2017.08.31
▼柴田光郎さんは2017年初頭から闘病中でしたが、2017年8月28日(月)、午前2時にお亡くなりになりました。謹んでお悔やみ申し上げます。
『しんぶん赤旗』(2017年8月29日付)
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今から50年ほど前、東京では『たたかう労働者のど根性』が発行され、『東京争議団物語』(労働旬報社)がそれを引きつぎ、「60年安保」後の高度成長時代における多くの労働者のたたかいを激励した。
この冊子『抵抗』は、大阪でたたかい始めた「生コン労働者」の闘争記である。その序文をここに引用しておく。
うたれ、たたかれ労働者は強くなる
全自運大阪地方本部中央委員長 柳川恒夫
全自運関闘運輸支部のたたかいは、すでに八○○日をこえを(ママ)長期のものとなった。
寺沢委員長を先頭に、現在も三十数名のわたしたちの仲間が、分裂、首切り、刑事弾圧、企業閉鎖、破産宣告など、およそ資本家と国家権力が組合つぶしや、労働者の弾圧につかってきたありとあらゆる攻撃に屈することなくたたかっている。
わたしは、これら兄弟たちと、苦しい生活をささえて頑張って下さっている家族の方々に心からの敬意と連帯のあいさつを送ります。
関扇のたたかいは、独占資本とその系列、下請のもとにある中小企業、その支配機構をもっとも露骨に示す縮図であります。
アサノコンクリートと日本セメントの至上命令のもとに関扇運輸株式会社は、労務に元警察官をやとい入れ、かずかずの不当労働行為をかさね、それが組合員の団結の力で粉砕されるや、関扇運輸の会社もろともつぶしにかかり組合破壊を策してきたものである。
アサノは、組合活動家の首切り、警察権力をつかっての弾圧によっても組合つぶしができないとみると、関扇社の重役陣の退陣をつめより、上田社長を“自殺”に追いこみ、新たな組合破壊の手段として関扇社を破産させるにいたった。
つまり、関扇運輸はアサノの一運輸部門であり上田社長は、アサノ社の運輸課長か労務課長にすぎなかったのである。
いま、大阪地労委において組合は、大阪アサノを相手方として不当労働行為の追求をおこなっている。
アサノの指導のもとにおこなった「合理化」、組合破壊、首切りの謀議、そのための資金融資など、かくすことのできない事実が多数の証拠によって暴露されている。
関経連をはじめ、資本家団体はこれが労働委員会の事件となることをおそれ「不当労働行為の責任は第三者のアサノ社にない」と地労委の公益委員に圧力をかけ審問をひらかせまいといろんな妨害を加えてきた。
関扇の仲間たちは、二○○団体あまりの労働組合や民主団体に支援と共闘をよびかけ、これとの闘いを組織し、連日のように抗議行動をおこない、丸一年かかって審問をひらかせることに成功した。
関扇のたたかいは、中小企業ではたらく労働者が立ちむかうべき方向をきりひらく上で重要な意味をもっていろ。
一方、大阪府警は、組合の弾圧にのりだし、資本と一体となって労働組合として当然の日常活動である「ビラはり」を「建造物損壊」「不法侵入」とデッチあげ、組合員七名を不当にも逮捕し、一一名を起訴した。組合は、これにも反撃をくわえ、会社が淡路警察署警察官に酒食のもてなしをおこなったり、贈賄をなしていた事実を摘発し告発した。いま大阪地裁ですすめられている公判廷は、まさに被告である組合が検察側を追求していく闘いの場である。
一一年前の関扇の仲間たちは、われわれの周囲のどこにでもみられる、「いい父ちゃん、」「いい青年」であった。かれらは、一カ月に一○○時間もの長時間労働を強いられても、生活のためには或る程度はやむを得ないと辛棒して朝早くから夜おそくまで黙々と働いた。
全面的な「合理化」攻撃は、ざらに苛こくな労働条件を生コン労働者に要求した。かれらは、だまっていては殺されるとこまるで追いつめられ、立ちあがったのであった。
憲法に保障された労働者の団結権を資本家はけちらしてくる。分裂がおこる、さらにかたい団結の必要にせまられる。家庭では生活の問題を解決せねばならぬ、一つの問題を克服するとまたあらたな難問がたちはだかってくる、警察は善良な市民の味方だと思っていたが組合に立ちむかってくる、裁判所は、明らかに偽装の破産を宣告した。このような闘いの中で吸血鬼のような資本家の真の姿をみた、資本主義のからぐり、戦争の問題、すべてをみる目が闘いの中でみずからのものとなっていく。
八○○日の闘いは、関扇の仲間たちの階級的自覚をよびさましたのである。
関扇のたたかいは全自運の貴重な経験であり、日本の労働者階級の土根性を示したのである。
関扇闘争の位置づけは、当事者の「関西生コン」労組の創世記の歴史として、下記のように位置づけられている。
関扇闘争のそもそもの出発点での要求は「せめて日曜日くらいは休ませて欲しい」というものだった。組合との間で「日曜休日」協定(64年)があるものの、会社はそれを無視して一方的な指名で日曜稼働を強行していた。親会社のアサノは関扇運輸に対し契約更新をエサに組合つぶしを指示し、以後警察幹部あがりの労務屋の導入、組合分裂・乱立、さらに一組への時間外労働のカット(日干し)攻撃をかけた。そして65年1月一組の9人に解雇が通告された。後に判明した事だが、会社はこの解雇に先立って「退職金、賃金、予告手当」に充当する為にアサノに対し「御融資御願」を提出していた。
関西扇支部は警察OBの労務屋や、「守衛」という形で導入された暴力団の脅しの中で解雇撤回闘争をつづけた。3月には社屋ビラ貼りを理由に7人が逮捕される等、警察と会社が一体となって弾圧がつづいた。
背景資本・アサノに対し勝利/69年10月
だが6月1日、大阪地労委は不当労働行為を確認すると共に、残業停止以降の実損1300万円の支払いを命じた。つづいての会社との交渉でも、①残業停止の解除②9人の解雇撤回が確認された。
ところがその交渉から8日目、6月17日関扇運輸上田社長は国電に投身自殺してしまった。遺された遺書には「アサノの指示によりシュンジュンした・・・」と親会社アサノを非難する文面がかきつらねられていた。社長を失った関扇社は自己破産手続きをして雲隠れしてしまった。
組合は既に「1300万円の未払い賃金」について労働債権として差し押さえていたが、これからの長期にわたるであろう闘争を予測して、失業保険、アルバイトの完全プール制、生活保護と財政面での自立の道を確立して行った。また会社の放置した書類中から会社と警察との贈収賄関係や二組づくりの数々の動かぬ証拠も発見した。
そして関扇倒産の真の黒幕であるアサノコンクリート及び日本セメントへの抗議も執拗につづけられた。地労委審問の場にアサノの代表をひきづり出す事にも成功した。ビラ貼り事件で刑事被告席にひき出された仲間の裁判もついに高裁でも一審の無罪判決が支持された(69年10月3日)。
地労委での不当労働行為の当事者責任がもはや、逃げられない。こうしてアサノは軍門に降った。69年10月21日、関扇支部との間で、①30名の就職斡旋、②協定後2ヶ月間の生活保障、を内容とする協定が交わされた。足かけ6年、1856日間に及ぶ闘いの勝利である。親会社である大阪アサノを解決のテーブルに引っ張り出しての勝利であり、後の「使用者概念の拡大」「背景資本追及」の闘いへとひきつがれていくのである。
ドキュメント作家の今崎暁巳さんは、『めしと団結――たたかう関扇運輸労働者』(1970年6月)を書き、当時の生コン労働者の姿、大阪万博とニュータウン建設に向けた都市ビルド、そこにおける資本と警察一体になった攻撃、そして背景資本=アサノの追及などを描いている。
この関扇闘争に参加した「若き柴田光郎」さん(1943年生まれ)は、争議解決後、学習協の運動(『学習の友』の普及など)をすすめ、その後(1977年に)市民生協として、大阪よどがわ市民生協を創設した。
柴田さんは、全国の「産直組織」とネットワークを組み、大阪北部の市民とともに「安全・安心な国産の食」を育て上げるユニークな活動を展開した。
その間、吹田市職・保育運動の住民運動とともに(吹田住民懇など)、市民生協としてまちづくり、コミュニティづくりにはせ参じた。
あの時代から、新しい事業・運動を作り出すエネルギーと可能性を労働者・市民が持っていたことを、若い世代に伝えておきたい。
当時出版された以下の本のなかで、みずからの使命として「協同組合の基本的価値とはなにか――よどがわ市民生協が大切にしてきたこと」(PDF版)を書いている。
1991年4月、大阪よどがわ市民生協発行・編集 :シーアンドシー企画、矢吹紀人著 ◆取材した掲載産地一覧 (チェックして下さい) ◆産直生産者全リスト掲載 (PDF版) |
1995年6月、山田達夫・矢吹紀人共著、シーアンドシー出版発行 | 1996年5月、奥登・矢吹紀人共著、シーアンドシー出版発行 紹介:市場経済のなかで続く農協の模索――大分県下郷農協を訪ねて(7/15-16)――『協同の發見』2000.8 No.99、阿部 誠(大分大学経済学部) |
1992年10月、亀田得治・亀田りえ著、 編集 :シーアンドシー企画、労働旬報社発行 | 1990年9月・1992年2月増補判 、労働旬報社発行 | 1999年2月、企画:シャイニープラン、 シーアンドシー出版発行 |
太陽と大地の間で 顔のみえる産直ネットワーク B5判、66p、1991年4月刊 ①キャベツ畑は草だらけ[滋賀県安土町・滋賀県農民組合農産物出荷センター] ②レンコンは浪速っ子[大阪府門真市・三ツ島レンコン出荷組合] ③故郷の山はみどり[静岡県藤枝市・静岡無農薬茶の会] ④日曜日には日本晴[滋賀県蒲生町農協] ⑤今年もスイカがあ~まいぞ[滋賀県安土町・大中むつみ会] ⑥みかんがつなぐ人と人[和歌山県那賀町・紀ノ川農協] ⑦リンゴ赤いかすっばいか[長野県佐久市・佐久中央果樹組合] ⑧山あり海ありボンカンあり[鹿児島県屋久町・屋久島特産物出荷センター] ⑨花嫁のくる村[長野県南高来郡・南高農民組合] ⑩子どもよ食文化の大使になれ[北海道幕別町・折笠農場グループ] ⑪給食が教えてくれる[千葉県多古町・旬の味出荷センター] ⑫今日も村から元気な便り[大分県耶馬渓町・下郷農協] ⑬おしんこが村おこし[滋賀県八日市市・近江農産] ⑭安全・ほんもの・「ガンコ」がとりえ[和歌山県湯浅町・協同組合湯浅しめじ] ⑮ヘルシー・おいしい・自然がいい[鹿児島県菱刈町・鹿北製油] ⑯平田の豚は市場にゃいない[山形県酒田市・平田牧場] ⑰トリの輪のなかに“人”[鹿児島県出水市・マイル農協] ⑱365日乳が出る[岡山県津山市・ホクラク農協] ⑲食卓が青い海をまもる[高知県高知市・翔栄興産] ⑳大地がくれた宝物(上) ㉑大地がくれた宝物(下) ◎著者紹介◎ 矢吹紀人1953年東京生まれ 慶応義塾大学経済学部卒 主な著者:「夜明けの旗」「湘南学園物語」 「企業社会の扉をひらけ」(以上、労働旬報社) 「いのちへの証言」「北風よ夜明けに吹け」 「お母さんはビスケット」(以上、機関紙共同出版) |
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◇「ある編集者のブログ」に登場する「柴田光郎さん」
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http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/20-333b.html
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-c9f3.html
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2014/08/post-e4ed.html
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UP 2016年01月12日
更新 2016年01月15日
更新 2016年01月20日
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