研究者が実名でインターネットのサイトで自分の趣味を披歴することなど、本来はふさわしくないかも知れない。しかし研究だけでなく、別の世界の情報も知ることは存外必要なことがある。
学会の懇親会で趣味の話になり、あるいは労働者・労働組合の方々との話の中で趣味の話で相互に打ち解けるとか、「潤滑油」の効果はある。
私の趣味は大きく分けて3つある。
第1は野菜づくりである。市民農園でのキャリアはかなり長く、國學院大學の同僚で有機農業に取り組んでいる人がいて、いろいろ教えてもらったり、ガイドブックや貴重な種を頂いたりした。
昨年[2011年]あきる野市に転居し、より広い場所を借り、夏野菜などを作った。スイカもサツマイモもトライアルしている。スイカは豊作で、家人があまり食べないものだから、「熱中症」防止を兼ねて一人で責任を取っている。今年は春から台風が来る「異常気象」で、夏は高温、野菜は気候の変化をもろに受ける。農業従事者の苦労を垣間見る思いである。土づくり、雑草とりなどは土木作業と同じである。それでも収穫した野菜はそこいらのスーパーでは味わえない鮮度と甘さがある。足腰に疲労を抱えながら、それでもやめられない。自分で植えたものが成長することを体験することは大変楽しいことである。
第2の趣味は、音楽を聞き、歌うことである。最近はノドを痛めて自粛しているが、在職時代、ゼミ学生とはよくカラオケに行ったものである。彼ら、彼女らの歌う「歌」はもうとてもついていけないが、意味不明の歌も辛抱強く聞いたものである。歌ほど世代のギャップが出るものもない。
私の青年時代は「歌声喫茶」の時代。歌は歌でもすてきな歌曲がよい。ロシア民謡、イタリア民謡、沖縄民謡、歌手では森山良子、秋川雅史、鮫島由美子などの本格派の歌がよい。歌は精神を癒す機能があると思う。
第3の趣味は、室内競技としての囲碁である。私が囲碁を覚えたのは大学生になったときで、当時大学(早稲田大学)付近に碁会所が結構あった。坂田栄男[名誉本因坊]の定石、布石の本を買い、碁会所で実践した。大学3年の頃、初段になった記憶がある。現在は六段格である。アマチュアでは強い方だが、上には上がある。
このような勝負事には人によって好き嫌いがあるが、私は小学生の頃、台東区の竹町という所で伯父が将棋道場を開いており、そこによく通っていたので、その影響があるかもしれない。将棋と囲碁は大分ルールが違うが室内の勝負事ということでは同じである。
しかし、私にとって囲碁は将棋よりもはるかに面白いし、奥が深い。なお、金子ハルオ氏(東京都立大学名誉教授)が主宰する「経済学者の囲碁の会」というのがあり、私はそのメンバーの一員である。研究をせず、サボって囲碁に時間を費やせばもっと棋力があがると思っているが、退職後結構仕事が多く、時間がつくれない。
冲方丁(うぶかたとう)の『天地明察』がいよいよ映画上映されるが、この本屋大賞の作品は素晴らしい出来であり、名作である。
江戸時代、「御城碁」の棋士が暦づくりのために天文学を志すなどは、ロマンがある。それにしても、日本の若者は(少年少女を別として)囲碁などに眼向きもしない。日本のお家芸であった囲碁は現在では中国、韓国に完敗している。藤沢秀行名誉棋聖がたびたび訪中団を組織していたが、結果は「庇(ひさし)を貸して母屋を取られる」状況である。中国、韓国での若者の囲碁熱は高く、幼少から鍛え、すでに10代で国際戦に勝つ一流棋士を続々輩出している。
遅まきながらではあるが、日本でも囲碁の「考えること」「構想力」などの効果は教育でも見直され、東大、早稲田、慶応などは大学の正課授業に取り入れている。私の本務校であった國學院大學で教養カリキュラムの改革の検討があり、私は國學院大學が日本文化の発信をいうならば、囲碁を正課授業にせよ、と主張した。もし正課にするなら、超コマでも
何でも私が責任を負うつもりであった。だが、当時の委員長は私の意見を採用しなかった。囲碁は単なる遊びとしか考えていなかったとしたらまことに遺憾である。