ようこそ、キッチンとまとのホームページへ。
「ワーカーズ・コレクティブ キッチンとまと」は、可能な限り地場産の農作物を使用して、安全・安心なお弁当を届け、誰でもが高齢になっても働く場としていきたいと願っています。
またワーカーズ・コレクティブとして、地域に必要なものやサービスを市民事業化し、自分たちで出資・経営・労働を担うという組織づくりをめざしています。
いくつになっても働ける、家族的なお店です。
日変わりのお弁当
日替り弁当:580円 おかず430円
半ライス530円
休業日:土・日・祝
(休業日でも、前日までにご注文いただければ、お届けします。)
水辺の市(越谷・にぎわいの会)◇2018年05月08日(火)
(2018.05.12)
△家の周りに畑を作り、敷地は600坪。その庭の一角で写真を撮らせてもらいました。
左下は、今月の水辺の市。「
キッチンとまと」で販売されていた「スナップエンドウ」。
「少量多品種」でこまめに出荷し、リピーターの期待をつなぐ。
△ 田村さん(もうじき69歳。取材日は2018年4月20日[金])は越谷市の神明に在住して、毎日、朝どり野菜のために「朝は3時、4時に起きて作業を開始している」と開口一番、元気に答えてくれた。
作っているものは、「少量多品種」が特徴でトマト、ナス、キュウリ、枝豆、ブロッコリー、ミョウガ、小松菜、そしてお米などなど。
「ふらっとがもう」へ毎日、朝どり野菜を
「ふらっとがもう」は、越谷市社会福祉協議会が越谷商工会議所と越谷市から受託し運営している施設。
そのHPによると「施設概要」――蒲生駅前商店街内の空き店舗を活用し、商店会の活性化と、地域の困りごとを地域で支える仕組みづくり事業(越谷市地域支え合いサービス事業)と高齢者の居場所づくり事業(越谷市助け合いの仕組み事業)を平成23年10月1日に越谷商工会議所と越谷市から受託し運営しています。
事業の目的を以下のように書かれている。田村さんは以下の「地場産の採れたて新鮮野菜の販売」に資しているようだ。
(1)サポートスタッフ派遣(地域支え合いの仕組み事業)
(2)地場産品・こしがやブランド認定品販売
地場産の採れたて新鮮野菜の販売や、伝統的手工芸品、ブランド認定商品のPR・展示・一部販売を行っています。
(3)高齢者の居場所づくり
〒343-0836 埼玉県越谷市蒲生寿町17-12 、TEL 048-986-5115
東武スカイツリーライン「蒲生駅」から徒歩2分
△出所:クワイエ 5月更新情報!(こしがや子育て)のサイトより。
昨年、須長さん(キッチンとまと)と一緒に訪問した時、「水辺の市」に出店している「お茶のみすゞ園」さんのお茶なども棚に並んでいた。
自慢は、「自前の堆肥をつくって畑にいれていること」
「越谷市の歴史を書いた本を読むと、この地から千住市場や都内へ大八車を引いて農産物を運んだことが書かれていますが」と、昔の生活を聞くと、田村さんのお父さんの時代は、神田市場(秋葉原駅近く)まで持っていくのに「千住大橋をリヤカーで上がるのが大変だった、と親父が話しているのを記憶している」と。「昭和30年代かな」と昔を思い出しながら話してくれた。
△堆肥づくりの現場。右はビニールハウス内の土の表面。
△別のビニールハウス内で育苗中。
田村さんは、農産物を作っていくために力を入れているのは「自前の堆肥をつくって畑にいれていること」と力説した。今も「トマト用ビニールハウスにネコ(一輪車)30台分の堆肥を入れた土づくり」をやっているという現場を見せてくれた。
葉物野菜などは「虫」」対策が大変。昔からやっている先輩などから教えてもらって、その対策にも力をいれているようだ。
いま「種子法(主要農作物種子法)の廃止」問題が話題になっているが、「野菜の基本の種はどうしているのか」と聞くと。「越谷の生産者は中野屋種苗店さんにお世話になっている」とポツリと話していたが、同行していた大家さん(NPO法人さいたまNPOセンター越谷事務所)が、「JAではないんですか」と驚いた声を出したが、「みんな中野さんだよ」と言い切っていた。
最近は、従兄弟さんから市民祭り(船橋)などに頼まれて「軽トラに野菜をいっぱい積んで販売に行くこともある」という。「売れ切れるんだから面白いよ」と。
編集子も1990年代に「市民生協の産直市」をたびたび取材してきた、全国からトラックに自慢の野菜・生産物を積んで駆けつける各地の産直センター・農家グループの人たち(お父さん)は、「とにかく都会の市民生協の組合員さんと夜な夜な交流するのが楽しみなんだ」と話してくれたお百姓さんの顔が浮かぶ。
農家なので昔からの「乾燥機」やさまざまな古い機械が、納屋のそこかしこにあるが、「新品を買えばみんな数十万円になる。昔からやっているいるので設備投資が少ないのでいまやっていられている。こっちは年金生活者だから」とも話す。
帰り際、納屋の外に空になった地酒の一升瓶がいっぱいあった。「それは千住にある酒問屋から手に入れているんだ」と。「毎晩、どれくらい飲むんですか」と聞くと、昔から「○○〇とお酒は2〇〇と決まっている」と「おやじギャグ」で〆てくれた。
水辺の市(越谷・にぎわいの会)◇2018年12月19日(火)に取材。
(2018.12.21)
2019.07.03
(上をクリックしてfacebookへ)
先日(2018年12月19日[水])の夜、《くわい(慈姑)》を生産している齊藤 武佑(80歳・北後谷)さんに、急遽、取材に行ってきた。齊藤さんは越谷市総合体育会館内外で開催された「第17回こしがや産業フェスタ2018」(2018年12月1日[土]~2日[日])の農産物の共進会(品評会)で「越谷市長賞」を《くわい(慈姑)》で獲得した人。
100年以上もつづく《くわい(慈姑)》生産者
《くわい》は越谷名産で有名で、いまでも全国2位の出荷(第一位は広島県福山市)を誇っており、正月のおせち料理に欠かせないものといわれている。
編集子が市内に住み始めたのは12年前だが、そのころ、NHKの番組で「越谷発」で放映されていて、珍しがって観ていたが、斎藤さん曰く「いまはめんどうだから断っている」と話す。
斎藤さんは、この地で3代も続くという。100年以上もつづく生産者だ。
《くわい(慈姑)》の形状は、不思議な形をしているし、触感は野菜といわれているもの中では、根菜類のサツマイモ類・じゃがいもなどとともに固く、「畑のくり」ともいわれている。しかし斎藤さんは「畑ではなくて田んぼだよ」と。
WEB上の写真で見ると、葉っぱは少し大きめのモノで、水は少なめの感じだ。
「植え付けは毎年、梅雨の時期で6月ごろ。それまで4度に保った保管庫(冷蔵庫の大きなもの)に入れておく。栽培で大変なのは、水の管理なんだ」と語っていたので、「肥料は配合など大変ですか」と聞くと、すぐに「それは企業秘密」と。
《くわい(慈姑)》の種は、「ジャーミー」と称す、小ぶりのモノそのものを田植えしていくという。
今年は台風の被害を受けて6割ぐらいの生産
正月前のいまが出荷のピークのようで、作業場に入っていくと、《くわい(慈姑)》がいっぱい入っている1メートルを超えるプラスチックの桶数台と一風変わった「洗濯機形状のくわい洗い機」が、音を立てて回っており、泥よけをしていた。
市内10人の《くわい(慈姑)》生産者仲間と、岩槻などの人たちと共同出荷していて、その関西向けの出荷が、18日頃までつづき大変だったが、これから「関東向けになるんだ」と話しながら、「今年は台風の塩害で、生産量が6割ぐらいになった」と残念そうに話す。
毎年仕入れているという、キッチンとまとの須長さんと「うさかめ」(クラブ生協)の女性が水に入れて楽しんでいたという話に、斎藤さんは「メダカを入れてくわいの葉っぱを育てててみるのもいい」と話す。
来年の正月向けの弁当に「素揚げのくわいを入れる」(毎年)と話す須長さんの活動は、この地域の中で着実に広がっている姿を見えてきた。
△自宅で試しに作った「くわいチップ」。カリカリして、おいしかったです。
△ 生活クラブのくらぶルーム(組合員活動スペース)の「うさ・かめ」(
越谷市北越谷4-22-6)でも販売していました。
水辺の市(越谷・にぎわいの会)◇2017年11月14日(火)
(2017.12.08)
▼育苗ハウスで大事に育て、整然と植えられた「ハウス桃太郎」。
△この後も一つひとつビニールひもで段ごとにポールに立つように育てる。この労力は並大抵ではない。
△11月14日(火)開催の「水辺の市」は、お昼過ぎに雨が降ってきて「タンク☆ポップ」さんの野外ステージは、残念ながら2回目ができなかった。
この日(11月16日・木)は、天が青く輝いた晴れ、三ツ木宗一さん(越谷市増林)のトマトのビニールハウス内は温度管理をしていたが、上着を脱いで話を聞かざるを得ない暑さ(24度ぐらいあったか)。
トマト生産の誇り
ビニールハウス内には、10月27日(金)に育苗のハウスから一株一株育てたポット(黒のビニール製の鉢状のもの)を移し植えた状態から、まだ20日ほどだが、きれいに整った圃場が仕上がっていた。背の高さは60cmから1
mほどだったが、1200株で二つに枝分かれた茎(2400)を一つ一つ、ポールにビニールを止める作業は、大変な労力だ。
土の半分に黒マルチのカバーがかけられ、トマトはすでに「根っこの自己保存機能」を発揮してすくすく育っていた。黒マルチの下は、地下水から水分を上昇させ水気を含んだ潤んだ土になってなっていた。
成長した「玉」(このように表現していた)を太陽との関係で、一つひとつ手作業で向きを変えていくという。これも大変だ。育った茎は、枝の段が何段にもなり、背丈は1m50cmほどの高さになる。
そのうえ、温度管理は「自動化」してビニールハウスの上部が移動して、空気の入れ替えシステムを構築していた。これは「私が一番早いシステム導入だった」と自慢げに語る。
来年(2018年)の1月から、出荷ができる、という。
土づくりのノウハウは、窒素の分解プラス水分の吸収の話を伺ったが、一朝一夕では理解できない、三ツ木さんたち「トマト部会」(2017年4月に本サイトで紹介した髙橋政太郎さんなども参加している)で情報を共有してきたとのこと。
「一番この仕組みを分かっているのは。“きんちゃん”(田村さんとのこと。一緒に行ったキッチンとまとの須長さん談)と僕だな」と話していたが、その方にも会いに行かなければならない。
昔は、茎のそばにガラスを貼り、育っている状態を見られるように工夫して育て上げた、という。
とにかく、トマト生産はほぼ30年、安定した収量と出来映えができてから20年になる、と。その間、いいトマト栽培の先進的取り組みがあるといえば、栃木や群馬などの関東各地の生産者を訪問して学んできたという。
育てているトマトの品種は、「ハウス桃太郎」で、香り、酸味、そして甘い食感が味わえて、大変好評なのだそうだ。ただし栽培が難しく「暴れる」(変形する?)と話していた。
▽品種の特性
○主な生産地:千葉県・栃木県・静岡県・熊本県
○出荷期:10 月?5月
○特性:①桃色トマトの代表品種。桃太郎ファミリーの
1つで、冬春トマトの主流品種。
②果実の皮は透明で果肉は桃色。完熟で赤に変わる。
③糖度は高く、酸味のバランスもよい。
販売方法も先見的に早くから「看板やのぼりを作り、街道に張り出し、直販に力を入れ、今の増林マルシェの先に、行っていた」という。
直販している「越谷米」
△トマト以外ににもメインで「米づくり」を2町歩ほど行っている。
本当にうまいから食べてほしいという。
キッチンとまとのお弁当のお米は、この三ツ木さんの生産米だ。
農地の単位は昔から生産者の取材に行ってよく聞かされたが、今でも理解できない。「何反」「〇町歩」と聞くスーっとわからなくなる「素人」だ。
あるページに紹介されている数字を書くと「1町は、3,000坪、9,900m、2 3,000歩、100畝、10反」となる。
またコメはどのぐらい収穫されるのか――「1町の土地からは10石強の米がとれます。米10石は重さにして1,500kg=1t500kgです」と書かれている。
このへんは取材できなかったので、メモ風に書いておく。
三ツ木さんは、「お米は昔から直販で、顧客がほとんど決まっており、新規申し込みは、残念ながら受けてない」ようだ。農協に供出する方法ではなく、「昔からお母さんの裁量、判断で、顧客を自ら探して販売する」方法をとってきたとのこと。
20数年前、秋田県大潟村(開拓農民)で、コメ減反の政策に反発した農家を取材したことがあるが、この越谷の地で、その当時から実践していたわけだ。
三ツ木さんは「政府の減反政策は本当に許せない」と昔から思っていたとのこと。
▼この時期、水田は、来年の田植えまで「休息中」。刈り取った「コメ藁を干して」いる。
子どもたちへ、若い世代へ。
△ご自身は越谷市の農業委員を担って、越谷市農業の発展を実践しているが、農業を大事にして真剣に取り組む未来のために、子どもたちへの継承を願っているようだ。
「昔は増林小学校のPTA会長を長くやっていたので、子どもたちが見学してきて、学校でも教師に指導され、子どもたちが栽培したことがありました。教師が変わると後がつづかない。もう一度やってみたいですね」と。
次に、世代の継承も一言。
「若い世代は、私どもの貧しさを経験した時代といまはまったく違って、何でも手に入る時代になっている。あのバブル(1980年代の)があって、農家も農業より“不動産業”になってしまったところもあります。まだ越谷市内には300軒以上の農家がある」と話す。
「若い人たちに農業・米づくり・トマト栽培」に携わってほしいですね、と話すと。
「次を継いでくれて、やる気をもって農業をやる人が出てほしいと思っている。訪ねてきたら、応えたいですね」と語っていただいた。
短い時間でしたが、「越谷弁」(らしい)のイントネーションを含めて、近しい感じをもたらしてくれた空間だった。
▽越谷市農業団体連合会のご紹介のHP
あなたと生産者をつなぐ越谷農業情報発信サイト
「こしがやふぁーまーず」
越谷の農産物生産者(農団連会員)
増林地区三ツ木 宗一 トマト、米 〇(グリーンマルシェで販売)
http://www.koshigayafarmers.jp/farmers/
▼増林の「マルシェ」で買えますし「キッチンとまと」のお弁当で食べられます。
水辺の市(越谷・にぎわいの会)◇2017年9月19日(火)
▼ほれぼれとする高さを誇る屋敷林。後世の世代にも伝えていきたい。
△20~30mを超すケヤキなどの屋敷林に囲まれていた。右は「大落古利根川」を背にして、屋敷林を説明する宇田川さん。
△宇田川さんは、定年を過ぎて「農の仕事」に復帰して、「タケノコ、ふき、古代米、オクラ、ナス、にら、カボチャ、ニンニク、たまねぎ」などを生産・販売(JA越谷市農産物直売所ファーマーズマーケット「グリーン・マルシェ」と北越谷のくらぶルーム「うさかめ」(生活クラブ・越谷)など)していながら、私たちの食卓にはあまり上らない「ふだん草(ホウレンソウと小松菜の間の感じのもの)、ナツメ、おかのり」なども得意として育てている。
今回は、到着早々、自宅前に用意された蚊取り線香の丸い包み(WEB上に「小巻ちゃん おそとセット」という商品名のものがあった)を腰にぶら下げて、「蚊の大群」が飛び回っていた「屋敷の北側」にそびえたつ孟宗竹(もうそうちく)の竹林に入り込んで行って説明を聞いた。
この竹林は300㎡もあり、高さ20m以上もそびえたつ、ほぼ1000本以上もあり、孟宗竹は寿命が「80年から100年」といわれているが、毎年、おいしいタケノコを産出しているとのこと。
出荷の時期は、埼玉県は早いところは4月~、ここはもう少し遅いようだ。
新芽のタケノコは残さない場合は、地上1mぐらいでバッサリ切られていた。
△ミョウガの畑。右はミョウガが顔を出している姿。
△蚊がブンブン飛び回っていたので退散しようと思ったのだが、続けてその奥にあった「ミョウガ畑」に行き、説明を受けた、ミョウガは北側の土地で育つようで、1mぐらいの背丈の草木の間の地表面に「ヌクっと」顔を出したものを摘出して、土を取り除ききれいにして販売しているようだった。
ここでも蚊の大群は、押し寄せてきていたが、宇田川さんは雑草の中を、土手の上までみんなを連れて行って、「大落古利根川」の滔々(とうとう)と流れる河川とそびえたつ「屋敷林」を自慢していた。
たしかに10種類以上の木々は越谷エリアでもここしか残っていないという。
「オオタカ」の狩場にもなっている、という。
早く表に行きたいが、連れて見せたい気分もわからないところではない。
自宅に帰って調べたら「古利根川」の渡し船がどうも近くにあった、歴史・由緒がある土地のようだ。
自宅前に戻り、古民家風の建物の一つは100年以上もたっているもので、藁ぶきの上から「青銅で葺いた屋根」が残っている。
お父さんの代に建てられた家の前には1mを越える「鶴と亀像」が、玄関前に立っていた。
宇田川さんの祖先は、徳川家康が江戸幕府を開いたときから、この地で農業を主として生きていた歴史をもっているという。越谷の歴史は、家康の存在と結びついているのだ。
越谷市のHP:「1603, 慶長8, 家康、江戸に幕府を開く. 1604, 慶長9, 家康が越ヶ谷御殿を造成する( 現在の御殿町)」
http://www.city.koshigaya.saitama.jp/kanko/rekisi/nenpyo/nenpyo1.html
▼ご自慢の畑の一角の中で「この中に宝物がある」と話す宇田川さん。
△庭先の畑に、「宝物がある」という風景が広がっていたが、ご自身は「小川町の有機農法で有名な人」(金子さん?)から学んでいるという、栽培方法が広がっていた。
http://www.shimosato-farm.com/
今年の夏は、雨が多くて、「イチゴの苗」も育たなかったという畑を見せていただいたが、その横に「ふだん草」がこれだと示してくれたが、なるほど「雑草」ではないんだいう思いを植え付けられて帰ってきた。
越谷にこのような「土とともに生きている先達がいる」といういい気分になって、帰ってきた。いただいたミョウガは酢漬けにしたらおいしかった。
ただし体の左側半分に、10カ所以上、蚊に食われた痒さが残った取材だった。
▼増林の「マルシェ」「くらぶルーム・うさかめ」(生活クラブ・越谷)「キッチンとまと」のお店で販売。
水辺の市(越谷・にぎわいの会)◇2017年5月9日(火)
▲左から取材者の大家けい子さん、佐藤春江さん、須長こう子さん。その右が内田よしこさん。そして右側が内田裕(ひろし)さん。
△越谷市の東側、いつか行ってみたいと思った古利根川(正式には大落古利根川と表記されている)の河畔。越谷市役所横のウッドデッキの向こう側の元荒川も中川につながるが、古利根川という由緒ある川が流れている肥沃な土地だ。そこに畑を作っている内田ご夫妻のところを案内していただいた。
現在は、増林にあるグリーン・マルシェ向けがメインで多品種少量の野菜をつくり続けている。今は(4月27日)、春野菜のカブ、小松菜、ほうれん草、レタスが盛りのようだが、ご主人の内田裕(73)さんは「小松菜」の封入に取り組んでいた。
夫人のよしこ(70)さんが自宅から歩いて2~3分ほどの古利根川の川岸内の畑に植えられた春キャベツがきれいに育っているのをまず見せていただいた。その先の畑には、さきほど紹介した野菜群が植えられていたが、それ以外では、出荷を終えたニンジンがあった。
よしこさんは「虫対策がたいへんなの」と語りながら、今が盛りのレタスを一株ずつ、今日の参加者(5人)に抱かせるように切っていただいた。
昔から「野菜作りは得意だったのですかと聞く」と、「実家が野菜をつくっていたので、身近な作業なの」と話していた。実家はどうもご近所のようだ。
▼越谷の農産物直売所・グリーン・マルシェと内田さんが出荷しているレタスと小松菜。 安全・安心! 毎日新鮮!地元の野菜がたくさん! http://www.ja-koshigayashi.or.jp/farmers_market/ ・越谷市増林2丁目66番地
・電話番号:048-963-3003
・アクセス:越谷駅東口から「総合公園」行き、または「いきいき館」行きバス、新越谷駅東口・南越谷駅南口から「東埼玉テクノポリス」行き、 または「松伏ターミナル」行きバスにて 「総合体育館前」下車、徒歩3分
・営業時間:[4月〜10月]9:30〜17:30、[11月〜 3月]9:30〜17:00
・定休日: 毎週水曜日、年末年始他
▽いまは植えていないが、秋から冬場の「越谷名産の山東菜づくり」は、自信をもって取り組んでいると語ってくれた。
下町育ちの編集子にとって、義理の母がいつも正月になると「山東菜漬け」を食べるようにもってきたので、それで今でも食べるし、「白菜と違って、みずみずしくて味が変わらない」と話すと、ニコッとして「マルシェには毎年出しているから買って、漬けてね」と念を押された。
「現在作っている人が少なくなっているため幻の野菜とも言われている」と書かれたHPがあるようだが、内田さんご夫妻の自慢の作物で、「いまでも毎年の冬作物出荷行事のように育てている」と話す。
▼
山東菜を食べましょう!
◆農業生産法人 有限会社楽農三恵園(越谷市)のHPでは「山東菜は白菜と同じアブラナ科の野菜です。しかし白菜は大きくなると結球(丸くなる事)しますが、山東菜はラッパ状になる半結球型です。そして白菜に比べ水分が多く、葉も非常に柔らかい性質なので、お漬物専用として使われています。鍋に入れたり、炒めたりといった加熱をすると、形がなくなりやすいです。結球しない上に漬物専用の野菜なので、埃が立つ砂地の土質の畑では上手に作れません。山東菜を作るのに適した地域が越谷を含む埼玉県南東部です。また、大きい野菜で漬物専用という事で年々生産量も激減しているのが現状です」と書かれている。
〒343-0012 埼玉県越谷市増森2600、TEL:048-960-6288
http://www.sankei-farm.co.jp/produce/santosai.html
▼
「キッチンとまと」(水辺の市)で販売しています!
▽5月9日の定例の市で販売された「内田さん」の野菜群。
▽内田裕(ひろし)さん
◇ ご主人の裕さんに、「昔から農業をやっていたんですか? お歳から言ったら、朝のNHK連続テレビ小説『ひよっこ』と同じような時代だから、出稼ぎなんかもやっていたんですか」と聞くと、昔話を聞かせていただいた。
「東京オリンピックの時は、日暮里の建設現場で働いていて、五輪の輪を描く飛行機を見たな」
「増森は地名のように、昔は直径1メートル以上あるケヤキが、あちこちに立っていたんだ。しかし道路の拡幅などでみんな切られてなくなってしまった。地区内には、染物屋が20件以上あって、水運などを使った流通業があったんだ。わしの家もじいさんが戦前は、都内で流通の仕事をしていた」「だから農業をやっていなかったんだ」と、昔の暮らしを話してくれた。
「農業は定年がなくていいですよね」と聞くと、「楽しみは、晩酌の1杯だ。ただ昔からの仲間が、“下にもぐってしまった”」と奇妙な話し方をしてくれたが、「ただ今でも、健康で医者からの薬をもらっていないんだ」と元気よく話す。
「いつも太陽と空気、土からエネルギーをもらっているからですよ」とお礼を込めて、帰ってきた。
いただいた外葉を付いたままのレタスを持って自宅に戻り、「このままスープで食べて、って言われた」とお母ちゃんに話すと、けげんな顔をされたが、食べてみるとおいしかった。外葉をもいで販売されているレタスは、もったいない(外葉をはがす労働量の無駄)のではないか。
さて、越谷市内には、農家はどのくらいあるのだろうか。
「地産地消」をモットーとする暮らしにつくりかえ、「35万都市」越谷市民の1割でも、足元の農家と手をつなげて生きていけば、「農家の暮らしは高まり」、その生産の姿を学ぶことによって自らの家族の食生活のあり方を見つめなおすきっかけになるのではないか、と思った。
水辺の市(越谷・にぎわいの会)◇2017年4月18日(火)
△第1回目として、「地産地消」をモットーとしている須長こう子さん(「キッチンとまと」代表)が自信を持って販売している「越谷産トマト」。
その「生産物」を出荷していただいている、地元・越谷で農業を営んでいる「髙橋政太郎さん」(70)をおたずねした。
髙橋さんの畑は、越谷市西部、さいたま市へ広がる田んぼや慈姑栽培をしている「近郊農地」のほぼ真ん中に位置し、6棟以上もの「ビニールハウス」が並んでいた。そこで高橋さんは、かれこれ50年近く、「トマト生産」をしている。
ビニールハウスの中に案内してもらったとき、足元がちょっと違った(のちほど紹介)。
生産者の取材は、何十年ぶりだったが、モノづくりをしている生産者は、みなさん自分の作物には、誇りを持っている。
ビニールハウス内に入って「どのくらいの本数があるんでしょうか」と聞くと「1本の茎から二つ出して、4000本ぐらいある」という。1本ずつ縦に一枝が30~40cmほどきれいに伸びた蔓がずらーと並び(背丈は1m60~70cmほどか)、まだ青い実が多かったが、食べごろの「トマト」も成りだしていた。
「もう今年は出荷している(3月30日)が、ピークはまだ」と髙橋さんは話す。
「この栽培で一番気を付けていることは何ですか」と聞くと、「朝、昼、夜の温度管理に一番神経を使ってコントロールしている。夜暑いのに布団をかけて寝ると人間もいやだろ」と。トマトの茎の上には「遮光カーテン」が通路ごとにひいてあり、ビニールハウスの上部を遮ってあった、通路には「ラジカセ」もあり、音楽を聞かせるのだとも、冗談のように話す。
そのうえで「トマト生産50年で、甘いトマトの自分のノウハウは“水”をやらないこと」とズバリ言い切る。確かに足元は藁を細かく敷いてあり、「水気」がないのだ。
▼トマトづくり50年のノウハウ!
△細かい藁を敷き詰めた土づくり △トマトの上には「遮光カーテン」
▼火曜・土曜日には、自宅で「完熟トマト」を直売している。
△もう1か所のビニールハウスは、これまたびっくり、「ダイコン」が植えられていて、路地ものは畑でやるものという「常識」をふっとばしてくれた(これも自宅で食べたら、みずみずしくて風味がちょっと違った)。「早く抜きたいんだ、ここは「稲の苗づくり」にしなければいけない」、と話す。「越谷産のコメ作り」もやっているのだ。
髙橋さんは、「やっと後継者ができた」と自慢しながら、「わが背中を見せる」指導法を貫いているようだ。
自宅でも「完熟トマト 直売」販売しているし、通信販売もしていてリピーターが増えて困っていると、「うれしい悲鳴も」。
「コープみらい」や地元のスーパーから頼まれて、出荷もしている。
▼北越谷駅西口徒歩5分ほどの「うさかめ」のお店で販売しています。
△この日お世話になった、髙橋さんは「越谷市農業委員会会長」をやっており、この地で代々農業をして9代目になるという。「石神井神社の総代もやり、自治会の会長で忙しんだ」と地域のなくてはならない農業マンおじさんになっている。
このトマトは東武線の北越谷駅西口徒歩5分ほどの「うさかめ」(生活クラブの組合員さんのクラブルーム)でも販売している。帰り際に須長さんが届けにいくと、「昨日、卵を買いに行ったが、トマトは入りましたか」と近所の人から電話が入り、すぐに買いに来てくれた男性がいた。
販売している人も組合員から依頼された宅急便の送り状を示して、たびたび「髙橋さん宅へ送っている」と話してくれた。
▼「キッチンとまと」のお店で販売しています。
▽髙橋政太郎さんをWEBで調べてみると、以下のように検索できた。
高橋政太郎 埼玉県越谷市西新井1122
農地法第5条第1項第6号の規定による農地転用届出書(越谷市農業委員会会長 髙橋 政太郎)
◇「トマト」に水をやらないとは――自宅に戻って“なぜか”と調べてみる。
1 トマトの原産地は、アンデスの高地で「水が豊富ではない」ところで育っているもの。
2 しっかり根を張らせるために「ひ弱な根にしない」、トマトが持っている自己保存機能を十分発達させるための栽培方法は、「水をやらない」、と書かれている。
その実践を発信しているサイトが、以下のようにある。
農と島のありんくりん 移り変わる自然、移り変わる世情の中で、真実らしきものを探求する 2008年11月21日 (金) http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/3-9846-1.html
◇有機トマトの秘密 第1回 次代につなぐ実、子供という顔を持つ希望 トライ&エラーを百種類以上やった挙げ句、ようやく十数年めにして成功。なんだったと思います、成功の秘密は?
トマトの秘密その壱。絶対にトマトを雨に当てないこと。土ボコリがパフパフと足元から出るようなくらい乾燥した舎内で生育させるのです。今まで石油製品の使用拒否と志高く露地栽培に挑戦していたために、トマトの原産が南米のアンデス高地の山肌であることを失念していたのです。 アンデスの高地の降雨量は年間数㎜、その徹底した乾燥こそがトマト嬢の快適な環境だったのです。雨がビチャビチャな日本の露地など、トマト嬢にとって拷問的環境だったんでしょうな。ごめんよぉ、トマトぉ、こんな簡単なことに気がつかなかったって、オレがいけなかった! 殴ってくれ!(トマト嬢が殴れないから、安心して言っている) トマトの秘密その弐。地味が瘦せた土地のほうがトマト嬢は好き。なんせ生れが雲の上のアンデス高地ですから、日当たりはいいのが好きなのは当然として、多少石のあるような、肥沃でない土地のほうが向いているのです。そう考えると、日本農民の本能とでもいうべき、多肥料などもってのほかだったわけです。
まさにコロンブスの卵、眼からウロコ。こんな単純な真実に到達するまで十数年かかっていたのです。しみじみしますなぁ。 この瘦せた土地が好きな作物はトマトだけではありません。実は、サツマイモやカボチャやソバ、アワ、ヒエなどの雑穀類も似た好みをもっていますし、果樹ではぶどうがそうです。 |
▽25年ほど前に編集・出版した『太陽と大地の間で 顔の見える産直ネットワーク』(シーアンドシー出版)でも、雑草の中でキャベツづくり・スイカづくりをしている産地を取材した。自然農法は脈々と生き続けていることを再確認。
▽この生産者は、どちらも滋賀県だった。
水辺の市(越谷・にぎわいの会)◇2016年12月13日(火)
-
葛西用水ウッドデッキ(越谷市役所横)【特別参加人】
△右から二人目が鈴木さん。トレードマークのようなお気に入りのファッションです。一番左が岡田さん、その右お二人は「花畑」さんの知人、そして鈴木さんと一緒に栽培している近所の人。
△年末も迫った12月18日(日)、「水辺の市」へ出店する「“花畑”さん」と「水辺の市」の幟(のぼり)のデザイン・制作した岡田さん(合同会社ローカルアクセス)が内牧(春日部市)で野菜を栽培・出荷している「鈴木照和」さんの畑(春日部市内牧)を見に行くということで、急遽、参加した。
以前(2016年07月12日)、べしみの取材の折、レストラン前に「内牧産」というこぎれいなレイアウトのポスターを掲げて、販売をしていたことがあり、その後も、「水辺の市」でたくさん出荷され、これまで緑が十分ではなかったので少々不満気味だったが、やっと登場した「内牧産の野菜」栽培地だ。
▼畑の一角に咲く
△「朝採り 春日部内牧産」の小ポスター
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/mizubenoiti/160712mizubenoiti.html
△みなさんは「北越谷(3人)」「蒲生(1人)」から車で来たが、こちらは鈴木さんに北春日部駅西口に迎えに来ていただいた。5分から6分だったが、なんと駅前(にも)から鈴木さん宅まで信号がないのだ。内牧は農地全体が開発規制をされている地域だとのこと。
集合した後(もう一人、地元の人も参加)、早速、農地と作物を見に行った。自宅裏から竹林の中を歩き、落葉があふれた農道を歩きながら、ここは何かと聞いたら「公道」だという。ほかの人の自宅の庭を通っていく感じだった。
竹林の道を抜けると、目の前に急に開けた農地が広がっていた。鈴木さんを中心に3人と「ひよせ」(越谷市弥栄町でワーカーズコープの障害者就労支援B型事業所を運営している)を合わせて、ほぼ250坪ほどで野菜やイモなどを栽培している。
冬場なので、作物はないのかと思ったが、十分とはいえないが、家庭菜園プラスαな感じで、植えられ、葉っぱが出ていた。
ハクサイ、ダイコン、ブロッコリー、玉ネギ、スナップエンドー、キヌサヤ、小松菜、菜の花、水菜などだ。
△京都ではありません。春日部の内牧です。
△鈴木さんは、昔から(30数年前)「わらじの会」のメンバーと知り合いで、トラック労働者として(定年前は労働組合の委員長だった)昨年、定年になって、原点に戻って「農」と障がい者の連携に、自分が何か役立つのではないかと、思っていたところに、「べしみ」施設内や「水辺の市」で販売できる農作物をつくって、販売しようと腹に決めたようだ。
働きながら(新潟などへの長距離便のトラック労働)、浦和の「見沼たんぼ」での農作業や山登り・ウオーキングで障がい者と共に生きてきた経験(今でも毎週のように一緒に行動しているとのこと)があったので、自分にできるという確信があったようだ。
最初に自宅についてお茶を飲みながら急に話し始めたのが「穴藏」づくり(自宅の近くに野菜保存庫として数メートル掘って左右に保存できる空間をつくる)とクリスタルハウスづくり(「水辺の市」でプランターに植えたままの超新鮮野菜の提供を考えている)だった。こっちは素人なので、よくわからなかったがその後者の建物のある農地に向かった。
ここにも「陸田」(地下水を使った田んぼ)が広がっている農地の道路沿いに、6畳ほどのお手製の建物(クリスタルハウス)があり、なかはプランターがいっぱいあった。周りに来年はミョウガなどを植えてみようと、意気込みを話していた。
▼畑の一角に咲く
△右が超新鮮野菜作りをめざして立てたご自慢の「クリスタルハウス」
△農地にあった「温州みかんは、俺は食べないよ」というが、食した女性は、「おいしいわよ」と私にも手渡ししてくれたので、食べてみると甘味は少ないがまさしく「ミカン」だった。
鈴木さんの抱負は、十分聞けなかったが「水辺の市の販売で一緒にやってくれている障がい者に少額でも支払えるために、いつも給料袋をもって行くことにしている」とのこと。いくらかは聞かなかったが、心意気がえらい(べしみへの支払いは当然のように話していた)。
水辺の市(越谷・にぎわいの会)◇2016年10月11日(火)
△越谷に住み始めて30年。定年以降、育った栃木の田舎を思い出して、同じ場所・30坪を2か所、市民農園(10坪)と合計70坪の農地を借りて、四季折々の野菜を栽培している湯澤広士さん。自家栽培したものを直売しているので、市販の値段より格安で販売し、安心・安全な季節野菜がメイン。
力を入れている作物のひとつ、「バターナッツ・カボチャ」(上の写真、左)は、若い人にも人気でスープにして食べるなど「クックパッド」にレシピがたくさん出ている。
また糖尿病とたたかっている人への応援野菜として有名な菊芋を栽培し力を入れている(キクイモは北米原産のキク科の植物です。草丈は2~3mにもなります。秋になると、菊に似た黄色い花を咲かせます。食べる部分の地下部には、生姜に似たイモ状の塊根をつけます)。
春夏秋冬の季節に応じて野菜を栽培しているが、豆類は鳩に、葉物などの露地もの野菜はカラスが天敵だ。トウモロコシなどもおいしいころになるとカラスが飛来。「水辺の市」は月1回なので、野菜の生成サイクルと合わないことが悩みとか。
まだまだ希少野菜を作るのが楽しみで、ハーブや西洋わさび、ウコン、ヤーコン、なた豆、パラグラリーフなども栽培し、ロシヤ原産の野菜=ビーツ(「ボルシチ」のスープで朱色の野菜がビーツ。「アカザ科フダンソウ属2年生草本」)は、せんげん台や蕨のロシア料理専門店に納品して、喜ばれている、と。
「水辺の市」では、リピータも徐々に増えてきたが、「地域の人にもっと来てほしいし、月2回がいいのか、土日開催なども考えてみたらどうか」とおっしゃっていた。家庭菜園をしていて野菜販売に参加してくれる仲間も募集していので、ぜひご一緒に、と呼び掛けている。
奥方は「私は手を出さないけれど、お父さんが楽しいことをやっているので、私も楽しくなってくる」と笑顔で話してくれた。
▼畑の一角に咲く
越谷市内・蒲生の「日の出商店街」にあります