東京高裁は三権分立の実を示せ!! 元下関市立大学学長 下山房雄 資本主義の生成発展過程の民主化運動が産んで制度化した近代国家の普遍的原理に、多党制=議会制民主主義、立憲主義=法治国家と並んで、権力の分散=地方自治と三権分立が存在する。立法司法行政三権のうち日常的な権力行使である行政が優位優越の位置を占めて行政国家化する傾向も必然である。この行政国家が、諸政党の潮流配置や方向、あるいは労組の力量の状況によって、著しく国民民衆の生活を傷つけ痛める場合がある。その被害者民衆が行政訴訟を起こして行政の逸走を是正しようとする場合、司法=裁判所は三権分立の具体的内実を構成する重要な存在となる。 立法府が最賃法を改訂し(2007年)「労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう、生活保護に係る施策との整合性を考慮する」(9条3項)としたにもかかわらず、行政=厚労省はその「整合性」をきちんと踏まえる最賃金額決定をしてきていない。最賃審議会の、中立でもなく(労使の使の側の意見のみ採用)公正でもない(ときには限界値ときには平均値とご都合主義的な数値比較)答申に拠る手法で、時給千円に満たない最賃金額決定を続けているのだ。 ところで、神奈川最賃千円裁判の被告=国家の主張は、訴え棄却=門前払いの要求と、最賃行政の中味が適法合法だとの二本立てだ。前者は、地域最賃金額決定の行政は「法の内容を補充・補完する一般的法規範の制定行為」であり「処分性は認められない」などの法理に拠り、後者では、原告の主張の柱=改正最賃法9条3項のいう生活保護に係る施策との整合性配慮が実現していないとの主張に対するに、最賃―生保基準比較の技法が多義的であると認めたうえで「広範な裁量的判断」が行政に委ねられていると述べ、行政現行の比較方法が「著しく不合理であるなどとはいえない」と主張されている。 行政が法規範制定=立法の補充補完だとの法理と、行政実務が「広範な裁量判断」に委ねられているとの議論を繋げると、行政の裁量が立法の世界を浸食する暴論と成る。立法行政司法三権分立を建前とする近代国家が、権力の日常的行使である行政優位の現実に脅かされることは近代政治学の説く真理ではある。しかしだからこそ行政を制約する司法の役割が期待されるのだ。 横浜地裁(2016年2月 石井浩裁判長)の判決は、果たすべきこの司法の役割に全く背を向けたものだった。最賃―生保基準比較における最賃行政のインチキぶりの吟味を避けて、裁判門前払いにしたのである。しかも門前払いの論拠に、最賃制以外の社会政策(生活保護など)があるので最賃低額でも「重大な損失のおそれなし」とまで言ってのけた。しかし、部分失業的な過少就業、扶養児童の存在などに生保で対応すべきではあれ、通常のフル稼働就業の単身労働者の最賃金額がせめて本人一人の生保基準を満たすべきだという政策基準からの判断は不可欠だ。 東京高裁が裁判門前払いの地裁判決を踏襲することなく、最賃行政の具体的姿に立ちいった判断、さらには賃上げを激励して日本経済再建の鍵となるような原告勝利の判断を下すことを期待する。 |
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最賃裁判傍聴記C
最賃裁判傍聴記D
(注)4回目・5回目は他の方が書いています。
「神奈川最賃裁判傍聴記 第1回〜第21回」+「神奈川最賃千円以上裁判でわかったこと」 PDF合本版
(2011年12月〜・2015年8月、途中報告)、下山房雄・岡本一・小越洋之助・牧野富夫+「神奈川最賃千円以上裁判でわかったこと」、下山房雄、金属労働研究所『金属労働研究』124号・2013年8月号掲載
新自由主義の嵐によって深まり拡がる貧困、それに対する有効な政策の一つに法定最賃の大幅引き上げがあると考え、神奈川地域最賃を1000円以上にせよとの訴訟が神奈川労連のイニシアで昨年夏に横浜地裁で起こされました。被告の国側は、労働局長の最賃金額決定は立法行為に準ずるもので、訴訟で争える行政処分ではないから門前払いにせよと裁判所に要求してきました。しかし今年2月6日に、国側が、そういう中間判決を請求することはしない、と裁判所に通告することで、実質的な審議に入る運びになりました。その傍聴記(下山さんの文章から――編集子)。