仕事おこし懇談会inこしがやは、「協同」が創る2012埼玉全国集会「国連の2012年国際協同組合年」のつどいから越谷で旅立ちました。
https://www.facebook.com/hoiroshi.yamashita/posts/1225055230896448
http://www1.g-reiki.net/koshigaya/reiki_honbun/e323RG00000961.html
http://yellow-room.at.webry.info/201606/article_3.html
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/38-bfd1.html
http://warajinokai.sakura.ne.jp/
4月6日(月) エコストーブで仕事おこし
ワーカーズコープ 小野宏さん
4月7日(火) ニ人だけの清掃会社
菊池一範さん・栗村孝司さん
4月8日(水) 企業から拓く共生の街
埼玉トヨペット㈱輪っふる 轟和宏さん
4月9日(木) 家族・地域をつなげる
ファミリーリンク越谷 出村常子さん
4月10日(金) 変りゆく坂田和美の世界
PC画家 坂田和美さん
辻こうじ @koji2454 2015年03月15日 twitterで発信
1.
◇「原発の町を追われて~避難民・双葉町の記録」予告編
作品解説
http://yellow-room.at.webry.info/201412/article_5.html
▽ブログ紹介 このブログは このブログでは、近年ますます膨張し複雑化している「障害」や「病気」のイメージ、そのイメージによって人と人が分け隔てられる社会のありようを問い直してゆきます。ただし、まだブログ初心者なので、当分はこの趣旨に沿ったイベントの案内や記録を中心にし、ときどき身辺雑記をまじえていきます。(案内人・山下 浩志) このブログの関連ホームページ等 わらじの会HP:http://warajinokai-33tomoni.web.infoseek.co.jp/ 黄色い部屋HP: http://warajinokai-33tomoni.web.infoseek.co.jp/yellow/TOKO.htm 障害者の職場参加をすすめる会HP:http://www5b.biglobe.ne.jp/~yellow/ 社団法人埼玉障害者自立生活協会HP:http://www.sail.or.jp/
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やや順序が逆になるが、先にブログに報告をアップしたNPO法人障害者の職場参加をすすめる会の定期総会記念シンポジウム (http://yellow-room.at.webry.info/201405/article_5.htm) lに先立って、同会事務局長を務める筆者が、シンポジウム資料集に書いた「はじめに」という一文を、このブログに収録しておく。 筆者は毎年資料集の巻頭にこうした「基調報告」的な文章を載せているのだが、載せているだけで、当日読み上げたり説明したりすることはない。いわば幻に近い、あくまでも「はじめに」である。 今回のシンポジウムでは、パネルディスカッションの際に、ワーカーズコープの玉木さんが、この文章に言及して下さった。ただ、先にブログにアップした速報では、その部分がカットされているが。 ともあれ、会場で配布しただけの資料集で、多くの方はご覧になっていない文章なので、ここで読めるようにしておく。 定期総会記念シンポジウム2014 「障害者の職場参加(多様な就労)と自治体―いま地域では」 (1)「雇用と福祉の谷間」問題の現在 障害のある人が地域で暮らしていく上で「働くこと」は重要な意味をもっています。 しかしながら、これまで多くの人たちは企業など一般の雇用の場で働くか、福祉的な場での活動・作業かの二者択一的な選択を迫られてきました。 一部の生産性が高いとみなされる人は一般企業等で就労していますが、障害者の雇用は全体として長年にわたり低迷してなかなか進展していません。しかも、就労していても家族の支援を前提としている人も多く、地域で自立した質の高い生活を送るにはほど遠い状況でした。 それ以外の多くの人は福祉の対象として授産施設や小規模作業所に振り分けられ、わずかな工賃による作業活動を続けており、企業での就職に挑戦する機会も限られてきました。 2004~5年のグランドデザイン案の中で、こうした雇用と福祉の谷間の解消への道が模索されました。その模索は、2006年施行の障害者自立支援法等に具体化され、現在の総合支援法に引き継がれました。ここでは、就労移行支援事業や就労継続支援事業A型が推進され、福祉から雇用への流れが一部にできたものの、それ以外の施設では従来にも増して閉塞的なサイクルを脱け出しにくい構造になり、障害者の選別、分離がさらに深まっています。 (2)障害者の就労支援と「職場参加」の取り組み 障害者の雇用は長年にわたり国(職安)と事業主団体である雇用促進協会(現雇用支援機構)が進めてきましたが、バブル崩壊を機に、上記の限界を超えるため、国は全国4ヶ所で5年間にわたり地域障害者雇用推進モデル事業を行いました。このモデル事業の産物が、現在全国に設置された就業・生活支援センターです。 4ヶ所のうち埼玉では、障害者団体が連携してこのモデル事業に関わり、国、県への提言として、身近な市町村が就労支援の主体となることや、市役所等公共施設で必ずしも採用を前提としない実習を行うこと、福祉施設に籍を置いて就労することも含む総合的な就労支援体制などをまとめました。 障害者の就労を、雇用の枠をこえた多様な働き方を含めて考え、福祉の対象とされてきた人々も含めた社会参加の重要な一環としてとらえるという意味で、団体の側ではこれを「職場参加」と表現しました。 後に新座市障害者就労支援センターが立ち上がる時に、市自らが「職場参加」という語を用いて、センターの特質を説明しました。越谷市においては、当会が任意団体の時から「職場参加」を名のって活動を積み重ねてきました。市の事業として、福祉施設等から市役所や民間企業への職場実習(地域適応支援事業)を行い、現在は当会が受託した市就労支援センターがこの事業も行っています。 なお、昨年度から県が雇用サポートセンターの事業として実施している短期訓練事業は、「職場参加」のために活用可能な事業として注目されます。 いずれにせよ、谷間に橋をかけるために、福祉施設利用者やひきこもりの障害者が参加でき、地域の公共機関・民間の職場が受け入れやすい、ハードルを低くした参加の仕組みをさらに工夫してゆく必要があります。 (3)社会的困難を背負う人々の就労・事業所づくりと「職場参加」 長期にわたる不況の下で、働けば働くほど貧しくなってゆく人々が増えると同時に、働くことができず社会から切り捨てられて生きる人々も増えています。15~24 歳のおよそ2 人に1 人、25~34 歳のおよそ4 人に1 人は非正規雇用者であり、15~19 歳の失業率は8~10%、20代の失業率も6~9%前後となっています。給与所得者に占める年収200万円以下のワーキングプアといわれる人々は、常に1000万人を超え、4~5人に1人となっています。そして、生活保護受給者数は昨年10月時点で、最多の216万人に達しました。 働いている、いないに関わらず、生活に困窮する人々が増えていることと併せて、地域社会の中で分け隔てられ、排除される人々が増えています。ひきこもり、ニート、シングルマザー、介護・支援を要する高齢者、アルコール・薬物依存者などが、これまで生きてきた家族や職場、地域のつながりが解体や縮小へ向かう中、そこからはじき出され、孤立したり、病院や施設に収容されてゆきます。 彼らが地域社会の中で役割を担い、他の人々と一緒に動きながら暮らしを創り直してゆくことが問われています。そして、既に、さまざまな形での就労支援や事業所づくりが試みられています。障害者就労における「職場参加」の取り組みも、こうした試みとつながりながら、互いの働き方、暮らし方をつきあわせ、地域のあり方を共に考えてゆきたいと考えます。 (4)多様な就労を拓く共に働く街づくりと自治体 ここでいう「多様な就労」とは「雇用の枠をこえた多様な働き方を含めて考え、福祉の対象とされてきた人々も含めた社会参加の重要な一環としてとらえる」という意味であり、「職場参加」と同じです。 しかし、「多様な働き方」、「職場参加」というと、働く本人、家族、支援機関等の問題とみなされやすいので、ここでは受け止める職場、地域の問題も含めて考えるために、「多様な就労(機会・創出)」と表現したのです。 バブルが崩壊する前は、顔が見える地域があり、地域を構成する多くの小さな事業所では、同じ地域で暮らすさまざまな障害者が職場にいました。これらの事業所は法定雇用率も助成金も就労支援も関係なく、障害のあるなしというよりも、信頼関係や義理人情に基づいて、かなり重度の障害者たちも共に働いていました。福祉の場は少ししかなく、働いて生きるか、山奥の施設か、家の奥かという時代でしたから、受け入れた事業所ではさまざまな働き方を工夫し、時には生活の世話までしたものでした。 かっての職場、地域の状況は大きく変わってしまいましたが、地域を構成する重要な要素の一つがたくさんの小さな事業所であることに変わりはありません。雇用拡大どころか事業存廃の岐路にある地域の事業所を支え、共に働く地域の再生をめざすことはできないのでしょうか。 私たちは、ささやかな経験の中から、できると考えています。もちろん一挙にではありません。しかし、再スタート地点に立つことはできます。 そのポイントは、福祉の実施主体であり、産業支援の役割も担う、地元自治体にあります。 従来の正規雇用や法定雇用率に算定される雇用の枠をこえた、たとえば週1時間の就労や、5人が交替で働いたり、あるいは10人で仕事を請け負う形や、1回3時間・全5回の短期訓練や職場体験など、ハードルを低くした働き方(職場という社会への参加法)を、福祉施設の重度の障害者も含めてできるようにしてゆくこと。これを、自治体職場でモデル的に行いつつ、地元事業所をサポートすることです。また、障害者だけでなく社会的困難を背負わされた人々も含めて共に働く事業所づくりの支援も重要です。 非正規労働を美化したり、雇用率は関係ないという意味ではありません。重度の障害者も含めて、さまざまな人が職場・地域で出会い直し、そこで働き合い方・暮らし合い方を工夫し、編み出してゆくことから再スタートするためです。 (5)シンポジストの紹介 第1部で報告されるチャレンジドオフィスちばは、福祉部局でも労働部局でもなく、総務部総務課内の職場であることが、県としての当事者意識を感じさせます。また、同県が全国初の障害者差別禁止条例を施行した時期に立ち上げられたことも、注目されます。 同じく第1部で報告する沖山前所長は、福祉も雇用促進もまだ施策が乏しかった時代に、障害者就労支援を切り拓いてきた一人です。さまざまな支援施策ができた反面、そこに依存しすぎ、障害者本人や事業主、同僚の顔と生きざまが見えなくなりかけている支援の現状に、強烈なパンチを浴びせてくれるでしょう。 第2部のNPO法人やまぼうしは、「まちも、会社も、障害者も、元気!!日野」や「地域で共に生きる・働く…自然と人との共生をめざして―まちを耕す・障害を持つ人が まちづくりの担い手に」というキャッチフレーズに示される通り、日野市の障害者計画、地域福祉計画のエンジンとして活躍しています。 職場参加の提唱者・木村新座市議は入院中のため、ピンチヒッターとしてふらっと専従職員・大野聡さんが見えます。ふらっとは通所施設ですが、開設以来、社会参加・職場参加の拠点として活動しています。 ワーカーズコープは、失業者、中高年の仕事づくりに始まり、労働者であり経営者でもある新しい働き方を実践しながら、地域社会を変えてゆこうとしています。ひきこもりの若者や生活困窮者、障害児者、家族も含めて、共に生き、共に働く関係を重ねています。労働者=経営者という関係がはらむ矛盾は、さまざまな人々が共に働けるようハードルを下げる「職場参加」がはらむ矛盾と葛藤を通した発見、再生の道と共通するところがあります。 三郷市障害者就労支援センターは、越谷市障害者地域適応支援事業を参考に市役所内で2年間職場実習を行いました。同センターが市直営であるため市役所内での役務の切り出しの依頼も同センターが担うなどの関係を通して、優先調達法などを含めて市役所職場の役割について検討を深めています。 指定発言の原さんは、聾学校という障害者就労の歴史のもっとも長い現場で進路指導を担ってきました。職場、地域をどう切り拓き、共に働く上での折り合いを探って来たのか、リアルな試行錯誤を伝えてほしいと思います。 コメンテーターの産業労働部就業支援課は、画期的な短期訓練の事業を今年度も継続して実施します。障害者支援課は、優先調達法、共同受注センターなど、職場参加に生かせそうな施策を担当しています。越谷市障害福祉課は、当会が運営を担っている市障害者就労支援センターの委託元です。 コーディネーターは、かって越谷市障害者就労支援センター所長を務めた経験があり、現在は障害者の社会参加、介助、仕事を総合的に取り組むセンターの事務局長です。 職場、地域のあつかいが希薄化し、人と人の距離が遠くなり、つながりの中で生きていた人々が分けられて支援制度の対象者となり、税負担が過重になることにより制度の切り捨ても進められる時代。こんがらかった糸が切れないように注意しながら、人と人の綾取りを再開する展望を探ります。 |
今シンポのタイトルは「共に働きあう街に向け自治体と一緒にできることは」といった意味。重い障害者も地域の職場に参加し他の人々と働きながら出会うための、さまざまなかたちを自治体と共に創って来た方々が語ります 吉田 弘一(コーディネーター・NPO法人共に生きる街づくりセンターかがし座事務局長) 今日は、あちこちの多様な就労の形を知ることで、互いに考えあえたらいいと思います。 伊藤 勲(パネリスト・NPO法人やまぼうし理事長) 私たちは地域で共に生き働くという事と自然との共生をテーマにしてきました。1980年代に日野療護園の中で重度脳性マヒの全介助の障害者が働きたいという事で、地域に落川屋を立ち上げボランティアで関わった。90年代にまちづくりを本格的に始め、NPOを立ち上げ富良野全国NPOを立ち上げた。 そして共同連に入り、社会的に排除されている人たちとともに働く、暮す場所をつくる社会的事業所を、地方の農福連携で作って行こうという段階。 日野市とは距離があったが、障害者計画の策定委員となり、やまぼうしのやってきたことが計画の中に位置づけられている。 「街も会社も障害者も元気」が合言葉で、商工会、ハローワーク、特別支援学校などの共催で 福祉就労の場から就労にチャレンジする仕掛けをどう作るかに力を入れてやってきている。イオンモールの隣に新しい就労チャレンジの場を開設する準備に入っている。 吉田 考えていること、やっていることは変わらないが、その都度できっかけがあり、事業が動いているんだと思いました。次はワーカーズコープ、街づくりということでは似ているかと思います。 玉木 信博(ワーカーズコープ北関東事業本部長) ワーカーズコープは働く人がみんなでお金を出し合い経営にも参加し、労働と出資と経営を一人一人の労働者が一体的に担っていこうという団体。どんなものでも地域で必要な仕事であればやって行こうと、30年ぐらい前に立ち上がった。出資労働経営を一体的に行い地域に必要な仕事を自分たちで作っていくこと(=仕事起こし)を大事にしている。この三位一体型を自分たちは協同労働と言っている。 ここ10年ぐらいは自治体からの仕事が増えている。とりわけ社会的排除にあっている人たち、生活に困窮している人たち、主に生活保護を受けている人を含むが貧困で苦しんでいる人たちへの支援を行政から委託を受けてやってきている。 生活保護だけではなくもっと広くカテゴライズできないような人を受け入れることで自分たちを変え、新たな仕事を広げるきっかけになっている。 ワーカーズコープはこういう仕事をしているから温かいというイメージを持っている人も多いが普通の市民が働いているため事業所の中では様々なことがあり、全然受け入れられなかったり受け入れても中で話し合いが行われなかったり日々ごたごたしている。それを繰り返す中で自分たちも変わり、地域との関係も、地域も変わって行くと思っています。 吉田 やまぼうしは長い歴史の中で、いろんなやり方を積み重ねてきた。ワーカーズコープはシステムを作り上げることで、これまで互いに出会ったことのない人々が共に働く状況を生み出す。そういう働き方を通して楽しい、元気な街になっていくといいと思います。 大野 聡(NPO法人ふくしネットにいざ職員) 私たちの地域活動支援センターふらっとでは就労の場として鈴木農園に2時間ぐらい、車いすを利用している人や知的の人が一緒に農作業をして、そこで収穫した卵や野菜を新座団地のよろづやで販売することを昔からやっています。その鈴木農園の主人が、畑の敷地内に直売所を作り地域の方や障害者と一緒に販売したいという夢をもっていて、今年の1月からプロジェクトが発足し、いろんな人が関わっています。 黒須 さち子(NPO法人ふくしネットにいざ) 32、3年前に地域の問題を持ち寄って、みんなでお金を出し合ってよろづやが開店した。自然食品を販売しながら、ラジオの放送をしたり、子供の教育、原発の問題、障害の子どもの問題などみんなでがやがや話し合っていました。その後木村が養護学校をやめて地域でというので、ふくしネット213を立ち上げ、その後ふくしネットにいざということでNPO法人を立ち上げ今の形になりました。法人だけでは活動が広がらないという事で、ちょうどその頃新座市が地域福祉計画を策定するということで地域に活動を広げていきました。 吉田 ラジオの放送や原発というのが出てきたが、障害福祉に関係が無いこと。そういうのが出てくるとやはり街づくりなんだなと聞いていました。この辺で会場から聞いてみたいことがあればどうぞ。 会場1 富樫と言います。ふらっとの方、野菜、マルチはがしの作業とか鶏舎の作業ですが、うちも野菜を 育てているが、結構おいしいですね。 吉田 農作業は敷居が低いということですね。他の方は。 会場2 文教大教員の八藤後です。玉木さんへの質問です。かって夢に描いた計画経済のような気がしまし た。職場にはいろいろあるということでしたが、収益の分配のしかたについて教えて頂きたい。 玉木 基本的には事業をして組合員はひとり1票を持っていて、議決権を持っている。職場では所長がいたり、固定給だったり、非常勤だったり、役職に応じて給料を払っている。いろんな事業をしているが、全体の3分の1ぐらいは赤字の事業所がある。考え方が難しいが、赤字であれば給与は自分たちで出さないとか減らす選択があってもよく、そういう取り組みをしている事業所もあるが、大体は最賃を守っている。いろいろあるというのはうちは話し合いを大事にしようということでやっているが、その話し合いがうまく回っていないという事です。 吉田 その辺はワーカーズコープだけでなく全体に言えるので後の方で全体で話せれば。 大野 弘幸(三郷市障害者就労支援センター就労支援 員) 越谷市の場合はNPOが障害者就労支援センターを受託していますが、三郷市は市直営で運営しています。障害福祉課と直結しているといいことも悪いこともあり、チャレンジ雇用の制度を生かして、千葉県みたいなことを三郷市も目指し、結果ダメだったという話をします。 最初全庁にこういった仕事があったら下さいと説明したが、仕事の依頼はゼロ件。障害者ができるのか、間違えたらどうするのか、個人情報はなど、そういったときはどうしようと市役所側は不安に思った。 でも一回やってもらうと、双方の気持ちが変化する。役所はこわい、緊張するとか、お役所対応されてイラッとしていた人が仲良くなっていたり、誤解が解けていく。児童館で勤めていた人や学校事務にいた人が小学校の時にいた人で、再会して、当初は絶対報告にはいかないと言っていた人がその職場なら行けるとか、ちょっとしたつながりができてきます。 今回優先調達法に乗せ、予算を組んでもらいました。一方では、就労というところまでどうやってマネジメントしていくか、各課と調整していくかというところで、就労支援センターの本業があり、なかなか先に進んでいません。今後どうなるか。予算配分の問題もあるので。 吉田 「役務から雇用へ」も段差があると思う。優先調達法がスタートしたことや、役所で雇っていってほしいということで、われわれもグループワークをやっているわけです。ただ、実際の雇用となるとまた壁が高い。そういう中で、働き方と働かせ方みたないもの、自分たちで働き合うルールをどう組み立てているか、各自からお聞きしたい。 玉木 いろんな困難を抱えている人と一緒に働いていると、各自の仕事のスピードなど違う。能力差によって賃金を変えるという事は実際には起きる。そういうことが起きた時に、自分たちの労働のあり方を見つめたり、その人がいることで事業所にどういう影響があり、どう変化したのか、立ち止まって考える機会になる。 平等という事を大上段に構えているより、そういうことをみんなで考えることがいいと思う。 伊藤 やまぼうしの場合、最初に最重度の府中センターから地域に移ってきた人が仕事をしたいという事で何ができるかということで始まった。職安に行っても仕事もないし、介助が必要な人の職業訓練も相手にされない。味噌を取り寄せて袋詰めして行商することが始まり。 だから工賃よりも自分たちでできる仕事をしたい、施設の中で専門家のリハビリ訓練を受けている生活よりも自分たちの人生を自分たちで作っていきたい。 その後自分たちで出資してお店を持った。半年でつぶれると言われていたが、40年続き、今は16事業所で年間で1000万ぐらいの事業所になった。カフェも最初は弁当少しから始まって今は毎日250の弁当を作って完売している。年間3500万ぐらいになって、平均工賃が3万円。それを何とか最賃ベースにもっていきたい。全体で工賃を標準化することはやっていない。その人がこう働きたいという事で年金なども考慮し、出来る仕事を探していく。気持の準備が整ったらまたハローワークに行くなど。一人一人さまざま。 大野 ふくしネットの理念は、障害があってもなくても地域でという事に取り組んでいる。車いすだろうが知的だろうが、その人の持っている良さは何かある。 黒須 アルバイトに行っている人もいるし、よろづやの店番では時給400円だったり、行き場のない人もいるという状況です。 大野 今回優先調達法で参加した人は引きこもっている人でバリバリ仕事はできたが、そういう人は逆に自分が仕事ができるんだとか、自信になって、工賃だけでない、そういう競争だけでない社会も作っていかなくてはいけない。簡単な仕事だから納期がずれるのは絶対いけないということはない。一回決めたら変えられない働き方ではなく、ゆるい方向にも変えていける働き方は今後も考えていきたいと思います。 吉田 では会場から指定発言で、原さんにお願いします。 原 和久(元都立聾学校進路担当教員) 昔、ろう学校にいた時職業教育がメインでした。私は印刷科で当時は活版写植オフセット印刷が主流。そこを卒業すると一般社員と一緒。女性は和文タイプで就職していきました。 ある女性が、私は一般の会社で事務をやりたいと言ったのですが、事務は電話があったりして絶対無理だと押しとどめました。それから数年後の76年に雇用促進法が義務化になり、一般事務でも就職が可能になったのです。すごいカルチャーショックを受けました。 その後、知的障害の養護学校に異動しました。一般就労という概念が崩れました。都立の養護学校の中でも一般就労が高い学校で、就職先もいろんなところで今でいう外食産業で、洗い場だったらお昼の洗い物がいっぱい出る時間だけとか、サイゼリアのおしんこの盛り付けだけとか。こういう働き方があるんだと。これが二度目のカルチャーショック。それが今につながっています。 吉田 最後に、県と市の方々からコメントをいただきたい.と思います。 鎌田 茂樹(埼玉県産業労働部就業支援課障害者支援担当主幹) 先ほど来からのお話を、感銘を受けて伺いました。40年近い流れの中で今があることがわかりました。 現在は、県内でも56の就労支援を行っているところがあります。民間の雇用の場を拡大する中で、企業で働ける人、企業は無理だが福祉の場で働く人、難しい人。アセスメントを踏まえその方が自己実現する形を作り上げサポートしていくことが重要なのかなと思います。民間と実質的な協働で進めていくとより良い福祉、まちづくりを進めていけるのかなと思っています。わたしたちはあくまでも一般就労ですが。 高山 文子(埼玉県福祉部障害者支援課就労支援担当主幹) 就労継続B型事業所の工賃向上が主な業務です。県では2万円を目指して計画を進めています。やまぼうしさんの3万円、最賃クリアを目指しているというのを聞かせて頂き、現場の方の積み上げてきたものが大事で、行政が旗を振ったからといってどうなるものではないと思いました。 それから優先調達法ですが、主なものは県庁内で買ったものを報告してもらっているのと市町村への指導です。そういうことをしているので、三郷市で庁内の仕事の取りまとめをやっているとお聞きしましたが、なかなか県庁全体の仕事を取りまとめてというのは日々の業務では出来ないので、各課に買ってくださいという普及活動をしている状態です。 たまたまある部署から、「見積もりをお願いしたがなかなか出してこない、こんなのでは仕事を頼めない」と苦情を言われたことがありました。一人一人の職員レベルでは一般の事業者に依頼するのと同様に思っているようです。三郷市さんの話を参考に日々の業務を進めていきたいと思いました。 藤城 浩幸(越谷市障害福祉課課長) 昨年もこの総会、シンポジウム、冬のシンポジウムにも参加しましたが、越谷市として地域と密着して事業を行っています。地域適応支援事業のことですが、実際に障害者を受け入れる中で職員が驚いて、「こういうこともできるんだ」、「この仕事を任せても大丈夫だ」という反応を聞きます。が、同時に、「今日は来ない」といった逆の立場から見る職員もいます。雇用する側の立場から見ると雇用しづらさがあるのも感じています。それに対して批判するつもりはありませんが、お互いによく知るということが多様な就労に結び付く第一歩と感じています。 あと、補足になりますが、就労支援事業の「外部評価がC評価」ということについて、一言説明しておきます。就労支援事業は、ハローワークを利用するすぐに就労に結び付く人を除外した事業という事もありますので、一般の就労に結び付かない事業ということで、C評価でダメだということではありません。今後も発展させていかなければいけない事業という応援の意味も含めてのC評価なんだという話をさせてもらいたいと思います。今後も障害者の就労支援を頑張っていきたいと思っています。 吉田 ありがとうございました。今日のテーマは、共に働く地域、自治体でした。各地で取り組んでいる実態はかなり伝えあえたたかと思います。次のステージに行ける感じがちょっとしています。 |
記念シンポジウム「障害者の職場参加(多様な就労)と自治体―いま地域では」 第1部:報告 「チャレンジドオフィスちば」の視察報告 日吉 孝子(当会運営委員) チャレンジドオフィスちばは、千葉県庁内の総務部総務課人材育成班というところにあります。障害者はスタッフと言います。雇用期間は短くて1年、長くて3年。 各自が目標を立て、就労体験を経て一般就労していきます。あくまで一般事業所へ就労するための通過地点です。 9名が雇用され、朝9時から16時までが就業時間。そのほかにコーディネートをするマネージャーが2名います。 雇ったからわざわざ作ったというより県職員が残業などしてこなしていた仕事を受け持っています。 大きく3つに分けると定期的業務、二つ目は随時依頼業務、3つ目は納期の無い業務です。マネージャーの コーディネートで年間を通しての仕事の平準化が図られています。また仕事量を把握してできる量だけ担当しています。そのため各部署からあてにされ仕事の広がりに繋がっています。 オフィスの特徴として、一つ目は行政自身が本気になって障害者雇用のノウハウを蓄積して障がい者雇用のモデルを示す。二つ目は長期ではないので、多くの障害者が就労できる。随時実習者の受け入れをしています。 オフィスには県内外から問い合わせ視察があり、すでに3市がこのシステムを実施。この千葉の取り組みは形を変え応用すれば多くの自治体で可能だと思いました。 「働きづらさ」とつきあい続けた40年 沖山 稚子(越谷市就労支援センター前所長) 働くことにこだわった40年でした。学生時代は在日朝鮮人の就職差別の問題に強い関心を持って終りました。兵庫県の尼崎工業高校の聞き取りに行ったりして、進路指導の先生に学生がそんなことを卒論でやって何の意味があるのかと言われた。当時からそういう魂があり、とにかく何か聞かせてください、学ぼうとする姿勢には意味があるのではないかと食い下がり、文化祭に呼んでもらったりしました。 77年に千葉の障害者職業センターに就職、5人の職場でした。80年代は国際障害者年、ICIDHの考え方も整理され、障害というのは疾病・傷害の部分、そのことでできなくなる能力障害の部分、そしてそのために働けないハンディキャップという諸要素からなると。もともと言語化されなくてもそういう感じを持っていましたが、ずいぶん整理されたなと思いました。 DISEASE or DISORDER(疾患・変調) ↓ IMPAIRMENT(機能・形態障害) ↓ DISABILITY(能力障害) ↓ HANDICAP(社会的不利) 大事なのは、90年代、国が全国4か所で5年間地域障害者雇用推進総合モデル事業をやった時。ちょうど埼玉センターに2度目に転勤して来た時のこと。国はもっと重い障害者の雇用を進めるためにと称して、パソコンを各市に配り、そこに我々がまとめた雇用好事例を見られるようにするんだと言うので、私達は抗議しました。 そんな時に新座市のよろづや、木村さんや春日部の山下さん、本田さんに出会いました。この時に職場参加という言葉に初めて出会ったんです。 鮮烈で、職場にいるだけでもいいんだと。この言葉にショックを受けた。そういう活動なら通常の就職が成り立たない障害者も居場所として参加させてもらえるのではないかと思いました。 西は新座、東は黄色い部屋にどんどん紹介しました。まあ、いまやっていることなんですね。それを当時からやったということで、いま自慢しているわけですけど。 定年前は、職リハの研究部門にいたので、地域センターにいたのでは接点が少ない各種障害の就労支援に触れることができました。最後の研究部門では障害者を雇用して、最期を看取って墓まで作ったという中小企業の人の話を聞き、障害者の終業支援という事をテーマに挙げ、設立20年を経た特例子会社の就労例の聞き取りをして事業所サイドの考え方を学びました。 そしてまだまだ就労支援の仕事をしたくて就職活動をして、山下さんに誘われて越谷に来ました。来てみると、全県一区の地域センターとは大違いで、ハローワークと同居、地域20キロ内、ハローワークと同居しているのでたくさんの人が来ます。 おりしも国レベルの制度も改正され、今は精神障害者をみなしカウント、対象施設も小さくし雇用率も2パーセントとなる。そうした状況に向き合う就労支援センターの在り方を昨年秋ごろから考えてきました。 そんな時、市の事業の外部評価でC。Dだといらないということで、Cは就職者が少ないということだと、課長に言われました。こういう評価も通過するように就職者の支援もきちんとやろうと。その通りだと思い、支援センターの体質改善をしたいと思いましたが、なかなかうまく行かず、私も責任を取って退職しました。嫌だからではなく魅力的な地域だと思うし、私も非常勤の就職支援員として続けています。 終りに、山下さんが付けている活動日誌の96年5月22日のコピーをもらったので、紹介します。「沖山さんはぼくら以上に職場参加の趣旨をよく理解してる」とタイトルが付けられています。 「職域開発援助事業の3、4ヶ月位で重度の障害者が変わるなんてことは、まったくありません。変るのは受け入れ側の人達の態度なんです。」 「障害者と長く付き合っている、いないということは、必ずしも関係ありません。現によろづやの人達がいま職業センターに月2回掃除の仕事に入ってるんですが、車イスや分裂症の人達が仕事に来る。その人たちはセンターに仕事を見つけたいと言ってくる人たちよりずっと重度なんですね。そういう人たちがやってくると、所長が、すみませんねと言いながら、一緒に掃除したりしちゃう。」 「私自身のことを考えても、働くことによって失ってしまったものが、けっこうあると思うんです。生きがいとか人間関係とか言いますけど、そういう一見プラスの面だけじゃなくて、その反対の面ももっているのが、働くっていうことだと思うんです。」 「市役所で職場実習しても、けっきょく一人が別枠で雇用されたというだけだったら、あまり意味がないと思うんです。それよりは、職場実習を繰り返しながら、終わるたびに週1日という契約でもいいから、つぎつぎといろんな人が働けるようにしていく。肢体不自由の人だけじゃなくて、知的障害や分裂症の人も、市役所で働いているようにしていく。そういうことが大切だと思うんです。」 おもしろい人だ。46才。子どもが小6。 こんな文章をいただき、それで元気が出ました。辞めることの方が勇気がいりましたが、決断しました。こうした流れの果てに今があります。この職場参加の取り組みは、昨日今日のことではないということを心に刻んでいただきたいと思います。 |
〒3430023
越谷市東越谷1-1-7 須賀ビル101
職場参加ビューロー・世一緒(よいしょ)内
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