菅野正純さん 追悼文

追悼 菅野正純さん あなたのことは永遠に忘れない 
   永戸祐三(現日本労協連理事長)    

 
  

  菅野君。  

 私がこちらにいて、あなたがそちらに眠っている。こんな場で、どんな言葉も出てきません。認めがたい現実を前にして、なんで救えなかったんだろうかと、医療を恨んだり、天をも恨んだり。

 復活を信じて疑わなかったこの1年。今私は、去年の私たちの新聞の新年号を見ています。あなたが、壊れゆく夕張をなんとしてでも取り戻そうと、1歩を踏みしめた勇姿が1面に載っています。頁をめくると障害のある人の仕事と生活のために頑張ろうという座談会。あなたが取り仕切った記事です。

 その直後、ケアワーカーたちが結束して頑張ろうと言った、その集会の1日日の夜に、あの不幸な事故に遭われました。翌日の朝、奥さまの悲鳴にも似た電話で、そのことを知らされました。でも、あなたは力強くそこから復活をしようとし、また病院で2度にわたる、医療事故とも思えるような、瀕死の重傷を負わされた中でも、2度ならず、3度も復活を遂げました。  

 年が開けて5日、6日と私たちがご自宅にうかがって、いよいよ水頭症の症状を緩和するため管を入れる、きっとリハビリが効果を上げるようになると信じて疑わなかった。それが急転直下、再びまた、奥さんの悲鳴にも近い、「悪くなる一方だ」という、予想もしない電話の声。

 うかがった病院では、血圧が90まで落ちていました。声をかけました。そしたら、血圧が100を取り戻して、120になり、140まで。あなたは細い目の中で、黒玉を必死になって動かしていた。そんなあなたの姿を、なぜ私は見なければいけないのかと、恨みました。  

 私はあなたと20代前半に学生運動で知り合い、労働者協同組合運動の最初の時から、あなたと30年近く、苦楽を共にしてきたと思います。無二の親友でした。本当に苦労を共にした同志でした。

 還暦も迎えないで逝くあなたを、私はどうやって送ったらいいのか分かりません。自分の体が雲の上にふわふわと浮いているような気がします。

 あなたは本当に勉強家だった。そして努力家だった。そして、弱い人たちを心の底から支えよう、愛しようとした人だった、誠実な人だったと思います。

 私の親父は、明治生まれの偏屈な男でしたが、あなたと会って、あなたの目を見て、こんなに青い目をした男は、絶対に嘘のない男だ、といっていました。

 意固地でもあり、偏屈でもあったけれども、それは、あなたが正義を貫き通そうとするために、とった方法だったのではないかと、私はずっと思っています。

 労働者協同組合運動、この組織は、日本に根拠法がありませんでした。この5月にもその法律が、あなたが本当に当面の最大の目標とした法律ができようとしています。そんな中で、私たちは、最高の指導者の1人を失うことになります。本当に残念でなりません。

  菅野正純君。

 あなたがきっと、続けたかっただろう運動、そして研究、そして事業。道半ばで倒れたことを、誰よりも、あなた自身が無念だったろうと思います。

  そして、あなたの心配は、おそらく大きくは2つだ。

 ひとつは、奥さんや子どもさん、家族のことが今後どうなるだろうか。もうひとつは、この労協運動が至まないで、本当に正しく発展してくれるだろうか。昨日、棺の中のあなたの顔を見て、あなたがそんなことを呟いているように、私は受け止めました。

  残された家族の方々と、本当に一層、交流も深めながら、あなたが期待するような労働者協同組合運動を大きく発展させていくことを誓います。

 あなたの思いは、どんなに大きなものだったか、あなたの思いは、どんなに深かったか、どんなに心の中で家族や友人のことを思っていてくれたか、その心情は、はかるすべもありませんけれども、私の心の中に大きく響いているものがあります。

 あの病院の、最後の辛そうな場面で、あなたに、奥さんはこう声をかけました。

 「あなたはもっともっと、勉強したかったんでしょ、研究したかった、読む本がいっぱいあるよね、伝えたいこともいっぱいあるよね、あるでしょ。だから眠っちゃ駄目よ」

 本当に同じ思いであります。

 この現実を受け止めるのはいやだけれども、言葉としていうとすれば、本当に心安らかに眠っていただきたい。私たち組合員の全てが、おそらくあなたのことを、永遠に忘れないと思います。  

 どうか、家族や、私たち仲間のことを、ずっと見守ってください。今日まで本当にありがとう。さようなら。

  (『協同の發見』、協同総合研究所、2008年2月号、187号)


労働者協同組合の理論の推進
 池上惇(京都大学名誉教授)      

  菅野正純君。

 日本の協同組合の理論ならびに運動に関する、誠実な、長年にわたるご貢献、誠にありがとう。    

  その功績は永遠不滅

 とくに労働者協同組合や労働の現場に根ざした協同組合理論が、社会の中から孤立し、流通等に基礎を置く協同組合のみがあたかも協同組合であるかのごとく取りあつかわれた時代においても、君はなんら批難を恐れず、断固としてそれに反論し、かかる協同組合が可能であることを、永戸祐三君とともに一貫して推進してきた。それは今日の法制化につながる基礎を形成したものであって、その功績は永遠不滅のものである。

   書物にまとめられず残念

  菅野君。ぼくは君がこの成果を、一冊の書物にまとめ、それを世の中にいつまでも残してくれることを心から期待し、そしてその知的な財産が、世界に広まっていくことを心から期待していた。それが実現できなかったのは、誠に残念である。

 しかし君は、労働者協同組合運動が地域に根ざし、各地の生命とくらしを守る現場の労働を組織して、ひろく市民やコミュニティの共感を勝ち取ってきたことを、自らの実践において示すことが出来た。

 これは君が組織した労働が、人々の期待にこたえ、ともに育ちあい、人間としての創造性をにない得たからである。さもなければ、このような支持は得られなかったであろう。    

  画期的な「社会改革運動論」

  君は謙虚にイタリア語を学習し、まだ日本に紹介されていない、多くのイタリアの多面的な情報をもたらし、協同労働の中に公共性を見出すという、世界的成果を日本に導入した。このことも君は大いに誇ってもらいたいと思う。

 君は、このような高い水準の理論を構築し、日本における協同組合理論の第一人者となり、多くの国際的な学者との交流も実現して、人々をともに幸せにするという画期的な「社会改革運動論」を我々にのこした。

 君の理論は、現代と未来の人々に受け継がれ、あらたな社会を築く上での、重要な原動力となるであろう。

 君は、その意味ではまことに幸せな人生を送った。

   誇りある仕事ぶり  

 多くの人は君を「協同組合主義者」だと呼んだ。「どんなことになっても、彼は協同組合主義者を止めないであろう」といわれていた。私もそう思う。

 人がなんといおうと、自分がこの目で見、この目で確かめ、自らの手で積極的に資料を集め、現地を踏んでつくった理論なのだから、それは信頼できる。

 君が頑固に貫徹した職人的な仕事ぶりは、まさに日本の伝統的職人と農民の、誇りある仕事ぶりである。

 それはあたかも稲を育てるように、種をまき、土壌を耕し、水をやり、茎をすくすくと天にまで伸ばし、そして、実りあらば、それを歓びのお祭りとともに、多くの人々とわかちあう。君はそういう人間であった。

 そのことは、我々が一番よく知っており、そして、そのために君が命を落としたとしても、それはおそらく君にとっては本懐ではなかったかと考える。その意味では、我々は君の死を納得して受け入れたい。

  君の理想の第一歩が

 君の進めた理論と実践は、今や法制化の段階を迎えた。法制化ということは、君の理想の第一歩である。その第一歩がここに実現するということは、この上ない歓びである。

 今日、笹森会長はじめ、国会議員のみなさま方が、ついに君の理論の日本における意義を認めてくださった。おそらく、この世の中にそういう法制度がつくられ、多くの人々を幸せにするきっかけができるであろう。

 どうか歓んでくれ、これからの日本は大きな一つの希望を持つことが出来る。

 現状は厳しい。それは当然だ。世界的にまさに生存をかけて大企業がたたかっているのだから、厳しくて当たり前だ。その厳しい中で、我々は一つの灯火を掲げることについに成功した。そして、これを世界に示すことにまもなく成功するだろう。

 どうか歓んでくれ。ともに笑って欲しい。

 今日はこれでお別れしたい。本当に長い間、ご苦労様でした。

 菅野正純君、さようなら。


 〔「池上惇ブログ 文殊文庫便り」、2008 38日。現在は読めなくなっているので、松沢常夫さん〔「日本労協新聞」編集長〕から追悼会での発言・原文をいただいた。〕

 菅野正純理事長の足跡 中田宗一郎             (元日本労協連専務理事)        

■業績
 学生運動から全日本自由労働組合の書記となり、「失対闘争」の補完的役割の事業団運動を、永戸祐三・現労協センター事業団理事長たちと30年かけて、今日の労協運動へと大きく飛躍させる中核的役割を果してこられた。
 現場に密着して課題を掘り起こし、旺盛な研究に裏付けられた独創的な理論構築で、今日の労協運動の社会的認知を獲得する上で多大な貢献をされた。
 「センター事業団20年史」(『新たな挑戦が始まる』参照)と「日本労協新聞」縮刷版(全13冊)は、彼の生きてきた歴史でもある。
 その中で、彼が果した役割をいくつかの項目を立てて、理論的な業績と活動をたどって見た。

〔付〕業績(協同労働の発見、国際連帯の追求、高齢協運動の構想化と推進、協同総研の創設、諸集会での名コーディネーター役、地域福祉事業づくり、今後のテーマ)別に内容、論文・問題の提言・翻訳、それぞれの時期区分を表で見られます(PDF版)

写真で見る菅野理事長の足跡(PDF版)
  (『協同の發見』、協同総合研究所、2008年3月号、188号) (下の写真ページ)



 菅野正純さんの逝去を偲んで 角瀬保雄      

  「理事長のページ」 (「非営利・協同総合研究所いのちとくらしニュース」 No.21 掲載分、発行日2008年01月31日)  

http://www.inhcc.org/jp/research/news/kakurai/20080131-kakurai.html

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 協同総合研究所の理事長・菅野正純さんが、2008111日、永眠されました。昨年の2月に自宅で倒れられ、最後に転院された順天堂病院で亡くなられました。風の便りに一時はリハビリに励むまでになったと聞き、一日も早い全快を願っておりましたが、そこに突然の訃報です。

 私にとって菅野さんは忘れられない一人です。私が菅野さんと最初に知り合ったのは、いつの頃だったか、もう遠い昔のように思われます。イタリア文化の研究者・佐藤一子さんの『文化協同の時代』(1989年)の出版記念会の折でした。その以前から菅野さんは、全日自労の書記として忙しい労働組合活動の傍ら、プランディーニの『協同組合論―イタリアの戦略―』(1985年)を翻訳出版されるなど、労働者協同組合運動の研究に取り組まれていました。当時、私はイタリアの政治・経済に関心を持っていましたので、佐藤さんの会合に出かけ、その二次会で新宿のピアノバーに行ったのが菅野さんと付き合うようになったきっかけだったと思います。しかし、佐藤さんとは直接面識はなかったので、私が会の案内を頂いたのはどうしてかよくわかりません。それ以前、イタリア政治の研究家山崎功さんを囲む集まりに出たことがあったので、その関係かもしれません。

 以来、黒川俊雄先生の研究会から発展した労働者協同組合運動のシンクタンクを目指す協同総研の設立(1991年)に加わり、研究者サイドからの副理事長として専務理事の菅野さんと行動を共にする日々が多くなりました。協同総研では労金協会の杉本時哉、つばさ流通の小西明など若き日の大学時代の仲間と再会し、青春の日々を再現することができましたが、90年代になるとお互いに還暦を迎え、体力が退化期に入ってきており、障害をかかえながらも、この運動に人生の最後を賭ける思いを抱くようになりました。私はマルクスの「共同社会」への展望を切り開くモメントとして、また大学時代からの協同組合運動の発展として、私なりに労働者協同組合を位置づけ、希望を託していました。

 菅野さんは協同総研では労働者協同組合運動の理論化にリーダーシップを発揮されるという、立派な活動をされてきました。同時にあれあれと思う間に、日本労働者協同組合連合会の理事長となり、現場の運動のリーダーという重責を担うことになりました。一方、協同総研は幾代かの理事長を経て、内部の人材も充実するようになり、私は顧問として第一線からは退きましたが、2002年からは非営利・協同総合研究所いのちとくらしの理事長として再び非営利、協同の運動にカンバックし、今日に至っております。

 一方、病気になってから後の菅野さんは、連合会の理事長職を退き、協同総研の理事長として病からの回復を待つことになりました。こうして私と菅野さんとは「仕事起こし」と「医療・福祉」と領域は異なれ、人々の「いのちとくらし」のあり方に関わる問題と取り組むという点では共通した戦線で活動することになったのです。私には実践運動のリーダーとしてよりも、理論分野での活動のほうが、菅野さんには適していたのではないかと思われましたが、労働者協同組合運動が困難に直面するなかで、自ら実践のリーダーの立場に立たざるをえなくなったのだと思います。

 菅野さんと最後にお会いしたのは、倒れられる前の年に日本労協連合会の総会に呼ばれたときでした。その時、私のほかに研究者の参加がみられなかったのが気になったことを覚えています。以前、中西五洲さんの時代には若手研究者が寄り集まっていたのを思うと一抹の寂しさを禁じえませんでした。当時と比べると協同集会も大きくなり、連合会も大きくなった結果かとも思いますが、それだけに遠くへ行ってしまったようにも思われます。

 しかし、学生運動から労働組合運動へ、そして協同組合運動へと発展していった菅野さんの活動には目覚しいものがありました。とはいえ、菅野さんも人間ですから色々と問題を抱えていたことは確かです。そのビヘイビアには、時に、どうかと思われるところがなかったわけではありませんでした。人に対する好悪の感情が強く、喧嘩速いということには定評がありました。条件反射的に異論を拒絶するきらいも強かったように思います。学生運動家によくありがちな運動上の組織保全意識が、プラス・マイナスの両面に働き、それがしばしばそうしたことを生み出したのかも知れません。以前、協同総研時代、私も菅野さんと運動論をめぐって意見を異にし、時にはきびしく対立することのあったことを思い出します。

 好漢菅野さんも、やがて還暦を迎えるのもそう遠くない年になりました。突破力よりも包容力が求められるとき、菅野さんが大衆運動のリーダーとして一回りも二回りも大きくなられることを期待していました。労働者協同組合運動は農協や生協のような既成の大きな組織の運動ではなく、少数派の新しい運動だったところからくる急ぎすぎと、焦りがあったのかもしれません。菅野さんはやがて病気から全快され、研究所の理事長としての活動を期待されていたとき、想定外の事故によって帰らぬ人となってしまいました。惜しみてもあまりあります。協同労働の協同組合法の法制化運動が、ようやく広範な共同を形成するという時に、菅野さんというリーダーを失ったことは協同の運動にとって大変大きな損失といえますが、その思想と行動は今後とも大きな影響をもち続けることは確かでしょう。どうか運動の未来を信じて、安らかにお眠りいただきたいと思います。

 2008年最初の「理事長のページ」は、個人的な追憶といういつもとは大変趣を異にするものとなりました。実は昨年末から新年にかけ、身近なところで4件もの訃報に接しました。いまなお病床にある仲間もおります。例年にない異常なことですが、これも私がそうした年齢になったからなのだと思います。昭和という時代が懐かしく思われる年まで生き長らえてしまったと思う今日この頃です。ご理解いただければ有難く思います。

追悼文 知人・友人      


  追悼文を寄せていただいた方々:PDF版(2008年当時の肩書きのままです)

 
 古谷直道(日本労働者協同組合連合会理事長/協同総研副理事長)、黒川俊雄(慶應義塾大学名誉教授/協同総研顧問)、中川雄一郎(明治大学政治経済学部教授/協同総研副理事長)、荒木昭夫(京都児童青少年演劇協会事務局長/協同総研顧問)、角瀬保雄(協同総研顧問)、富沢賢治(一橋大学名誉教授/協同総研副理事長)、堀越芳昭(山梨学院大学教授/協同総研副理事長)、島村博(協同労働法制化市民会議/協同総研副理事長)、田中夏子(都留文科大学教員/協同総研理事)、賀戸一郎(西南学院大学人間科学部教授/会員)、横田安宏(日本労働者協同組合連合会参与/会員)、岩垂 弘(平和・協同ジャーナリスト基金代表運営委員/元朝日新聞編集委員/会員)、宮坂富之助(早稲田大学名誉教授)、的場信樹(くらしと協同の研究所理事長)、田中学(日本高齢者生活協同組合連合会副会長理事/東京高齢協理事長/会員)、中田重厚(明星大学人文学部人間社会学科教授/会員)、岡本祥造(中京大学総合政策学部教授/日本居住福祉学会事務局長/会員)、池田晴男(国労函館闘争団・事務局長/労働者協同組合・道南ネット/会員)、小林勉(生活協同組合コープかながわ理事長)、菊地謙(労協船橋事業団専務理事/協同総研常任理事)、山下和子(NPO法人わくわくかん事務局長/会員)、太田武二(新運転東京地本書記長/会員)、小池喜和三((企)雷設計コープ/会員)、武市蕭(生活協同組合東京高齢協監事)、磯部武(元センター事業団/会員)、中田宗一郎(日本労働者協同組合連合会参与/会員)、田村守保(日本労働者協同組合連合会参与/会員)、鈴木晴彦(日本労働者協同組合連合会理事/会員)、鈴木剛(日本労働者協同組合連合会理事/会員)、長谷川勝彦(あいち労働協同事業団理事長/日本労働者協同組合連合会理事)、小澤房生(NPOほうじんワーカーズコープかがやき会員)、松沢常夫(日本労協新聞編集長/会員)、川地素叡(日本労協新聞編集部/会員)、田中羊子(労協センター事業団専務理事/会員)、鈴木(旧姓 岩渕)麻里子(じひょうだん新聞、初代編集部員)、小林裕子(センター事業団東京事業本部/会員)、渡辺哲(労協センター事業団東葛事業所/会員)、相良孝雄(労協センター事業団甲信特区事務局長/会員)、城戸愛子(労協センター事業団総務経理部/会員)、古村伸宏(日本労働者協同組合連合会専務理事/協同総研常任理事)、田嶋康利(協同総研専務理事)
  (『協同の發見』、協同総合研究所、2008年3月号、188号)


information

菅野正純

日本労働者協同組合連合会元理事長、
協同総合研究所元主任研究員



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   (労働者協同組合の組織・運動・経営)
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編集人:飯島信吾
ブログ:ある編集者のブログ
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UP 2013年02月15日
更新 2013年02月16日
更新 2013年02月27日
更新 2013年03月06日
更新 2014年01月10日
更新 2017年03月20日