HPのUP:2014年03月25日

旬報社は今秋創立65周年を迎える。小社をご指導いただいた故沼田稲次郎先生は、『労働法律旬報』誌上において健筆を振るわれ100本を超える論文を発表されるとともに、『著作集』全10巻を含め20冊余の単行本を刊行された。ここに「沼田稲次郎著作目録――人と学問の歩み」を掲載し、労働運動・社会運動とともに歩んでこられた研究の足跡を、先生の人間としての歩み、先生の思想の成熟と交錯させながら、あとづけることができたらと思う。

沼田稲次郎著作目録 ――わが口舌筆硯の軌跡――お知らせ

                             (以下、下線付き部分はPDF版で読めます)



2014年7月24日  
生存権の性格について――社会保障闘争によせて、沼田稲次郎、労働法律旬報、第499号、1963年9月5日
座談会 四・一七ストと統制問題――労働組合と組織統制・統一と団結と組合民主主義・政党と労働組合、野村平爾、沼田稲次郎、矢加部勝美、横井芳弘、東城守一、青木宗也、労働法律旬報、通号 530号、1964年07月15日

2014年5月25日
(自著・共編著・論文等)  14.05.25
1950年 論文 「ピケット権の法理(1)」(『労働法律旬報』第29号)
1973年 講演 「社会保障研究会と社会保障の思想――社会保障研究会の発足によせて」(『賃金と社会保障』第625号)
1985年 論文 「連戦:人間と国家――モスクワからアテネへの旅ノート」(『労働法律旬報』第1115)
1957年 座談会「労働運動回顧と展望――1956年~57年」(藤田若雄・太田薫・野々山一三『労働法律旬報』第259号)
1976年 座談会「戦後権利闘争と労働法学の課題――労働法学はいかにあるべきか」(横井芳弘・片岡曻・本多淳亮・中山和久・籾井常喜『労働法律旬報』第900号)
1984年 対談 「地域に根づく医療を求めて――スペシャリストと草の根の連帯」(若月俊一『賃金と社会保障』第899号)
1989年 鼎談 「いま改めて人間の尊厳を」(藤田勇・渡辺治『労働法律旬報』第1207・1208合併号)




 [自著・共編著・共同執筆・執筆参加・論文・時評・随想・講述・講演・書評]


 

【区分について】
自 著――学術的であると啓蒙的たると専門の内外を問わず単行本(タイプ印刷をも含んで)たる自著。
共編著――単行本自体のなかに共編、編、編集などと明記されたるもの、ただし、編集の実質があっても、記念論文、講演等は含まず。
共同執筆-誰かの監修、編集の下にまとめられたる単行本の一部を執筆したもの。
執筆参加―主要部分がすでに他の人々によって出来上がっている単行本に執筆参加する場合、たとえば組合史などへの執筆参加。
論 文――学術論文たると啓蒙論文、説明的主張たるとは区別が容易でないので広く主張を展開したもの(理論的と実践的な主張を含む)を広く含む。なお、学会誌などで特集号方式で単行本的形姿をとる雑誌の場合もここに含めてある。
時 評――主張の展開に重点をおかない評言であって、時事問題をとりあげるものが原則。新聞の論説やコラムもこれに含ましめるが、便宜上の問題。
随 想――巻頭言を含めエモーショナルな短文や学問的、運動的な社会的所感。
講 述――議会での公述等の速記録、口述速記。
講 演――講演速記、ただし、これに加筆して論文たらしめたものは論文に入れる。したがって、文責が速記者、編集者にある場合が多い。
書 評――月次紹介的なものを除く。書評を含む理論の展開を記すものは論文とする。


1936(昭11)年〔22歳〕
論 文「法解釈の真理性について」(『学生評論』第1巻1、2号(5、6月号)に連載。筆名・田井俊一。 のち長谷川正安・藤田勇編『文献研究マルクス主義法学<戦前>』<1972年 12月、日本評論社刊>に転載)


1946(昭21)年〔32歳
自 著『生産管理論』(1月、民科編学生叢書、日本科学社刊)
時 論「生産管理果して非合法か」(『夕刊京都』沼田署名入り記事、(上)1946.6.27、(下)28)
   「京都府下労働協約内容の概観と批判」(『夕刊京都』沼田署名入り記事、(上・中・下)1946.10.12~14)
   「京都府下女子勤労者の賃金について」(『夕刊京都』沼田署名入り記事、1946.11.24)
   「失業面からみた府下女性労働の行方」(『夕刊京都』沼田署名入り記事、1946.12.5)
   「特別市制の底を流れるもの」(『夕刊京都』稲波なるペンネーム記事、1946.12.15)
   「農地改革諸法規概観」(『夕刊京都』沼田署名入り記事、(上)1946.12.19、(下)20)
   「関西初の京都府庁労働協約」(『夕刊京都』稲波なるペンネーム記事、1946.12.30)


1947(昭22)年
時 評「民生委員の顔ぶれ調べ」(『夕刊京都』稲波寿太郎なるペンネーム記事、1947.1.15)
   「悩む結党の心臓をつく」(『夕刊京都』沼田特派員記事、1947.1.26)
   「平安病院物語り――亡国病と闘う夜の花ぞの」(『夕刊京都』沼田署名入り記事、1947.6.13)
   「1947年の足跡」(『夕刊京都』沼田署名入り記事、(上)1947.12.24、(下)25)


1948(昭23)年
自 著『日本労働法論』上巻(4月、民科編学生叢書、日本科学社刊)
   『日本労働法論』中巻(12月、民科編学生叢書、日本科学社刊)
論 文「労働法発達史―― 日本労働法意識の展開(『法律文化』第3巻10・11・12合併号、のち『法と政治の背離』に所収)
   「争議権制限の論理と防衛の論理」(『法律文化』第3巻10・11・12合併号、のち『法と政治の背離』に所収)
時 評「争議・民訴・刑訴」(『京都労働資料』第1号、6月10日)
   「団結権の擁護とピケッティング」(『京都労働資料』第2号、7月25日)
   「仮処分の濫用に就て」(『京都労働資料』第4号、9月25日)
   「十一条違反と労働委員会」(『京都労働資料』第6号、11月25日)
   「危機に立つ労委の中立性」(『京都労働資料』第7号、12月25日)
   「貧官汚吏と労働組合」(国労大阪支部機関誌『轟々』1948.12.20)
   「ポツダム政令違憲論について」(京都大学『学園新聞』9月20日、のち『日本労働法論』中巻附録と『貴重なる憲法』に所収)
   「労働組合運動の政治性」(『三高嶽水新聞』1948.12.6)
   「焦点的労働問題の見方」(『龍谷大学新聞』1948.12.7)
書 評「加古祐二郎『理論法学の諸問題』」(『夕刊京都』1948.9.21)


1949(昭24)年〔35歳〕
共同執筆「官制の組合自主性を評す」(民科京都支部法律部会編『労働法規改正批判』(パンフレット)3月、北大路書房刊)
論 文「資本主義社会と労働法との背離」(『法律文化』第4巻2月号、のち『法と政治の背離』に所収)
   「組合の『自主性』とその違憲的解釈」(『法律文化』第4巻7・8月合併号、のち『法と政治の背離』に所収)
   「労働の従属性――法的人格者の虚偽性」(『法律文化』第4巻11・12月合併号、のち『社会法理論の総括』に所収)
時 評「地盤を基に各党の投票を打診する」(『夕刊京都』沼田署名入り記事、1949.1.10)
   「望なきに非ず――総選挙に臨む民衆の立場」(京都大学『学園新聞』1949.1.17)
随 想「労働法と労働運動――労働法学の課題として」(『法律文化』第4巻9・10月合併号)
書 評「法的意識における主体性――加古祐二郎『理論法学の諸問題』」(『季刊社会科学』Ⅱ)
   「吾妻光俊『労働法の基本問題』、 山中康雄『労働者権の確立』」(『季刊法律学』第7号)


1950(昭25)年
自 著『労働法論序説――労働法原理の論理的構造』(11月、勁草書房刊)
論 文「ピケット権の法理(1)」(『労働法律旬報』第29号)
   「ピケット権の法理(2)」(『労働法律旬報』第36号)
時 評「群狼図に題す――“社会不安”の裏の裏」(京都大学『学園新聞』1950.9.12)
随 想「ありふれた平和談義」(『辺疆文学』第3号、のち『現代民主主義論』に所収)
書 評「大原社会問題研究所『日本労働年鑑』第22輯戦後特集」(『法学志林』第47巻第2・3・4合併号、のち『私の大学観』に所収)


1951(昭26)年〔37歳〕
自 著『法と政治の背離――労働法意識の分裂』(4月、法律文化社刊)
   『法と国家の死滅――マルキシズム法学研究ノート』(9月、法律文化社刊)
共同執筆「法の効力」「法の性格」(未川博監修『法学の基礎理論』(現代法学講座第Ⅰ巻)12月、法律文化社刊)
論 文「出荷阻止の正当性」(『労働法律旬報』第50号)
   「組合自主法違反の争議行為の法理」(『労働法律旬報』第53号)
   「部落性からの解放―― 労働組合と部落問題」(『部落』第21号)
   「再び出荷阻止について」(『労働法律旬報』第55・56合併号)
   「労働法改正の方向」(『法律時報』第23巻第7号)
   「組合員の除名について」(『労働法律旬報』第64号)
   「労働法改正の構想と法理論の転換」(『労働法律旬報』第72号、のち『悪法と労働基本権』に所収)
   「労働法における道義則――特に解雇をめぐる信義則と労働良識について」(学会誌『労働法』第1号)
   「ゼネスト禁止の背後にあるもの」(『社会主義』第5号、のち『貴重なる憲法』に所収)
   「遵法闘争と権利濫用――三井造船事件に関連して」(『労働法律旬報』第77号)
時 評「法の階級性について」(『自由大学柏崎教室新聞』1951.6.25)
   「労働法改正のねらい――“理性の狡知”を見ぬけ」(『法政大学新聞』1951.10.15)
随 想「裁判の階級制について――戒能教授への助言」(『早稲田大学新聞』1951.4.21)
   「権利濫用の時代」(『国鉄文化』第5巻第7号)
講 演「就業規則の本質について」(『労働法学研究会報』第31号)
   「労働法における信義則について」(『労働法学研究会報』第35号)
   「労基法改悪反対――最近の社会情勢と労働問題」(日光電気精鋼所労組機関紙『光頭旗』7月)
書 評「学界に与える警策――岸本英太郎『社会政策論の根本問題』」(『日本読書新聞』3月26日号)
   「大原社会問題研究所『日本労働年鑑』第23集1951 年版」(『法学志林』第4 9巻第1号)
   「日本的な実態への抗議――鈴木安蔵『基本的人権』」(日本読書新聞』9月19日号)
   「戒能通孝『著作権』」(『法学志林』第49巻第2号)


1952(昭27)年〔38歳〕
自 著『団結権擁護論(上)――権利感情と労働基本権』(7月、勁草書房刊)
   『団結権擁護論(下)――労働者権の濫用と法の濫用』(8月、勁草書房刊)
共同執筆「憲法28条論」(峯村・有泉編『専門講座労働法1』11月、勁草書房刊)
論 文「労働法規改正をめぐって」(東武交通労組『進路』1・2月号)
   「団体交渉権の基本的性格――特に権利濫用と不当労働行為をめぐって」(『討論労働法』第5号)
   「団結権と団結への忠誠」(『海上労働』第5巻第3号)
   「ピケッティングの法理――三越ストに及ぶ」(『討論労働法』第7号、のち有泉・沼田・峯村編『労働争議』勁草書房刊に所収)
   「取締法体系における労働法の位置――緊急調整の政策的意味について」(『労働法律旬報』第93 ・94合併号、のち『団結権擁護論』増補合本版に所収)
   「労働法の危機に臨んで」(『社会主義』第13号、のち『貴重なる憲法』に所収)
   「労働法における法理と政策目的の変移」(『季刊労働法』第4号、のち『悪法と労働基本権』に所収)
   「嵐の中の団結権――百万人の法律学」(『中央公論』7月号)
   「除名処分と団結防衛権」(『労働法律旬報』第102号)
   「労働法改正の焦点と概観――第13国会の法律」(『法律時報』第24巻第8号、のち『悪法と労働基本権』に所収)
   「破壊活動防止法の解釈論」(『労働経済旬報』第162号、のち『悪法と労働基本権』と『貴重なる憲法』に所収)
   「破防法下の労働運動について」(国労東京地本『東労文化』第10号)
   「メーデー事件の歴史的意味」(『改造』11月号、のち『悪法と労働基本権』と『現代民主主義論』に転収)
   「電産ストといわゆる世論」(『官公労働』 12月号)
時 評「困りはてた政治家たち――労働法改正に関して」(『労働法律旬報』第100号)
   「護憲で空前の争議」(京都大学『学園新聞』1952.5.5)
   「生きた現実の動態的把握」(『経済評論』11月号)
   「電産ストといわゆる世論」(『官公労働』12月号)
   「秋期闘争についての見方・考え方」(『経済往来』12月号)
随 想「労働法と労働法学の歩み」(『図書』8月号)
   「労働法懇談会の存在理由」(『討論労働法』第14号)
講 演「営業妨害と争議権の限界」(『労働法学研究会報』第60号)
   「治安立法と争議権」(『労働法学研究会報』第82号)
   「協約闘争における人事権関与・団交権・ショップ制」(『労働法学研究会報』第94号)
   「今次労働争議における争議権行使をめぐって」(『労働法学研究会報』(第102号)
書 評「右派の偏向と切り結ぶ――高野実『労働組合運動論』」(『日本読書新聞』3月12日号)


1953(昭28)年
自 著『労働法学綱要1』(1月、如水書房刊)
   『市民法と社会法』(法律学体系第2部法学理論編<116>、 7月、日本評論新社刊、のち『社会法理論の総括』に所収)
共編著『憲法要義』(星野安三郎・岡本雷輔と共著、6月、法律文化社刊)
共同執筆「不当労働行為と団結権との関係についての考察」(末川先生還暦記念論文集『労働法・経済法の諸問題』、11月、有斐閣刊、のち『団結権思想の研究』に所収)
論 文「スト規制法の狙うもの」(『解放』第1巻第3号)
   「労働協約に関する基本的考察」(『労働法律旬報』第 124号)
   「労働法崩壊過程の記録」(『法律時報』第25巻第5号、のち『悪法と労働基本権』に所収)
   「労働政策と日教組」(『教育評論』第2巻第5号)
   「ロックアウトをめぐる法律問題」(『労働経済旬報』第 198号)
   「悪法の底辺」(『労働世界』創刊号、労働法律旬報社刊)
   「日経連協約基準案の批判的考察」(『討論労働法』第18号)
   「炭労の提起した団結権に関する諸問題」(『北海道労働委員会月報』第3巻第4号)
   「基本的人権は守られているか」(『部落』第46号、のち『悪法と労働基本権』に所収)
   「協約規範の法的性格」(『労働法律旬報』第144号)
   「ピケッティングの諸様相」(『労働法律旬報』第145号)
時 評「労働法の展望――昭和27秋~昭和28夏」(学会誌『労働法』第3号)
   「政令325号最高裁判決をどう見るか――大法廷に敬意」(『法律時報』第25巻第9号)
随 想「ここに法あり、ここで学べ」(『日労研資料』第6巻第1号)
   「愛される党の旗竿」(『平和』1月号)
   「立法の交叉点」(『討論労働法』第19号)
   「空知・釧路の鉱山を旅して」(北炭機関紙『炭道』1953.9.15)
講 演「ピケッティングの正当性の限界について」(『労働法学研究会報』第151号)
   「労働法意識を決定するもの」(『石川労働時報』6月号)
   「団結の力」(国労上野支部『労働と文化』第36号)
   「激動する世界と日本」(石川県職組機関誌『怒濤』9~10月号)
書 評「本多淳亮『米国不当労働行為制度』」(『日本読書新聞』9月21日号)
   「海野普吉・森川金寿『人権の法律相談』」(『日本読書新聞』11月23日号)


1954(昭29)年〔40歳
自 著『悪法と労働基本権』( 7月、法律文化社刊)
   『団結権擁護論(増補合本)』(6月、勁草書房刊)
共編著『労働争議』(有泉・峯村・沼田共編著、「争議権の本質とピケッティングの法 理」を執筆、4月、勁草書房刊)
共同執筆「遵法闘争」(有泉・ 峯村・沼田編『専門講座労働法4』1 月、勁草書房刊)
   「労働組合の政治的行動」(『中央公論』7月号、のち野村平爾編『今日の労働組合』<1955年1月、新評論社刊>に収録)
   「解雇の自由と権利濫用」(東洋経済新報社編『解雇をめぐる法律問題』7月、東洋経済新報社刊)
   「団結統制とユニオンショップの問題」(有泉・峯村・沼田編『専門講座労働法5』11月、勁草書房刊)
執筆参加「現地をまわりて」(三鉱連編『英雄なき113日の闘い――三鉱連企業整備反対闘争史』6月、労働法律旬報社刊、のち『行人有情』に所収)
論 文「労働事件の裁判と法の変動」(『討論労働法』第24号、のち『団結権擁議論(増補版)』 に所収)
   「遵法闘争――特に公労法17条違反の法理について」(『討論労働法』第25号)
   「組織労働者の規範意識を分析して労働法の理論に及ぶ」(『法学志林』第51 巻第3・4号、第52巻第1号、のち『団結の研究』に所収)
   「就業規則の法的性格」(学会誌『労働法』第4号、のち『就業規則論』に所収)
   「就業規則についての考え方――昭電事件東京地裁判決をめぐって」(『討論労働法』第29号)
   「政治的活動と組合づくり」(『月刊炭労』第7号)
   「“組合づくり”と労働法」(東京都労働局『労働教育時報』第17号)
   「炭労の部分ストと賃金カットの問題」(学会誌『私法』第12号)
   「労働法はどう動くか――小坂労政の本質と強さ」(『法律時報』第26巻第11号)
   「ピケットラインにおける連帯と抵抗」(全銀連『調査時報』第50号)
   「団結の力」(国労釧路地本機関誌『霧叫』創刊号、のち『行人有情』に所収)
   「公労法と国鉄労働組合」(国労釧路地本機関誌『霧叫』第2号)
時 評「日鋼室蘭争議についての二、三の所感」(『労働法律旬報』第183号)
   「善意の間接侵略」(『北陸新聞』1954.5.24)
   「三日課視の国会騒動」(『北陸新聞』1954.6.10)
   「ワンマンと人権無視」(『北陸新聞』1954.6.21)
   「叛骨のある政治」(『北陸新聞』1954.7.19)
   「法治国家と無法政府」(『北陸新聞』1954.8.16)
   「十二歳の政治」(『北陸新聞』1954.9.13)
   「悲惨なる海難の真因を撃て」(『北陸新聞』1954.10.4)
   「苦 言」(『北陸新聞』1954.12.6)
随 想「どんな書物を読むべきか」(『学習の友』2月号)
   「“討論”について」(『討論労働法』第26号)
   「200号発刊を祝して――特権意識打破の糧となれ」(三井三池職組機関紙『はっぱ』1954.5.7)
講 述「部分ストと賃金カット<参議院での公述速記>」(『労働法律旬報』第159号、日経連『労働経済判例速報』3月10日号)
   「次官通達について<衆議院での公述速記>」(『労働法律旬報』第184号、『法令通信』第7巻第47号)
講 演「不当労働行為とは」(山梨銀行労組機関紙『山梨中央』1954.7.16)
   「第二組合の就業禁止の仮処分申請」(『労働法律旬報』第183号)
書 評「実践的な闘争の記録――内山光雄『幹部闘争から大衆闘争へ』、三鉱連編『英雄なき113日の闘い』」(『図書新聞』7月10日号)
   「世界の労働運動に学ぶ――茂木一郎訳編『労働計画』、 高畠喜久男他編『統一行動』」(『図書新聞』11月6日号)


1955(昭30)年
自 著『団結の研究』(10月、勁草書房刊)
共編著『労働組合の法律相談』(佐伯静治・藤田若雄と共著、 1月、日本評論新社刊)
共同執筆「組合自主法と団結権」(石田文次郎先生還暦記念論文集『私法学の諸問題(2)商法・ 労働法』3月、有斐閣刊、のち『団結権思想の研究』に所収)
   「ピケラインにおける法とモラル」(東洋経済新報社編『争議をめぐる法律問題』2月刊)
   「企業別組合の実態に即した協約法の捉え方」(東洋経済新報社編『労働協約・就業規則をめぐる法律問題』9月刊)
執筆参加「労使攻防の法理――ロックアウト・ピケ及び出荷阻止について」(全繊同盟法政部編『近江絹絲法廷闘争記録』6月、労働法律旬報社刊)
論 文「労働法の領域における法解釈の対立――小坂労政批判」(民科法律部会監修『日本法学の課題と展望』<理論社『理論』別冊6号>、1 月刊)
   「日鋼室蘭争議」(学会誌『労働法』第6号)
   「職場秩序と懲戒解雇」(『労働法律旬報』第205号、のち『就業規則論』に所収)
   「労働法講座」(『全電通文化』第7号~12号、<協約と就規>7、8号、<労働争議>9、10号、<団結権と組合の自治>11、12号に連載)
時 評「民生の安定と危機意識」(『北陸新聞』1955.1.10)
   「主権者よきびしくなれ」(『北陸新聞』1955.1.24)
   「国民の念願に立つ外交を望む」(『北陸新聞』1955.2.7)
   「憲法は国民の手にあり」(『北陸新聞』1955.3.14)
   「汚職とハッタリ」(『北陸新聞』1955.3.28)
   「死 刑」(『北陸新聞』1955.4.8)
   「ゴールデンウィーク」(『北陸新聞』1955.5.9)
   「英国の総選挙に思う」(『北陸新聞』1955.5.30)
   「京大事件に思う」(『北陸新聞』1955.6.13)
   「真実は権威よりも重い」(『北陸新聞』1955.6.27)
   「賣春等処罰法」(『北陸新聞』1955.7.11)
   「颱風にふかれて中国の国慶節を思う」(『北陸新聞』1955.10.3)
   「統一社会党によせる」(『北陸新聞』1955.10.17)
   「二大政党論」(『北陸新聞』1955.11.21)
随 想「巻頭言」(『討論労働法』第36号)
   「懲戒解雇について」(『討論労働法』第44号)
   「階級組織としての団結を<年頭所感>」(『労働法律旬報』第187・188合併号)
   「年頭所感」(鐘紡労組機関紙『労鐘』1955.1.1)
   「労働関係法と労働実情」(『時事教養』第145号)
   「労働契約について(1)・(2)」(『海上労働』4月号、5月号)
講 演「懲戒解雇に関する法律上の問題点」(『労働法学研究会報』第227号)
書 評「片岡・本多・窪田・西村著『ピケッティングの研究』」(『図書新聞』7月30日号)
   「米英ソの労働運動史――マルコフ著・ 山下訳『ソヴィエト労組運動史』、川田寿著『アメリカ労働運動史』、コール著・ 山川訳『これが社会主義』」(『日本読書新聞』6月18日号)
   「後藤清『労働協約の基本問題』」(『労働法律旬報』第211号)


1956(昭31)年
共編著『団結権と不当労働行為<講座「労働問題と労働法」第2巻>』(有泉・峯村と共編著、10月、弘文堂刊)
   『官公労の闘争――労働組合の法律相談(続1)』(佐伯・藤田と共著<鼎談方式>、10月、日本評論新社刊)
   『職場闘争――労働組合の法律相談(続2)』(佐伯・藤田と共著<鼎談方式>、12月、日本評論新社刊)
共同執筆「争議権に関する見解」(大友福夫・松岡三郎編『労働争議と争議権<講座「労働問題と労働法」第3巻>』、3月、弘文堂刊)
   「労働法における法と政治」(日本労働法学会編『労働法講座(第1巻)』 7月、有斐閣刊)
執筆参加「三池労組十年の闘争の生み出した『法的なもの』について」(三池炭鉱労組編『みいけ十年』、10月、労働法律旬報社刊)
論 文「組合活動の自由について」(『討論労働法』第48号)
    「労働法における法解釈の問題」(『季刊法律学』第20号、のち長谷川正安編『法解釈学の方法<法学文献選集第1 巻>』学陽書房刊に転載)
   「違法なる争議行為に対する組合幹部の責任に就いて(1)・(2)」(『労働法律旬報』第234号、第247号)
   「休業中のロックアウト――カルケット食品(大阪地裁)事件批評」(『判例時報』第76号、別冊付録「判例評論」第5号)
   「停年退職制の法律的再検討」(『労働経済旬報』第302号)
   「組合――法律学150講」(『法学セミナー』第9号)
時 評「金沢のよさ」(『北陸新聞』1956.1.3)
   「1956年の年頭にあたって」(『労働法律旬報』第223号)
   「昭和31年春期賃上闘争」(学会誌『労働法』第8号)
   「労働法改悪のきざし」(『労働法律旬報』第241号)
   「弾圧対策について」(『労働法律旬報』第243号)
   「総評の『新路線』について」(『労働法律旬報』第246号)
   「公共企業体労働者の団結活動――職場集会休暇闘争などはなぜ合法か」(『労働法律旬報』第256・257合併号)
   「官公労の春期闘争――全国税事件・全電通千代田丸事件及び国鉄青年部事件を中心にして」(学会誌『労働法』第9号)
   「労働に関する法と経済」(『中央経済』第5巻第9号)
   「家族組合と団結権」(『討論労働法』第54号)
随 想「労働者教育協会報発行に際して」(『労働者教育協会報』第1号)
講 述「スト規制法の延長について公聴会記録<衆議院第1議員会館にて>」(社会党、総評等主催、10月13日)
講 演「争議行為と組合幹部の責任(1)(2)」(『労働法学研究会報』第245号、246号)」
   「出荷阻止の正当性の限界」(『労働法学研究会報』第273号)
   「労働法の概要について」(東海電気通信局職員部編『労働関係法令講演集』)
書 評「熊倉武『労働力の刑法的保護』」(法律時報』第28巻第7号)


1957(昭32)年
共編著『ロックアウト――労働組合の法律相談(続3)』(佐伯・藤田と共著<鼎談方式>、1月、日本評論社刊)
共同執筆「経営権特に人事権に関する約款」(有泉・野村編『労働協約と就業規則<講座『労働問題と労働法」第4巻>』6月、弘文堂刊)
   「労働者の権利」(柳田謙十郎・宮川実編『基礎講座・労働者の社会科学』4、8月、青木書店刊、のち『労働者の権利とは何か』に所収)
   「就業規則と臨時工」(東洋経済新報社編『臨時工をめぐる法律相談』11月刊、のち『就業規則論』に所収)
   「争議行為と賃金請求権」(東洋経済新報社編『賃金・退職金をめぐる法律問題』12月刊)
論 文「市民法秩序と社会的権利――労働者権の理論を中心に」(『思想』第392号、のち『社会法理論の総括』に所収)
   「裁判官の“市民法的”理論意識について」(『討論労働法』第59号)
   「争議手段としての出荷阻止の法理」(『季刊労働法』第23号)
   「組合幹部犠牲論の反省」(学会誌『労働法』第10号、のち『団結権思想の研究』に所収)
   「団結権に関する通牒批判」(『法律のひろば』4月号)
   「1957年度運動方針案にたいする感想・意見」(『月刊総評』5月号)
   「労働基本権と労働政策」(『討論労働法』第62号)
   「国鉄新潟争議は行きすぎか」(『学習の友』10月号)
   「団結権保障の本義について――国労斡旋案・機労判決にふれて」(『労働法律旬報』第291・292合併号、のち『団結権の生命』に所収)
  「就業規則の妥当を支える力と規範意識」「勤務及び年次有給休暇に関する諸規定についての労働者の規範意識」「就業規則法制に関する批判的考察」(以上3論文とも『法学志林』第54巻第3号特集「就業規則」、のち『就業規則論』に所収)
   「同情ストについて」(『時の法令』第261号、のち江家義男編『世相と法律』に所収)
   「舟にきくの記」(『海上労働』11月号、のち『行人有情』に所収)
随 想「年頭の辞」(『討論労働法』第58号)
   「1957年の労働問題における課題について<年頭展望>」(『海上労働』1月号)
   「私の愛読書『ベッカリヤ・犯罪と刑罰』」(『法学セミナー』第14号)
講 述「生産性向上と社会問題」(『WIA』秋号、早稲田大学工業経営学会刊)


1958(昭33)年
共同執筆「生産管理」(総合判例研究叢書『労働法』(2)、2月、有斐閣刊)
   「同情ストライキについて」(江家義男編『世相と法律』4月、法令出版公社刊)
   「労働法(法体制再編期)」(鵜飼・川島・福島・辻編『日本近代法発達史講座5』10月、勁草書房刊)
論 文「生存権的基本権」(『法律時報』第30巻第1号、のち『貴重なる憲法』に所収)
   「公労協と公労法の現時点に立って」(全逓本省支部機関誌『全逓本省』1月号)
   「船員の組合意識――続“舟にきくの記”」(『海上労働』1月号)
   「労働法と労働運動」(『月刊総評』2月号)
   「市民法と社会法について――アンケート」(『法律時報』第30巻第4号)
   「会社の体面を汚す不名誉な行為に就いて――日本鋼管川鉄懲戒解雇事件の提起している問題についての覚書」(『労働法律旬報』第307号、のち『就業規則論』 に所収)
   「権利闘争とは何か」(『社会主義』第82号)
   「懲戒規定と解雇協議約款」(『日労研資料』第11巻第17号)
   「労働運動と労働政策」(『月刊労働問題』7月号)
   「労働者と刑罰法規――いわゆる労働刑法の位置について」(『法律時報』第30巻第9号、のち『社会法理論の総括』に所収)
   「官公労における権利闘争の断面」(『季刊労働法』第29号、のち『労働争議法の特殊問題』に所収)
   「労働者教育の課題」(『学習の友』11月号、のち『学習労働問題』に所収)
時 評「1958年度運動方針所見」(『月刊総評』18号)
随 想「団結の軌道をとらえよ」(『労働法律旬報』第295号)
   「労働法律旬報の良心と力」(『労働法律旬報』第300号)

   労働法律旬報の良心と力
                沼田 稲次郎
                   1
 労働法律旬報が300号を発行するにいたったことは、祝福すべきことである。あらゆる資本からの「ひも」――広告を出してもらうという程度のことでさえを一切断ちきって、ただ労働者階級への限りなき奉仕の心と愛情とをもつ組合の人達や良心的な法曹の好意ある協力のみを唯一の資本として、今日の旬報までもり上げてきた旬報社の織田社長ほか社員各位の苦労は察するにあまりある。その間、着々と上り坂をつづけて、124号(昭28年)以後は別冊判例を生み、昭和30年には姉妹誌「福祉対策資料」を生むようになった。だが、注目すべきことは、一出版社が発展したということではなく、政府や資本家に対していささかの気がねもしないでどしどし批判を行い、組合に対しても敢て苦言を呈することを辞さないこの良心的な専門誌を支えてきた力が着々と伸長してきたということである。このような力はもとより読者の中にある。また学者、弁護士ばかりでなく多くの組合員も登場するその執筆陣の中にもある。これは編集者たる旬報社の感謝すべきことであると共に、国民の幸せを願う者にとっては祝福すべきことでなければならぬ。

                    2
 旬報は昭和24年11月5日にその第1号が出ている。それは同年8月1日に創刊された『人民の法律』(月刊)の志を継いで発足したと思われる。『人民の法律』は平野義太郎監修、全国労組法規対策協議会、民科法律部会、自由法曹団共同編集の下に出版せられたものである。当時は、昭和23年のポッダム政令201号による公務員のストライキ権剥奪以来のはげしい弾圧と、ドッジ・ラインに沿うて行われた企業整備つまり端的には首切りの全面的な強行とによって、労働者の生存権も団結権も極度に脅かされた暗い谷間の時期であった。だから、平野氏の創刊の言葉の中にも強い抗議の声がきかれる。かかる抗議と批判の精神をもって、「勤労人民の法律相談所となり、侵されつつある基本的人権を守り、民主主義を暴力政治から擁護しようとする」目的の下に同誌は発行せられた。同誌のかかる趣旨は、創刊号巻頭に野村教授の「経営権と労働者の権利」を掲げたところにも見ることができる。けだし当時、労働組合との団体交渉において使用者が組合の人事参加要求拒否の理由として濫用した「経営権と労働権との限界線」ということの法的意義を明らかにし、労組に理論的武器を与えることは緊吃の課題であったと思われるからである。
 旬報300号を貫く第一義的なものは労働者の権利を守るという『人民の法律』以来の念願があるといってよい。労働者の権利は、もともと立法により、行政により或いは裁判によって守らるべきであるにもかかわらず、必ずしも守られていないばかりか、かえって弾圧を加えられたり、不当な法解釈によって不当な制限を加えられたりした。そのような場合には旬報は決して沈黙しなかった。また、資本が経済的優位に乗じて労働条件を切り下げ、首切りを行い、団結を侵害することによって労働者の利益や権利を奪おうとするとき、旬報は労働法に照して資本の横暴をとがめ、或は法上の権利を事実上の具体的な利益として労働者が手中に獲得するためにはどのような方向に進みどのような方法をとるべきかを研究した。そして、労働運動における成功や失敗の経験をすべての労働者の共有の宝とするために旬報は資料やレポートのためにも多くのスペースを割いている。旬報の発足したころから今日まで組合に対する政府や資本からの圧迫は絶えない。はじめのころは、ドッジ・ライン下の企業整備の嵐がふきまくっていて、組合も有効な反対闘争を行うほど力を蓄えていないときであった。戦後の労働攻勢下に獲得した労働協約やその情勢下にできた就業規則における解雇規定が辛うじて資本の首切り攻勢に対して防壁となっていた。旬報はこのような問題に取りくまざるを得なかった。旬報第1号が時の焦点として「無協約を目的とした改訂の申入れは無効」の見出しをかかげ、巻頭論文に高木右門氏の「労働協約における同意と協議」をのせ、佐伯静治氏の滝川化学解雇事件の判例批判を加えたのは、まさに当時の労働組合の苦しい実践の中から提起された問題をとり上げたものにほかならぬ。松岡教授が「労基法20条違反と解雇の効力」(9号)「就業規則の効力」(13号)などを論じ、野村教授が「協約の余後効」(14号)を、楢崎助教授が重ねて「協約の余後効」(23号)を取りあつかわれているのも、また峯村教授が「平和条項と争議行為の限界」(22号)を後藤教授が「争議中の協約の効力」(25・26合併号)を浅井教授が「業務命令の法的性格」をとりあげられているのも、当時の資本攻勢に際して労働法理論を深めたものにほかならない。
 また当時の弾圧に鋭い批判を向けて、思想、言論の自由に関し戒能教授(32号)や鈴木教授(33号)が筆をとられ、また公安条例の問題が紙面をにぎわしている。
 講和前後においては労働法規の改悪や破防法が大きな問題となり、旬報は破防法反対闘争のさなかに100号(昭27.8.5)をむかえるわけだが、その頃の旬報の批判と抗議とは極めて精力的になされている。自由法曹団の編輯で発足した旬報は70号以来旬報社自体の編輯になり一層自主的で広い基礎に立つことになるが(もとより自由法曹団の有能な弁護士ことに森長、佐伯両弁護士は始終一貫旬報のために書きつづけていられる)、国民的な運動となった破防法反対闘争の頃には、旬報誌上は組合から寄せられる原稿や50人をこえる法律家や社会政策学者などの原稿によって強固な基盤を作っていた。旬報がこの頃精力的に悪法反対を行い得たのは、何といっても悪法反対運動の規模の広さと、運動の主体たる総評が、昭和26年秋ごろからぐっと自主的になり、昭和27年にはすっかり「雞が家鴨に」なっていたこととによるといわなければなるまい。昭和27年はわが国の労働運動が暗い谷間を堪えぬいて、ようやく自主的な階級組織として、組合員大衆に根をおろした運動として地味な努力をつみ上げてゆく年である。このような運動は旬報をして協約の問題をとり上げさせねばおかなかった。しかも昭和24~5年の頃のように、協約の法律的問題ではなく、むしろ協約の具体的内容や協約闘争の問題が中心でなければならなかった。藤田講師が「協約闘争の基本問題」(92号)以下数回にわたって協約をめぐる実践的課題を分析されたのは、かかる時代の問題を鋭く洞察したものである。昭和28年以降は協約問題が旬報の主要課題となって今日に及んでいるが、ことに佐藤助教授の「北陸鉄道協約闘争史」(284~5号)の如き厖大な貴重な研究をすら出している。
 弾圧は破防法をもっておわったわけではなく、昭和28年にはいわゆるスト規制法が制定せられたし、昭和27年暮の炭労・電産争議(これがスト規制法の直接の原因)の間両単産傘下に多くの刑事事件が惹起したし、その後も、官公労闘争に対する弾圧はことに強化せられた。旬報はその都度労働者の権利を守るために論じた。そして、かかる具体的問題を媒介とした理論によって、実は労働法の基本的問題が深められてきたのである。総評が昭和32年5月末弾圧反対の臨時大会をひらいて、権利を守る闘いを展開し、権利意識を高揚することを決意し、運動方針にもそれをうたっているのであるが、このような動きが打出されるについては、旬報のたゆみなき努力が何ほどかの影響力をもったであろうということを、そして旬報の良心が巨大な労働組合の良心に大きくこだましつつあることを、私は信じている。

                    3
 労働運動の歩調に合わせて1号1号をつみかさねて、いま300号を出した旬報は、どのような時点に立ち、どのような課題を投げかけられているのだろうか。組合に対する支配階級の圧迫はいよいよ激しくなりつつあることは、国鉄、日教組に対し、或は鉄連、炭労に対してとられている政府独占資本の態度をみればわかることである。だから旬報の「労働者の権利を守る」という使命はまだまだ続かなければならないのである。それは、公労法の廃止改正といった立法問題から、法廷闘争の問題、生産性向上運動との具体的な対決の問題などすべて労働者の権利と利益の問題でなければなるまい。
 だが同時に、いま新たな問題が提起せられつつあることを見のがしてはならない。それは実に労働者教育の問題である。周知の如く「日本労働協会法案」が目下衆議院において審議せられつつあるが、この法案の狙いは少くも労働省の――日経連の、といいかえてもあまり大きな差異はあるまいが――えがく労働者像、ないしは労働組合像を形成することに存すると思われる。政府出資金15億を基金とし、この金利年1009万円で運営する特殊法人たる日本労働協会が「広く労働者及び使用者並びに国民一般の労働問題に関する理解と良識をつちかうことを目的」(1条)として行う労働教育がよもや悪法を批判したり、労働省の解釈に反対したり、生産性向上運動を非難したりするような組合や労働者を養成するはずもあるまい。ここで、法案批判をやるつもりもないし、労働省のえがく組合像を論じようとするわけでもない。またこの法案が通過するかどうかも問題であろう。だが、とも角、現在政府の労働教育が飛躍的に強化されようとしていることは確実だと思う。もとより、政府がたとえどのように労働教育を行うにせよ、現実の失業や貧困が解決せられず、労働強化がすすむならば、その現実の教訓よりも強い影響を与えることは困難でもあろうし、たとえどのような視点から説かれるにせよ組合員が労働組合法を知らないよりも知っているものが少しでも多くなれば、やがて、労働者自からが労働者的知恵にも納得のいく見解を抱くように成長して、教師を困らせることになるかもしれない。然しそれにもかかわらず教育は力である。ことに、労働運動の日も浅く労働者のモラルが伝統的に根をおろしていないわが国の現状では――政府の法解釈がいかに組合員を動揺せしめてきたか、という事実を想起されたい――、政府の近辺からの教育は相当な浸透力をもつにちがいない。況や他方に弾圧の鞭をにぎりながら、一定の教育(何らかの利益と結びつけられればなおさら)を押しつけるとなると、「教育の効果」は大いにあがるであろう。すでに抑圧の強化している現段階ではその抑圧の主体ともいうべき政府の意思でなされる教育は、自主的な労働運動にとって可成り危険なものをはらんでいることは明らかであろう。組合は今こそ一刻も早く労働者教育に真剣に取り組まなければならぬ。そして私は旬報にも労働者の規範意識の高揚について更に一層の努力をはらってもらいたいと思う。真に自主的民主的な階級組織としての労働組合の行動法則を或は団結のモラルを、すべての組合員にまで浸透させるという仕事は、旬報があらゆる組合の具体的な要求をとり上げ、どこかの組合の闘争と努力とは、すべてこれを全労働者の闘争と努力のための共有の糧とするように、計画的に見透しを立てて精力的に努力するのでなければ遂行は困難だと思う。そして組合もまた得がたい良心的雑誌である旬報をより大きな基盤にのせて活用することによって、組合員教育の徹底をはかってもらいたい。労働者の権利と利益を守るためには、労働者は労働者としてのなすべき(なさざるを得ない、といってもよい)行動の原理を身につける必要がある。官制の労働者像には労働者の権利は結びつかないのである。旬報は300号を通じて、労働者の権利を明らかにしてきた。いまや権利の主体たる労働者そのもの、団結そのものを明らかにする課題に取りくんでゆかなければならね。
                                      (『労働法律旬報』第300号)
                      
   「幸わせは俺らのねがい」(『全日赤文化』創刊号、1958.2.26)
   「団体行動権は公共の福祉」(『人生手帖』6月号)
   「潮ッ気の染み込こんだ意識」(『海上の友』第277号)
講 述「『労働者のモラル』について――企業イメージから組合イメージヘ」(『労働者教育協会報』第15号)
講 演「私達の権利と労働法」(東横百貨店労組機関誌『げんじつ』2号)
書 評「大原社会問題研究所『日本労働年鑑』第30集について思う」(『労働法律旬報』第297号)
   「労働法学の方法論的反省のために――野村平爾『日本労働法の形成過程と理論』を読んで」(『思想』第404号)


1959(昭34)年
自 著『学習労働問題――権利闘争のための講座』(3月、日本評論社刊)
共編著『労働組合読本』(蓼沼謙一・横井芳弘と共著、7月、東洋経済新報社刊)
共同執筆「労働組合の秩序と協約の秩序」(東洋経済新報社編『経営権・団交権をめぐる法律問題』1月、東洋経済新報社刊)
   「団結承認のための闘争について」(『民商法雑誌』第39巻第4・5・6合併号、私法学論集(下)、4月刊、のち『労働争議法の特殊問題』に所収)
   「ユニオンショップ闘争の本義について」(王子製紙労組編『団結がんばろう――王子闘争145日の記録』4月、労働法律旬報社刊)
   「日本国憲法における労働者像について」(山之内先生追悼論文集『今日の法と法学』10月、勁草書房刊、のち『団結権思想の研究』に所収)
   「争議における労使対等の原則」(東洋経済新報社編『労使対等原則をめぐる法律問題』9月、東洋経済新報社刊)
   「労働法の基礎的な事柄」(労働大学・学習教科書シリーズ4『労働法――理論と実践』9月、労働大学刊)
論 文「憲法解釈の方法について(いわゆる伊達判決)」(『法律時報』第31巻第5号、 のち『貴重なる憲法』に所収)
   「組合員すべてによる組合活動」(砂川炭労機関誌『帽灯』4号)
   「政党支持と組合民主主義」(『学習の友』9月号)
   「安保条約の改定と憲法の抵抗権――安保改定阻止闘争の法理」(『労働法律旬報』第351号、のち『現代の権利闘争』に所収)
   「ピケの正当性――羽幌炭鉱事件」(『判例評論』第15号)
   「労働協約と就業規則」(『法学セミナー』11月号)
   「独占資本の攻撃と団結権の危機――三鉱連三池の合理化反対闘争によせて」(『労働法律旬報』第365号)
   「組合の内部運営と使用者」(『労働法学研究会報』第10巻43号)
時 評「官憲と労働組合」(『労働法律旬報』第336号)
   「今年度の到達目標とそれにいたる行動指針を示せ」(『月刊総評』5・6号)
   「ILO87号条約批准に伴う国内法整備等についての意見」(『月刊労働問題』4月号)
   「『派閥』ということについて」(『全電通新聞』1959.10.4)
   「中小企業のストライキ」(『全電通新聞』1959.10.25)
   「討論運動の提唱」(『全電通新聞』1959.11.15)
   「愚民政治への抵抗」(『全電通新聞』1959.11.29)
   「闘争における行動の型」(『全電通新聞』1959.12.13)
随 想「団結の力を確認せしめよ(年頭の辞)」(『労働法律旬報』第331・332合併号)
   「労働立法への学者の協力」(『季刊労働法』第32号)
講 述「労働運動の当面する諸問題」(国労パンフ『内外の情勢と労働運動』教育シリーズ11号)
講 演「高岡高校第61周年記念講演」(高岡高校誌『古城』2月)
   「不当労働行為について」(『月刊専売』2号)
書 評「大河内・氏原・藤田編『労働組合の構造と機能』」(『季刊労働法』第32号)


1960(昭35)年〔46歳〕
自 著『労働法論(上巻)』(5月、法律文化社刊)
共同執筆「闘争の権利について」(恒藤先生古希記念論文集『法解釈の理論』5月、有斐閣刊)
   「団結する権利の保障――在籍専従制度の検討」(菊池勇夫教授60年祝賀記念論文集『労働法と経済法の理論』11月、有斐閣刊、のち『団結権思想の研究』に所収)
論 文「労働法制の指向と労働組合の力」(『月刊労働問題』1月号)
   「デモンストレーションの権利について――デモ規制の反民主的性格」(『労働法律旬報』第370号、のち『団結する権利』と『貴重なる憲法』に所収)
   「賃金決定権について」(『賃金と社会保障』第160・161合併号)
   「『脱落の自由』ということについて」(『労働法律旬報』第374号)
   「労働法の変動と基調――今日の問題にふれて」(『労働法律旬報』第376号、のち『団結する権利』に所収)
   「職場闘争と法の精神――『樹海の嵐』批判」(『ぜんりんや』第12号、のち『団結権の生命』に所収)
   「三池争議の展望」(『社会主義』第104号)
   「労働運動と刑法改正草案」(『法律時報』第32巻第8号臨時増刊)
   「第二組合をめぐる法律問題――ストライキ中の分裂を契機とする場合」(『季刊労働法』第36号、のち『労働争議法の特殊問題』に所収)
   「三池争議――組合分裂を中心として」(中央大学『白門』第12巻第6号)
   「樹海の孤島の労働者――山林労働者の団結」(筆名・鈴葉朗)(『月刊労働問題』6月号、のち『行人有情』 に所収)
   「不当労働行為制度」(学会誌『労働法』第16号、学会創立10周年記念号、のち『団結権思想の研究』 に所収)
   「市民法と労働法の接ぎ目――争議行為のいわゆる民事免責についての法意識」(『東京都立大学法学会雑誌』創刊号、1月刊)
   「労働組合の分裂とピケットライン」(『日労研資料』第484号)
時 評「『物の見方考え方』について考える」(『全電通新聞』1960.1.14)
   「デモの自由を守れ」(『全電通新聞』1960.1.28)
   「労働運動に関する法の悪化に注目せよ」(『全電通新聞』1960.3.20)
   「憎しみの共感」(『全電通新聞』1960.4.7)
随 想「政治的無関心を克服せよ」(『労働法律旬報』第367号)
   「情勢に適応な能力ある政府の必要」(『中央経済』第9巻第8号)
講 演「中小企業と労働争議」(『立命館法学』3月号)
書 評「菊池勇夫編『社会法綜説(上・下)』(『法律時報』第32巻第4号)


1961(昭36)年
自 著『労働法――講義要綱』(5月、法律文化社刊)
共編著『団結する権利――激動期労働法の焦点』(片岡曻と共編著、5月、法律文化社刊)
共同執筆「教育労働者の倫理と権利」(日教組編『労働基本権奪還』4月刊)
   「海員組合における団体交渉研究の意義」(『日本労働協会調査研究資料』第38号、『船員の団体交渉の実証的研究』5月刊)
   「労働」(尾高朝雄・峯村光郎・加藤新平編『法哲学講座』第6・7合併巻「現代実定法の基本問題Ⅰ・Ⅱ」、有斐閣刊、のち『社会法理論の総括』に所収)
   「危険な時期・危険な法」(青年法律家協会編『政暴法』10月、労働法律旬報社刊)
   「組合活動をめぐる法律問題の背景と系譜」(東洋経済新報社編『組合活動をめぐる法律問題』7月、東洋経済新報社刊)
   「団体交渉」(石井照久・有泉亨編『労働法演習』6月、有斐閣刊)
執筆参加「序文にかえて」(山根房光『みいけ炭鉱夫』労働大学新書、12月)
論 文「違法行為指令拒否と組合の制裁権――大日本鉱業事件にふれて」(『季刊労働法』第39号、 のち『労働争議法の特殊問題』に所収)
   「労働基本権奪還闘争をめぐる諸問題――春闘に関連させて」(『労働法律旬報』第408号)
   「立法意思を動かすもの」(『労働経済旬報』第470号、のち『貴重なる憲法』に一部所収)
   「加古祐二郎の法哲学」(『思想の科学』5月号、のち恒藤・沼田編『近代法の基礎構造』と『民主主義法学と学者像』に所収)
   「連載:運動の中の労働法」(『労働法律旬報』第421号~第437・438合併号)
   「自主的労働組合の前進のために(1)」(第421号)
   「自主的労働組合の前進のために(2)」(第423号)
   「労働法の領域と運動の眼目」(第426号)
   「不当労働行為との闘い」(第431号)
   「団結への努力と団結の中の生ける法――団結の統制権と連帯」(第434号)
   「争議行為の理論(1)」(第437・438合併号)
   「労働者の権利と労働法」(『月刊労働問題』7月号付録パンフ「新組合員読本」)
   「政治的暴力行為防止法案について」(『まなぶ』8月号、のち『貴重なる憲法』に所収)
   「政治的暴力行為防止法案について」(『労働法律旬報』第417号、のち総評法対部・弁護団編『政治的暴力行為防止法とはどういうものか――民主主義と権利の防衛のために起ちあがろう』〔パンフレット〕に所収)
   「スト権奪還闘争の意義」(『ぜんりんや』第 15号、のち『団結権の生命』に所収)
時 評「新安保体制下の政治の方向」(『ぜんりんや』第16号、のち『現代民主主義論』に所収)
随 想「“ことばに酔う”ということ」(『PHP』第155号)
   「にじみ出た総評の悲願」(『労働ニュース』1961.5.30)
   「ILO条約批准についての経済論の必要」(『中央経済』第10巻第7号)
講 演「われわれの権利はいかに主張すべきか」(全電通中国地本第8回労働講座特集パンフ、2月)


1962(昭37)年〔48歳〕
自 著『運動のなかの労働法』(5月、労働旬報社刊)
   『海員組合におけるユニオン・ショップ約款に関する覚書』(日本労働協会調査研 究部刊、2月、非売品、のち笹木弘との共著『海員組合の組織と団体交渉』に所収)
共同執筆「団体交渉論――法と協約と産業別組合」(労働法学研究所編『労使関係における労働法上の争点』4月、労働法学研究所刊)
   「団結する権利の基礎」(野村平爾教授還暦記念論文集『団結活動の法理』6月、日本評論新社刊、のち『団結権思想の研究』に所収)
   「結合と対立の法理――労使対等の原則について」(『石田先生古希記念論文集』9月、同刊行会刊、非売品、のち『社会法理論の総括』に所収)
   「争議権の濫用」(末川先生古希記念論集『権利の濫用(下巻)』9月、有斐閣刊)
論 文「連載・運動の中の労働法」(『労働法律旬報』第440号~第453号)
   「争議行為の理論(2)――ストライキにおける統制と連帯」(第440号)
   「争議行為の理論(3)――ストライキの衝撃と波紋」(第445号)
   「団体交渉と労働協約」(第448・449合併号)
   「国家と国民と労働運動」(第453号、この連載は『運動のなかの労働法』に所収)  
   「岩教組の教師を結ぶもの」(『労働通信』20号、『社会新報』1962.1.14号より転載、のち『行人有情』に所収)
   「労働法における多数と多数決――とくに団結自治の原理を中心に」(法哲学会『法哲学会年報――多数決原理』4月、有斐閣刊、のち『社会法理論の総括』に所収)
   「合同労組運動の意義――合同労組研究序説」(学会誌『労働法』第19号、のち共編著『合同労組の研究』 に所収)
随 想「全民主勢力の結集のとき」(『労働法律旬報』第439号、のち『現代民主主義論』に所収)
   「社会的土壌の変動と労働法の点検の必要性」(『季刊労働法』第43号)
   「蓼科本因坊放談」(『法学セミナー』6月号)
   「読書に関する告白的随想」(高岡高校図書館誌『書燈』第1号、のち『行人有情』に所収)


1963(昭38)年
自 著『団体交渉と労働協約』(3月、労働旬報社刊、『運動のなかの労働法』第4編を独立させ資料付加)
   『争議における行動法則と法理』(5月、労働旬報社刊、『運動のなかの労働法』第3編を独立させ資料付加)
   『団結のための闘い』(7月、労働旬報社刊、『運動のなかの労働法』第2編を独立して資料付加)
   『労働法の基礎理論』(11月、労働旬報社刊、『運動のなかの労働法』第1 編を独立させ第4章「運動の中の生存権――社会保障闘争について」と資料・年表付加)
共編著『合同労組の研究――その実態と法理』(沼田編、4月、労働法学研究所刊)
共同執筆「大衆運動の法意識」(長谷川・ 渡辺・宮内編『日本人の法意識』1 月、三一書房刊、のち『現代の権利闘争』と小林孝輔編『法と政治』(学陽書房刊)に所収)
   「協約の平和条項・平和義務――合理化と企業平和をめぐって」(東洋経済新報社編『企業合理化をめぐる労使の法律問題』4月、東洋経済新報社刊)
論 文「生存権の性格について――社会保障闘争によせて」(『労働法律旬報』第499号、のち『労働法の基礎理論』に所収)
   「産業別統一闘争の提起する法律問題」(『季刊労働法』第50号、のち『労働争議法の特殊問題』に所収)
   「スパイのいる労使関係に思う」(『労働法律旬報』第503号)
時 評「社会運動の隘路に立ちて」(『労働法律旬報』第500号)
随 想「生活水準の規範的意義の再認識」(『季刊労働法』第49号)
   「労働運動とILO――スイスの旅に思う」(『月刊全電通』20号、のち『行人有情』に所収)
   「国境の村にて」(『法律時報』第35巻第9号、のち『行人有情』に所収)


1964(昭39)年〔50歳〕
自 著『団結権の生命――権利と法との間』(3月、労働旬報社刊)
   『労働組合活動と法律』(9月、労働経済社刊)
   『就業規則論』(11月、東洋経済新報社刊)
共同執筆「労働運動と権利闘争」(労働旬報社編『権利闘争の課題』6月、労働旬報社刊)
執筆参加「加古祐二郞の法哲学」(加古祐二郞著『近代法の基礎構造』(恒藤・沼田編、日本評論社)、9月刊)
論 文「人間尊重運動の提唱――三池・鶴見の大事故を忘れるな」(『エコノミスト』新年増大号<12月31日・1 月7日合併号)、のち『人権と団結』に所収)
   「権利意識と権利闘争」(『月刊全電通』第26号)
   「国民を偽る福祉国家論」(『エコノミスト』6月30日号)
   「権利闘争の展望――87号条約批准後の立法闘争と組合運動」(『月刊労働問題』7月号、のち『現代の権利闘争』に所収)
   「労働立法と権利闘争」( 北京シンポジウムへの提出論文)(『労働法律旬報』第532号)
   「第46国会批判――ILO87号条約案件の廃案と暴力行為等処罰法改正の成立をめぐって」(『法律時報』第36巻第8号)
   「北京シンポジウムにみる権利意識――法律科学・法律家の任務を中心に」(『労働法律旬報』第540号、のち『行人有情』に所収)
   「解放された中国人民の規範意識」(『労働法律旬報』第544号)
   「労働法学のすすめ――法の変動と労働法学の独自性」(早稲田大学労働法研究会『労研会誌』創刊号)
時 評「『労働問題』よりみた憲法問題の現状況」(『明治大学新聞』1964.4.6、のち『貴重なる憲法』に所収)
   「『ILO』の廃案に思う――国際社会から疑われる政治家の識見」(『東京新聞』1964.6.25)
随 想「公労法4条3項への挽歌」(『判例時報』第376号)
   「西ドイツの労働者と組合みたまま」(『学習のひろば』1月号)
   「独逸留学徒然草」(『法学セミナー』第96号、のち『行人有情』に所収)
   「心境断片」(『早稲田公論』第3巻27号、のち『私の大学観』に所収)
   「ドイツの労働組合に思う(1)、(2)」(『まなぶ』1月号、2月号)
   「国民の命のための運動の提唱」(『月刊全電通』第23号、のち『行人有情』に所収)
講 演「社会保障闘争と労働運動(第2回社会保障研究集会記念講演)」(『賃金と社会保障』第311号)
   「生存権思想をふまえて社会保障闘争と労働者共済活動を!」(労済連機関誌『労働者の共済』第3号)
   「経営秩序と組合活動をめぐる法律問題への法社会学的アプローチ」(『日労研資料』第611号)
   「統一と団結のなかから」(『月刊社会党』6月号、「労働者の基本権を守ろう」特集)
書 評「有泉亨『労働基準法』」(『日本労働協会雑誌』第60号)


1965(昭40)年〔51歳〕
自 著『労働争議法の特殊問題』(8月、総合労働研究所刊)
   『ストライキと団結のモラル』(6月、日航乗員組合情宣部刊)
共同執筆「争議権の根拠と法理念」(浅井清信教授還暦記念論集『労働争議法論』6月、法律文化社刊)
論 文「官僚制と労働運動」(『思想』第487号、のち『現代の権利闘争』に所収)
   「加古先生の風格と法思想」(『法学セミナー』1月号、のち『行人有情』に所収)
   「ILO舞台における攻防とILO闘争との距離」(『法律時報』第37巻第3号、臨時増刊「ILO委員会審議の記録」特集)
   「労働運動と福祉活動」(『教育評論』2月号)
   「生命を守る闘いの組織について」(『労働法律旬報』第556号、のち『行人有情』に所収)
   「労働法の領域における判例について」(法社会学会編『判例の法社会学的研究』4月刊)
   「日本におけるマルキシズム法学の課題」(『法律時報』第37巻第5号、のち『増補 法と国家の死滅』に所収)
   「労働法における法源論の焦点」(法哲学会『法哲学年報』1964年4月、有斐閣刊)
   「ストライキの“支援オルグ”派遣について」(『季刊労働法』第55号、のち『労働争議法の特殊問題』に所収)
   「生存権意識と社会保障・共済活動」(労済連『労済』第2号、のち中林貞男編『体系労働者福祉論』と『現代の権利闘争』 に所収)
   「労働災害問題をとらえる法的視点について」(学会誌『労働法』第25号、のち『現代の権利闘争』に所収)
   「労働運動における『戦後』の枠――戦後20年の現実と課題」(『エコノミスト』7月20日号)
   「政府と組合側との“話合い”の場の課題性について」(『法律時報』第37巻第8号、のち『現代の権利闘争』に所収)
   「労働法と社会保障法の結節点――労働災害の問題について」(岩波講座『現代法10』の栞、8月)
   「戦後労働運動と権利闘争」(『季刊労働法』第58号)
   「最高裁に人あらば」(『労働法律旬報』第580号、のち『貴重なる憲法』に所収)
   「末弘厳太郎『労働法研究』」(『エコノミスト』12月28日号、のちエコノミスト編集部編『日本近代の名著――その人と時代』に所収)
随 想「権利意識と危機意識」(『労働法律旬報』第547号)
   「労働法問題の焦点」(『季刊労働法』第56号)
   「法学教育のために」(都立大学法学ゼミ連機関誌『国家と法』第8号、のち『私の大学観』に所収)
   「今日の憲法問題」(『早大憲法懇話会ニュース』創刊号、のち『私の大学観』に所収)
   「講座・労働法のABC」(『月刊全電通』1965年新年号~4月号に連載)
講 演「抗議ストの法理」(『労働法学研究会報』第618号、のち『労働争議法の特殊問題』 に所収)
   「労使の慣行と労委の慣行――山陽新聞労組問題」(『総評弁護団会報』第59号)
   「労働者の権利問題」(2月、全日本港湾労組「全国学習討論集会議事録」所収)


1966(昭41)年
自 著『現代の権利闘争』(3月、労働旬報社刊)
共編著『海員組合の組織と団体交渉』(笹木弘と共著、3月、日本評論社刊)
共同執筆「国家」(日本労働法学会編『新労働法講座(第1巻)』6月、有斐閣刊、のち『社会法理論の総括』に所収)
論 文「権利闘争の理論」(『労働法律旬報』第583号、のち『現代の権利闘争』に所収)
   「労働基本権のための闘い」(『月刊労委労協』1・2月号)
   「期待される公務員像と官僚制」(『労働法律旬報』第590号、のち『労働基本権論』に所収)
   「官公労働法のアポリア」(学会誌『労働法』第27号、のち『労働基本権裁判批判』に所収)
   「労働法制と法原理の転換――1949年」(『労働運動史研究』第43号)
   「公務員法改正に見る理性の欠落」(『法律時報』第38巻第9号、のち『労働基本権論』に所収)
   「戦後労働政策と法的イデオロギー批判」(『労働法律旬報』第605号、のち『労働基本権論』に一部所収)
   「全逓中郵事件判決の意義に関する考察」(『労働法律旬報』第615・616合併号、のち『労働基本権論』に所収)
時 評「期待される公務員像」(『評』5月号)
講 演「労組の教宣活動と不当労働行為」(全国競輪施行者協議会『第10回労務管理研修会講演集』2月刊)
   「国公労働者の権利闘争における課題」(『国公労調査時報』第28~30巻に連載)
   「教訓をかみしめ自らの姿勢を匡す」(法政大学大原社会問題研究所『資料室報』第116号、のち『私の大学観』に所収)
書 評「有泉亨『双子のくるみ』」(『法律時報』第38巻第1 3号)


1967(昭42)年
自 著『労働法要説』(6月、法律文化社刊)
   『運動のなかの労働法(増補版)』(12月、労働旬報社刊)
共編著『労使慣行をめぐる法律問題』(本多淳亮・籾井常喜と共編著、総合労働研究所刊)
   『現代の労働問題』(大河内一男・塩田庄兵衛と共著<鼎談方式>、労働旬報社刊)
共同執筆「ヘーゲル『法哲学綱要』」(エコノミスト編集部編『私の古典』5月刊に所収、『エコノミスト』2月2 日号から転載)
   「労働組合の正当な行為」(日本労働法学会編『新労働法講座(第6巻)』6月、有斐閣刊、のち『団結権思想の研究』に所収)
執筆参加「闘魂と団結のモラル」(三池炭鉱労働組合編『みいけ20年』、労働旬報社刊、のち『行人有情』に所収)
   「現代の罪と罰」(ベトナムにおける戦争犯罪調査日本委員会編『歴史の告発書』、労働旬報社刊、のち『行人有情』に所収)
   「平和を売る政治」(日本平和委員会編『日本の黒書――われわれは告発する』、労働旬報社刊、のち 『行人有情』に所収)
論 文「生存権のたたかいと裁くこと――裁判官論から見た朝日訴訟」(『労働法律旬報』第632号、のち『貴重なる憲法』に所収)
   「『労働組合主義』と日本労働法」(『季刊労働法』第64号、のち『労働基本権論』に所収)
   「ピケッティングと第三者――岩田屋争議事件」(別冊ジュリスト『 新版労働判例百選』5月刊)
   「日本的労使関係について――労働法の解釈運営に関して」(『日本労働協会雑誌』第100号)
   「労働組合の組織――労働法の妥当を規定した企業別組合」(学会誌『労働法』第30号、のち『労働基本権論』に所収)
   「デモンストレーションの権利と公安条例」(『法律時報』臨時増刊 10月号「公安条例」特集)
随 想「明智を欠く裁き――大法廷昭42・5 ・24判朝日訴訟事件」(『判例時報』第4 81号、のち『貴重なる憲法』に所収)
講 演「経営権の行使と労使慣行の破棄」(全国競輪施行者協議会編『第14回労務管理研修会講演集』3月刊)
   「権利擁護闘争の回顧と展望」(『総評弁護団会報』第70号)


1968(昭43)年
自 著『権利闘争講話』(7月、労旬新書、労働旬報社刊)
共同執筆「最高裁の労働基本権思想について」(日弁連編『特別研修叢書』8月刊)
   「裁判と権利闘争」(戒能通孝博士還暦記念論文集『日本の裁判』12月、日本評論社刊、のち『労働基本権裁判批判』と利谷・小田中共編『裁判と国民の権利』に転収)
執筆参加「裁判の独立と安保6・4事件」(国公共闘編『安保6・4事件とは――最高裁上告審はどんな意味があるのか』10月、労働旬報社刊、のち『貴重なる憲法』に所収)
   「現下の組織分裂問題に思う」(関西化学産業労働組合協議会発行『団結を統一を――分裂・思想攻撃とたたかう化学労働者の記録』への序文、10月)
   「権利闘争の主体としての産別組織」(愛知県地方木材産業労働組合連合会編『湯浅の首切り合理化をゆるすな』11月、労働旬報社刊)
論 文「ILO闘争の“二つの勝利”と権利闘争の課題」(『労働法律旬報』第655・656合併号)
   「猿払事件無罪判決の意義」(『全逓時報』第99号、のち『労働基本権論』 に所収)
   「団結権思想の検討」(『法律時報』第40巻第8号、のち『団結権思想の研究』に所収)
   「ポ政令201号から憲法への途――都教組事件上告審をむかえて」(『労働法律旬報』第677号)
   「社会主義者の道」(『月刊社会党』第136号)
   「婦人労働の保護」(東京都労政局『労働教育』第71 号)
時 評「きびしい自己点検を」(『月刊労働問題』8月号)
   「公務員の争議権」(『時事教養』第420号)
随 想「公制審再開にあたって」(『季刊労働法』第67号)
   「大学生活について」(都立大学法学ゼミ連機関誌『国家と法』第9号、のち『私の大学観』に所収)
   「宮内君の告別式に参じて」(『法律時報』第40巻第5号、のち『行人有情』に所収)
   「民衆と共に生きた宮内教授の生涯」(『労働法律旬報』第673号)
講 演「休憩時間中の政治活動――日本ナショナル金銭登録機事件判決を中心に」(『労働法学研究会報』第749号)
書 評「親愛なる星野君への便り、星野安三郎『憲法に生きる――一法律学者の歩み』(『法学セミナー』9月号)


1969(昭44)年〔55歳〕
自 著『労働基本権論――戦後労働法史のイデオロギー的側面』(1月、勁草書房刊)
共同執筆「戦後労働法史にみるイデオロギー操作」(労働運動史研究会編『日本労働運動の歴史と課題』6月、労働旬報社刊)
執筆参加「批判力と憤りとの結合を――原爆体験と教育の原点」(広島県教組・広島県原爆被爆教師の会編『未来を語りつづけて』8月、労働旬報社刊、のち『行人有情』に所収)
   「運動の火をつぐ科学的作業」(二・四事件記録刊行委員会編『抵抗の歴史――戦時下長野県における教育労働者の闘い』10月、労働旬報社刊、のち『行人有情』 に所収)
   「この道をすてず」(村山ひで『明けない夜はない』12月、労働旬報社刊、のち『行人有情』に所収)
論 文「最高裁における労働基本権思想――千代田丸事件判決の意義について」(『法律時報』第41巻第2号、のち『労働基本権裁判批判』に所収)
   「四・二最高裁判決の政治的意義と今後の課題」(『労働法律旬報』第702・703合併号、のち『労働基本権裁判批判』に所収)
   「裁判闘争の自由を守れ」(『月刊総評』142号)
   「違憲の『明文』の合理的解釈――最高裁四・二両判決にみる智恵と偏見」(『季刊労働法』第72号、のち『労働基本権裁判批判』に所収)
   「プレート禁止通達(最高裁)批判」(『全司法新聞』第705号)
時 評「呪縛からの解放――“巨大組合”体質の克服から」(『明治大学新聞』1969.6.12)
随 想「思想と生活感情――学生運動と労働運動」(『日本労働協会雑誌』第122号)
   「佛を食いものにする勿れ」(『大法輪』7月号)
   「兄がすすめた本」(『学習の友』11月号、のち『行人有情』に所収)
講 演「69年春闘の意義と課題」(『総評決起集会議事録』に所収)
   「ILO50周年記念集会記念講演(大田体育館)」(ILO記念集会中央実行委員会監修『議事録』所収、10月)


1970(昭45)年
自 著『労働協約の締結と運用(労働法実務大系7)』(7月、総合労働研究所刊)
共同執筆「公務員の争議権をめぐる新判例」(有沢広巳・中山伊知郎監修『現代を見る眼』4月、自由書房刊)
論 文「戦後労働法学の足跡と課題」(『ジュリスト』第441号)
   「安保体制と労働者の権利闘争」(『労働経済旬報』 第774号)
   「法のイデオロギー論」(『法学セミナー』3月号、のち片岡曻編『現代法講義』7月、日本評論社刊に所収)
   「労災闘争の真価と課題」(『月刊いのち』3月号、のち『人権と団結』に所収)
   「労働協約法理の難問について」(『北陸労研』第61号)
   「協約自治の限界について」(『日労研資料』第793号)
   「戦後労働協約の足跡と課題(1)(2)(3)」(『季刊労働法』第75、76、77号に連載)
   「労使関係と組合の政治活動」(学会誌『労働法』第35号)
   「労使関係と労働協約の展望」(『季刊労働法』第78号)
時 評「生活闘争か政治闘争か」(『時事教養』第7号)
随 想「70年代に入りて思う」(『季刊労働法』第75号)
   「生命と健康を守る闘いを――WCL結成50周年に寄せて」(WCL―BATU『国際労連月報』6月号)
論 演「1970年の社会保障と労働運動<第8回社会保障討論集会基調講演速記>」(『月刊総評』4月号、『労働経済旬報』第781号)
   「当面の権利闘争について<第5回春闘権利確立討論集会記念講演>」(『労働経済旬報』第783号)
   「70年代の権利闘争」(『ぜんりんや』第49号)


1971(昭46)年〔57歳〕
自 著『増補・法と国家の死滅』(3月、法律文化社刊、「Ⅰ 日本におけるマルキシズム法学の課題」、「Ⅱ スターリン死後の変動と唯物史観法学についての覚書」を増補、Ⅱは書き下ろし)
共同執筆「所有権と争議権――職場占拠型争議行為の法理について」(於保先生還暦記念論集『民法学の基礎的課題(上)』6月、有斐閣刊)
   「団結権の保障と組織慣行――西欧的トレードユニオニズムと憲法28条」(峯村教授還暦記念論集『法哲学と社会法の理論』6月、有斐閣刊、のち『団結権思想の研究』に所収)
   「国際労働慣行と日本の労働時間制――時短をめぐる協約闘争の課題」(総合労働研究所編『時間管理の法律問題・時短、週休2日制下の争点』10月、総合労働研究所刊)
論 文「司法権独立の危機に思う――児島惟謙と石田和外の役割」(『エコノミスト』 2月23日号、のち『貴重なる憲法』に所収)
   「青年労働者への提言」(『総評新聞』1971.2.20)
   「労働運動における生活闘争の位置づけについて」(『賃金と社会保障』第562号、のち『人権と団結』に所収)
   「日本労働法学会創立20周年を迎えて――学会の足跡とその課題について」(学会誌『労働法』第37号)
   「残業の法理と残業拒否闘争」(『月刊労働組合』5月号)
   「労働運動と青年労働者」(東京都労働局『労働教育』第85号)
   「職場の団結と労働法」(『まなぶ』10月号)
   「労働法の解釈と労働法学」(『別冊法学セミナー<基本法コンメンタール8>労働法(団体法)』11月)
時 評「官公労働者の争議行為と懲戒処分について(見解)」(『労働法律旬報』第778号)
随 想「冷静な理性的社会の維持のために」(『文化評論』第114号)
   「8月15日の断想」(『法と民主主義』第61号)
講 述「公害職場における労務と組合活動――日本計算機峰山工場事件」(『日労研資料』第844号)


1972(昭47)年
自 著『団結権思想の研究』(4月、勁草書房刊)
   『運動のなかの労働法(第3版)』(4月、労働旬報社刊、「1970年代の権利闘争の課題」を追加)
   『労働運動の権利』(11月、法律文化社刊)
共編著『労働協約読本』(蓼沼謙一・横井芳弘と共著、5月、東洋経済新報社刊)
   『海員争議と海員組合――人間回復のための闘争と団結』(笹木弘と共編著、11月、労働旬報社刊)
論 文「憲法を考える」(『沖縄タイムス』 1月18日~20日連載、のち『新沖縄文学』 6月号と『貴重なる憲法』に所収)
   「権利闘争の思想と実践――戦闘的組合運動への提言」(『労働法律旬報』第807号、のち『人権と団結』に所収)
   「政治ストの合法性」(『法学セミナー』7月号、のち『労働基本権裁判批判』に所収)
   「労働運動と人間の自由と尊厳」(『現代法ジャーナル』8月号、のち『人権と団結』に所収)
   「七つの労働訴訟の法理と意義」(『現代法ジャーナル』9月号、のち『人権と団結』に所収)
   「憲法裁判と労働運動――大法廷係属七訴訟闘争と憲法問題」(『現代と思想』第 9号、のち『労働基本権裁判批判』に所収)
    「教育労働者とは何か」(『季刊教育法』第3号、のち『社会法理論の総括』に所収)
   「生き甲斐としての権利闘争論」(『国労法対時報』第2号)
   「労働基本権のとらえ方」(『国労文化』11月号)
時 評「大法廷に問われているもの」(『労働法律旬報』第813号)
   「労働時間短縮の動き」(『時事教養』第462号)
随 想「停滞する勿れ」(『労働法律旬報』第800号)
   「労働者の保安参加の規範的意味(提言)」(『日本労働協会雑誌』5月号)
   「裁判過程と社会運動」(『季刊労働法』第85号)
   「一労働記者の想ひ出――未川先生と労働法」(末川随想全集第1 巻『時の流れと法律』の折込み 『月報』、 のち『行人有情』に所収)
   「歴史的実践と運命と」(『月刊ペン』1月号、のち『行人有情』に所収)
   「服部時計店労組結成10周年所感」(同労組結成10周年誌、11月刊)
講 演「団結と団結権の確立のために」(『国公労調査時報』第105号、『国公労調査時報』100号記念講演会での講演)
   「公務員の労働基本権」( シンポジウム「公務員労働者の基本的権利」実行委員会刊同名パンフ)
書 評「福島正夫教授還暦記念論文集『現代日本の法思想』(渡辺洋三・利谷信義編)」(『法律時報』第44巻第13号)


1973(昭48)年〔59歳〕
共編著『転換期における労働組合の権利闘争』(松岡三郎・青木宗也と共編著、3月、労働旬報社刊)
   『社会保障の思想と権利』(松尾均 ・小川政亮と共編著、3月、労働旬報社刊)
共同執筆「労働関係の特質と労働法」(川島武宜編『法社会学講座第7巻(社会と法1)』1月、岩波書店刊)
論 文「スト権奪還への諸情勢」(『労働経済旬報』第883号、のち 『人権と団結」に所収)
   「変動期の労働運動と権利闘争」(松岡三郎・青木宗也との共編著『転換期における労働組合の権利闘争』3月、労働旬報社刊)
   「社会保障の思想」(松尾均・小川政亮との共編著『社会保障の思想と権利』3月、労働旬報社刊、のち 『社会法理論の総括』に所収)
   「史観と法律学」(『法学セミナー』3月号)
   「労働者の権利をどう拡大させるか」(『月刊労働組合』3月号)
   「週休2日制と『余暇権』の思想」(『季刊労働法』第87号)
   「全農林警職法判決のイデオロギー批判」(『法律時報』第45巻第8号、のち『労働基本権裁判批判』に所収) 
   「最高裁における争議権論の対立」(『日本労働協会雑誌』第172号、のち 『労働基本権裁判批判』に所収)
   「労働基本権と制限の理論――労働基本権と自由権的基本権の差」(『季刊労働法』第88号、のち『労働基本権裁判批判』に所収)
   「労働事件と裁判」(『労働新聞』9月10日~10月22日7回連載)
   「公制審の足跡と到達点」(『労働法律旬報』第842号、のち『人権と団結』に所収)
時 評「労働合理化の亀裂」(『時事教養』7月号)
随 想「孫田博士の米寿の会にて思う」(『労働判例』第17 号)
   「人間の尊厳に値する生存を――三池坑大爆発10周年に思う」(三池労組機関紙『みいけ』第976号、のち『人権と団結』に所収)
   「抜群の名僧を期待する」(『大法輪』1973.12.20、のち『行人有情』に所収)
   「同窓会の情緒とプライドと」(『東京都立大学同窓会会報』第25号)
講 演「73年春闘の労働法上の争点を探る」(『労働法学研究会報』第984号)
   「70年代の社会保障闘争と73年の実践的課題」(日本都市交通労連第9回公営交通研究会『基調報告と特別報告集』2月)
   「社会保障研究会と社会保障の思想――社会保障研究会の発足によせて」(『賃金と社会保障』第625号)
   「働くものの権利」(『夕刊京都』1973.8.5、京都府79回土曜文化講座における講演の記事内容)


1974(昭49)年〔還暦の年・甲寅〕
自 著『労働基本権裁判批判』(2月、日本評論社刊)
   『人権と団結――権利闘争の実践的理論』(5月、労働旬報社刊)
論 文「スト権奪還闘争論―― 第二次ILO闘争の評価にふれて」(『労働法律旬報』第848号、のち 『人権と団結』に所収)
   「労働法と海員組合」「団結権と団結の自治」「団体交渉とストライキ」「緊急調整制度」(『船員しんぶん』1月25日~3月5日号に4回連載)
   「企業の思想と市民の思想――三菱樹脂判決に見る平凡な事実と非凡な訴訟」(『エコノミスト』3月号、のち『人権と団結』に所収)
   「社会法の基本問題」(民科法律部会編『法の科学』第2号、のち『社会法理論の総括』に所収)
   「インフレ下の社会保障闘争」(『賃金と社会保障』第650号)
   「74春闘にみる政治・経済と法」(『法学セミナー』6月号)
   「参加で活動の底辺を形成せよ」(『季刊労働法』第92号)
   「刑法の全面改正の問題性」(『労働法律旬報』第866号)
   「法と国家の老熟――ソ連邦科学アカデミー編『国家・法の一般理論』を読んで」(『法学セミナー』11月号、のち『増補・法と国家の死滅<第2版>』に所収)
随 想「一労働法学者の服部先生像」(服部英太郎著作集第7巻『ドイツ社会運動史』への栞「月報」3月、のち『行人有情』に所収)
   「法曹志望者のみえざる役割」(『受験新報』6月号)
   「むつ漂流と全日海の闘争」(全日海パンフ『むつ闘争の記録』11月)
   「還暦に故郷の人を思う」(『富山縣人』8月号、のち『行人有情』に所収)
   「老骨所感――人間の尊厳の理念について」(日本育英会『育英通信』74号)
   「児島健剛君と『労働法』の刊行」(『月刊労働組合』12月号)
講 演「1973年労働運動・判例の回顧と展望――三菱樹脂判決を含めて」(『労働法学研究会報』第1029号)


1975(昭50)年〔61歳
自 著『社会法理論の総括』(8月、勁草書房刊)
   『人権と刑法改正』(京都弁護士会発行パンフレット、2月、のち『貴重なる憲法』 に所収)
   『増補・法と国家の死滅(第2版)』(5月、法律文化社刊、補論「Ⅲ 法と国家の老熟」を増補)
共編著『刑法改正入門』(小田中聡樹・上条貞夫と共編著、1月、労働旬報社刊)
共同執筆「『勤労人格の物性離脱』の理念に就いて」(孫田秀春先生米寿祝賀記念論集『経営と労働の法理』2月、専修大学出版局刊)
論 文「転機にたつ労働立法の原理」(学会誌『労働法』第45号)
   「労働立法の諸要因の考察」(『季刊労働法』第96号)
   「労働運動と共済活動」(日教済10周年記念誌『10年の歩み』7月刊)
   「悪法の陰影から脱せよ――スト権奪還闘争の基本思想」(『労働法律旬報』第887号)
   「戦後日本における民主主義法学と労働法学」(『東京都立大学法学会雑誌』第16巻第1号、のち『民主主義法学と学者像』に所収)
   「争議権における連帯性の要因――東京地裁・炭労同情スト事件判決について」(『季刊労働法』第98号)
   「76年国民春闘と労組の社会的役割」(『賃金と社会保障』第687号)
時 評「『スト権スト』の真義」(『朝日新聞』1975.12.6<論壇>)
随 想「加古祐二郎先生のこと――唯物史観法学へのみちびき」(『前衛』5月号、のち『行人有情』に所収)
   「戒能通孝先生の人と学風」(『図書』第309号、のち『民主主義法学と学者像』に所収)
   「戒能先生を語る」(『週刊新法曹』1975.4.11、のち『行人有情』に所収)
   「学友との手談――還暦争碁顛末記」(『法学セミナー』7月号、のち『行人有情』に所収)
   「理論と政策形成能力を高めあう研究会の発足を喜ぶ」(『現代の労働――調査と分析』創刊号)
   「下呂の陸軍病院にて」(『法学セミナー』8月号、のち『行人有情』に所収)
   「『新興教育』の甦りに思う」(『季刊教育法』16号)
   「戦後の印象深い事柄」(『法と民主主義』第180号、のち『行人有情』に所収)
   「生き甲斐と稚気と」(『リハビリテーション』12月号)
講 演「社会保障の思想と権利」(春闘共闘中央社保協討論集会実行委員会『記念講演速記』6月)
   「スト権奪還闘争の意義」(『国労文化』7月号、国労権利討論集会記念講演速記)
   「75年組合運動の課題と法的問題点」(『労働法学研究会報』第1075号)
書 評「田沼肇編『現代の婦人論』」(『労働運動』9月号)


1976(昭51)年〔62歳〕
自 著『沼田稲次郎著作集第1巻(日本労働法論)』(3月、労働旬報社刊)
   『沼田稲次郎著作集第2巻(労働法の基礎理論)』(4月、労働旬報社刊)
   『沼田稲次郎著作集第3巻(団結権論)』(5月、労働旬報社刊)
   『沼田稲次郎著作集第4巻(労働争議権論)』(6月、労働旬報社刊)
   『沼田稲次郎著作集第5巻(官公労働法論)』(7月、労働旬報社刊)
   『沼田稲次郎著作集第6巻(労働協約論)』(8月、労働旬報社刊)
   『沼田稲次郎著作集第7巻(労働権保障法論)』(9月、労働旬報社刊)
   『沼田稲次郎著作集第8巻(労働政策批判)』(10月、労働旬報社刊)
   『沼田稲次郎著作集第9巻(権利闘争論)』(11 月、労働旬報社刊)
   『沼田稲次郎著作集第10巻(労働者陣営形成論)』( 12月、労働旬報社刊)
共同執筆「日本の変革と法・法学」(天野和夫他編『マルクス主義法学講座①』6月、日本評論社刊)
   「ラートブルッフ断想――民主主義法学への関心から」(常盤敏太博士喜寿記念論集『人間・空間・時間<論文篇>』11月刊、のち 『民主主義法学と学者像』に所収)
   「労働法における解釈と立法」(有泉亨先生古希記念『労働法の解釈理論』11月、有斐閣刊)
論 文「『スト権スト』をめぐる政局の行方を憂うる」(『労働法律旬報』第896号、のち『現代民主主義論』に所収)
   「官公労のスト権問題」(『ジュリスト』第604号)
   「労働者の権利闘争の国民的意義の実現」(『労働運動』5月号)
   「労働権保障法の体系的展望――労基法のhorizonをこえて(上)(中)(下)」(『労働法律旬報』第903、904、905号に連載)
   「基本的人権思想の発展」(『季刊労働法』第 100号)
   「最高裁学テ判決の功罪」(日教組編『最高裁学テ判決と教育運動』7月、労働旬報社刊)
   「人間の尊厳と労働運動」(『賃金と社会保障』第711号)
時 評「低成長時代の組合運動の課題と法的問題点」(『労働法学研究会報』第1121号)
随 想「国労30年に思う」(国労中央労働学校機関誌『学校だより』第11号)
   「社会党を前進させるもの」(『社会主義』6月号、増刊「社会主義協会の25年」)
   「安易に堕せず誌面を討論の場に」(『労働経済旬報』第1000号)
   「帰郷の旅にありて」(『労働と経営』7月号、のち『行人有情』に所収)
   「哲学士(支遊抄)」(『日本経済新聞』1976.7.8、文化欄)
   「おおらかさと激しさを」(増田永修編著『富山の女』7月、巧玄出版刊)
   「問いと実践のための宝庫(『新興教育』復刻版刊行の意義)」(『季刊教育運動史研究』創刊号、のち『行人有情』に所収)
   「非理法権天(法諺散歩)」(『法学セミナー』10月号、のち『行人有情』に所収)
   「経営参加法(仮称)の検討を開始せよ」(『季刊労働法』第1 02号)
   「孫田秀春先生を悼みて」(『季刊労働法』第102号、のち『行人有情』に所収)
   「無縫空談」(『聴松団欒』12月、労働旬報社刊、非売品)
   「即身成仏」(『聴松団欒』12月、労働旬報社刊、非売品)
講 演「生きる権利と労働基本権」(『生きる権利シリーズ1 <スト権と生きる意味>』 4月、スト権回復を支持する会刊)
   「スト権奪還の民主的意義」(『国労法対時報』第17号)


1977(昭52)年〔63歳〕
自 著『労働者の権利とは何か』(4月、労旬新書、労働旬報社刊)
   『貴重なる憲法――疾風のなかの憲法30年』(11月、法律文化社刊)
執筆参加「社会正義の護持者集団に乾杯」(総評弁護団編『資料・労働争議の課題と実践』5月)
論 文「末川先生の労働法思想」(『労働法律旬報』第925号)
   「憲法と労働基本権」(『月刊社会党』5月号、のち『貴重なる憲法』に所収)
   「福祉の危機突破の民主的意義の強調を」(『賃金と社会保障』第721号)
   「日本型経営参加への提言――民主的立法を急ぐ好機」(『エコノミスト』6月7日号)
   「名古屋中郵事件大法廷判決の法理――財政民主主義と労働基本権」(『季刊労働法』第104号、のち『貴重なる憲法』に所収)
   「政府と国会と最高裁――全逓名古屋中郵事件・最高裁判決によせて」(『労働法律旬報』第930号、のち 『現代民主主義論』に所収)
   「社会保障論」(『週刊社会保障』8月22日号)
   「都市の自治と大学の役割」(『とうきょう広報』12月号、のち『私の大学観』に所収)
時 評「国民春闘への苦言――労働者連帯精神の確立を」(『エコノミスト』3月8日号)
随 想「中国の旅に憶う」(『週刊法律新聞』1月1日号、のち『行人有情』に所収)
   「労働法充実の好機」(『日本労働協会雑誌』3月号)
   「『私の法律学』はどのように生成したか(1)(2)(3)」(『法学セミナー』4月号~6月号に連載、のち『民主主義と学者像』に所収)
   「末川先生を悼む弔辞」(『立命館学園広報』3月10日末川先生追悼号、のち『行人有情』に所収)
   「大学自治の定着を」(『学生部だより』第10号、のち『私の大学観』に所収)
   「人生観の形成」(『日本学術新聞』1977.4.1)
   「憲法と私」(『法と民主主義』第117号、のち『貴重なる憲法』に所収)
   「初夏に中学の師をなつかしむ」(『富山縣人』7月号)
   「『高野総評』時代を思う」(『高野実著作集第5巻』 への栞、11月、のち『行人有情』所収)
    「都市研究センターの発足にあたって」(都立大学『綜合都市研究』創刊号、のち『私の大学観』に所収)
   「法曹志望者に期待する」(『法学セミナー:司法試験案内1978年版』12月)
   「東城弁護士を悼む――ある民主的法曹のおもかげ」(『労働法律旬報』第940号、のち『行人有情』に所収)
   「連合の時代を考える」(総評『労働ニュース』12月5日号、アンケート回答)
   「法の精神と法律学」(都立大学ゼミ連機関誌『国家と法』第16号、のち『私の大学観』に所収)
講 演「労働者の権利と職場闘争」(『全日通』第48号)
   「労働者福祉運動の理念とその課題」(『労働金庫講座第5集』4月、労金協会刊)
   「人間の尊厳の理念と陣営形成」(『日教済だより』第1号、10月刊)


1978(昭53)年〔64歳〕
自 著『運動のなかの労働法(増補第4版)』(3月、労働旬報社刊、第8編「転換期における労働法」加筆、年表・資料補充)
   『現代民主主義論――人権と平和の思想』(10月、労働旬報社刊)
論 文「労働者の経営参加」(東京都労働局『労働教育』第106号)
   「婦人労働論――主として法的・規範的側面からの考察(1)(2)(3)」(『労働法律旬報』第950、951、952号 に連載)
   「戦後民主主義における労働と労働者――労働と人権と法のダイナミクス」(『法学セミナー』増刊「労働と人権」6月)
   「スターリニズムと先進国革命」(『現代と思想』第32号)
   「現代法と民主主義法学」(『民商法雑誌』臨時増刊末川先生追悼号「法と権利4」、のち『民主主義法学と学者像』に所収)
   「公共部門のスト権問題解決への道」(『季刊労働法』第109号)
   「労働法の解釈と労働法学」(『法学セミナー』別冊コンメンタール・新版労働組合法)
   「医療と人権」(日本医労協機関紙『医療労働者』10月15日号)
随 想「率先して立法闘争に立ちあがれ」(『国労法対時報』24号)
   「波瀾の年を迎えて」(『都立大学新聞』1978.1.13、のち『私の大学観』に所収)
   「学問へのファイトを組織せよ」(全国大学院生協議会『全院協ニュース』第41号、のち『私の大学観』に所収)
   「憲法と私」(『社会主義』5月号、のち『行人有情』に所収)
   「法律学徒の回想」(『進路』5月号、のち『行人有情』に所収)
   「法曹志望者に期待する」(『法学セミナー司法試験案内』1978年版、のち『私の大学観』に所収)
   「故郷連想」(『ポスト』7月号)
   「『東雲物語』の復刊にあたって」(孫田秀春著『東雲物語』によせて、のち『行人有情』に所収)
   「老残妄言(林業の展望)」(『全林野新聞』1978.10.26)
   「読書のすすめ」(全国大学生活協同組合連合会『学協運動』第970号、のち『私の大学観』に所収)
   「人権の育成についての所感」(東京都『行政管理』11月号)
講 演「豊かなくらしと社会保障を――戦後民主主義の定着のために」(第24回日本母親大会記録『わたしたちはあゆみつづける』7月)
講 述「地方自治と公立大学」(都立大・短大教職員組合編『地方自治と大学』1月、労働旬報社刊)」
書 評「片岡曻『現代資本主義と労働法の動態』」(『法律時報』第50巻第4号)
   「浅井清信『日本労働法原理』」(『法律時報』第50巻第12号)


1979(昭54)年〔65歳〕
自 著『社会的人権の思想(NHK大学講座テキスト)』(4月、日本放送出版協会刊)
   『行人有情』(10月、勁草書房刊)
編 著『資料 労働法』( 12月、労働旬報社刊)
共編著『労働運動・市民運動法律事典』(6月、大月書店刊)
   『労働法事典』(12月、労働旬報社刊)
   『80年代への検証』(大河内一男・塩田庄兵衛両氏と鼎談集、12月、労働旬報社刊)
共同執筆「私と法社会学――わが法的関心の法社会学的反省」(日本法社会学会編『日本の法社会学』3月、有斐閣刊、のち『民主主義法学と学者像』に所収)
   「国際社会の人権思想と日本の子ども」(羽仁説子編『花には太陽を<国際児童年ハンドブック>』4月、現代史出版会刊、のち『野に民力の砦を』に所収)
執筆参加「『マル生』闘争の真価――団結錬磨の書に寄す」(国鉄労働組合編『国鉄マル生闘争資料集』(7月、労働旬報社刊)
論 文「婦人労働における保護と平等」(『労働法律旬報』第967・968合併号)
   「教育労働運動の課題について」(『季刊教育法』第31号)
   「労働組合法の理念と原理」(『季刊労働法』別冊第4号「労働組合法」4月)
   「社会運動と法」(『労働運動・市民運動法律事典』第1編第1章、6月、大月書店刊)
   「社会の良識の法的意義をみよ――最高裁の理性を問う(堀木訴訟)」(堀木訴訟中央対策協議会機関紙『堀木訴訟ニュース』第58号、『賃金と社会保障』第778号に転収)
   「国際人権規約と労働者権」(『部落解放研究』第19号)
   「基本的人権の体系と人間の尊厳――『一つの体系』の可能性について」(『マルクス主義研究年報』第3号、<1979年版>、12月、合同出版刊)
   「労働法の基礎理論」(『労働法事典』序章、12月、労働旬報社刊)
   「国際人権規約と労働者権」(『部落解放研究』第19号)
随 想「文化的活力の蓄積を望む」(『都立大学新聞』1979.1.17、のち『私の大学観』に所収)
   「野村先生を悼んで」(スト権回復を支持する会『スト権月報』第14号)
   「野村平爾先生の逝去に哭す」(『季刊労働法』第111号、のち『行人有情』に所収)
   「権利闘争と野村先生」(『労働法律旬報』第972号)
   「『野村先生とお別れする会』での葬儀委員長挨拶」(『法律時報』第51巻第4号)
   「国鉄労働組合と野村先生」(『国労法対時報』第29号)
   「青山先生を偲ぶ――民主主義と家族法」(『追想の青山道夫』11月、法律文化社刊)
   「老境の憂い――幼き頃の断影を想いて」(『ジュリスト』増刊総合特集「日本の子ども」1979.11.20)
   「囲碁の大衆化に思う」(『囲碁クラブ』26巻4号、のち『行人有情』に所収)
   「知性と人間の尊厳の自覚を」(『学生部だより』12号、のち『私の大学観』に所収)
講 演「労働者のための学習」(建設資材・一般労組協議会機関誌『建設一般』第24号)
   「戦後民主主義と民主主義法学」(『法ゼミ運動』22号)
書 評「太田久行『美濃部都政12年』によせて」(『都政新報』8月31日号)


1980(昭55)年〔66歳〕
自 著『社会的人権の思想(新NHK市民大学叢書・1)』(4月、日本放送出版協会刊)
   『国際的人権思想と憲法』(堺市人権教育推進協議会「人権教育読本・1」7月、パンフレット、のち『野に民力の砦を』に所収)
   『労働法入門』(12月、青林書院新社刊)
執筆参加「倉持君と運動を想う」(『中小企業労働運動35年――倉持米一自選集』の序として、3月、労働教育センター刊)
   「格調高い住民自治への基礎作り――川崎労働学校25周年の意義」(川崎市編『川崎労働学校2 5年のあゆみ」3月刊)
   「和気のなかの緊張した団結を」(日本カーボン労組編『カーボン30年史』への序文、5月刊)
   「国際的潮流から見た研究者の人権 (東京シンポジウムでの発言)」(日高六郎・徐竜達編『大学の国際化と外国人教員』7月、第三文明社刊)
   「戦後の労使関係の足跡を顧みて」(総合労働研究所『戦後30年の労使関係のあゆみ<創立30周年記念>』 10月刊、非売品)
   「都教組事件の集いで」(日教組・日教組弁護団共編『戦後教育裁判史――日教組弁護団28年史』11月刊)
論 文「1980年代の困難と課題」(『季刊労働法』第115号)
   「雇用における男女平等」(『季刊労働法』第118号)
   「80年代の権利闘争の方向について」(労働旬報社刊『81年春闘読本』、『労働法律旬報』第1015・1016合併号)
随 想「立川移転は文化的責務である」(『都立大学新聞』1980.1.20、のち『私の大学観』に所収)
   「平野義太郎先生を悼む」(『労働法律旬報』第998号)
   「母の像――愛の重み」(『子どものしあわせ』6月号)
   「画期的な新憲法の真価」(『社会主義』夏期増刊号、1980.6.10)
   「総評よ!何処にゆくや」(『月刊総評』7月号「総評結成30周年特集」、のち『野に民力の砦を』に所収)
   「有縁の人々」(『富山縣人』8月号)
   「迷い多き教師」(『講座教育法』第3巻所収の「月報3」、8月刊)
   「平野先生を悼みつつ暗き時代を憶う」(民科法律部会『法の科学』第8号、のち『民主主義法学と学者像』に所収)
   「社会福祉と民族の威信」(『社会保障講座』1所収の「月報」、11月)
   「父島をたずねて」(都立大学小笠原研究会編『小笠原年報』4、12月刊)
   「日本労働法学会の一隅にありて」(学会誌『労働法』56号)
講 演「人権と教育」(『教育評論』3月臨時増刊号「第29次教育研究全国集会記録特集号」、『高知新聞』1月26日号、『教育タイムス』2月23日号、のち『野に民力の砦を』 に所収)
   「地方自治の精神」(中野区民大学講座・地方自治コース第1回講演、『全国婦人新聞』1980.6.10)
書 評「富塚・大内・高木共著『80年代の構想』を読んで思うことども」(『月刊総評』5月号)


1981(昭56)年〔67歳〕
自 著『私の大学観』(9月、勁草書房刊)
共同執筆「戦後の初心を憶う」(『回想の能勢克男・追悼文集』1 月、成文堂刊)
   「不死鳥の如く」(『平野義太郎・人と学問』2月、大月書店刊)
   「核時代における平和と人権」(渡辺洋三・大江志乃夫編『核時代のなかの安保体制』序章、9月、労働旬報社刊)
   「追懐」(藤田起編『藤田若雄――信仰と学問』11月、教文館刊)
執筆参加「平和への執念こそ原点」(広島平和教育研究所編『平和教育実践事典』への序文、6月、労働旬報社刊)
   「戦後の人権思想の発展と男女平等」(日本婦人団体連合会編『婦人白書』6月、草土文化社刊、のち『野に民力の砦を』に所収)
   「スモン運動の総括」(スモンの会全国連絡協議会編『薬害スモン全史第3巻<運動篇>』6月、労働旬報社刊、のち『野に民力の砦を』に所収)
論 文「教育を守る気概を」(『国民教育』、別冊「教科書問題」7月刊)
   「教科書攻撃の中の憂い」(『季刊教育法』第41号)
   「『法律における階級闘争』について」(『平野文庫』第3号)
   「国民社会の民主化と平和のために」(『月刊労働問題』12月最終号、のち『野に民力の砦を』に所収)
随 想「労働法学への関心の推移」(日本労働法学会編『現代労働法講座』第1巻の「しおり」1月)
   「学園を去るに臨んで」(『東京都立大学同窓会会報』第40号)
   「京都の風土と師と」(『有信会誌』第23号)
   「学界にほしかった人物」(刊行会編『石黒拓爾「無――遺稿と随想」』4月刊)
   「わが大河内先生像」(『大河内一男集第5巻』の「月報」5月、労働旬報社刊)
   「大学を去るに際して」(都立大学学生相談室『学生相談レポート』第9号)
   「学校内の暴力的風土を解消するために」(『教育』7月号)
   「仰いで天に問わむ(上)(下)」(『富山縣人』7月号、8月号)
   「人生と“観”の形成」(総合労働研究所『研修ガイド(LDノート)』第64号)
   「正論・奇を衒わず」(佐伯静治『労働裁判30年』 の「しおり」11月、労働旬報社刊)
   「安全保障についての私の問題意識」(『市民の平和白書1982年版・法学セミナー』増刊号)


1982(昭57)年〔68歳〕
自 著『民主主義法学と学者像』(4月、法律文化社刊)
共編著『社会保障運動全史』(社会保障運動史編集委員会編、9月、労働旬報社刊)
   『現代法と社会保障――社会的人権思想の展開』(小川政亮・佐藤進との共編著、10月、総合労働研究所刊)
共同執筆「労働保護法の理念と体系」(日本労働法学会編『現代労働法講座9 (労働保護法論)』(12月、総合労働研究所刊)
執筆参加「家庭の保護は国民社会の課題である」(『家族史研究』5、大月書店)
   「証言運動の積極的意義について」(新日本婦人の会編『職場からの5000人の差別証言』5月刊)
   「歴史と人生――メーデー事件にみる国家と人間」(編集委員会編『メーデー事件裁判闘争史』11月、白石書店刊)
論 文「戦争と平和と法律学と」(『労働法律旬報』第1039号、のち『野に民力の砦を』に所収)
   「男女の平等――新たな展望を開くために」(東京都職員研修所『もう一度考えよう、女対男』通巻8号)
   「臨調路線と80年代国民社会の選択――草の根運動を基軸として」(『賃金と社会保障』第848号、のち『野に民力の砦を』に所収)
   「80年代における社会保障の課題」(小川政亮・佐藤進との共編著『現代法と社会保障』10月、総合労働研究所刊)
   「官公労働者のモラルと職場規律」(『季刊労働法』第126号)
   「中曽根内閣の登場と国民社会の選択」(『賃金と社会保障』第854号)
時 評「行政改革と公共の福祉」(『労働経済旬報』第1214号)
   「国民社会の活力と健康権」(『季刊労働法』第124号)
   「国鉄再建問題の一断面――国鉄の使命についての国民的討論を」(『月刊社会党』8月号)
   「人事院勧告の凍結について」(『赤旗』日曜版1982.10.3)
随 想「安全保障についての私の問題意識」(『法学セミナー』増刊「市民の平和白書82年――核時代の戦争と平和」1月)
   「視座の高さと使命感に共鳴」(『時事教養』創刊35年特集号、3月)
   「名門高校生に寄す」(高岡高校‘82「How to study」)
   「人材の育成と経営参加」(『労働と経営』3月号)
   「機密保護法・教育権・農地の宅地並み課税」(『法令ニュース』新年号)
   「回帰行(上)(下)」(『富山縣人』8月号、9月号)
   「会長就任の挨拶」(日本国際法律家協会機関誌『Interjurist』第9号、のち『野に民力の砦を』に所収)
   「心得の会得について」(総合労働研究所「研修ガイド」第68号)
   「労働者教育協会創立30周年記念式典における『来賓挨拶』」(『労働者教育協会報』第39号)
   「人間の尊厳に挑戦する悪魔の業――日本国際法律家協会会長としての所見」(『アラブ ・トピックス』10月号)
   「労働組合活動家論」(労働者教育協会の勤労者通信大学労働組合コース月報、12月)
   「山積する課題に挑まん」(『法の科学』第10号、 のち『野に民力の砦を』に所収)
講 演「人権なきところに平和なし」(スト権回復を支持する会機関誌『生きる権利』3月号)
   「臨調答申と社会保障」(中央社保協機関誌『社会保障』8・9月合併号)
   「安保体制をいかに考えるか」(『民科法律部会会報』第60号)
   「地方自治と人権」(日本速記協会「第33回全国議事記録事務研修会記録」10月)
書 評「1982年『婦人白書』を読んで」(『婦人通信』第272号)
   「日本科学者会議編『科学者のあゆんだ道(上)(下)』」(『赤旗』1982.8.23)
   「労働金庫運動の足跡と課題――『全国労働金庫協会30年史』を読んで」(『労働金庫』4月号)


1983(昭58)年
自 著『野に民力の砦を――平和と人間の尊厳』(5月、労働旬報社刊)
共同執筆「公立大学とは何か」(内田穰吉・佐野豊編『公立大学――その現状と展望』1月、日本評論社刊)
   「国民社会の民主的形成――婦人と児童の権利をめぐって」(西村信雄先生傘寿・浅井清信先生喜寿記念論文集『個人法と団体法』4月、法律文化社刊)
論 文「国民社会の民主的構築と人間の尊厳――思想の形成と形成の思想」(『賃金と社会保障』第857号)
   「平和と人権運動」(国法協パンフ『反核・平和法律家Symposium』7月刊、 『lnterjurist』第12号に所収)
   「国際人権思想と社会運動」(『部落』12月号、のち部落問題研究所編『人権の発展と部落問題』に所収)
時 評「世界人権宣言と労働基本権」(『季刊労働法』第130号)
随 想「国民医療の充実と活力ある福祉社会の実現」(全国保険医団体連合会機関誌『保険診療研究』1月号)
   「連載:人間問答のすすめ<全24回>」(『LDノート』第421号<2月1日>~444号<84年1 月15日>、総合労働研究所刊)
   「医療労働者に期待する」(『医療労働』第257号)
   「重要な転機に立って――メーデーに寄す」(『連合通信』第4616号)
   「防衛力強化が臨調のねらい」(全林野パンフ 『緑はよみがえるか』5月刊)
   「人権思想とセンターの真義」(『月刊いのち』5・6月合併号)
   「続・回帰行」(『富山縣人』7月号)
   「ある提唱」(『部落』9月号)
   「公労協結成30周年に思う」(『交流の広場』第80号)
   「庶民の心のふれ合い――馬場先生と不摂生な患者」(『月刊保団連』第190号)
   「体罰過信を憂える」(『季刊教育法』第50号)
講 演「人権・平和と教育」(『浜教組第30次教育研究集会議事録』2月刊)
   「権利闘争の評価と課題」(『生きる権利』公労協結成30周年特別号、10月刊)
   「人権思想と権利闘争」(全農林『農林新聞』11月15日号)


1984(昭59)年〔70歳・甲子〕
共 著『時代を生きる』(片岡曻・山科三郎と共著、8月、労働旬報社刊)
共編著『シンポジウム労働団体法』(片岡曻・本多淳亮と共編、12月、青林書房刊)
   『シンポジウム労働保護法』(片岡曻・本多淳亮と共編、12月、青林書房刊)
論 文「婦人差別撤廃の焦点と視点」(『労働運動』4月号)
   「いまなぜ教育臨調か」(『月刊社会党』6月号)
   「『政党法』と戦後民主主義の防衛」(『労働法律旬報』第1100号)
   「教育荒廃と臨時教育審議会――国家の対応と国民の対応」(『季刊教育法』第53号)
時 評「朝鮮半島の危機を憂う」(『朝鮮時報』1984.4.5)
随 想「思い出すは中国の旅」(『回想・相馬勝夫』1月、専修大学刊)
   「邂逅と離別」(『四高時代の思い出』所収、1984.2.1)
   「野に民力の砦を」(全電通『あけぼの』第4号)
   「国籍法・法廷内の写真撮影・優生保護法(新春アンケート)」(『法令ニュース』第432号)
   「現実に屈せず改革を――成人を迎える海員諸君に」(『船員しんぶん』1月15日号)
   「我先に逃げる心を憂える」(『月刊労働組合』2月号)
   「いま女性はアムビシャスたれ」(『法学セミナー』増刊号「女性と法」2月刊)
   「年金客船へのメッセージ」(海員組合機関誌『海員』5月号)
   「私にとっての日本国憲法」(早稲田大学憲法懇話会20周年記念パンフ 『私にとっての日本国憲法』6月刊)
   「大河内先生を哭す」(『季刊労働法』第133号)
   「法家須知庶民心――高松高裁白ろう病判決に思う」(白ろう病裁判を支援し人権を守る会『私たちはこの判決を許さない!』11月刊)
   「歴史と人生――七十歳に思う」(『富山縣人』8月号)
講 演「憲法改悪の策動と政党法」(『全医労情報』第78号)
   「職場のなかの人権思想」(『自主の道』第14号)
   「平和を希求する法律家の民主的組織について」(日本国際法協関西支部『各国法律家との相互理解を発展させるために』9月刊)
   「人権思想と権利闘争」(『11・ 4全農林警職法事件記念集会報告集』)
   「労働組合の役割」(日本航空乗員組合『11・25乗員組合結成30周年(統一10周年)記念講演』)


■1985(昭60)年

共同執筆「刊行にあたって」(国民医療・医療労働研究会編『看護労働の未来』の序文、1月、労働旬報社刊)
論 文「労働運動と労働法学に未来はあるか――終戦40周年の時点に立って」(『労働法律旬報』第1111・1112合併号)
   「連戦:人間と国家――モスクワからアテネへの旅ノート」(『労働法律旬報』第1115~1125号 の間7回、第1回から4回までは、のち『社会主義とヒューマニズム』 に所収)
   「忘れられた課題――いま権利闘争に何が求められているのか」(『労働法律旬報』第1116号)
   「『人間と国家』 の連載を終えて」(『労働法律旬報』第1126号)
   「人権の法理と人権運動」(『法律時報』第57巻第5号)
   「憲法と労働基本権」(憲法擁護国民連合・反安保全国実行委員会機関誌『平和と民主主義』4月号)
   「第12回大会の意義」「現代のオラクルを思う」(日本国法協『国際民主法律家協会(第12回アテネ大会)報告書』4月刊)
   「『ヒロシマ・ナガサキからのアッピール』推進の意義」(『ヒロシマ ナガサキからのアピール国際連絡会ニュース』第1号)
   「高齢者雇用問題に思う」(『賃金と社会保障』第918号)
   「児童の人権保障の原視点」(倉岡小夜他編『世紀をひらく児童の権利保障』7月、径書房刊)
   「子どもの人権と国際的人権保障」(『子ども白書<1985年版>』)
   「私にとっての『日の丸』と『君が代』に思う」(『季刊教育法』8月臨時増刊号特集「日の丸・君が代」)
   「人権論に活性を――終戦40周年にあたって」(『日本労働協会雑誌』8月号)
   「普遍的原理と労働立法」(『季刊労働法』第137号)
随 想「いま何が問われているか」(『国際労働運動』1月号)
   「教育改革・一票の格差・確定死刑囚と時効<新春アンケート>」(『法令ニュース』 第444号<新年号>)
   「社会主義と在野の魂」(『月刊社会党』3月号<特集「向坂逸郎氏を悼む」>)
   「組織の活性とアポリヤへの挑戦を」(『法と民主主義』第200・201合併号)
   「国民社会の活性化と国民医療の充実」(『国民医療研究所所報』第1号)
講 演「忘れられている視点(総評権利討論集会)」(『月刊総評』2月号、『生きる権利』1月号に要約)
   「日本国際法律家協会第7回総会における『会長所見』」(『Interjurist』第126号)


1986(昭61)年
共編著『現代社会の家族と法――第3回日ソ法学シンポジウムの記録』(藤田勇と共編、 3月、日本評論社刊)
共同執筆「序言・平和憲法と戦争体験――久田憲法学の真価について」(和田英夫<執筆者代表>『現代における平和憲法の使命』5月、三省堂刊)
   「死生を越える価値」(本多淳亮他編『わたしの選択・あなたの未来』6月、労働旬報社刊)
論 文「国連・国際平和年に思う――再びあやまちを犯すなかれ」(『労働法律旬報』第1135・1136号合併号)
   「自由という土壌のないところに教育はない」(日教組教育改革研究委員会『みんなで教育改革を』第6号)
   「福祉とは何か」(『福祉のひろば』特集、27号)
   「子供の人権保障は人間の尊厳確立である――子どもの人権保障をすすめる運動を おこすにあたって」(『子どもの人権保障通信』第1 号)
   「核兵器廃絶と医療福祉を守るたたかい」(『月刊保団連』8月号)
時 評「靖国神社公式参拝・脳死・報道と人権<新春アンケート>」(『法令ニュース』新年号)
   「非核の政府を求める会発起人挨拶」(『赤旗』1986.5.20、『非核の政府を求める会ニュース』創刊号)
   「ある老法家の心意――法学と社会的風土」(『ジュリスト』第868号)
   「人民自決の関頭にあり<続・黙ってはいられない>」(『赤旗』1986.9.21、のち赤旗編集局編『黙ってはいられない(第3集)』87年2月、新日本出版社刊に所収)
   「社会党の再建のために何をなすべきか」(『社会主義』10月増刊号)
   「原動力は労働者の団結」(『生きる権利』10月号)
講 演「会長就任挨拶(国法協第8回総会)」(『Interjurist』第19号)
   「基本的人権と社会生活」(都立大学『人間らしく生きる――女性、男性と人権をめぐって<都立大公開講座>』3月刊)
   「核廃絶の為の法律家の役割」(『シンポジウム「核時代と法律家」』8月刊)
   「新たな反動攻勢と権利闘争」(『労働運動』9月号)


1987(昭62)年
自 著『社会主義とヒューマニズム――ソ連について考えること』(1月、労働旬報社刊)
共編著『川崎労働史 (戦前編)(戦後編)』(3月、川崎市刊)
論 文「戦後民主主義の行方――憲法施行40周年に際して」(『労働法律旬報』第1165号)
   「IADL40周年を祝して」(『lnterjurist』第25号)
   「ノー・バサラン!」(『法と民主主義』4月号)
   「憲法と朝日訴訟闘争」(『賃金と社会保障』第961号)
   「日教組の諸君に」(『季刊教育法』5月臨時増刊号「ドキュメント日教組はどこへ行く」)
   「反差別=平等権は人権思想の中核」(部落解放研究所『人権からみた日本国憲法<人権ブックレット3>』5月刊)
   「現代日本の民主主義」(『唯物史観』第30号、十月社刊)
   「ソ連邦を形成した歴史的時間」(『月刊社会党』10月号)
   「すぐれて主体的になるために――『序』にかえて」(日本国際法律家協会編『人類にあしたあれ――日本国際法律家協会の20年』11月、勁草書房刊)
   「第4回日ソ法学シンポジウムの意義」(『法律時報』第59巻第12号)
随 想「食管法・判決書死罪の実名報道・表現の自由と社会通念<新春アンケート>」(『法令ニュース』新年号)
   「人民戦線の地をめぐり人間の生を思う――旅と会議の心象」(『lnterjurist』第25号)
   「実像と虚像」(憲法会議『いま声をあげるとき第1集』11月刊)
   「油断大敵」(『国際労働運動』1月号)
   「真に現実的なるものをみよ」(『月刊労働組合』1月号)
講 演「いま何故反核非核の政府か<基調講演>」(『「非核の政府を求める会ニュース』第8号<1月15日>)
   「憲法施行40周年を迎えて(人権と平和)」(『婦人民主新聞』6月10日号)


1988(昭63)年
共同執筆「由々しき問題なればこそ」(上田誠吉・佐野洋・塩田庄兵衛編『警察の盗聴を裁く』3月、労働旬報社刊)
論 文「滝川事件後の法哲学研究会等についての覚書」(二六会編『滝川事件以後の京大の学生運動』 4月、西田書店刊)
   「核抑止論を考える」(非核の政府を求める会編『核抑止か核廃絶か』4月、大月書店刊)
   「路線と労働組合の役割」(『月刊総評』6月号)
   「ペレストロイカを凝視しょう」(民科法律部会『法の科学』第16号)
   「連帯性の自覚と生存権」(社会保障法学会『社会保障法』第3号)
時 評「第五福竜丸との出会い」(都立第五福竜丸展示館『福竜丸だより』2月15日号)
口 述「沼田稲次郎先生 蓼科山荘にて語る」(「昭和精神史の一断面――法哲学者加古祐二郞」研究会メンバー<大橋智之輔・名和田是彦・藤田勇・村田淳>による「加古祐二郞に関する」ヒヤリング(1988.8.22)、2004.5.3発行、非売品)


1989(昭64)年
共編著「序 言」(事典刊行委員会編『社会保障・社会福祉事典』11月、労働旬報社刊)



 [座談会・鼎談・対談・討論]


【区分について】
 座談会、鼎談、対談の類いを思いつくままに集めておくことにした。人生を送りゆくなかでの邂逅というものだ。学会のSymposiumも論文ともちがった学問的営為というべきかもしれない。労働法懇談会でも幾度も討論したものだ。言論活動というもの。理論的活動と実践的活動とを含むものだろう。
 磯田君の還暦論集につけた「作品目録」(著書、論文集といわない)には座談会が入っていた。10回あまりも我輩は同席している。一寸人間のつながりを偲ばせておもしろいので、旬報誌の総目録からまずスクラップしてみたが、実に多い。忘れているものもあるが大部分はおぼえている、というより思い出すことができる。
 学会のSymposiumは学会誌『労働法』に載っている。総長になってあまり出席しなくなってから発言は少くなり、難聴になってからは発言がなくなる。それまでは毎回発言している。


■1949(昭24)年
座談会「危機に立つ労働法」(末川博・平野義太郎・菅 道『季刊社会科学2』)
   「平和問題討議会――昭和23年12月12日議事録(座談会)」(安倍能成・清水幾太郎・仁科芳雄・羽仁五郎・末川博・大内兵衛他『世界』「平和問題特輯」3月号)


1951(昭26)年
座談会「政治ストの合法性と公益事業の争議行為」(野村平爾・磯田進・松岡三郎・藤田進・栗原一郎・森長英三郎・高木右門・佐伯静治『労働法律旬報』第76号)
   「日本経済の構造と労働法のあり方」(松岡三郎・有泉亨・大河内一男・氏原正治郎・野村平爾・磯田進『季刊労働法』第1号)
   「解雇の自由と労働者の生存権」(野村平爾・山中康雄・松岡三郎・後藤清・有泉亨・菊池勇夫・三宅正男『季刊労働法』第2号)
鼎 談「労働法改正の方向」(高木右門・氷室吉平『法律時報』第23巻第7号)
討 論「解雇の自由について」(松岡三郎<報告>・末弘厳太郎・孫田秀春・石井照久・吾妻光俊・峯村光郎・三藤正・有泉亨他『討論労働法』第2号)


1952(昭27)年
座談会「改正労働法と労働権」(有泉亨・石井照久・野村平爾『法律時報』第 24巻第9号)
   「ピケット権の行使と警官の不当介入について」(戒能通孝・鵜飼信成・有泉亨・森川金寿・栗原一郎・岸星一・森長英三郎『労働法律旬報』第81号)
   「講和後の労働政策・労働三法の在り方」(磯田進・別所安治郎・野々山一三・有泉亨・峯村光郎『季刊労働法』第3号)
   「三井美唄の仮処分決定を裁く」(野村平爾・松岡三郎・藤田若雄・佐伯静治・原茂・片山信雄・円佛寛・三輪政太郎他炭労幹部)『労働法律旬報』第102号)
討 論「労働法改正の問題点」(沼田<司会>【注・以下、司会・報告のみ沼田記入】・石井照久・三藤正・川田寿・松岡三郎・吾妻光俊・孫田秀春他『討論』第3号)
   「労働争議の制限について」(有泉亨<報告>・石井照久・石川吉右衛門・孫田秀春『討論』第4号)
   「労働協約の一般的拘束力」(吾妻光俊<報告>・孫田秀春・三藤正・有泉亨・石川吉右衛門・竹内静雄他『討論』第5号)
   「使用者の争議行為」(峯村光郎<報告>・孫田秀春・石井照久・吾妻光俊・三藤正・蓼沼謙一・有泉亨・松岡三郎・川田寿・石川吉右衛門他『討論』第6号)
   「ピケッテイングの法理」(沼田<報告>・峯村光郎・石井照久・兼子一・石川吉右衛門・有泉亨・吾妻光俊・三藤正・竹内静雄『討論』第7号)
   「労働三法改正案について」(石黒拓爾<報告>・峯村光郎・孫田秀春・石井照久・和田春生・有泉亨・吾妻光俊・谷川巌・萩沢清彦『討論』第9号)
   「労働関係に関する日米行政協定の條項」(大野雄二郎<報告>・峯村光郎・三藤正・石井照久・千種達夫・有泉亨・吾妻光俊・石川吉右衛門・田辺公二他『討論』第11号)
対 談「今年の労働運動を語る」(亀田東伍、官庁労組協議会機関誌『官労』第145号)


1953(昭28)年
座談会「駐留軍労働者はかく訴える」(森長英三郎・大島CYMG教宣部長他『労働法律旬報』第125号)
   「炭労企業整備反対闘争と法律問題」(舟橋尚道・佐伯静治・原茂・片水信雄・遠藤浩史・中川盛之・山下吉郎・湯田倉治・横田肇・前崎善太郎・三輪政太郞他『労働法律旬報』第139号)
   「前進する総評と明日の課題」(塩田庄兵衛・磯田進・遠藤湘吉・氏原正治郎『労働法律旬報』第142号)
   「ストライキ禁止仮処分について」(野村平爾・松岡三郎・後藤清・浪江源治・峯村光郎・熊倉武・三宅正男・森長英三郎・松井宣・上田誠吉・萩沢清彦・慶谷淑夫・間宮重一郎・飯的博之・山戸敏夫・斎藤宏治・浦裕『労働法律旬報』第148号)
鼎 談「組合規約をめぐって」(佐伯静治・藤井英男『労働法律旬報』第135号)
   「ロックアウトの正当性とその限界について」(中野善敦・藤井英男『季刊労働法』第9号)
討 論「公益事業における争議制限について」(慶谷淑夫<報告>・峯村光郎・三藤正・兼子一・石井照久・吾妻光俊・熊倉武『討論』第15号)
   「唯一交渉団体約款」(吾妻光俊<報告>・三藤正・有泉亨・石川吉右衛門他『討論』第16号)
   「労働争議調整機構」(松岡三郎<報告>・吾妻光俊・三藤正・有泉亨・石川吉右衛門・石井照久他『討論』第17号)
   「日経連協約基準案の批判的考察について」(沼田<報告>・石井照久・近藤富士雄・松岡三郎・吾妻光俊・三藤正他『討論』第18号)
   「電産・炭労ストに関する法律問題」(有泉亨<報告>・石井照久・木村清司・石川吉右衛門・宮島尚史他『討論』第19号)
   「企業防衛教育と不当労働行為」(楢崎二郎<報告>・峯村光郎・有泉亨・木村清司・石川吉右衛門・三藤正他『討論』第20号)
   「最低賃金制について」(和田春生<報告>・石井照久・佐藤進・正田彬他『討論』第20号)


1954(昭29)年
座談会「労働協約の余後効をめぐって」(間宮重一郎・後藤清・森長英三郎・松岡三郎・富沢準二郎・内藤功・山戸敏夫・石川進『労働法律旬報』第165号)
   「裁判所のものの考え方――最近の労働裁判判例をめぐって」(菊池勇夫・浅井清信・後藤清・浪江源治・野村平爾『季刊労働法』第12号)
   「政治指導を生かす力」(辻清明・川島武宜・福田歓一・蝋山芳郎・奈良本辰也・日高六郎・森川金寿『世界』第108号、特輯<日本の政治的独立のために>討議録2)
鼎 談「争議行為における組合幹部の責任――品川白煉瓦事件の行政訴訟判決をめぐって(岸星一・和田良一『季刊労働法』第14号)
討 論「遵法闘争――特に公労法17条違反の法理について」(沼田<報告>・峯村光郎・北岡寿逸・有泉亨・孫田秀春・三藤正他『討論』第25号)
   「解雇の承認とその効力」(千種達夫<報告>・石崎政一郎・孫田秀春・有泉亨他『討論』第25号)
   「不当労働行為制度の現代的意義」(峯村光郎<報告>・有泉亨・色川幸太郎・後藤清・本多淳亮・石井照久・石川吉右衛門他『討論』第26号)
   「戦後各国の労働法みたまま」(松岡三郎<報告>・三藤正・横井芳弘『討論』第27号)
   「違法争議行為における執行委員の責任」(石川吉右衛門<報告>・峯村光郎・宮島尚史・三藤正・花見忠『討論』第27号)
   「労働事件の処理と和解」(千種達夫<報告>・熊倉武・正田彬・三藤正他『討論』第29号)
   「就業規則についての考え方」(沼田<報告>・有泉亨・吾妻光俊・横井芳弘・楢崎二郎・石崎政一郞他『討論』第29号)
   「ピケと緊急避難」(熊倉武<報告>・三藤正・木村清司・宮島尚史・花見忠他『討論』第32号)


1955(昭30)年
座談会「ピケと刑法上の罪」(江家義男・全銀連山梨中銀・東証各労組執行委員『労働法律旬報』第189号)
   「両国バス事件をめぐって」(松岡三郎・藤田若雄・森長英三郎・佐伯静治・参谷新一『労働法律旬報』第210号)
   「賜暇戦術等をめぐる法律問題」(松岡三郎・峯村光郎他『労働法律旬報』第222号)
   「労働関係の合理性」(石黒拓爾・岩井章・中畑三郎・有賀宗吉『交通労働』9<交通労働研究所発行パンフ>)
対 談「英国労働組合の組織問題」(大河内一男『季刊労働法』第17号)
討 論「ピケに関する次官通牒をどう考えるか」(間宮重一郎<報告>・三藤正・近藤富士雄・熊倉武・宮島尚史他『討論』第35号)
   「日本の賃金協定について」(氏原正治郎<報告>・川田寿・三藤正他『討論』第36号)
   「フランスの労働協約法」(石崎政一郎<報告>・孫田秀春・外尾健一・近藤亨一・野本健治『討論』第37号)
   「労働契約と解雇予告義務」(外尾健一<報告>・有泉亨・三藤正・楢崎二郎・宮島尚史『討論』第37号)
   「経歴詐称に基づく解雇」(花見忠<報告>・三藤正・瀬元美知男・木村清司他『討論』第38号)
   「争議行為と組合幹部の解雇」(後藤清<報告>・成富信夫・石井照久・吾妻光俊他『討論』第40号)
   「解雇をめぐる学説・判例の研究」(宮島尚史<報告>・石井照久・花見忠・有泉亨・三藤正・峯村光郎他『討論』第41号)
   「ユニオン・ショップについて」(吾妻光俊<報告>・石井照久・宮島尚史・藤林敬三・稲垣正雄他『討論』第42号)
   「転勤拒否を理由とする解雇」(瀬元美知男<報告>・兼子一・三藤正・有泉亨他『討論』第42号)
   「わが国労働関係の特質について」(藤林敬三<報告>・石崎政一郎・松崎芳伸・和田春生・三藤正・佐藤進・花見忠他『討論』第44号)
   「中小企業と労働法」(石井照久<報告>・吾妻光俊・松岡三郎・松崎芳伸・有泉亨・藤林敬三他『討論』第45号)


1956(昭31)年
座談会「戦後労働法理論の発展」(磯田進・吾妻光俊・有泉亨・野村平爾『法律時報』第28巻第9号)
   「官公労の戦術にからむ法律問題」(松岡三郎・峯村光郎・今井一男・小林直人・今野治郎他『労働法律旬報』第227号)
   「次官通達の違法性をつく」(松岡三郎・熊倉武・江家義男・伊藤幹一・大野正男他『労働法律旬報』第229号)
   「職場闘争のあれこれと今後の闘い」(舟橋尚道・太田薫・益田哲夫・氏原正治郎・藤田若雄『労働法律旬報』第248号)
   「公労法改正上の問題点」(吾妻光俊・有泉亨・磯田進・今井一男・峯村光郎『季刊労働法』第19号)
   「東京地裁における最近の労働判例について」(松岡三郎・有泉亨・磯田進『季刊労働法』第21号)
   「今年の労働問題をかたる」(岩越忠恕・有泉亨・乗富丈夫・今野治郎・石井照久・灰原茂雄・加藤俊郎『討論』第46号)
   「部分スト・ロックアウト及び職場団交」(灰原茂雄・藤末尚『討論』<ききての労働講座>第51号)
   「職場団交の実情」(益弘<土佐電機>・渡辺<津島毛織>・寿田<日鉱佐賀>・佐藤<旭化成延岡>・増田<日産自動車>『討論』第54号)
   「スト規制法の延長は是か非か」(石井照久・原茂・藤田友次郎・松本栄一『東洋経済新報』第2754号)
鼎 談「職場闘争における法律問題」(野村平爾・有泉亨『労働法律旬報』第226号)
討 論「今年の労働問題をかたる」(岩越忠怒・有泉亨・乘富丈夫・今野治郎・石井照久・灰原茂雄・加藤俊郎『討論』第46号)
   「組合活動の自由について」(沼田<報告>・石井照久・松岡三郎・横井芳弘・宮島尚史・外尾健一・峯村光郎・秋田成就・蓼沼謙一・花見忠・谷川久『討論』第48号)
   「ビラ・ポスター戦術等について」(慶谷淑夫<報告>・兼子一・花見忠・三藤正・横井芳弘他『討論』第48号)
   「労働協約の本質について」(横井芳弘<報告>・兼子一・孫田秀春・宮島尚史・常磐敏太・角田豊 他『討論』第49号)
   「懲戒権をめぐる諸問題」(峯村光郎<報告>・有泉亨・青木宗也・石崎政一郎・横井芳弘他『討論』第50号)
   「試用期間中労働者の地位について」(青木宗也<報告>・三藤正・常磐敏太・萩沢清彦他『討論』第50号)
   「労働契約と労働関係の分析」(孫田秀春<報告>・峯村光郎・有泉亨・木村清司他『討論』№51号)
   「日紡郡山7条1号事件」(楢崎二郎<報告>・兼子一・青木宗也・宮島尚史・花見忠他『討論』第51号)
   「カルケット食品株式会社事件」(谷川久<報告>・石井照久・松岡三郎・三藤正・北岡寿逸他『討論』第52号)
   「自由裁量の限界――最近の救済命令から」(三藤正<報告>・孫田秀春・萩沢清彦・千種達夫・木村清司・横井芳弘他『討論』第53号)
   「争議中の賃金及び損害賠償について」(宮島尚史<報告>・峯村光郎・横井芳弘・花見忠・有泉亨・秋田成就他『討論』第53号)
   「争議行為と損害賠償」(萩沢清彦<報告>・有泉亨・孫田秀春・蓼沼謙一・石崎政一郎他『討論』第56号)


1957(昭32)年
座談会「労働運動回顧と展望――1956年~57年」(藤田若雄・太田薫・野々山一三『労働法律旬報』第259号)
   「レッドパージ復職闘争の法律問題」(青柳盛雄・佐伯静治・神鳥日吉・吉住秀雄・村山永喜『労働法律旬報』第270号)
   「春闘弾圧反対闘争をめぐる問題――処分撤回とストライキ権奪還の闘い」(太田薫・野々山一三・大木正吾・長岡貞文・藤田光夫・野村平爾・松岡三郎・坂本泰良・芦田浩志・森川金寿・蛯谷武弘『労働法律旬報』第273号)
   「教育公務員の当面する法律問題」(野村平爾・松岡三郎・宮之原貞光・市岡茂・岩村滝夫・芦田浩志・斎藤雅彦『労働法律旬報』第280号)
   「政治活動における個人の自由と組織統制の限界」(原田力・和田春生・小山良治・藤田若雄・瀬元美知男『季刊労働法』第24号)
   「岸内閣の労働政策をこうみる」(一柳東一郎・今井則義・高島喜久男・矢加部勝美『労働経済旬報』第343号)
   「生産性向上運動と労使関係」(増田米治・田中眞一郎・今井一男・松田武雄・入江正治『季刊労働法』第25号)
   「最近の労働政策――その法律的検討」(浅井清信・磯田進・松岡三郎・峯村光郎『季刊労働法』第26号)
   「今年の労働問題――労働時間短縮と最低賃金制」(峯村光郎・吾妻光俊・藤本武・太田薫・三宅敏道・山口謙三『討論』第58号)
   「処分の不当性を衝く」(野村平爾・組合執行委員<林・露坂>・後藤教宣部長『機労文化』7月号)
鼎 談「公労法再検討の諸問題」(野村平爾・峯村光郎『労働法律旬報』第281号)
   「公労法の政府解釈批判」(松岡三郎・内藤功『労働法律旬報』第287号)
対 談「『団結権・団体交渉その他の団体行動に関する労働教育行政指針』通牒の意味するもの」(野村平爾『労働法律旬報』第262号)
討 論「団結権の構造について」(有泉亨<報告>・蓼沼謙一・松岡三郎・孫田秀春・秋田成就・和田良一『討論』第59号)
   「団体交渉の若干の問題」(峯村光郎<報告>・三藤正・横井芳弘・宮島尚史・横溝光暉『討論』第60号)
   「労働基本権と労働政策」(沼田<報告>・木村清司・秋田成就・正田彬・熊倉武・楢崎二郎他『討論』第62号)
   「違法争議における組合幹部の責任」(西川美数<報告>・宮島尚史・石崎政一郎・花見忠・石川吉右衛門『討論』第63号)
   「労使関係における法的救済の限界」(萩沢清彦<報告>・三藤正・石川吉右衛門・石井照久他『討論』第66号)
   「臨時工の優遇と不当労働行為」(楢崎二郎<報告>・三藤正・石川吉右衛門・木村清司・瀬元美知男他『討論』第66号)
   「ロックアウトの概念」(秋田成就<報告>・三藤正・石川吉右衛門・宮島尚史・西川美数・熊倉武『討論』第67号)


1958(昭33)年
座談会「同情ストをめぐる諸問題――炭労・海員の同情ストを中心に」(原田力・神鳥日吉・和田春生・間宮重一郎・佐伯静治『労働法律旬報』第309号)
   「国労新潟地本における不当労働行為の実情と問題点」(相田一男・磯崎洋・池田光利・野村平爾『労働法律旬報』第325号)
   「職場の警職法をいかに闘うか――『職員の労働運動に対する管理対策要領』通牒批判」(有泉亨・石島泰・小島成一・内藤功・西田辰雄・和田文雄・内山昂『労働法律旬報』第330号)
   「現下の労働問題――労働政策と労使関係の基本的検討」(吾妻光俊・太田薫・宮崎輝・山中篤太郎『季刊労働法』第30号)
   「警職法改悪反対闘争にからんで」(青野季吉・加藤勘十・千葉信他『全電通』第678号)
   「労働運動と官憲の弾圧」(森長英三郎・島上善五郎・山田清三郎・柳本善雄『全電通文化』第24号)
鼎 談「配置転換と不当労働行為(総合判例批判)」(野村平爾・峯村光郎『季刊労働法』第28号)
   「労働争議と刑事的規制」(峯村光郎・平野竜一 『月刊労働問題』第6号)
対 談「賃金・労働条件・人事約款に重点をおいた新しい協約闘争の闘い方と問題点」(竹内静雄『労働法律旬報』第298号)
   「警職法反対のストライキの正当性」(山本博『労働法律旬報』第324号)
   「法律的にみた日教組弾圧」(芦田浩志『労働経済旬報』第376号)


1959(昭34)年
座談会「王子争議(就労まで)をめぐる問題」(佐伯静治・南正次・海野幸隆・池谷紙パ委員長・吉住王子労組委員長『労働法律旬報』第338・339合併号)
   「被解雇者役員を含む組合の登録、専従休暇、団体交渉をめぐる問題――日教組・全国税の闘いを中心に」(松岡三郎・森川金寿・橋本敦・石川元也・吉村博行他『労働法律旬報』第349号)
   「労働運動の進路と当面の課題――総評の指導と役割を中心に」(細井宗一・内山光雄・高垣礼二郎・矢加部勝美『労働法律旬報』第360号)
   「権利闘争の問題点と当面の課題」(野村平爾・太田薫・細井宗一・海野幸隆 『労働法律旬報』第365号)
   「労働事件と労働弁護士・労働組合と労働弁護士」(上田誠吉・東城守一・芦田浩志・大野正男・松本善明『労働法律旬報』第366号)
   「現段階における労働政策と労働運動の基本課題」(大河内一男・野村平爾・宝樹文彦『季刊労働法』第33号)
鼎 談「閣議決定――ILO条約の条件付批准といかに闘うか」(野村平爾・太田薫『労働法律旬報』第337号)
対 談「批判 戦後労働政策」(大河内一男『月刊労働問題』第16号)


1960(昭35)年
座談会「1960年の労働政策と労働法」(石井照久・大河内一男・野村平爾『季刊労働法』第35号)
   「デモと政治ストをめぐって」(吾妻光俊・上田誠吉・上原専禄・野村平爾『季刊労働法』第37号)
   「合同労組の実態と展望」(三藤正・倉持米一・塚本重頼・吾妻光俊他『労働協会雑誌』第16号)
   「全学連についての教師の討論」(塩田庄兵衛・山下肇・安部行蔵・尾崎盛光『安部行蔵・細野武男編・全学連――怒る若者』緑風新書、緑風社刊、6月刊)
対 談「安保闘争の画期的な成果と教訓」(平野義太郎『労働法律旬報』第386号)


1961(昭36)年
座談会「病院ストをめぐる法律問題」(吉田秀夫・青木宗也・籾井常喜・岩村滝夫・岩田茂・橋本静子『労働法律旬報』第416号)
   「内外の情勢とこれからの労働運動の課題――総評運動方針案を中心に」(太田薫・細井宗一・矢加部勝美『労働法律旬報』第420号)


1962(昭37)年
座談会「産業別単一組織を確立している海員組合の組織運営と活動」(笹木弘・篠原陽一・江間教夫・西岡政雄『労働法律旬報』第451号)


1963(昭38)年
座談会「欧米の労働法と労働法学」(青木宗也・有泉亨・川口実・佐藤進・正田彬『季刊労働法』第50号)


1964(昭39)年
座談会「現代の合理化と労働者の生命を守る闘い」(沼田<司会>・向坂逸郎・野村平爾・松岡三郎・正田誠一・塩田庄兵衛・佐伯静治・蛯谷武弘・中川新一・久保田武巳・蒲田清一『労働法律旬報』第511号)
   「社会保障闘争の当面する諸問題と今後の課題」(吉田秀夫・小川政亮・大木正吾・近藤一雄・長 宏『労働法律旬報』第525号)
   「4・17ストと統制問題――労働組合と組織統制・統一と団結と組合民主主義・政党と労働組合」(野村平爾・青木宗也・横井芳弘・東城守一・矢加部勝美『労働法律旬報』第530号)
   「社会政策学と労働法学からみた現下の基本問題」(磯田進・氏原正治郎・大河内一男・岸本英太郎・野村平爾・松岡三郎『季刊労働法』第52号)
   「運動のなかの社会保障」(吉田秀夫・岩井章・肥川統一郎『月刊総評』4月号)
共同討議「公務員専門家会議と欧州諸国の官公労働者の労働基本権」(野村平爾・松岡三郎・中山和久・宝樹文彦・原口幸隆・中川新一・槇枝元文・江田虎臣・樋口緑・東城守一・石川俊彦『労働法律旬報』第520号)
鼎 談「高度成長下の労働組合とその当面する諸問題」(大河内一男・塩田庄兵衛『労働法律旬報』第515号、のち『現代の労働運動』所収)
対 談「政党と労働組合――4・17から除名処分まで」(矢加部勝美『エコノミスト』7月21日号)


1965(昭40)年
座談会「労働者の権利闘争と87号条約改正法・公務員制度審議会」(野村平爾・松岡三郎・青木宗也・中山和久・東城守一『労働法律旬報』第563号)
鼎 談「現下の労働組合の焦点」(大河内一男・塩田庄兵衛・<ゲスト>氏原正治郎『労働法律旬報』第553号、のち『現代の労働運動』所収)
対 談「闘える議長、社会党を叱る――太田薫の人と意見」(太田薫『評』11月号)


1966(昭41)年
座談会「日産・プリンスの合併と労働者の権利・組織問題」(野村平爾・松岡三郎・東城守一『労働法律旬報』第599号)
   「改正国内法とのたたかい――ILO闘争・公制審・改正法と権利闘争」(野村平爾・松岡三郎・青木宗也・中山和久・安養寺俊親・槇枝元文・渡会俊誉・川島威『労働法律旬報』第607・608合併号)
   「労働者性否認の論理をめぐって」(青木宗也・佐藤昭夫・正田彬・籾井常喜・尾山宏『労働法律旬報』第612号)
   「反動文教政策・組織破壊と教育労働者の闘い」(宗像誠也・森川金寿・尾山宏・小川仁一・倉持巳佐男『労働法律旬報』第614号)
   「今日の労働問題」(石井照久・岩井章・滝田実『季刊労働法』第60号)
   「最高裁全逓中郵事件判決」(吾妻光俊・野村平爾・伊達秋雄『季刊労働法』第62号)
鼎 談「当面する労働運動の課題」(大河内一男・塩田庄兵衛『労働法律旬報』第591号、のち『現代の労働運動』所収)


1967(昭42)年
座談会「『みいけ』を語る」(向坂逸郎・奥田八二・宮川睦男『労働法律旬報』第628号)
   「マルクス主義と法律学――『資本論』100年を記念して」(平野義太郎・長谷川正安・下山瑛二・江藤价泰・岡田与好・藤田勇『法律時報』第39巻第13、14号)
鼎 談「国独資下の労使関係の対決点」(大河内一男・塩田庄兵衛『労働法律旬報』第627号、のち『現代の労働運動』所収)
   「都知事選・67春闘・朝日訴訟等」(大河内一男・塩田庄兵衛『労働法律旬報』第640号、のち『現代の労働運動』所収)


1968(昭43)年
座談会「政党と労働組合の関係」(重枝琢己・細井宗一・古賀専・岩井章・竹内義勝『季刊労働法』第67号)
   「<労働問題フォーラム>『労使関係研究会報告』をめぐって<その3>争議行為と争議調整」(吾妻光俊・有泉亨・石川吉右衛門・藤田若雄『日本労働協会雑誌』第107号)
鼎 談「安保六・四事件の基本性格とその法的問題点」(中山和久・籾井常喜『労働法律旬報』第684号)
   「安保六・四事件と権利闘争」(竹沢哲夫・坂根茂『労働・農民運動』第30号)
対 談「地方公務員の争議行為『扇動行為』者に刑事罰を科すことはできない」(古西信夫『労働経済旬報』第714号)


1969(昭44)年
座談会「労基法・監督行政機構改正問題とその批判」(松岡三郎・青木宗也・春山明『労働法律旬報』第691・692合併号)
鼎 談「転換期にたつ労働運動の現状・焦点と展望――69春闘の意義と課題」(岩井章・村上寛治『労働法律旬報』第699号)


1970(昭45)年
座談会「権力機構再編成下の司法反動」(渡辺洋三・吉川経夫・江藤价泰・松井康浩『労働法律旬報』第748・749合併号)


1971(昭46)年
座談会「急テンポで進行する新たな職場支配・分裂攻撃と労働運動の課題」(野村平爾・岩尾裕純・木元進一郎・酒井一三・子上昌幸『労働法律旬報』第772・773合併号)
   「70年代への権力側の構想と『司法政策』」(平野義太郎・潮見俊隆・上田誠吉・小田中聰樹・鷲野忠雄『労働法律旬報』第781号)
   「労働問題の多科学的研究――社会科学は現代的課題にどう応えるか」(舟橋尚道・三戸公・岡本秀昭・横井芳弘・徳永重良『季刊労働法』第80号)
鼎 談「70年代における労働問題の焦点」(大河内一男・塩田庄兵衛『労働法律旬報』第763号、のち『80年代への検証』所収)
   「官公労の争議行為と行政処分――動力車事件・佐教組事件を中心に」(吾妻光俊・竹下英男『季刊労働法』第82号)


1972(昭47)年
座談会「基本的人権の確立と六事件闘争」(籾井常喜・佐伯静治・土岐千之『労働経済旬報』第857号)
   「企業結合と法」(沼田<司会>・利谷信義・富山康吉・渡辺洋三・正田彬『法律時報』第44巻第12号)
   「スト権奪還闘争と最高裁七事件」(田中圭吾・尾山宏・渡会俊誉・酒井一三・槇枝元文『教育評論』12月号)
鼎 談「激動のなかの選択」(大河内一男・塩田庄兵衛『労働法律旬報』第800号、のち『80年代への検証』所収)
   「転機を迎えた海員労働運動」(笹木弘・斎藤吉平『労働法律旬報』第814号)
   「教育権と労働者権は統一できるか」(兼子仁・堀尾輝久『現代法ジャーナル』7月号)


1973(昭48)年
座談会「最高裁4・25判決の基本的性格・問題点」(蓼沼謙一・青木宗也・横井芳弘・片岡曻『労働法律旬報』第833号)
   「労働運動の発展方向」(岩井章・大木正吾・黒川俊雄『労働法律旬報』第835号)
   「公制審答申と労働基本権」(有泉亨・蓼沼謙一・山内一夫『季刊労働法』第90号)
   「国民のための大学とはなにか」(大河内一男・塩田庄兵衛・森田俊男『国民教育』第16号)
   「政治的意図を暴露した逆行判決」(籾井常喜・佐伯静治・土岐千之『労働経済旬報』第892・893合併号)
   「公制審答申をめぐって」(色川幸太郎・石川吉右衛門・大木正吾・曽山克己『ジュリスト』第546号)
   「“生活闘争”経済的・社会的要求と労働運動」(松尾均・吉田秀夫・大木正吾・岡村恵・斎藤定信『賃金と社会保障』第617号)
鼎 談「“高福祉時代”と労働組合運動」(大河内一男・塩田庄兵衛『労働法律旬報』第824号、のち『80年代への検証』所収)


1974(昭49)年
座談会「三菱樹脂事件・最高裁大法廷判決の法理」(籾井常喜・佐伯静治・土岐千之『労働経済旬報』第916号)
   「基本的人権を無視する最高裁の体質を批判する」(籾井常喜・佐伯静治・山本博『労働経済旬報』第948号)
   「“国民春闘”とこれからの労働運動」(吉田秀夫・大木正吾・黒川俊雄『賃金と社会保障』第651号)
鼎 談「インフレ下の国民生活と労働運動」」(大河内一男・塩田庄兵衛『労働法律旬報』第852号、のち『80年代への検証』所収)


1975(昭50)年
座談会「労働組合法30年――その回顧と展望」(石川吉右衛門・渡辺健二・山口浩一郎『日本労働協会雑誌』第200・201合併号)
   「憲法と労働問題」(大野正男・神山欣治・和田英夫・塚本重頼『週刊新法曹』1975.1.31)
鼎 談「低成長下の労働組合運動」(大河内一男・塩田庄兵衛『労働法律旬報』第886号、のち『80年代への検証』所収)


1976(昭51)年
座談会「大きく前進したスト権奪還闘争――「スト権スト」の評価とこれからの課題」(富塚三夫・多賀谷真稔・青木宗也他『月刊労働問題』第218号)
   「戦後権利闘争と労働法学の課題――労働法学はいかにあるべきか」(横井芳弘・片岡曻・本多淳亮・中山和久・籾井常喜『労働法律旬報』第900号)
   「関西民科創立のころ」(浅井清信・清川享・甲斐道太郎・片岡曻・中川祐夫・西村信雄・西村幸雄『法の科学<4>』1976年<特集民科30年>)
   「労働組合法30年と労働法学」(磯田進・松岡三郎・峯村光郎『季刊労働法』第100号)
鼎 談「最高裁の『学テ反対闘争』判決批判」(籾井常喜・佐伯静治『労働経済旬報』第1002号)


1977(昭52)年
座談会「憲法施行30年の回顧と展望」(鍛冶千鶴子・林修三・平出禾・和田英夫・柏木博『週刊新法曹』<上>第421号、<下>第422号)
   「権利討論集会をふりかえって」(野村平爾・青木宗也・本多淳亮・横井芳弘・佐藤昭夫・中山和久・籾井常喜・竹下英夫・細井宗一・武藤久・永井新八『国労法対時報』第21号)
   「戦後労働事件の軌跡」(野村平爾・青木宗也・松岡三郎・中山和久・籾井常喜・佐伯静治・東城守一・藤本正、総評弁護団編『戦後労働争議と権利闘争・下巻』所収、9月刊)
   「現代の労働運動と“参加的規制”」(高木督夫・高木郁郎・藁科満治・武藤久『労働法律旬報』第938号)
鼎 談「“激動の時代”への直言」(大河内一男・塩田庄兵衛『労働法律旬報』第920号、のち『80年代への検証』所収)
対 談「公共部門のスト権問題――労働基本権かナショナルミニマムか」(小宮隆太郎『季刊労働法』第106号)


1978(昭53)年
座談会「今日の労働組合運動」(清水愼三・氏原正治郎・兵藤釗・熊沢誠・高木郁朗『月刊労働問題』第249号<創刊20周年記念号>)
   「公企体等基本問題会議意見書について」(石川吉右衛門・雄川一郎・林修三『ジュリスト』第671号)
   「現代国際秩序と国際人権規約」(高野雄一・星野安三郎・中山和久『労働法律旬報』第959号)
   「人間の尊厳と教育――戦後民主主義と80年代への展望」(兼子仁・藤岡貞彦・堀尾輝久『季刊教育法』第29号)
対 談「憲法30年めの出発」(羽仁説子『子どものしあわせ』1月刊)
   「『連合の時代』を考える――大衆を信頼して闘いぬけ」(岩井章『月刊総評』3月号)


1979(昭54)年
鼎 談「現代の社会問題と労働組合運動」(大河内一男・塩田庄兵衛『労働法律旬報』第975・976合併号、のち『80年代への検証』所収)


1980(昭55)年
座談会「社会的人権をめぐる課題――権利闘争の総括と展望」(渡辺洋三・片岡曻・小川政亮・中山和久『労働法律旬報』第1000号<1000号記念座談会>)


1981(昭56)年
鼎 談「日本労働運動の焦点を衝く」(清水愼三・岩井章『国際労働運動』第119号)
対 談「憲法思想と人権思想」(川口武彦『まなぶ』第256号)


1982(昭57)年
座談会「現代の医療危機と労働組合」(日野秀逸・西岡幸泰・斎藤一・若月俊一・砂原茂一・佐伯静治・松本道広『賃金と社会保障』第853号)
鼎 談「時代と思想と情況と――ビジョンなき現代社会への警鐘と展望を語る」(大河内一男・塩田庄兵衛『労働法律旬報』第1043号、のち『80年代への検証』所収)


1983(昭58)年
鼎 談「労金運動の30年を考える」(今井一男・大河内一男『月刊労働金庫』1月号)
   「岐路に立つ現代社会と変革への視座」(大河内一男・塩田庄兵衛『労働法律旬報』第1063・1064合併号、のち『80年代への検証』所収)
対 談「現代日本における歴史の主体を考える」(江口朴郎『唯物論研究』8号)
   「転換の時代に生きる青年へのメッセージ・1 ある体験<少年期>」(山科三郎『労働法律旬報』第1074号)
   「転換の時代に生きる青年へのメッセージ・2 暗い時代を生きる」(山科三郎『労働法律旬報』第1076号)
   「転換の時代に生きる青年へのメッセージ・3 世代としての責任」(山科三郎『労働法律旬報』第1079号)
鼎 談「転換の時代に生きる青年へのメッセージ・4 敗戦と視点の転回」(片岡曻・山科三郎『労働法律旬報』第1081号)
   「転換の時代に生きる青年へのメッセージ・5 断絶と連続」(片岡曻・山科三郎『労働法律旬報』第1086号)


1984(昭59)年
座談会「権利闘争――新たな出発と労働運動の構築」(江田虎臣・野島俶江・成相静雄他『農林新聞』第1411号)
   「国立医療はどうあるべきか」(日野秀逸・松本道広他『全医労新聞』第1706号)
鼎 談「転換の時代に生きる青年へのメッセージ・6 社会運動とともに」(片岡曻・山科三郎『労働法律旬報』第1090号)
   「転換の時代に生きる青年へのメッセージ・7 学問と実践と」(片岡曻・山科三郎『労働法律旬報』第1091号)
   「転換の時代に生きる青年へのメッセージ・8完 青年よいかに生くべきか」(片岡曻・山科三郎『労働法律旬報』第1092号、のち1~8『時代に生きる』に所収)
対 談「地域に根づく医療を求めて――スペシャリストと草の根の連帯」(若月俊一『賃金と社会保障』第899号)
   「大河内一男先生を偲んで――大河内先生の業績と社会的役割」(塩田庄兵衛『労働法律旬報』第1105号)


1987(昭62)年
鼎 談「国民の医療の砦を築く」(日野秀逸・朝倉新太郎『賃金と社会保障』第971号)


1988(昭63)年
鼎 談「『連合』のめざすもの<これからの労働運動・1>」(竪山利文・柳沢明朗『労働法律旬報』第1183・1184合併号)
   「統一労組懇・その役割<これからの労働運動・2>」(引間博愛・柳沢明朗『労働法律旬報』第1183・1184合併号)

■1989(昭64)年
鼎 談「いま改めて人間の尊厳を」(藤田勇・渡辺治『労働法律旬報』第1207・1208合併号)
                     (出典:先生自筆による著作目録「わが口舌筆硯の軌跡」に加筆)




          





沼田稲次郎

1914年(大正3年) 5月25日、富山県高岡市に生まれる。
1952年(昭和 27年)8月、東京都立大学教授(人文学部)に就任。
1965年(昭和 40年)4月、東京都立大学法経学部長に就任。
1973年(昭和 48年)4月、東京都立大学総長に就任(~81年3月、2期8年)。
1997年(平成9年) 5月16日、死去。享年82歳。





◇編 集:旬報社編集部
 責任者 :木内洋育 
 編集協力:石井次雄
 制  作:飯島信吾

 UP:2014年3月20日
 更新:2014年4月18日
 更新:2014年4月22日
 更新:2014年4月26日
 更新:2014年5月25日
 更新:2014年6月20日
 更新:2014年7月24日
 更新:2016年5月23日