しながら編集していたわけだが、春闘が旺盛に取り組まれた1970年代から80年代にかけて、時代にぴたっとはまったテーマが「賃金体系」をどうするかという大きな争点があった。
深見さんは、一貫して現場から分析し、労働組合へ問題を整理して、提案を行っていた調査マンであり理論家だった。
PDFで読めるように、国立情報学研究所 、NII「CiNii」で調べた業績に、同誌で後藤實さん(元全国金属)が調べた2回にわたる「鬼窪健次氏著述目録、草稿――鬼窪健次、深見 謙介 著書・雑誌論文一覧」を編集して掲載する。
深見さん(元鉄鋼労連→統一労組懇自治体協議会→全労連)がお亡くなりになったのは、1991年ということだ。
この当時、編集子は、大阪の小さな市民生協の生活文化情報誌『PROSUME』の編集をしていて、日本全国の農業生産者(百拾いの人たち・下郷農協の奥組合長の弁)・土に生きた人びとを追いかけていたので、後年知った。
深見さんのかかわって書きとめておきたいことは、会社の大先輩・木檜哲夫さんとたいへん親密な編集者と著者の関係があった。
このお2人で出版した本が3冊ある。
『現代中高年問題と労働組合―定年制・退職金・賃金・雇用の実務』(労働旬報社、1980年)と『賃金体系と労働組合』(上・下、高木督夫共著、労働旬報社、1974年)
ご両人とも鬼籍に入っているが、深見さんの仕事から若い世代の人も、学んでほしい。
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▽13/07/20
石垣辰男さん(電機労連調査部長)の仕事
芹澤寿良さん(高知短期大学名誉教授)から1冊の本を借りた。
『労働組合運動に生きる――石垣辰男の仕事』。
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故石垣辰男さん
編集子が労働関係の雑誌編集を行っていたのは、1970年代半ばから1980年代中ごろまでだ。
その時代は、総評・中立労連・同盟が主たるナショナルセンターだった。その傘下に「単産」という組織、鉄鋼労連・電機労連・私鉄総連・ゼンセン同盟などがあった。
不思議なことに各単産には、「名物書記さん」(こちらが命名)がかならずおり、企画の相談や労働組合に必要な情報のサジェスチョンをいただいた。そのお一人が「石垣辰男さん」(電機労連調査部長、1928年〜1994年)だった。
当時、電機労連はJR大井町駅から歩いて10分ほどのところに所在していたが、周りが珍しい「三業地」であったと記憶する。
電機関係の職場について、その労働と状況を書いてもらいたいとたびたび通っていたが、明電舎や安川電機、ソニー(この当時も少数派)などの現場労働者で原稿を書ける人の紹介をしてもらった。
また各単産の調査部のメンバーのまとめ役の一人であったので、「個別賃金・労働条件総覧」という企画プランニングをしてもらった。
「電機労連の研究」については、藁科書記長などの窓口になっていただき、その歴史や調査活動をまとめていただいたこともある。
石垣さんは、その精神の真ん中に「反権威で反骨の人」だったのでペンネームで数多くの論攷を書いており、こちらがその論文を読んで聞くと「ニヤ」としていたのを記憶する。
本サイトの別のページ(「それぞれの労働組合運動・史論」)にUPした論文は、そのペンネームの一つで書かれたもの。
わが国労働組合の組織問題、『現代の労働と生活V 労働組合の民主的変革』、深井龍雄(黒川俊雄編、1985年3月、労働旬報社)
石垣さんは、ヨーロッパの労働組合を勉強しており、1980年代には複数労働組合を自明の論としていた。その論理を「労働組合選択の自由」として書いてもらったが、社内外の軋轢で、なんだか分からない原稿になったことがあった。
いまでも残念至極だ。
お亡くなりになった後、 『労働組合運動に生きる――石垣辰男の仕事』(労働経済研究所編、光陽出版社、46判上製、1994年11月)を友人などが出版している。
その目次を別掲したい。
すべてを紹介したいが、「ある機械工の職業的生涯」をUPしたので、読んでほしい
また学生時代に早稲田大学で学生運動をたたかった友人の芹澤寿良さん(高知短期大学名誉教授)が、その思い出記を書いている。
「全学協の結成と学生選挙権闘争を中心にして――1950年反レッド・パージ闘争以後の早大学生運動」(本論文の11ページ参照)
▽13/07/13
レポート労働運動研究(1号) (WORD版)
労働運動研究フォーラム、2013年6月28日発行
先週(7月4日)、下記事務局から4月20日〜21日、東京・全水道会館で開催された「労働運動研究討論集会」のレポートを送っていただいた。編集子は趣旨に賛同したいので、ここにUPする。
そのレポートの中に掲載されている、「労働情報」の発信した記事をまず読んでほしい。
「労働情報」(2013年5月1日&15日号)
4月20日〜21日、東京・全水道会館で「労働運動研究討論集会」が開催された。全港湾・伊藤委員長、国労本部・石上委員長、大阪ユニオンネット・垣沼代表、都労連・武藤委員長など13人の呼びかけに応え、1都2府13県から16産別などの活動家約150名が参加した。
かつて労働戦線の右翼的再編に反対した労働運動研究センターの流れをくむ「労働運動研究フォーラム(略称=労研フォーラム)」を中心に、今回の討論集会は企画され、スローガンには、運動の方向性を示す意味で「正規・非正規の連帯で、原発も貧困もない平和な社会を切り開こう」と掲げられた。
もとより労働組合の社会的影響力低下は顕著であり、労働運動の再生は容易ではない。集会参加者の平均年齢はかなり高く、男性ばかりが目立ったことが、世代交代の困難さを含め、現下の危機的状況をあらわしていた。しかし「公務職場」「非正規」「地域労働運動」の3つの「現状と課題」などでの発言は、現場の運動を踏まえた内容のあるものが多く、特別報告の沖縄と原発・除染労働を加えれば、発言者は27名を数えた。その中には新聞労連や首都圏青年ユニオンなど、潮流を超えたものもあり、新たな拡がりも感じさせられた。
もちろん連合の評価やコミュニティ・ユニオンや企業別労働組合の位置づけ、さらには非正規労働者へのアプローチなど、立場や運動スタイルの違いも散見された。しかし、今こそ何とかすべきであり、そのためには手をつながなければならない、との強い意欲もあふれていた。
基調的提案を行った伊藤委員長は、集会のまとめで「かつての右翼的労戦統一反対のような『結集軸』は見出しにくいが、このままでは労働組合が失われかねないとの危機感は共通している。それぞれの職場や地域で何が起きているのか、企業の壁を越え、知ることから自らの変革も生まれる」と集会のまとめで述べ、継続的な開催と「レポート労働運動研究」の定期発行による情報交流を強く訴えた。
▽事務局「労働運動研究フォーラム」
東京都荒川区東尾久3-1-12
電話・FAX 03-3894-6620
メール r_kenf 2013@yahoo.co.jp
http://www.rokenforum.jimdo.com
■郵便振替 0140-7-485511
労働研究フォーラム
■中央労働金庫 一ツ橋支店
▽13/05/30
ある国鉄労働者のメッセージ
ユニオンみえは労働運動の次のステージに向け前進しよう
国鉄労働組合 四日市分会分会長 市川 智
地盤沈下する労働組合
労働組合の組織率がまたもや史上最低を更新した。率にして17.9%、1000万人を大きく下回り950万人少々である。連合、全労連、全労協など日本労働運動に大きな影響力を発揮すべきナショナルセンターの全てが組織を小さくした。労働者を取り巻く状況は「格差社会」の下で貧困化が増々進み、年収200万円以下の「ワーキングプア」と言われる労働者は1000万人を超えた。正社員になれない非正規雇用の労働者が35%を超えた。こんなに労働者を取り巻く状況が過酷でも労組の組織率が減少する。私が青年の頃には、こんな状況であれば街のあちらこちらに労組の赤旗がたなびき、鉢巻きや腕章をした労働者を見かけるのも稀ではなかっただろうにと、つい思いをめぐらしてしまう。
労働組合はなぜ信頼を失ったか
それほどまでに光を失った労働組合に至った原因は何か。
そのことを語るには、敗戦後の労働組合の結成過程から多くのことを語らなければならないが、少し乱暴で短絡的な言い方になるが、企業内大労組は結果として、権力・資本の狙い通りに、企業の利益や生産性を上げる見返りとして組合員にそのおこぼれを少々授け、他の企業の労働者より少しマシな生活を享受させる事を労組の役割とした。
労働組合の精神性と言える共生、共同、連帯、団結、仲間意識といった価値観とは正反対の利己主義、個人主義、排外主義、拝金主義という偏狭で対極にある価値観を労組自らが選択してしまったことに他ならない。こうして労働組合としての魂を資本に売り渡してしまったのだ。
企業別に組織された労働組合はこの様な「労使一体」へと変質をする危険性を常にはらんではいたが、まだ労働運動それ自体が健全な時代には政治闘争や地区労、地域労働運動へ足を向けることで、何とかその健全性が保たれていた。今そうした「つっかい棒」が無くなって、堕落し色あせてしまった。過労死や過労自殺の裁判に労組役員が「そのような過労の事実はない。故人が弱かっただけ」と会社側証人として言うに及んでは誰も労組など信用しなくなる。(全ての企業内組合がこうした状況にあるわけではない)
ユニオンみえに期待する
私はかつて愛知全労協の議長時代、県下のいくつかのユニオン運動にかかわってきた経験を持つ。その折から感じていることだが、労使一体大労組に見殺しにされてきた非正規労働者や外国人労働者、解雇された労働者、賃下げ、不当配転、いじめ、パワハラ、セクハラ、労働災害に被災した労働者などいわば行き場のない労働者を組織し闘うユニオンの先進性には今も大きな期待を寄せている。
その一方で、自分の争議が解決すると、さっさと組合を後にする多くの組合員を見て、先の大労組の利己主義や個人主義と相通ずるものを何か感じてしまう。確かに短い闘いの中で、組合の「く」の字も知らなかった相談者を組合活動家に育て上げるのは困難かもしれない。しかしそれぞれの闘いの中で当事者や周りの組合員が変わる事が出来なければ、どれだけ争議に勝利しても組合の力は以前のままである。
職場に組合員が留まり続け、たとえ職場が変わっても組合員であり続け、そこで仲間を組織し職場や地域に力を発揮していく。そうした持続的でユニオンの力の及ぶ職場や拠点づくりの努力がユニオン運動を次の労働運動のステージに押し上げていくポイントだと私は感じている。
今やユニオンみえは組合員600名を有する東海地区最大の個人加盟の労働組合に成長した。組合役員・組合員の皆様の苦労と努力には頭の下がる思いである。最後に私も引き続く支援と連帯を約束したい。
===UNION Mie===
ユニオンみえ(三重一般労働組合) ――1958年結成。三重県の個人加盟制労働組合。
ひとりでも、パートでも入れる、頼りになる労働組合です。
http://homepage3.nifty.com/union-mie/
相談無料・秘密厳守
TEL: 059-225-4088 FAX:059-225-4402
e-mail: QYY02435@nifty.ne.jp
〒514-0003 三重県津市桜橋3丁目444
地図→ http://homepage3.nifty.com/union-mie/page05.html
ユニオン三重のブログ
http://unionmie.blog.fc2.com/blog-entry-334.html
2013.Saturday 01 26
▽13/05/04
国鉄闘争と労働界再編で学ぶこと
――原題と同じ、元長崎国鉄共闘会議議長・中島義雄(郵政ユニオン長崎)月刊「科学的社会主義」(2012年4月号) (PDF版)
お会いしたことがないが、「ユニオンショップとみずからの選択」をまとめているのを読んで、このような組合リーダーがいるのを知って、別のページにUPしておいた。
ユニオン・ショップ制を超える
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/120112yunionsyopu.htm
その後、長崎市議会議員 井原東洋一さんから「ある編集者のブログ」に、「郵政産業労働者ユニオン九州地方本部結成大会の紹介」が寄せられた。
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/zenrouren.htm
井原東洋一さんのブログ――「ここはトヨさん出番です」
中島さんは、「国鉄闘争」をふりかえりながら、冒頭の文章で次のように書いている。
《本誌から国鉄鉄闘争の総括文の寄稿を依頼された。国鉄闘争の当該でもなく、かつ全国闘争も未熟なことから一度は断ったが、「それでも」ということで、私的な、@、長崎の、A、郵政労働者ユニオンの、B、長崎国鉄共闘会議の立場で、「次に何をなすべきか」という視点で、書かせていただきたい》
そして、《長崎の現状である。長崎の全労協は形式的には国労、三菱長船労組と郵政ユニオンであった。しかし、国労と長船は長崎全労協には参加していない。国労長崎はすでに闘争団が国労を離れ、企業内組合員だけとなり少数派だ。長崎駅構内にある組合事務所の退去を3 月までに求められ、国労の長崎市の拠点が消える。またもう一つの長船労組(第3 組合)も三菱長崎造船所から現場労働者がいなくなる。全労協労組の長崎の今後は展望が薄い。しかし、郵政ユニオンは、結成当時、部内はもとより地域でも「分裂主義者」と批判されたが、最近は地区労にも加盟し、地域労働運動の一員として闘えている。昨年作られた「郵政ユニオンの差別を許さない支援共闘会議」には、地区労などが支援をしてくれており、かつてほどの村八分はなくなった》と記す。
さてこれから、どのようにすすんでいくのか。
元総評系労働組合リーダーが呼びかける運動継承の文書
▽13/03/29
故岩井章さん(元総評事務局長)が組織した国際労働運動研究会は東京駅八重洲口を出て、飲み屋街の一角のビルにあったのを記憶している。
その岩井さんなどの流れをくむ労働組合運動リーダーの呼びかけの文書が、インターネット上、手に入った。
レポート 労働運動研究(準備1号)――2013.1.25 発行/労働運動研究フォーラム
1 「労働運動再生のための討論会」の開催に向けた懇談会
経過報告と問題提起 共同代表 伊藤 彰信
2 労働運動の現状と課題 共同代表 中岡 基明
3 地域労働運動の再生と課題 市原地区労顧問 鳰川 静
【同文書から】有志懇は、岩井章氏が亡くなった後、吉岡徳次、中里忠仁、中小路清雄、吉原節夫先輩達を中心に研究会を続けられて来ましたが、吉岡先輩も2005年亡くなり、諸先輩方も高齢になられたこともあり、2010年8月に先輩方のアドバイスをうけ名称も変更し、共同代表 伊藤 彰信(全港湾委員長)、中岡 基明(全労協事務局長)、事務局長 遠藤一郎(全国一般全国協副委員長)の態勢で再出発し現在に至っています。
■追っかけ記事UP
労働ジャーナリストの鹿田勝一さん(右側のリンク参照)の記事がでた。
新たな労働運動構築 組織超えた運動つながり ― 2013/04/24 14:03
労働組合の危機打開へむけ、「再生」ではなく、「新たな労働運動の構築をテーマにした労働運動研究討論集会が4月20〜21日、東京で開かれ、全国から118人が参加した。呼びかけは国労、郵政産業ユニオン、自治労単組など13労組の代表で、共同代表は全港湾の伊藤委員長、全労協事務局長の中岡氏の2人。労働戦線再編23年で初めての試み。
提案では「労働運動全体の力が低下している」とのもとに、「連合系労組や全労連、全労協、地域ユニオンなどバラバラにやっている運動をお互いに確認し、つながりのある新たな労働運動の構築を」などが提唱された。
討論では「労働組合の社会的責任をはたす運動を避けていないか」「官民分断、正規と非正規などの分断を脱皮する運動を」「ストでたたかう組合運動を」「東京ではナショナルセンターの異なる組織の統一交渉で退職金減額の縮小させ、統一した交渉の成果」「反失業闘争では企業内の運動から産別・地域の運動の強化」などの意見が表明された。
今後の共同研究テーマには、@企業別組合運動の克服を可能とする賃金・労働条件などの実現、A格差克服への若者、女性、高齢者との共同した運動、B地域労働運動の課題と運動方向、C労働法制整備の戦略構想、D最賃・公契約の制定、E脱原発、F尾の縄との連帯、米軍基地撤去、GTPP参加反対、H平和憲法擁護、憲法改悪阻止など10項目を確認した。今後も継続して開催することも確認された。
参加組合は全労協系の官民、地方組織のほか、中立の新聞労連、全労連参加の首都圏青年ユニオンや地方労連なども参加し、「集会の設定を歓迎する」なと意見もだされた。
それぞれの労働組合運動史・論 その2(別のページ)
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/asamikazuhiko.htm
▽13/06/25
戦後日本の労働組合の組織化戦略と活動――その経過と論点 (PDFファイル)
浅見和彦、専修経済学論集、42―3、発行日 2008年 03月、A5判35p
「建設労働者・就業者の組織的結集過程と労働組合機能の発展―戦後の諸段階と展望」・浅見和彦 (PDFファイルです)
■全建総連50周年記念事業公募論文 入賞論文などを掲載(2010/11/11)
http://www.zenkensoren.org/news/15news/news239.html
「日本の労働組合運動の新しい構図」・浅見和彦 ――『経済科学通信』(2012年8月号、No.129 )(PDFファイルです)
それぞれの労働組合運動史・論 その1(別のページ)
▽13/03/04
労働者協同組合論を批判した人――労働者協同組合とはなにか、「労働運動」、新日本出版社、351号、1994年9月。
▽13/02/16 階級的・民主的労働運動をになった人たち――その2――食品労働者・明治乳業争議団のメンバー紹介より
▽13/02/03 階級的・民主的労働運動をになった人たち――その1――金属労働者の文集『追悼・岡安政和』(「追悼・岡安政和」編集委員会、1982年6月)
▽13/01/19 『良心の歴史をつくりたい』――(1970年6月、報知新聞労働組合・報知印刷労働組合・報知印刷大阪労働組合編、労働旬報社)
▽13/01/16 モップとダイヤルの叛乱 ――自治体職場の非正規労働者とともにたたかった記録(制作:竹の子ニュース編集部、協力・越谷委託労働者組合・自治労・越谷市職員組合・埼玉学校委託労働者組合、JCA出版 発売時定価1,500円 1982年5月20日1刷)
▽12/12/28 企業別組合をどうとらえるか――古くて新しい問題 わが国労働組合の組織問題、『現代の労働と生活V 労働組合の民主的変革』、深井龍雄(黒川俊雄編、1985年3月、労働旬報社)
▽12/12/22 少数派労働運動の歴史の御紹介――70年には、ゼネラル石油、長崎造船第三組合、全造船・石川島、特殊製紙労組・岐阜、71年には、日本カーバイト、全金・本山、72年には、船舶通信士組合、全造船・浦賀、同玉島、東京都学校事務労働組合などである。 (下田平裕身さん・信州大学)
▽12/04/17 『地域ユニオン・コラボレーション論 オルグから見た地域共闘とは』(小野寺忠昭著、発行・インパクト出版会 、2003年)
『転形期の日本労働運動――ネオ階級社会と勤勉革命』(東京管理職ユニオン、緑風出版、2003年12月)
▽2012/04/18 松井 保彦著『合同労組運動の検証──その歴史と論理』の書評と紹介
1 高須裕彦 大原社会問題研究所雑誌 No.627/2011.1
2 呉学殊 日本労働研究雑誌、82 No. 609/April 2011
▽2012.06.29更新
3 早川征一郎 ((財)日本ILO協会編『世界の労働』2010年8月号、第60巻8号)
▽2012/03/19
平沢栄一さん(総評全国金属元書記長)の自伝『争議屋』(1982年、論創社))(平沢栄一『争議屋:戦後労働運動の原点』2009年、論創社が新著)。
インターネット上消えさせられている、「Windows95」以前の労働組合史の《その2》だ。
《その1》は、別のページに掲載した――芹澤寿良さんが紹介している《◇1960年代の「八幡製鉄所のインフォーマルグループ」の育成文書》だ。
▽2012/02/19 ●「Windows95」以前の労働組合史《その3》
連合よ、正しく強かれ――「連合」労働運動の過去・現在・未来 要 宏輝(元連合大阪副会長)
対抗戦略としての社会的労働運動 ――脇田憲一(労働運動史研究者)
高野実思想の継承と発展を――戦後労働運動二回の大高揚とその反動
樋口篤三(元「労働情報」編集長)
「労働組合選択の自由」を論ずる 明日へのうた――労働運動は社会の米・野菜・肉だ(戸塚章介のブログ)
日本的労働組合論――ユニオンショップ協定の問題点――牛丸修(『からむす6号』1996年)
ユニオンショップ制を超える(別のページ)
郵政労働者ユニオンのめざすもの――ユニオン長崎・中島義雄 (PDF版)
ユニオン・ショップと労働組合――全国一般東京東部労組 (PDF版)
全労協をになう人たち(別のページ)
▽13/03/25 new
全統一の30年の経験から――アメーバー型労働組合運動へ 鳥井一平「ある個人加盟労組の三〇年:全統一労組の経験」 (PDF版)
▽13/02/09 東部労組と全国一般協議会を語る――特別インタビュー:石川源嗣さん(全国一般全国協議会副委員長)に聞く (PDF版)
▽13/01/22 イギリスTGWUを学ぶ全国一般全国協―― 労働運動再生への挑戦 いま全
国一般全国協の局面を語る 遠藤一郎さん(全国一般全国協議会書記長)に聞く (PDF版)
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