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次世代につなげるために

                    
                      2017.08.31
             

▼柴田光郎さんは2017年初頭から闘病中でしたが、2017年8月28日(月)、午前2時にお亡くなりになりました。謹んでお悔やみ申し上げます。

『しんぶん赤旗』(2017年8月29日付)

    
                
                          2016.01.17

 

 2016年の新春1月17日(日)、東大阪市立グリーンガーデンひらおかで、運輸一般大阪OB会が開かれた。今年で10年以上続いている。参加者は18名で、一番年上は若松秀さん(元大阪地本委員長・昭和2年生まれ)で、一番の若手は昭和24年生まれでした。
 当日は、若松秀さんの司会で始まり、荒井実会長(元関西急送・昭和9年生まれ)の「亡くなった方もいますが、元気な顔を見られてうれしい。これからも元気でがんばろう」と参加者への励ましの挨拶がありました。
 総会ということで幹事の柴田光郎さん(元関扇運輸・昭和18年生まれ)から会計報告があり、みなさんの了承を経て、乾杯し宴会に入り、なごやかな交流が始まりました。

 例年のように、参加者一人ひとりから、発言を受けました。すべては紹介できませんが、TOPは地域の革新懇で活動している人が、「沖縄にも行って沖縄の現状を学んできた。若い人に伝えたい」、と。つづいて「おおさか維新の党が勝利して、生半可な取り組みでは彼らの動きを止められない」と警告する人。「和歌山の田舎で老人会の会長をやっている。元気だぞー」と大声で語りだす人。「沖縄出身で大阪に来て40年近くになる」という人、それぞれの現状報告が続いた。
 テーブルの近くにいた森本孝士さん(元府本部副委員長・昭和17年生まれ)は、出身職場(森永乳業・明治乳業の関連運輸会社)が明治乳業から送られてきた管理職メンバーが画策して「70人」ほどの建交労の組合がなくなってしまって「くやしーっ」と、うめき声。
 その横にいた岩田元さん(昭和14年生まれ)は「職場が伊藤忠商事の関連の運輸会社で、当時、青木慧さんの『ユニオンジャック――国家ぐるみの犯罪』(1984年6月25日、学習の友社)を読んで、これは本腰で労働組合運動をやらないと負けてしまうと頑張った」ことを力説してくれた。
 こちらのそばにいらっしゃって「旧満洲生まれで『棄民政策』の犠牲者とインタビュー記事」(「大阪民主新報」、2015年11月8日付け)にまとめられている話をじっくり聞かせてくれた松原弘太郎さん(昭和14年生まれ)。「職場では残業拒否をして、賃金が会社で一番低くかった」と。往時の闘いの姿が浮かんできた。
 
 なかには「長島問題」(大阪府本部から「統制権処分を受けて」)守る会の代表をやっている長崎屋勉さん(昭和14年生まれ)から懇々と解説を受けたが、「ガリキリ機関紙ジャーナリスト出身とのことなので、組合内部の問題の視点だけではなくて、これまでの生コン労働者が生きてきた物語を書いて、南海トラフ地震が発生した場合、革新の側はどのような予防政策があるのか、大阪・橋下に負けない市民のためのまちづくりを書くべきなのではないか」と、編集者魂で語った。

 しかし短い時間だったが、昔、ヤクザとのたたかいで「大阪の全自軍(大自連)」とよばれたトラック労働者・生コン労働者たちの姿が浮かぶような話も聞いた。
 軽井沢のバス事故(2016年1月15日1時55分頃、長野県北佐久郡軽井沢町の国道18号碓氷バイパスで)に対して、「親は苦しくてたまったもんじゃないな」との声、「労働組合があったらなー」という声がみなさんからあった。
 
 会場では、いまでも社会運動の現役として地域で動いている話が、いつまでもつづいた。

      (インターネット事業団・飯島信吾)


毎週月曜日、玄関前の「野菜・朝市」を開く  2016.01.20

  • ◆毎週月曜日 9:00から11:00  


この日も紀ノ川産の新鮮な野菜・とれたての果物など40種類近く。

   「これなに?」「どんなふうに食べるの?」と会話が。


 2016年1月18日(月)、朝7時すぎに「和歌山・紀ノ川産の新鮮な野菜」を運んで、柴田家(大阪府吹田市寿町1-14-17)に来た人がいる。
 1980年代に、関西圏・四国の市民生協と提携し、紀ノ川農協をつくりだした「西浦正晴」(68)さんだ。
 話を聞くと、大阪圏で当面「100軒」の民家の敷地で、「朝市」を開催できるシステムを構築しようと走り回っている、ということ。
 現在は、柴田光郎さんにも協力をしてもらい、始まったばかりだが、すでに5軒ほどの知り合いネットワークで始まっているとのこと。

 柴田佳代子(68)さん(主催者)は「家の周りで野菜を手に入るのは、スーパーしかない。毎週、身近で紀ノ川産の新鮮な野菜が買えるところがあれば、高齢者にはありがたいのよね」と話す。
 「産地直送だから安心だし、それに買いに来てもらうご近所さんとも、日ごろの何気ない会話ができて、話が弾み仲良くなれる」ともいう。

 西浦さんは、「買い物難民に対応して、小型トラックでスーパーの商品を運ぶ事業を見て、ワシがやれる仕事は、新鮮な野菜を直接、消費者に運ぶことだ」とハタと気が付いたと。
 仕入れは、産地にいっぱいあるとれたての野菜・みかんなどの果物と従弟がやっているスーパーから仕入れることができるし、嗜好品としての安全な卵(「ノニジュース」を飲ませた卵)など人気があることも発見した。
 
 この日は野菜など40種類ぐらいのアイテムを並べ始めた9時過ぎには、ご近所さんが5人ほど「これなに?」「どんなふうに食べるの?」という会話が始まった「商い」が、行われた。
 買う人と産地を明らかにして販売する人の「顔が見られる」事業が、始まっている。
 1970年代から1980年代にかけて市民生協が伸びた時代の「共同購入の班での分かち合いの場」の再現を見た。

 西浦さんが「近所のコミュニケーションが広がる場になり、“小さな産直の事業”が大阪中に広がっていったら、面白いのでは」とニコッと語ってくれたので、期待したい(編集子・飯島信吾)


紀ノ川農協の紹介:希望をつくりだす協同のネットワーク●和歌山県・紀ノ川農協の“顔の見える産直” 今崎暁巳、『PROSUME』(プロシューム)〔B5判、50ページ、大阪よどがわ市民生協発行・労働旬報社編、1988年7月30日発行〕




 △地域のパソコン好きの人が作ってくれたチラシ。



【私の趣味】:大相撲・琴欧州の引退断髪式でハサミ入れ。







 2014年10月04日(日)、両国国技館で「琴欧洲断髪式」(琴欧洲引退断髪披露大相撲)

                          
 



【OB会】:運輸一般OB会有志で「六川農園」(佐久市)訪問。

 2015年6月10日~11日。
 
 

News&Topics

運輸一般OB会『09新年会』
 
2009/01/27
 1月25日、「運輸一般OB会の『09新年会』」が、兵庫県尼崎市(JR尼崎駅前)にある「あま湯(温泉)」で開催され、30余名(内・関西支部OB会から5名)が参加して当時のたたかいの話に花を咲かせました。
 OB新年会は、若松秀さん(元大阪地本委員長)の「今年も皆さんに会えました、元気な皆さんのお顔を拝見して、自分たちの今日があることを皆さんと共に喜び合いたい(要旨)」との司会で始められ、荒井実会長(関西急送)の挨拶を受け、乾杯の後・宴会へと進められました。
 参加者の中には、大自運(全自運の前身)時代から組合員であった方や、旧日本軍の予科練から生還してそのまま組合運動に参加した方(大阪南運送・岩さん)など、60年代・70年代のたたかいの歴史書を紐解くような話がいっぱいでした。中でも、アサノセメントとの関扇運輸のたたかい(飯と団結の本として残された)を語ってくれた三名の仲間たち(柴田・山中・紙谷三氏)もいて、それぞれのたたかいの話にうなづき・懐かしい話で、若かりし頃の思い出がこみ上げてきました。
 今日(当日)も午前中は常任委員会を開催していて、早めに会議をきりあげて参加したという、OB会始まって以来初めてとなる関西支部・長島和眞執行委員長も参加され、今日のたたかいの現状を述べた後「25年前の武連帯の分裂のあの事件が、今、正に再現されている、組合員の生活を守り、業界の安定を図るためにはこのたたかいに負けるわけにはいかない、OB会の皆さんの知恵もお借りしながらたたかいを進めたい」と挨拶して、OB会参加者全員の熱烈歓迎の拍手を受け、秋の例会への全員参加を誓い合いながら、「頑張ろう」を三唱して、この日の新年会を閉会しました。(投稿者・長﨑屋勉)

    

http://www.ctg-osaka.jp/cgi_bin/topics/index.cgi?mode=detail&id=46

                           

1960年代の生コン労働者のたたかい――『抵抗』


 今から50年ほど前、東京では『たたかう労働者のど根性』が発行され、『東京争議団物語』(労働旬報社)がそれを引きつぎ、「60年安保」後の高度成長時代における多くの労働者のたたかいを激励した。

 この冊子『抵抗』は、大阪でたたかい始めた「生コン労働者」の闘争記である。その序文をここに引用しておく。

  うたれ、たたかれ労働者は強くなる
  全自運大阪地方本部中央委員長 柳川恒夫

 全自運関闘運輸支部のたたかいは、すでに八○○日をこえを(ママ)長期のものとなった。
 寺沢委員長を先頭に、現在も三十数名のわたしたちの仲間が、分裂、首切り、刑事弾圧、企業閉鎖、破産宣告など、およそ資本家と国家権力が組合つぶしや、労働者の弾圧につかってきたありとあらゆる攻撃に屈することなくたたかっている。
 わたしは、これら兄弟たちと、苦しい生活をささえて頑張って下さっている家族の方々に心からの敬意と連帯のあいさつを送ります。
 
 関扇のたたかいは、独占資本とその系列、下請のもとにある中小企業、その支配機構をもっとも露骨に示す縮図であります。
 アサノコンクリートと日本セメントの至上命令のもとに関扇運輸株式会社は、労務に元警察官をやとい入れ、かずかずの不当労働行為をかさね、それが組合員の団結の力で粉砕されるや、関扇運輸の会社もろともつぶしにかかり組合破壊を策してきたものである。
 アサノは、組合活動家の首切り、警察権力をつかっての弾圧によっても組合つぶしができないとみると、関扇社の重役陣の退陣をつめより、上田社長を“自殺”に追いこみ、新たな組合破壊の手段として関扇社を破産させるにいたった。
 つまり、関扇運輸はアサノの一運輸部門であり上田社長は、アサノ社の運輸課長か労務課長にすぎなかったのである。
 いま、大阪地労委において組合は、大阪アサノを相手方として不当労働行為の追求をおこなっている。
 アサノの指導のもとにおこなった「合理化」、組合破壊、首切りの謀議、そのための資金融資など、かくすことのできない事実が多数の証拠によって暴露されている。
 関経連をはじめ、資本家団体はこれが労働委員会の事件となることをおそれ「不当労働行為の責任は第三者のアサノ社にない」と地労委の公益委員に圧力をかけ審問をひらかせまいといろんな妨害を加えてきた。
 関扇の仲間たちは、二○○団体あまりの労働組合や民主団体に支援と共闘をよびかけ、これとの闘いを組織し、連日のように抗議行動をおこない、丸一年かかって審問をひらかせることに成功した。
 関扇のたたかいは、中小企業ではたらく労働者が立ちむかうべき方向をきりひらく上で重要な意味をもっていろ。
 一方、大阪府警は、組合の弾圧にのりだし、資本と一体となって労働組合として当然の日常活動である「ビラはり」を「建造物損壊」「不法侵入」とデッチあげ、組合員七名を不当にも逮捕し、一一名を起訴した。組合は、これにも反撃をくわえ、会社が淡路警察署警察官に酒食のもてなしをおこなったり、贈賄をなしていた事実を摘発し告発した。いま大阪地裁ですすめられている公判廷は、まさに被告である組合が検察側を追求していく闘いの場である。
 一一年前の関扇の仲間たちは、われわれの周囲のどこにでもみられる、「いい父ちゃん、」「いい青年」であった。かれらは、一カ月に一○○時間もの長時間労働を強いられても、生活のためには或る程度はやむを得ないと辛棒して朝早くから夜おそくまで黙々と働いた。
 全面的な「合理化」攻撃は、ざらに苛こくな労働条件を生コン労働者に要求した。かれらは、だまっていては殺されるとこまるで追いつめられ、立ちあがったのであった。
 憲法に保障された労働者の団結権を資本家はけちらしてくる。分裂がおこる、さらにかたい団結の必要にせまられる。家庭では生活の問題を解決せねばならぬ、一つの問題を克服するとまたあらたな難問がたちはだかってくる、警察は善良な市民の味方だと思っていたが組合に立ちむかってくる、裁判所は、明らかに偽装の破産を宣告した。このような闘いの中で吸血鬼のような資本家の真の姿をみた、資本主義のからぐり、戦争の問題、すべてをみる目が闘いの中でみずからのものとなっていく。
 八○○日の闘いは、関扇の仲間たちの階級的自覚をよびさましたのである。
 関扇のたたかいは全自運の貴重な経験であり、日本の労働者階級の土根性を示したのである。


 関扇闘争の位置づけは、当事者の「関西生コン」労組の創世記の歴史として、下記のように位置づけられている。 

    http://www.kannama.com/news/news2009/rekisi/siburekisi2.html


 関扇闘争のそもそもの出発点での要求は「せめて日曜日くらいは休ませて欲しい」というものだった。組合との間で「日曜休日」協定(64年)があるものの、会社はそれを無視して一方的な指名で日曜稼働を強行していた。親会社のアサノは関扇運輸に対し契約更新をエサに組合つぶしを指示し、以後警察幹部あがりの労務屋の導入、組合分裂・乱立、さらに一組への時間外労働のカット(日干し)攻撃をかけた。そして65年1月一組の9人に解雇が通告された。後に判明した事だが、会社はこの解雇に先立って「退職金、賃金、予告手当」に充当する為にアサノに対し「御融資御願」を提出していた。
 関西扇支部は警察OBの労務屋や、「守衛」という形で導入された暴力団の脅しの中で解雇撤回闘争をつづけた。3月には社屋ビラ貼りを理由に7人が逮捕される等、警察と会社が一体となって弾圧がつづいた。

 背景資本・アサノに対し勝利/69年10月
 だが6月1日、大阪地労委は不当労働行為を確認すると共に、残業停止以降の実損1300万円の支払いを命じた。つづいての会社との交渉でも、①残業停止の解除②9人の解雇撤回が確認された。
 ところがその交渉から8日目、6月17日関扇運輸上田社長は国電に投身自殺してしまった。遺された遺書には「アサノの指示によりシュンジュンした・・・」と親会社アサノを非難する文面がかきつらねられていた。社長を失った関扇社は自己破産手続きをして雲隠れしてしまった。
 組合は既に「1300万円の未払い賃金」について労働債権として差し押さえていたが、これからの長期にわたるであろう闘争を予測して、失業保険、アルバイトの完全プール制、生活保護と財政面での自立の道を確立して行った。また会社の放置した書類中から会社と警察との贈収賄関係や二組づくりの数々の動かぬ証拠も発見した。
 そして関扇倒産の真の黒幕であるアサノコンクリート及び日本セメントへの抗議も執拗につづけられた。地労委審問の場にアサノの代表をひきづり出す事にも成功した。ビラ貼り事件で刑事被告席にひき出された仲間の裁判もついに高裁でも一審の無罪判決が支持された(69年10月3日)。
 地労委での不当労働行為の当事者責任がもはや、逃げられない。こうしてアサノは軍門に降った。69年10月21日、関扇支部との間で、①30名の就職斡旋、②協定後2ヶ月間の生活保障、を内容とする協定が交わされた。足かけ6年、1856日間に及ぶ闘いの勝利である。親会社である大阪アサノを解決のテーブルに引っ張り出しての勝利であり、後の「使用者概念の拡大」「背景資本追及」の闘いへとひきつがれていくのである。

 ドキュメント作家の今崎暁巳さんは、『めしと団結――たたかう関扇運輸労働者』(1970年6月)を書き、当時の生コン労働者の姿、大阪万博とニュータウン建設に向けた都市ビルド、そこにおける資本と警察一体になった攻撃、そして背景資本=アサノの追及などを描いている。

若かりし頃の柴田光郎の登場:『めしと団結――たたかう関扇運輸労働者』

  •   
  •  (今崎暁巳著、労働旬報社、1970年6月刊)           (PDF復刻版) 
  •   



生コン労働者から市民生協をつくった男〔A5判、大阪よどがわ市民生協発行〕

  • 『新よどがわ市民生協物語――1000班の組合員に聞きました』(山田達夫・矢吹紀人・柴田光郎著、A5判、シーアンドシー企画、1992年4月)

  

 この関扇闘争に参加した「若き柴田光郎」さん(1943年生まれ)は、争議解決後、学習協の運動(『学習の友』の普及など)をすすめ、その後(1977年に)市民生協として、大阪よどがわ市民生協を創設した。
 柴田さんは、全国の「産直組織」とネットワークを組み、大阪北部の市民とともに「安全・安心な国産の食」を育て上げるユニークな活動を展開した。
 その間、吹田市職・保育運動の住民運動とともに(吹田住民懇など)、市民生協としてまちづくり、コミュニティづくりにはせ参じた。
 あの時代から、新しい事業・運動を作り出すエネルギーと可能性を労働者・市民が持っていたことを、若い世代に伝えておきたい。
 当時出版された以下の本のなかで、みずからの使命として「協同組合の基本的価値とはなにか――よどがわ市民生協が大切にしてきたこと」(PDF版)を書いている。


                                 

『PROSUME』(プロシューム)〔B5判、大阪よどがわ市民生協発行〕

  • PROSUME』(プロシューム)〔B5判、50ページ、大阪よどがわ市民生協発行・労働旬報社編、1988年7月30日発行〕           (PDF復刻版)
     (全ページのPDF版)


  •  どうなる農業・どうする食糧 五眼で見た日本の農業と食糧 二宮厚美
     「食」と「暮らし」と「農」にこだわる
       嘩峻淑子/中林貞男/レオナルド熊/寿岳章子/山田達夫
     ルポ・日本列島すみずみ産直ネットワーク
     北の大地・離農の国にたしかな息吹●北海道十勝・折笠農場グループ 矢吹紀人
     希望をつくりだす協同のネットワーク●和歌山県・紀ノ川農協の“顔の見える産直” 今崎暁巳
     いとおしんで作って いとおしんで食べる●滋賀県・愛知中部農協の“農業好き”仲間づくり 小山乃里子
     土づくり・人づくり・地域づくりの産直運動●大分県・下郷農協 二宮厚美
     パイン自由化の大波のもとで●レポート沖縄から 池原秀明
     どうする日本の農業・食・暮らし
       増田れい子/渋谷定輔/亀田得治/村上昭子/宮村光重/田代洋一/河相一成/小林節夫
     インタビュー:日本の伝統食からまなぶ 宮本智恵子
     暮らしのなかから食生活をつくりかえる 私たちの食卓からみた「暮らし」つくりかえ 姫野恭子
     共同購入配送車のふれあい
     レポート消費者の立場から 輸入食品は安全で、安心か? 大嶋茂男
     FOOD’S NOW 食文化のなかから食品と農業を考える 二宮厚美
     いま生協の商品政策が問われている 産直の力をさらにひろげて 柴田光郎

     ▽発行当時の奥付
     「プロシューム」定価=500円
     1988年7月30日発行 発行人/山田達夫
     発行/大阪よどがわ市民生活協同組合
     編集・発売/㈱労働旬報社
     〒112東京都文京区目白台2-14-13
     STAFF 編集●飯島信吾/矢吹紀人/NEOPLAN
     デザイン●河田純/阪本正義/古賀孝和
     イラスト●しらはまみちよ/ときわまさゆき/藤巻央滋/皆川正次
    写真●共同通信/連合通信/カメラ東京サービス
      
                        
                                

月刊『PROSUME』(プロシューム)発行〔A4判、大阪よどがわ市民生協〕

  • 月刊誌『PROSUME』(プロシューム)〔A4判、48ページ、大阪よどがわ市民生協発行・労働旬報社編、1989年4月30日発行から1997年末で終刊〕           

  

  

                                            

6冊の産直・農業・平和:女性たちへの共鳴をプロデュースする


  • 1991年4月、大阪よどがわ市民生協発行・編集 :シーアンドシー企画、矢吹紀人著
    取材した掲載産地一覧
     (チェックして下さい)

    ◆産直生産者全リスト掲載

    (PDF版)
     1995年6月、山田達夫・矢吹紀人共著、シーアンドシー出版発行  1996年5月、奥登・矢吹紀人共著、シーアンドシー出版発行
    紹介:市場経済のなかで続く農協の模索――大分県下郷農協を訪ねて(7/15-16)――『協同の發見』2000.8 No.99、阿部 誠(大分大学経済学部)
       
    1992年10月、亀田得治・亀田りえ著、 編集 :シーアンドシー企画、労働旬報社発行 1990年9月・1992年2月増補判 、労働旬報社発行 1999年2月、企画:シャイニープラン、 シーアンドシー出版発行
     太陽と大地の間で
        顔のみえる産直ネットワーク

    B5判、66p、1991年4月刊

    ①キャベツ畑は草だらけ[滋賀県安土町・滋賀県農民組合農産物出荷センター]
    ②レンコンは浪速っ子[大阪府門真市・三ツ島レンコン出荷組合]
    ③故郷の山はみどり[静岡県藤枝市・静岡無農薬茶の会]
    ④日曜日には日本晴[滋賀県蒲生町農協]
    ⑤今年もスイカがあ~まいぞ[滋賀県安土町・大中むつみ会]
    ⑥みかんがつなぐ人と人[和歌山県那賀町・紀ノ川農協]
    ⑦リンゴ赤いかすっばいか[長野県佐久市・佐久中央果樹組合]
    ⑧山あり海ありボンカンあり[鹿児島県屋久町・屋久島特産物出荷センター]
    ⑨花嫁のくる村[長野県南高来郡・南高農民組合]
    ⑩子どもよ食文化の大使になれ[北海道幕別町・折笠農場グループ]
    ⑪給食が教えてくれる[千葉県多古町・旬の味出荷センター]
    ⑫今日も村から元気な便り[大分県耶馬渓町・下郷農協]
    ⑬おしんこが村おこし[滋賀県八日市市・近江農産]
    ⑭安全・ほんもの・「ガンコ」がとりえ[和歌山県湯浅町・協同組合湯浅しめじ]
    ⑮ヘルシー・おいしい・自然がいい[鹿児島県菱刈町・鹿北製油]
    ⑯平田の豚は市場にゃいない[山形県酒田市・平田牧場]
    ⑰トリの輪のなかに“人”[鹿児島県出水市・マイル農協]
    ⑱365日乳が出る[岡山県津山市・ホクラク農協]
    ⑲食卓が青い海をまもる[高知県高知市・翔栄興産]
    ⑳大地がくれた宝物(上)
    ㉑大地がくれた宝物(下)


    ◎著者紹介◎
    矢吹紀人1953年東京生まれ
    慶応義塾大学経済学部卒
    主な著者:「夜明けの旗」「湘南学園物語」
    「企業社会の扉をひらけ」(以上、労働旬報社)
    「いのちへの証言」「北風よ夜明けに吹け」
    「お母さんはビスケット」(以上、機関紙共同出版)

                       

◇「ある編集者のブログ」に登場する「柴田光郎さん」 

     http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/

国内産直を重視した『PROSUME』(プロシューム)の発刊――20151230 ()

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-0925.html

鶴岡生協、そしてまちづくり協同組合へ―20数年前の思いに遡って刺激的な「いのちとくらし」研究所のシンポジウム――2015624 ()

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/20-333b.html

琴欧洲断髪式を観てきた201410 5 ()

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-c9f3.html

“かっぱのげんさん”に会ってきた――

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-e4ed.html

『めしと団結』のPDF復刻版づくり――

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-9679.html

メルヘン街道ドライブの旅、その前に的埜さん宅訪問――20145 4 ()

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-298d.html

 



◆プロフィール
 


1943年10月21日生まれ
大阪生まれ
滋賀県蒲生郡蒲生町(現東近江市)へ疎開。
15歳で東京に向かい、日本橋の「ふとん店」で修業。
18歳で此花運送に入社し、生コン部門の関扇運輸で働きはじめ、1865日間に及ぶ総評・全自運関扇運輸支部争議を闘う。
1969年の争議解決後、関西勤労協(学習協)の運動(『学習の友』の普及、労働学校の開設・運営・講師など)に参加。
1977年に市民生協として、大阪よどがわ市民生協を創設。
1997年まで専務理事、副理事長。
その後、「シャイニープラン」代表。

現住所:大阪府吹田市寿町1-14-17

▼柴田光郎さんは2017年初頭から闘病中でしたが、2017年8月28日(月)、午前2時にお亡くなりになりました。謹んでお悔やみ申し上げます

『しんぶん赤旗』(2017年8月29日付)


2014.11.16UP










▽労働関係のHP
 
 
 
 
 
 
  (未完成)

▽「現代と協同」研究会からのご案内

富沢賢治のページ


中川雄一郎のページ

堀越芳昭のHP

角瀬保雄のページ
(労働者協同組合の組織・運動・経営)
非営利・協同総合研究所いのちとくらし所報 

柳沢敏勝のページ
(明治大学商学部論文・記事一覧)

内山哲朗のページ
(専修大学研究者情報ベース)

杉本貴志のページ
(関西大学商学部研究業績)

石塚秀雄のページ

岡安喜三郎のHP

田中夏子のページ
 

菅野正純のページ

日本協同組合学会のHP

明治大学:「日英社会的企業比較研究センター」


非営利・協同総合研究所いのちとくらし

協同総合研究所



▽現代労働組合研究会のページ
芹澤寿良のページ

下山房雄のページ

黒川俊雄のページ

中林賢二郎のページ


川﨑忠文のページ
(回想の川﨑忠文)

今崎暁巳のページ(「今崎暁巳さんと私」)

早川征一郎のページ

小越洋之助のページ

五十嵐仁のページ

浅見和彦のページ


現代労働組合研究会のHP


 労働組合・ユニオンの動向
 それぞれの労働運動史・論
 労働組合・労働問題の本
 ユニオンショップを超える
 連合を担う人たち
 全労連を担う人たち
 全労協をになうひとたち


編集人:飯島信吾
ブログ:ある編集者のブログ
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UP  2016年01月12日
更新  2016年01月15日
更新  2016年01月20日
更新  2016年01月22日
更新  2016年01月28日
更新  2016年02月02日
更新  2017年08月31日