『いのちとくらし研究所報』(非営利・協同総合研究所いのちとくらし)―1
pics
◆以下、ご自分のPCを「125%」に拡大して、読むことをお勧めします。
←サイト右上部の「青印」をチェックして!
●2006年10月31日から●2011年12月10日まで。
●理事長のページ(No.36)●2011年12月10日
「失敗の新自由主義」 中川雄一郎
オバマ政権は真剣に失業と向きあっているか
このところ、世界の経済動向と社会動向がメディアのかなりの部分を占めるようになってきた。経済動向について言えば、2011年8月2日に(S&Pによる)アメリカ国債の(AAAからAA+への)格下げあり、現在ではEUユーロ圏のポルトガル、アイルランド、ギリシア、イタリア(A+へ)、スペイン(AA-へ)それにベルギー(AAへ)の国債がそれぞれ格下げされている。また、これらの国々へのIMFの介入・支援、ユーロ圏メンバー国による(借金返済のための)「共同債の提案」とそれに対するドイツの強い反対などEU諸国とアメリカの経済が大きく揺れ動いている現象が毎日のようにメディアを賑わせている。深刻な債務問題を抱えている―「PIIGS」と呼ばれている―これら5カ国では―形式は異なるが―政権が交代し、財政緊縮策に対する国民の怒りが収まらず、政治的な混乱が続いている。ではなぜ、(選挙による交代であろうが、実務家やテクノクラートへの「丸投げ」の交代であろうが)政権を交代しなければならないほど大きな経済的、政治的混乱が生じてしまったのであろうか。それは、「市場の自由化」と言えば聞こえは良いが、実際のところは、ブッシュ政権がそうしたように、「市場の規制撤廃」という新自由主義政策の結果なのだ、と私は考えている。
例えば、各国のこのような経済的、政治的、社会的な状況を説明するのにしばしば用いられる失業率(2010年12月現在)を見てみると、次のようである(失業率こそ「新自由主義政策の失敗」の有力な証なのである)。アメリカとPIIGSの失業率は高く、アメリカ約9.6%(2011年9月現在は9.1%)、ポルトガル10.9%、アイルランド13.8%、イタリア8.6%、ギリシア12.9%、そしてスペイン20.2%。これらの国々の2011年11月現在の失業率も上記の数値とさほど変わりなく、いわゆる「高止まり」で推移しているのである。実は、高失業率の国はそれだけではないのである。ユーロ圏の指導国ドイツとフランスはどうかと言えば、前者が6.0%(2011年8月現在)、後者が9.1%(2011年6月現在)である。またベルギーは7.89%(2011年9月現在)である。なおユーロ圏16カ国全体の失業率は9.97%である。またユーロ圏に属していないイギリスにしても約8%(2011年9月)の高さである。一般に、実質のというか本当の失業率は統計に現れる数値よりもずっと高いのであり、また労働統計上の若者の失業率も同様であって、それぞれの国の失業率のおよそ2倍と言われている。したがって、スペインの若者の失業率は40%を上回る、尋常ではない数値になるのである(なお2011年11月現在のスペインの失業率は22.6%なので、若者の失業率は40%半ばに及んでいると見てよいだろう)。因みに、日本はどうか。2010年の日本の失業率は5.1%であったが、2011年11月現在の失業率は(4.1%から0.4%悪化して)4.5%であるので、若者の失業率は9%前後と見てよいだろう。
各国の失業率は各国の経済的、社会的状況を如実に反映している。PIIGSの5カ国だけでなく、フランスやベルギー、イギリスやアメリカにも見られる高い失業率は、各国の経済が落ち込み、社会が不安定になってきていることを証明しているし、またベルギーのように経常黒字国であっても、その経済は落ち込んでいる傾向を示しており、さらにこれらの国々に比べて相対的に低い失業率のドイツや日本でさえもその経済状況も思わしくないのである。特にデフレ状態から回復できないでいる日本の経済については、われわれのよく知るところである。
「失業が人びとにもたらす諸問題」についてアマルティア・センはILO(国際労働機関)の機関誌で次のように述べたことがある。参考になるのでここに簡潔に記しておこう。各国政府は言うまでもなく、われわれもまた心すべきことなのである。
•(1)産出力の損失と財政負担:失業は国民的な産出力(アウトプット)を減少させるだけでなく、所得移転に振り向ける産出力の割合もまた増加させる。
•(2)自由の喪失と社会的排除:失業状態に置かれた人は、社会保険によって援助されている場合でも、意思決定の自由の大半を行使できないでいるので、失業は人びとを社会的排除に追いやる主要因となる。この場合の「排除」は、経済的機会からの排除だけでなく、コミュニティ生活への参加といった社会活動にも当てはまる。この点こそ「職なき人たちにとって大きな問題」なのである。
•(3)技能喪失(スキル・ロス)と長期にわたるダメージ:人は、「活動することによって学ぶ」のであって、仕事・業務から外されて「活動しないことによって学ばない」のである。人は、失業によって、技倆を発揮する場を失うことで技能を低下させるだけでなく、自信と自制心をも喪失する結果、認識能力の喪失をきたしてしまう。
•(4)心理的損傷:失業は、職なき人の生活を台無しにし、精神的苦悶を引き起こす。精神的苦悶は、たんに低所得という問題だけでなく、自尊心の喪失の問題、すなわち、自分は依存状態にある人間、(家族や社会にとって)不必要な人間、それに何も生み出さない人間であるなどと考えてしまう悲観的な感情による落胆を含んだその他の価値喪失の問題をもまたもたらしてしまう。加えて、長期失業の影響は勤労意欲(モラール)にダメージを与える。特に若者の失業は、青年労働者やこれから労働者になろうとしている卒業予定者から長期にわたって自尊心を奪ってしまうことから、高い代価を支払わされることになる。さらにこのダメージは若い女性にとって特に深刻なものになる。
•(5)不健康状態と死亡率:失業はいわゆる臨床的な病気や高い死亡率にもつながる。このことは、ある程度まで所得や物質的手段の喪失の結果であるが、それだけではなく、長期失業による落胆や自尊心の欠如や動機づけの衰退とも関連している。
•(6)動機づけの喪失と将来の労働:失業による落胆は動機づけの衰退につながり、長期失業者を諦めに追いやり、受動的にする。高失業率の結果として起こる動機づけの喪失は、将来の雇用探しにきわめて有害になる。というのは、仕事・労働に復帰することへの恐怖感を生み出すほどに、失業者の能力と勤労意欲が数年にわたる「強制された怠惰」によって大きく損なわれてしまうからである。この「動機づけの喪失」のインパクトは若い女性にとって特に重大である。
•(7)人間関係と家族生活の喪失:失業は、さまざまな人間関係を破壊してしまうことがあるし、また家庭内の調和と結束を弱体化してしまうことがある。そのような結果は、経済的手段の欠落に加え、ある程度まで自信の弱まりに関係しているが、同時に組織的な労働生活の喪失そのものが深刻な価値喪失となってしまうのである。このような状態にはアイデンティティの危機が伴うことがある。
•(8)人種・民族的不平等とジェンダー不平等:失業は性別役割分担と並んで人種・民族的な緊張関係を強める重大な影響を及ぼす可能性があり得る。雇用が大きく減少すると、最も影響を受けるグループはマイノリティ、特に移民コミュニティの人たちである。しばしば移民は仕事を「持ち去る・奪う相手」、すなわち、「雇用の競争相手」とみなされることがあるので、失業は不寛容と人種・民族差別の政治活動を助長させる。また性別役割分担や性差別といったジェンダーの分裂も広い範囲にわたる失業によって常態化されてしまう。失業が社会全体に見られる時期に女性が労働力として(労働市場に)参入しようとすると、阻止される現象がしばしば見られるのはそのためである。
•(9)社会的価値と責任の喪失:長期的で広い範囲にわたる失業は重要な社会的価値(意識)を脆弱にさせる傾向を伴うことも立証されている。長い間失業状態に置かれている人とたちは、社会的な取り決めの公平さに対して冷笑的な態度を取るし、他者に依存することも自ら容認する態度を取る(そうすることが自らの責任と自立・自律に何ら役立たないと思っても、そうなのである)。また失業した若者が犯罪に奔ることがあるが、それは、彼らから物的なものが奪われていることだけでなく、彼らに及ぼす心理的な影響によるものである。すなわち、失業者として社会的に排除されている意識と失業の原因をマイノリティによって「仕事が奪われている」からだとみなしてマイノリティを排除する意識、正直に生きる機会を失業者に与えない世の中に対する不満の感情がそれである。
•(10)組織的非柔軟性と技術的保守主義:失業が広い範囲にわっている状況においては、仕事が失われると思われるどんな経済的な再編にも反対する傾向が強くなる。選択肢が失業しかなく、しかも失業が長期にわたる可能性がある場合には、仕事を失うことの不利益は極めて大きいことから、組織的非柔軟性を通じた技術的保守主義が生まれ、経済的効率が低下する。
このように見てみると、「失業が人びとにもたす諸問題」が、個々の若者、女性、高齢者などに対してだけでなく、各国の社会全体に対しても、場合によっては世界全体に対してもまた大きな影響を及ぼす―あるいは及ぼしている―ことが分かるであろう。それ故、何よりも各国政府は安全で健全な社会生活を確かなものにするために自国の「失業問題」に積極的に対応するべきであり、と同時にILOなどの国連諸機関を通じた対応を連携して実行する必要がある。
最後に、アメリカの現在の失業率に関して言及しておこう。現在大きな話題になっている「ウォール街を占拠せよ」から始まった「オキュパイ運動」は、若者だけでなくさまざまな年齢層の人たちの参加を得ることによって、アメリカの経済的、社会的な格差(「富裕な1%と苦しい生活を余儀なくされている99%」)がいかに拡大しているかを知らせてくれている。この運動はまたヨーロッパ諸国の若者や他の年齢層の人たちにも影響を与え、いくつかの国では若者による政権批判の運動にまで高まっている。スペインでの選挙による政権交代もその一つである、と私は思っている。
思い起こせば、2006年まで16年半もの間FRB(アメリカ連邦制度理事会)の議長に就き、ITバブルと住宅バブルを繰り返してきたグリンスパンも知っていたことであるが、住宅バブルを継続するために採用した、低所得者向け住宅ローン(サブプライム・ローン)債権の証券化を許した結果が雄弁に物語っているように、ブッシュ前政権はアメリカの経済危機の原因をつくりだして、その「付け」を世界中にばら撒いた揚句に、世の中の多くの人たちを失業に追いやったり、あるいは低賃金の不安定な非正規労働に従事させたりしているのであって、犠牲になった多数の彼・彼女たちは今なお苦汁をなめているのである。この事実一つを取ってみても、「新自由主義の失敗」は現在も大きな辛い遺物を若者たちを中心に多くの人たちに背負わせ続けているのである。私が新自由主義を「失敗の新自由主義」と呼ぶのは、まさにこの意味においてである。
では、共和党のブッシュ政権に取って代わった民主党のオバマ政権はどうであろうか。オバマ大統領は「失敗の新自由主義」を彼の政府の政策から捨て去ったのだろうか。否である。なるほどオバマ政権は、ブッシュ政権が仕掛けたイラクとアフガンへの財政(税金)の垂れ流しを止めようとしているし(イラクからのアメリカ軍の段階的撤退)、「小さな政府」を標榜する共和党と違って、低所得者向けの「公的医療保険制度」も―共和党と妥協しながら―推し進めた。しかしながら、オバマができたのはここまでであって、彼は、結局、ブッシュ政権と同じように、アメリカに有利な「市場の利用」を考え、他国に動揺を与えることを選んだのである。例えば、韓国にはFTA(自由貿易協定)を強制的に結ばせ、日本にはTPP(環太平洋戦略的連携協定)への参加に圧力をかけ、ドル安円高を基調とする貿易の経常利益を増やして、つまり韓国や日本に自国の工業製品、医療サービス、保険商品、農産物などを輸出し、韓国や日本の製品、サービスや農産物を輸入させないことで、アメリカに200万の雇用を創り出すという算段をオバマは図っているのである。それ故、彼の政策は、「公正と利益追求の適切なバランス」=「秩序ある経済-社会の活動ルール」に基づくのではなく、すなわち、アメリカ市民自身の手で雇用を創出するのではなく、他国から「雇用をむしり取る」方法を駆使しようとしているのである。これは新手の「敗北の新自由主義」である、と私は考えている。かつてアマルティア・センがブッシュ政権に対して言ったことであるが、アメリカの経済危機の原因は「グローバル化そのものではなく、アメリカの経済管理の誤り」であり、また「市場の利用だけを考え、国家や個人の倫理観の果たす役割を否定するなら、新自由主義は人を失望させる非生産的な考えだということになる」、とのセンの主張は、そのままオバマ政権への言葉となるであろう。
※2011年12月初めには発表されたアメリカの失業率は8.6%(12万の雇用増)である。
●理事長のページ(No.35)●2011年09月20日
デンマークとイギリスを訪ねて 中川雄一郎
私は、この夏に、「社会的経済および社会的企業による雇用の創出:経済-社会的危機管理に関連して」というテーマに関わる課題を調査するために、6名から成る社会的企業研究グループを組み、デンマーク(コペンハーゲン/8月24~27日)とイギリス(サンダーランド・ロンドン/8月28~9月2日)を訪ねた。これまで私は「地域コミュニティの再生と雇用の創出」(Community
regeneration and Job creation)というテーマに基づいてイギリスの社会的企業を何度か訪問・調査してきたのであるが、「デンマークにおける社会的企業」の調査は私には初めての試みであった。
イギリスの社会的企業については既に拙著『社会的企業とコミュニティの再生』(大月書店、初版2005年、増補版2007年)と拙論「社会的企業と女性の自立:女性のための社会的企業「アカウント3」の創造と展開」(明治大学『政経論叢』Vol.77,No.3-4,2009.)などでその訪問・調査の成果を書き留めているので、今回の訪問・調査もそれなりの成果が得られるものと思っている。しかしながら、デンマークでの社会的企業の調査は初めての試みであることから、調査の範囲もコペンハーゲン市に限られ、また社会的企業訪問の時間もかなり制限されることになってしまった。それでも、コペンハーゲン市の「雇用・統合政策局」(The
Employment and Integration Administration/Office of Policy)のヤコブ・エバーホルスト(Jacob
Eberholst)局長による「コペンハーゲン市行政と社会的企業のパートナーシップ政策」の話はデンマークの重要な「社会的包摂」を追求する政策として私たちに大きな示唆を与えてくれた。エバーホルスト局長の話についてはすぐ後で簡潔に触れることにする。
ところで、私たちのグループにとって、今回のデンマークとイギリスにおける社会的企業研究にはもう一つの目的があった。それは、イースト・ロンドン大学(UEL)で社会的企業研究を担当しているグラディウス・クロスンガン博士が今年の3月初めに「イギリス、デンマークそれに日本における社会的企業の比較研究」を私に申し入れてきたので、その研究計画についてそれぞれ協議し、一定の目標を確認することであった。デンマークの責任者はロスキレ大学(Roskilde Universitet)のラース・フルゲール教授(Prof.Lars Hulgård)で、EMES(European Research Network)のデンマーク代表でもある。フルゲール教授からは、デンマークにおける社会的企業の展開はコペンハーゲンなど大都市に限定されており、デンマーク全体を見ると「社会的企業の概念はなお狭い範囲に止まっている」ので、社会的企業の比較研究については協同組合をはじめとする非営利組織やデンマークの社会福祉制度等を含めて論究する必要があり、したがって、多少時間を要する研究計画となる旨の説明がなされた。
それでは、デンマーク全体としてはなおその概念が市民の間に十分な広がりを見せるまでに至っていない社会的企業ではあるが、コペンハーゲンなどの大都市ではどのようなものなのか、すぐ前で紹介したエバーホルスト局長から「行政と社会的企業とのパートナーシップ」について語ってもらうと、次のようになる:コペンハーゲン市は「コペンハーゲンでの生活は気楽で心地良きものでなければならない。それ故、コペンハーゲンはヨーロッパで最も社会包摂的な都市であることを望むのである。そうであれば、人びとが積極的に関与する自治体でなければならず、そのような自治体こそより良き自治体なのである」とのビジョンを掲げている。またコペンハーゲンは「多様性は強さでもあるのだから、誰もが意思決定に参加できる機会を持たなければならない。シチズンシップはすべての人のためにあるのだ」との信念を貫いている。そしてさらにコペンハーゲンは「労働市場(雇用)による社会的包摂を目指す。何故ならば、労働はアイデンティティと協力し分かち合う心とを生み出すからである」との市民的統合の目標を強調している。このようなビジョン、信念それに目標を掲げるコペンハーゲン市の行政と「シチズンシップと社会的包摂」を目的・目標とする社会的企業とが連携しパートナーシップを組むことによって、コペンハーゲンで労働し生活するすべての人びとに安定と安心がもたらされるのである。
エバーホルスト局長このような話から私はデンマークおよびコペンハーゲンの経済的、社会的それに政治的な背景を次のように想定してみた。第1は、デンマークの全人口約550万人のうち168万人を抱える首都コペンハーゲンに移民(移民は約50万人で全人口の14%であり、また移民の子孫を含めると全人口の22%にも及ぶ)の多数が生活している、という事実である。移民は年々増加しており、その多くはパキスタン、トルコ、イラク、ポーランド、レバノン、旧ユーゴスラヴィアそれにソマリアなどからの移民である。移民の雇用は他のヨーロッパ諸国と同じようにさまざまな問題を抱えている。とりわけ文化的、宗教的な問題は「社会的包摂」(social
inclusion)の観点からも大きな力を傾注しなければならないだろう。第2は、雇用問題と関係するが、デンマークの近年の経済動向である。デンマークも例のサブプライムローン問題の影響を受け、2007年GDP成長率1.6%から08年GDPは-1.1%、09年GDPは-5.2%と大きく後退し、2010年には2.1%に回復したものの、現在なお不安定な状態にある。失業率もそれと軌を一にして07年3.8%、08年3.3%、09年6%、2010年7.4%と高くなっている(2011年は7.2%を見込んでいる)。第3は、現右派政権が掲げた「高福祉政策の財源確保」が危うくなってきたことである。現政権は「公共部門の民営化」による新自由主義政策を進め、また高額所得者に有利な所得減税を実施し、その結果、デンマーク社会に格差拡大を生み出してきた。他方で、北海油田の石油収入の減少による歳入減、年金受給者の増加、医療支出の増加などによる歳出増など財政収支の悪化が見込まれているのである。2010年の財政赤字は510億クローネ(1クローネ約17円)でGDP比2.9%、11年は720億クローネの赤字(GDP比4.0%)が見込まれている。そして第4は、移民政策の引き締めである。現政権は自由党・保守党の連立政権であり、これに右翼のデンマーク国民党などが閣外協力しているのであるが、国民党は厳しい移民制限を主張しており、移民政策の引き締めが今世紀に入って現在まで継続されている。だが、この引き締めはEU規定に抵触する可能性があることから、見直しが求められている。
私も含め、日本ではデンマークの政治・経済・社会を「社会福祉制度」の視点から考察する傾向が強く、またデンマーク国民の「満足度」が世界トップであることから、潜在的ではあるが重大な経済的、政治的、社会的な問題を抱えていることを見落としてしまうことが往々にしてある。この9月中葉に総選挙(一院制、179議席、任期4年)結果が判明するとのことなので、右派政権から社会民主党中心の左派政権に代わるのか、また右派政権と左派政権の政治・政策の違いはあるのかないのか、関心をもって注目したい(9月15日に開票された総選挙結果について、社会民主党を中心とする左派が勝利し、同党のヘレ・トーニング・シュミット氏がデンマーク初の女性首相に就任する、との報道がなされた)。
私たちのグループはイギリスではサンダーランド市とその周辺地域を中心に展開しているSES(Sustainable Enterprise Strategies)傘下の事業体であるコミュニティ交通のコンパス(Compass)や高齢者・障害者にケアサービスを提供する社会的企業SHCA(Sunderland
Home Care Associates)を訪問・調査し、またロンドンのタワー・ハムレッツ自治区で展開している「女性の経済的、社会的な自立」を支援する社会的企業アカウント3の支援を得て現在では国際的なアコモデーション・サービスを提供する事業を幅広く経営しているUKguestsなどを訪問・調査したのであるが、紙幅の都合で、これらの事業体については別の機会に報告させていただくことにする。そしてUELのクロスンガン博士の提案となる「イギリスと日本における社会的企業の比較研究」の協議と研究計画についても、申し訳ないが、別の機会に譲らせていただくことにする。クロスンガン博士は、この10月末に、もう一人の研究者シオン女史と一緒に私たちを訪ねることになっている。
●理事長のページ(No.34)●2011年05月20日
原子力発電(原発)のリスク認識とシチズンップ 中川雄一郎
2011年5月13日付の朝日新聞朝刊・オピニオン欄に「原発事故の正体」と題したインタビュー記事が掲載された。最近の朝日新聞にはアメリカ政府の言い分を代弁するような中身の論説や記事が多く、私の関心や興味を引くような記事が少なくなってきたので、そろそろ別の新聞に乗り換えようかな、と思っていた矢先にこのインタビュー記事が載ったのである(乗り換えるとは言っても、他の新聞も朝日新聞と同じかそれ以下のように私には思われるので、東京新聞にしようかどうしようかと判断がつかないままズルズルきてしまったのであるが)。新聞やテレビ・ラジオといった「メディアの使命」の原則は昔も今も変わらないだろうが、それでも政治、経済、社会、文化など私たち市民の日常的な暮らしや地域コミュニティにおける人びとの社会的諸関係に直接間接に影響を及ぼすだけでなく、地球的規模での自然環境に対して私たちが負うべき責任にも大きな影響を及ぼすグローバリゼーション下の現代にあっては、市民に透明度の高い正確な情報を伝えるとともに、その情報のなかに見いだされるさまざまな問題や課題について市民に深く考えさせるような中身のある論説・説明や記事が掲載され、伝えられることが絶対に必要である。その意味で、すべてのメディアは権力から独立していなければならず、自国であろうと他国であろうと政府権力の代弁者に成り下がったまま思考停止してはならないのである。
さて、このインタビュー記事であるが、取材相手は「チェルノブイリ事故の前にすでに、今日の世界を『リスク社会』と喝破していた」著名な社会学者、ミュンヘン大学のウルリッヒ・ベック教授である。ベック教授は、福島原発事故の意味について質問され、こう答えている。あの原発事故は「人間自身が作り出し、その被害の広がりに社会的、地理的、時間的に限界がない大災害です。通常の事故は、たとえば交通事故であれ、あるいはもっと深刻で数千人がなくなるような場合であれ、被害は一定の場所、一定の社会グループに限定されます。しかし、原発事故はそうではない。新しいタイプのリスクです。...福島の事故は、近代社会が抱えるリスクの象徴的な事例なのです」。また彼は、「日本では、多くの政治家や経済人が、あれは想定を超えた規模の天災が原因だ、と言っています」が、との質問に対してこう説明している。「(それは)間違った考え方です。地震が起きる場所に原子力施設を建設するというのは、政府であれ企業であれ、人間が決めたことです。自然が決めたわけではありません。...産業界などは自然を持ち出すのです。しかし、そこに人間がいて社会があるから自然現象は災害に変わるのです」。そして彼はこう続ける。「これはとても重要なことですが、近代化の勝利そのものが私たちに制御できない結果を生み出しているのです。そして、それについてだれも責任を取らない。組織化された無責任システムができあがっている。こんな状態は変えなければならない」。
ベック教授が説明しているように、福島原発事故は、現代のわれわれにとって「限界のないリスク」であり、それ故、われわれは「制御できない結果を生み出している」のであって、したがってまた、その結果について誰も責任を取らない「組織化された無責任システム」の象徴なのである。どうして「組織化された無責任システムができあがっている」のかと言えば、チェルノブイリ原発事故の場合にもそう言えるのであるが、現代の多くの制度は「元来はもっと小さな問題の解決のために設計されていて、大規模災害を想定していない」からである、との彼の説明には説得力がある。
ベック教授はさらに、「近年、温暖化問題への解決策として再び原子力への注目が集まっていました」とのインタビュアーの質問に対して大変解り易いロジックを提示している。「原子力依存か気候変動か、というのは忌まわしい二者択一です。温暖化が大きなリスクであることを大義名分に『環境に優しい』原子力が必要だという主張は間違いです。もし長期的に責任ある政策を望むのであれば、私たちは制御不能な結果をもたらす温暖化も原発も避けなければなりません」、これである。この主張に続けて彼は、重要なことは長い時間が必要でも「そこを目指さなければならない」ことを強調し、ドイツ政府の「原子力政策の転換」を明示した。「ドイツ政府は福島の事故後、原子力政策を検討する諮問委員会を作りました。私も参加しますが、政府に原子力からも温暖化からも抜け出すタイムテーブルを示すよう求めるでしょう」。そしてさらに彼は、インタビュアーの「第2次大戦後、日本の政治指導者たちは原子力を国家再建の柱の一つと考えた」との説明を受けて次のように論じた。「確かに原子力政策は国家主権と深く関わっている。ドイツにもそうした面もあるけれど、今、ドイツではこういう考えが広まっています。他国が原子力にこだわるなら、むしろそれは、ドイツが新しい代替エネルギー市場で支配権を確立するチャンスだ、と。今は、この未来の市場の風を感じるときではないでしょうか。自然エネルギーへの投資は、国民にとっても経済にとっても大きな突破口になる」、と。ベック教授のこの言葉は、「原子力政策」についてドイツ政府の方が日本政府よりもずっと先を見据え、国民生活のあり方を考えていることをわれわれに教えてくれている。同じ日の朝日新聞に「エネルギー会議初会合」と書かれた小さな見出しの、「ドイツとこうも違うのか」と思うガッカリする小さな記事が載っていた。全文を記しておく。
東京電力の福島第一原子力発電所事故を受け、海江田万里経済産業相が設けた「今後のエネルギー政策に関する有識者会議」(エネルギー政策賢人会議)の初会合が12日、開かれた。原子力政策を含むエネルギー政策全般について再検討する議論が始まった。
経産省によると、原発事故を踏まえて原子力をどう位置づけていくかなどの指摘があったが、「脱原発」の意見はなかった。
次いで、インタビュアーは「制御不能なリスクは退けなければならないといっても、これまでそれを受け入れてきた政治家たちに期待できるでしょうか」とベック教授に問いかけている。私にしてみれば、期待できないのは何も政治家だけでなはないのである。「エネルギー政策賢人会議」のように「有識者」と称されている人たちも期待できないのである。この問いかけにベック教授はこう述べている。「ドイツには環境問題について強い市民社会、市民運動があります。緑の党もそこから生まれました。近代テクノロジーがもたらす問題を広く見える形にするには民主主義が必要だけれども、市民運動がないと、産業界と政府の間に強い直接的な結びつきができる。そこには市民は不在で透明性にも欠け、意思決定は両者の密接な連携のもとに行われてしまいます。しかし、市民社会が関われば、政治を開放できます」。私はベック教授のこの言葉を「シチズンシップの実践能力」と理解したい。「自治・平等な権利・自発的責任・参加」をコアとするシチズンシップが、「市民運動」という形態をとって展開されることにより、ドイツでは市民生活のなかに活かされているのである。日本ではまさに「政治家」や「有識者」といった人たちにも「参加の倫理」の理解と認識が必要なのである。ベック教授の話を聴こう。
ドイツのメルケル首相は、温暖化問題の解決には原子力は必要だと考えていました。しかし、福島の事故で、彼女は自分が産業界の囚われ人であったと感じたのではないでしょうか。彼女は初めて市民運動の主張をまじめに考えなければならなくなり、委員会を作り、公式に議論する場を設けた。産業界とは摩擦が起きるでしょう。しかし、これは政治を再活性化し、テクノロジーを民主化します。
産業界や専門家たちにいかにして責任を持たせられるか。いかにして透明にできるか。いかにして市民参加を組織できるか。そこがポイントです。産業界や技術的な専門家は今まで、何がリスクで何がリスクでないのか、決定する権限を独占してきた。彼らは普通の市民がそこに関与するのを望まなかった。
日本の「エネルギー政策賢人会議」の面々は、おそらく、エネルギー政策に関わる情報と意思決定権を独占することを当たり前のように考えているだろう。メルケル首相が産業界との摩擦を覚悟して委員会を設置し、市民運動の主張も加えて公の議論の場を設けたのは、福島原発事故に端を発した原子力発電の問題は一国では解決できないこと、どの国の国民も自分たちだけでは決して解決できないグローバルな問題であることを理解し、認識したからであろう。とろが原発事故を起こした当の日本の「政治家」や「有識者」はそのことを理解できず、認識できないでいるのである。私たちは、シチズンシップの何であるかを知らない「政治家や有識者・賢人」がエネルギー政策の情報と意思決定権を独占することを許してはならないのである。最後に、インタビューでのベック教授の発言を記しておく。
昨年の秋、私は広島の平和記念資料館を訪れ感銘を受けました。原爆がどんな結果をもたらすかを知り、世界の良心の声となって核兵器廃絶を呼びかけながら、どうして日本が、原子力に投資し原発を建設してきたのか、疑問に感じました。
私は、「市民の権利と責任」という観点から、ベック教授のこの言葉を日本の人たちはどう理解するのか、是非聴いてみたい気になった。もう少し朝日新聞を購読することにしよう。
●理事長のページ(No.33)●2011年01月31日
Citizenshipを翻訳して 中川 雄一郎
私事で恐縮であるが、キース・フォークス著『シチズンシップ』(Keith Faulks,Citizenship, Routledge 2000)を2010年12月末に漸く訳し終えた。原文はそう長文ではない、というよりもむしろ学生には手頃の170ページほどの本である。しかし、この本の翻訳に約2年もの時間を費やすことになってしまった。長い時間を費やしたのには勿論いくつか理由があるのだが、今となっては言い訳にしか聞こえないかもしれない。何よりもシチズンシップ論の研究分野が私の研究分野と重なる部分が基本的に少ない政治学と社会学であることが主たる理由である。政治学と社会学についてはいわば「素人(アマチュア)」である私は、フォークス教授の『シチズンシップ』を訳しながらその「政治学と社会学」を勉強しなければならなかったのである。しかし、今振り返ってみるとその勉強が大いに役立ったように思える。特にEU(ヨーロッパ連合)メンバー国では「シチズンシップ」の学習は小学生と中学生には必修の科目であって、多くの高校生も―必修ではないのだが―かなり高い内容のシチズンシップ論を学んでいるようである。
シチズンシップのコアは「自治(自律)、権利、責任、参加」である。しかし、何より重要なことは、「権利と責任」は相補的関係にあるのであって、二元論的(あるいは二分法的)な対立関係にないこと、「権利と責任」が与えられることによって「自治」が与えられること、そして「自治・権利・責任」は「参加」に支えられてはじめて具現化されること、これらを理解することである。この理解こそがシチズンシップを真に生活全般に活かしていく鍵となるのである。要するに、人びとは現代シチズンシップを通じて自治と権利と責任を支える「参加の倫理」を基礎に人びとの間の社会的諸関係をより深く、より厚くしていくことで民主的な新しい社会秩序を創りだす「ヒューマン・ガバナンス」、すなわち、「人間味のあるガバナンス」を発展させる責任を自覚するようになっていくのである。
ところで、この「人間味のあるガバナンス」であるが、それはまた民主主義に基づいた社会秩序を維持するパワーも創りだすのであって、これについて説得力のある説明をしてくれる理念の一つが―簡単に言うと―フェミニストたちが主張してきた、ジェンダー問題をシチズンシップと関係させる「ケアの倫理」なのである。フォークス教授は、この「ケアの倫理」が地球的規模での生態系の破壊や自然環境の劣化の問題に対する「人間の責任」と関係するのだ、と強調している。
さて、訳し終えて私ははたと思ったのである。この夏から冬にかけて起こった世界的規模の異常気象をである。この異常気象は、先進資本主義諸国も含めた世界中の人びと、しかし特にアジア、アフリカ、南アメリカの発展途上諸国の人びとに大きな影響を及ぼしている。一つは「食料不足」とそれによる「食料価格の高騰」である。新聞報道によると、FAO(国連食糧農業機関)は「昨年12月の世界食料価格は2002~04年の平均価格を100とした指数で214.7となり、統計を開始した1990年1月以来の最高を更新した。砂糖、穀物、食料油などの価格高騰が著しい」との「食料の切迫状況」を発表している。おそらく、このままでは、2011年の食料の国際価格はさらに高騰することは必至である、と私は思っている。事実、アルジェリアやチュニジアでは若者を中心に「食料価格の高騰」に抗議する暴動が起きている。
アルジェリアでは2011年新年早々の1月7日に首都アルジェを皮切りに、首都から550キロメートル離れた東部の都市アンナバ、次いでコンスタンティーヌそれにテベサなどで抗議行動が活発化しており、死者や負傷者が多数でている。またチュニジアでも1月8日に首都チュニスの西南約200キロメートルに位置する都市タラで野菜や果物を販売していた若者が「販売許可書がない」との理由でそれらの品物を警察官に没収されたことに抗議して焼身自殺を図ったことから暴動が起こり、それがチュニスにも飛び火している。
もう一つは、異常気候が引き起こしている大規模な自然災害である。昨年旱魃で農作物に大きな被害を受けたオーストラリアでは年が変わって間もなくの1月中旬にクィーンズランド州でいわゆる「ラニーニャ現象」の影響による記録的な豪雨に見舞われ、州都ブリスベンでは大規模な洪水が発生している。日本の国土面積の約2.3倍もあるクィーンズランド州で、しかも州都ブリスベンで洪水の規模としては過去120年で最大となる(約2万戸が浸水)と言われている。ドイツでは12月に降り積もった雪が1月の気温上昇(10度)によって溶けだして川の水位が上がり、いくつかの地域が洪水に見舞われたとのことである。また同じく1月中旬に南米のブラジルでもアジアのスリランカでも大規模な水害が起こっている。
われわれはこの異常気象がもたらしている現象を「地球的規模の危機(グローバル・リスク)」と呼ぶべきであろう。フォークス教授によると、グローバル・リスクの一つの重要な要素は「シチズンシップに対する市場の優位性」であり、グローバルな変化の最も重要な側面である。紙幅の都合で「シチズンシップと市場」に関わる問題についてはここではこれ以上触れないが、ただ、今では誰もが知っているように、グローバル・リスクには一つの国家だけでは首尾よく対処することなどほとんどできないこと、またグローバル・リスクは先進諸国と発展途上諸国との間でしばしば見られる国家間の大きな不平等、不均等の問題と密接に結びついていることだけは強調しておきたい。
大規模ないくつかのグローバル・リスクのなかでも先に言及した「異常気象」によって引き起こされるリスクは、人間による「生態系の破壊」がもたらす「自然環境の劣化」を原因とするそれである。「生態系の破壊」・「自然環境の劣化」によって引き起こされる災害・被害に対して人間はあまりに脆弱であることをわれわれは次第に自覚するようになってはきているが、それでも現実には人間による「生態系の破壊」、したがってまた「自然環境の劣化」は止まるところを知らないのである。何故そうなのか。それは、多国籍企業のような巨大資本によるグローバルな激しい市場競争の影響を受けているわれわれがその競争を是認することでわれわれ自身の生活のあり方を保守しようとして、自然の報復を眼の前にしてもなお「人間の脆(もろ)さや弱さ」をなかなか受け入れようとしないからである、と私は思っている。したがって、もしそうであるとするならば、巨大資本によるグローバルな市場競争を規制したり、先進諸国と発展途上諸国との格差や不均等を削減していく新たなグローバル秩序のルールを確立したりするために、われわれは国家や国民を、すなわち、国民国家を超越したグローバル・シチズンシップを追求し、われわれ自身が「人間の脆さや弱さ」を受け入れる「人間味のある生活」=「ディーセント・ライフ」のあり方を創りださなければならないだろう、と私は思っているのである。
グローバル・シチズンシップには「グローバルな権利と責任」が伴う。であれば、生態系の破壊を阻止し、自然環境を保護・改善することは現在を生きているわれわれの権利であり責任であることをわれわれは自覚しなければならない。実際、近年多くの人びとが環境保護政策に大きな関心を持ち、責任を強く意識するようになってきているのである。
さて、先に言及した「人間味のあるガバナンス」に関わるフェミニストの―ジェンダー問題をシチズンシップと関係させる―「ケアの倫理」と「生態系の破壊」や「自然環境の劣化」の問題に対する「人間の責任」との関係であるが、簡潔に言えば次のようである。
自由主義シチズンシップ論にあっては、シチズンシップは、本来、「理性が支配する厳密に公共の事柄」であるとみなされてきたのに対し、「家族生活と需要・供給の法則によって支配される市場交換とに基礎を置いている」「私的領分」はシチズンシップの外にあるとみなされてきた。すなわち、自由主義シチズンシップは伝統的に「公」と「私」とを明確に分割するのであるが、その分割は、結果的に、「男性たちの利益に肩入れ」することになり、特に「家庭生活においてしばしば起こる、女性や子どもに対する暴力を世間の注視から覆い隠す」効果をさえ持つのである。したがって、「シチズンシップの目的」を「私的領分」に適用することが肝要となる。何故なら、そうすることによってはじめて「現代のシチズンシップ」は―自由主義シチズンシップをアウフヘーベンする―
全体論的(ホリスティック)なシチズンシップとなり得るからである。こうして、シチズンシップは、公的にも私的にも、相補的関係にある「権利と責任」を人びとに認識・理解させ、人びとのなかに広げていくのである。
フォークス教授の言う「ケアの倫理」とは、「ケアや思い遣りの観念を親密なシチズンシップの議論に引き入れることにより…自由主義批判の理性と感情の二元論を克服」するフェミニストの理論である。例えばこうである。「女性の行為を自然的なものとして見ることは避けなければならないのだが、それでも、一般に他者に依存せざるを得ない人たちを世話したりケアしたりする女性たちの経験は、男性たち以上に女性たちに他者のニーズや関心事に敏感に反応する政治的関心と見解とを持たせるようにする。…ケアと政治、この二つともが他者の福祉に携わるような活動によってどうにかこうにかやり遂げられるのである」。同じように、「ケアの倫理」は「自由主義によって促進されてきた抽象的形態の自立ではなく相互依存をその内に含む」のであるから、「われわれはケアの価値をシチズンシップに取り入れることにより、公的領域と私的領域の双方において合意の関係を構築していくのである」。
このようなフェミニストの「ケアの倫理」を敷衍して、フォークス教授は次のように主張するのである。
第一は、環境保護に意識的な市民はますます「生命ある有機体としてこの地球で生まれ、成長してきた彼・彼女の有機的プロセスを意識するようになる」ということである。このようなシチズンシップの概念は、自由主義中心の、そして権利と責任の問題に対して原子論的アプローチを善(よ)しとする男性支配的で現実離れしたシチズンシップの観点に異議を突き付けてくれるであろう。第二は、環境保護シチズンシップが福祉の権利や財産の権利それに市場取り引きといった物質的な利害関係を超越したところまでシチズンシップについてわれわれの理解を広げてくれる、ということである。その意味で、エコロジカル・シチズンシップを考察することは、個人一人ひとりに関わるシチズンシップと地球的問題との概念上の連関を考えるのにわれわれにとって大いに有益である。個々人は、自分自身と環境との関わり方、消費の行動パターン、それに環境全般にわれわれが対応する方法に責任を負うよう注意を向けることによって、「人間の成功(ヒューマン・サクセス)」を単なる量的尺度から―われわれが呼吸する空気の質、自然の美しさ、それに新鮮で良質な食料品の生産と味わいといったような―より奥行きと厚みのある質的評価へと変え始めることができるのである。このような理解を踏まえて、シチズンシップは、限られた経済的基準を「人間の業績(ヒューマン・アチーヴメント)」の主要な尺度だとしてきた市場志向言語の記号論的な支配に対する重要な異議申し立てとなるのである。
少々引用が長くなってしまったが、フォークス教授の著書Citizenshipを―そのままカタカナ表記のタイトルで―『シチズンシップ』として訳出し終わった私は今、本書から最も利益を得るのは私自身かもしれない、と密かに悦んでいるところである。
●理事長のページ(No.32)●2010年10月31日
日本協同組合学会第30回大会とレイドロー報告 中川 雄一郎
日本協同組合学会第30回大会が10月23日(土)・24日(日)の二日間にわたって佐賀大学本庄キャンパスで開催された。私にとって、この「第30回大会」が「佐賀大学本庄キャンパスで開催」されたことに関係した「忘れられない思い出」があるので、まずそのことに触れ、その後で今回の協同組合学会大会での私の「問題提起」について簡潔に言及することにしたい。
私は、1981年4月に日本大学経済学部で開催された「日本協同組合学会設立大会」に参加したのであるが、その時に感じた熱気を今でも思い出すことができる。とりわけ、座長を務められた―当時、佐賀大学農学部教授として農業協同組合運動の発展に貢献されていた―伊東勇夫先生(日本協同組合学会初代会長)の気魄は文字通り参加者の胸に迫るものがあった。共通論題は「現代社会における協同組合運動の役割」、報告者は山本修・石見尚・坂野百合勝の三先生方であった。
今では協同組合学会の関係者の誰もが知っている事実であるが、日本協同組合学会設立に大きなインパクトを与えたのは、アレグザンダー・F.レイドローが―世界の協同組合人のために著し―第27回ICA(国際協同組合同盟)モスクワ大会に提出し採択された報告書『西暦2000年における協同組合』(『レイドロー報告』)であった。そのことは、レイドロー報告の特徴の一つとして―レイドロー報告の第Ⅴ章で展開されている―「四つの優先分野」のなかの「第2優先分野:生産的労働のための協同組合」が取り上げられているように、設立大会でも石見報告を通じて「労働者協同組合」が取り上げられたことに見て取れるのである。にもかかわらず、設立大会のエピソードの一つとして私の脳裏の片隅に今でも時として現れるのだが、80年代に入ってもなお日本の協同組合人や協同組合研究者の一部は労働者協同組合(ワーカーズ・コープ)について「未だしの感」があった、と私は思っている。それでもその後、モンドラゴン協同組合の発展やイギリスをはじめ西ヨーロッパで展開されている労働者協同組合の歴史と現状を正確に認識しようとする協同組合人や研究者が次第に増えてきたのも、やはり『レイドロー報告』の影響があったからであろう。
翌82年10月、協同組合学会第2回大会が佐賀大学本庄キャンパスで開催された。共通論題は「協同組合原則と事業方式」で、座長が斎藤仁先生、報告者は武内哲夫・大谷正夫・生田(行)の三先生方であった。この大会についての私の記憶はむしろ武内先生の「協同組合原則」に関わる論点にあって、それらと関連する生協と農協の事業方式の議論についてはあまり思い出せないでいる。おそらく、その当時の私には「協同組合の事業経営」について理解しようとする姿勢が足りなかったのかもしれない。もう一つ、伊東先生から次の大会は明治大学で開催したい旨を聞かされたのだが、それについても今では瞬間的な場面しか思い出せないでいる。
それからおよそ30年の歳月が過ぎたのであるが、「第30回大会」に参加するために私は本当に久し振りに佐賀大学本庄キャンパスを訪れたのである。記憶のある校舎や施設それに校庭はもはやなくなっていたが、そのキャンパスの一角にある大講義室において今度は私が共通論題「『レイドロー報30年間』と現代協同組合運動:レイドロー報告のアプローチ」の座長を務めることになった。白武義治・大高研道・山口浩平・田中夏子の四先生方が報告者を務めてくださった。佐賀大学の白武先生以外の三先生は若い協同組合研究者である。
第3回大会は―伊東先生に依頼された通り―83年10月に明治大学(11号館)で開催された。共通論題は「協同組合思想の源流と展開」、座長は白井厚先生が務められ、報告者は黒澤清・中久保邦夫の二先生と私であった(私はイギリス協同組合思想について報告した)。伊東先生はこの大会で私たち若手の協同組合研究者に声をかけられ、以後数年にわたって協同組合思想を中心とする研究会を指導された。白石正彦、横川洋、中久保邦夫、堀越芳昭、村岡範男、佐藤誠、石塚秀雄それに私を加えた若手の協同組合研究者が伊東先生の下に集まり、協同組合の研究が続けられた。白石先生、横川先生、堀越先生、村岡先生それに私を含めたあの時の「若手」がその後、日本協同組合学会の会長を務めることになるのである。
さて、今回の第30回大会の位置づけであるが、それは、一言で言えば、「レイドロー報告から30年」を経た現在、レイドロー報告が提起した「四つの優先分野」について協同組合はどのように取り組んできたのか、とりわけ日本の協同組合陣営はどうであろうか、というものである。このような問題提起を私は比較的長い文章に認めた。文章が長くなった理由の一つは、本年5月に東京農業大学で開催された第29回春季研究大会で座長を務めた堀越先生が「レイドロー報告の歴史的意義と現代性」を強調されたことによる。言い換えれば、「レイドロー報告の歴史的意義と現代性」を正確に理解するためには、レイドロー報告の基本を成している「協同組合セクター論」を正確に理解しなければならず、また「レイドロー報告の特徴」を正確に捉えておく必要があったからである。後者についてはカナダのイアン・マクファーソン教授の指摘を参照し(「一世代を経て:『レイドロー報告』再考」『にじ』協同組合経営研究所、2010年春号、No.629.pp.5-23)、前者については拙稿「レイドロー報告の想像力:協同組合運動の持続可能性を求めて」(同上、pp.24-41)を参考にした。
マクファーソン教授は、レイドロー報告の特徴を7つにまとめ、そして7つ目にこう記した。「第Ⅴ章『将来の選択』はレイドロー報告の最も重要な部分である。すなわち、協同組合運動が満たすことのできる具体的ニーズは、(a)良質な食料の確保、(b)より良い雇用の促進、(c)持続可能性への来るべき問題への取り組み、(d)より良い地域コミュニティの建設であり、これらのニーズの上に協同組合運動が構築される」、と。そして私は、「グローバル化されている現在の経済-社会にとって依然として解決されずに残っている問題点を見据えている」―レイドロー報告に見られる―協同組合セクター論の「八つの視点」を示し、その上で、「レイドロー自身が協同組合運動に対し常にその解決策を問うてきた重要な経済-社会的な問題点」としての「四つの方法」を示唆しておいた。すなわち、(1)地球の諸資源を分け合う(分配する)方法、(2)誰が何を所有すべきかという(所有のあり方の)方法、(3)土地の果実と工業製品を分け合う(共有する)方法、そして(4)各人が必要とする部分を公正に得られるようにする経済-社会システムを整える方法、である。
レイドロー報告に見られる協同組合セクター論の特徴が、公的セクター(第1セクター)と私的セクター(第2セクター)の「二大権力」に対応し得る「民衆の力」(people
force)を育成し、拡大していくために、協同組合セクター(第3セクター)を、人間的で合理的な原則に基づいて組織される「第三の力」(third
force)、すなわち、強力な「拮抗力」(countervailing force)とみなし、協同組合運動が経済的、社会的な諸問題に対応し得るよう経済-社会的機能を十分に働かせることを可能としている点にある、ということを私は比較的詳しく論及しておいた。
そして私は、いつものように、レイドロー報告の第IV章・2「教育の軽視」に書かれているゲーテの言葉を引用して、私の「問題提起」とそれに対する「四つの報告」を締め括った。「人は、自分が理解しないものを自分のものとは思わない」(One
does not possess what one does not comprehend)、これである。シンポジウムの内容の詳細は、後日出版される日本協同組合学会機関誌『協同組合研究』の「第30回大会特集号」を参照していただきたい。
●理事長のページ(No.31)●2010年07月31日
「シチズンシップと地域医療」補遺 中川 雄一郎
この6月12日に開催された「非営利・協同総合研究所いのちとくらし」の総会で理事長の重責を担うよう仰せつかりました。果たして私がそのような重責を担うに相応しい人間であるか否か、を問われたならば、私自身は「否」と言わざるを得ませんが、それでも本研究所の社会的役割を考えると、消極的ではなく積極的な態度こそが求められるし、またその社会的役割は「受動的なステータス」ではなく、「能動的なステータス」であってはじめて社会的に注目されるだろう、と考えて理事長方をお引き受けした次第です。すべての会員のご協力とご支援を心よりお願い申し上げます。
先般(7月17日)、民医連理事会の前座を務めるよう依頼されましたので、「シチズンシップと地域医療」とのタイトルで1時間ほど話をいたしました。本年1月に新日本出版社より出版された『地域医療再生の力』―本書は『日本の医療はどこへ行く』の第2弾です―で私が「はじめに」を記していることもあり、「地域医療」のアイデンティティについて語るよう求められていると考えて前座を引き受けました。最初にアマルティア・セン教授の「新自由主義批判」や「人間の安全保障」に触れ、次に「シチズンシップ」に言及し、そして最後に市民たる人びとが地域コミュニティに責任を負うことになる「コミュニティ・アイデンティティ」を示唆して話を終えました。しかし、私の話し下手も手伝って、体系立てた話ができませんでしたので、このスペースをお借りして補わせてもらうことにします。
さて、セン教授の「新自由主義批判」と「人間の安全保障」の認識は、私には、彼の「協同のアプローチ」論と一致するように思える。これについては『地域医療再生の力』の「はじめに」で簡潔に論及しているので、参照していただきたいが、ここで次のことに簡単に触れておきたい。すなわち、「協同のアプローチ」は、「福祉を基礎とする社会」を形成するためのアプローチの一つであり、また「人間的な経済と社会にとっての中心的戦略」であって、その戦略を遂行するためには協同組合を含む非営利・協同組織はそれらのメンバーの利益だけを考えるのではなく、社会的平等と公正の確立と普及に貢献し、広く人間的な経済と社会の発展に役立つ運動を展開することが肝要である、というアプローチである。換言すれば、「協同のアプローチ」は、参加に基づく人びとの自治と権利―人権、労働の権利、生存権、教育権など―と自発的責任の行使・履行、そして政治的自由を実現していく社会構成的な機能・役割を意味しているのである。要するに、「協同のアプローチ」はシチズンシップを基礎にして民主主義を確立し、拡大・深化させていく戦略なのである。
またセン教授の言う「人間の安全保障」は「人間の生活を脅かすさまざまな不安を減らし、可能であればそれらを排除することを目的としている」ことから、この「人間の安全保障」は―私が「最後の救い」ではなく、常態としての社会システムでなければならない、と主張する―「教育・保健/医療・住宅」というセイフティ(安全)ネットを社会システムとして確立することと直接結びついている、と私は思っている。
ところで私は、「協同のアプローチ」にしても「人間の安全保障」にしても、あるいは「セイフティ・ネット」にしても、これらは現代における「シチズンシップ」に負うところが大きい、と考えている。かつて私はこのことについて新自由主義批判をベースに概ね次のように論じたことがある。すなわち、
「市場の権利」を「市民権」や「「社会的権利」に優先する権利だと主張する新自由主義者は、結局のところ、税金を基礎とする財政資金に依拠する、貧しい人たちのための所得援助や住宅援助など「所得の再分配」を求める社会的権利は、「経済的自由に制限を加えることになり、国家の権限を強める」だけでなく、「依存の文化」をも社会のなかに蔓延(はびこ)らせてしまい、その結果、「個人のイノヴェーションとイニシアティヴの意識を挫(くじ)いてしまう」と批判する。したがって、新自由主義者は、「経済効率と市民的自由の向上」を規範とする「市場の権利」こそが最も尊重さるべきであり、社会的権利は「市場の力によって決定することができない生活の領分に厳格に限定される」べきだと強調するのである。社会的権利をこのように偏向して位置づける新自由主義者は市民権をもまた犠牲にしようとする。個人の基本的自由と自治(自律性)を守ることを目的とする市民権は、政治的意思決定の潜在的重要性に支えられた政治的権利を伴う、人びとの生活と労働にとって決定的に重要な権利であり、社会的権利と共に存在して相互に補い合う権利である。政治的権利を伴う市民権は、イギリスや北欧における「福祉国家」の生成と発展のプロセスに見られるように、「市場優位論」に対する一つの重要な「異議申し立て」として機能してきたことによって、人びとの間に社会的権利を広げ、向上させるのに大いに貢献してきたのである。その意味で、市民権と社会的権利の拡大と発展は軌を一にしてきたのであり、それ故、社会的権利を弱体化させるものは市民権もまた弱体化させるのである。さらにわれわれは、「自治、平等な権利、自発的責任そして参加」をコアとするシチズンシップが市民権と社会的権利の発展と向上を促進してきたこと、そして逆もまたそうであることを知っているし、またこれら三者がお互いに相補的な関係にあることも認識しているのである。
このように私は、市民権、社会的権利それにシチズンシップの三者の関係を捉えて「市場の権利」を観ることにしているので、新自由主義者がしばしば用いる「経済効率」と「市民的自由」という言葉は「シチズンシップの商品化」である、とみなすことにしている。新自由主義者がどうしても理解できない事実は、「人は必要な資源や資力なしに自らの諸権利を行使できない」ということである。例えば資力のない移民やエスニック・マイノリティの人たちは「自らの社会的権利を薄められてしまうことに無防備であり、また自分たち自身と家族の生活、それに地域コミュニティに大きな責任を負わなければならない、との政府の要請に応じるのには必要な資源や資力を欠いてしまっているのである」。それにもかかわらず、新自由主義者は貧しい彼らや彼女らに「市場の権利」を行使するよう促すのである。新自由主義者は、このような事実をどうしても理解できないがために、実は「権利」ではなく「責任」を重視し、強調しようとするのである。何故なら、新自由主義者は「市場の権利」に起因するすべての結果に対する「自己責任」を擁護しようとするからである。ここでは「権利」と「責任」は完全に対立するのである。それに対して、シチズンシップの「権利と責任」は、決して相対立するものではなく、相補的な関係に、すなわち、「権利の行使」は「責任履行」の能力の向上に、そして逆もまたそうである、という相補的な関係に常にあることを意味しているのである。
こうして、シチズンシップは、市民権と社会的権利の発展と向上を支えることによって、「地域コミュニティに責任を負う」ことの真の意味を人びとに理解させ、認識させることに貢献するのである。地域コミュニティで生活し労働する人びとが「地域コミュニティに責任を負う」ということは、例えば、(1)good
community(健全で活気に満ちたコミュニティ)は、(2)public safety(人びとの安全・安心)の意識を促し、(3)strong
economy(活発な経済)を生み出し、継続させ、(4)health care(健康管理)の施設やシステムを備え、(5)educational
opportunities(教育の機会)を常に用意し、(6)optimum population size(均衡のとれた適切な人口規模と分布)を維持する、という意識を確たるものにしていくことなのである。そしてこの意識がまた「自治、平等な権利、自発的責任そして参加」の価値に基礎を置くシチズンシップの定着を通して「地域コミュニティの意識」(a
sense of community)を創り出し、やがてその地域コミュニティの意識が人びとの地域コミュニティへの帰属意識を生み出し、そして同一性と差異性を内包する「地域コミュニティ・アイデンティティ」を育んでいくのである。
●副理事長のページ(No.29)●2010年02月20日
『レイドロー報告』30周年 中川 雄一郎
(1)1980年10月にモスクワで開催された国際協同組合同盟(ICA)第27回大会に『西暦2000 年における協同組合』(Co-operatives
in the Year 2000)が提出・採択されてから今年で30 年の歳月が流れたことになる。このペーパーは、アレグザンダー・フレイザー・レイドロー(A.
F. Laidlaw)の手によるペーパーなので、一般に『レイドロー報告』と呼ばれ、多かれ少なかれ世界の協同組合関係者に影響を及ぼしてきた。欧米では―おそらく日本でも―「一世代は約30
年」とされているので、このレイドロー報告は「一世代」を経たことになる。この一世代、すなわち、30年の間に世界の協同組合運動はどのように変化したのか―良い方に変化したのか、悪い方に変化したのか、それともそれほど変わらないのか―については、さまざまな人たちがさまざまな意見を持っていることだろうと思われるので、それこそ協同組合運動の発展のために自らの意見を侃々諤々戦わせて欲しい、と私は思っている。そうすることによって協同組合運動の本質がそれこそ多くのさまざまな人たちによって追求され、「協同組合のアイデンティティとは何か」という命題が協同組合の関係者や研究者の脳裏の片隅に常に置かれることになってくれれば幸いだ、と私は期待しているのである。
(2)この「研究所ニュース」を手にする人たちの多くは、おそらく、『レイドロー報告』について知らないか、知っていたとしても詳しくは知らないことだろう、と思われるので、ここで『レイドロー報告』(以下、『報告』と略記)のコアについて簡潔に言及しておこう。
レイドローが述べているように、この『報告』は、(1)1980年から2000年までの20年間に協同組合が事業を継続するのに「必要となってくると思われる転換」について示唆し、したがって、協同組合運動の「再構築」のための「計画の立案」と「青写真の作成」のための「指針」をグローバルな観点から提供すること、(2)その意味で、「基本的には(協同組合人の間で)議論を巻き起こすための「資料」であるのだから、確実な解答を示すのではなく、適切な疑問を提起するものであり、協同組合運動の明快な方向を示すのではなく、選択の可能性を示唆するものである。(3)協同組合運動は、その歴史全体においても、また個々の協同組合においても「三つの危機」、すなわち、「信頼の危機」(第1の危機)、「経営の危機」(第2の危機)そして「イデオロギーの危機」(第3の危機)に遭遇してきたし、今後もこれらの危機に遭遇するかもしれない。(4)現在の協同組合にとっての危機は「イデオロギーの危機」である。この危機についてレイドローはこう主張している。
この危機は、協同組合の真の目的は何か、他の企業とは違った種類の企業として独自の役割を果たしているのか、といった疑問に苛まれて起きているのである。協同組合は、商業的な意味で他の企業と同じように能率を上げることに成功しさえすれば、それで十分なのだろうか。また協同組合は、他の企業と同じような事業技術や事業手法を用いさえすれば、それだけで組合員の支持と忠誠を得る十分な理由となるのだろうか。さらに、世界が奇妙な、時には人びとを困惑させるような道筋で変化しているのであれば、協同組合も同じ道筋で変化していくべきなのか、それとも協同組合はそれとは異なる方向に進み、別の種類の経済的・社会的秩序を創ろうとすべきなのか。
(レイドローのこの言葉は非常に重要である、と私は強調したい。)
そして(5)協同組合が遂行すべき「四つの優先分野」(「将来の選択」)の主張である。すなわち、「第1優先分野:世界の飢えを満たす協同組合」、「第2優先分野:生産的労働のための協同組合」、「第3優先分野:保全者社会のための協同組合」(これはいわば「消費者協同組合(生協)の復権論」である)、そして「第4優先分野:協同組合コミュニティの建設」である。
(詳しくは、拙論
「レイドロー報告の想像力:協同組合運動の持続可能性を求めて」協同組合経営研究所機関誌『にじ』2010年春号(No.629.)所収を参照されたい。)
(3)ところで、『報告』に関して私がこの「研究所ニュース」で書きたいことは、レイドローの「協同組合セクター論」についてであるが、実は、彼の「協同組合セクター論」についても上記『にじ』の拙論の主要な部分である。したがって、詳しくはそちらに譲るとして、レイドローの「協同組合セクター論」のコア(の一部)をここで記しておきたい。というのは、私には、レイドローのこのペーパーは彼の「協同組合セクター論」を基礎にしているように思えるからである。一世代を経た『報告』が協同組合人に真に訴えたかったこと、それは「協同組合は、それが各国で、また世界的規模で、人びとの『労働と生活の質の向上』を実現してくれるほどの経済的、社会的な能力を擁するセクターを構成するようになるのには何をどうすべきか」ということ、これではなかったのかと私は思えて仕方がないのである。
レイドローは、1974年にアメリカのミズーリ大学協同組合研究所で「協同組合セクター」と題する講演を行ない、彼の「協同組合セクター論」の柱を明らかにしているので、彼の講演ペーパーから彼の「協同組合セクター論」を垣間見ることにしよう。
レイドローはこの講演で、「世界と人類が直面している危機的状態」について次のように捉えていた。すなわち、(1)世界のいくつかの地域は飢餓状態あるいは飢餓の危機に直面している、(2)国際通貨制度は混沌としており、いくつかの国の通貨制度は崩壊寸前にあり、世界的な規模でインフレーションが大きく進行している、(3)経済的および社会的発展の尺度としてのGNP(国民総生産、現在はGDP:国内総生産)への信頼は失われている、(4)10年前には近い将来「豊かな時代が到来する」と考えていたが、今では「欠乏の時代は遠い将来のことではない」と懸念している、(5)国際的な開発計画の多くは幻滅に終わり、貧しい国の大多数の人たちは相変わらず貧しく、恵まれないでいる、(6)世界のさまざまな地域では人種対立や政治的憎しみが以前よりも激しくなっている。見られるように、インフレーションの代わりにデフレーションとすれば、まるで彼は21世紀初期の現在の世界の状況を言い当てているかのようである。彼が言うように、36年前も2010年の現在も「われわれは危険な時代に生きているのである」。
このような危機の実態と事実を前にして、彼はこう主張する。「世界と人類が抱えている大きな問題」の主原因は依然として経済的なものであり、社会的、政治的、宗教的、人種的な問題と考えられている問題も、結局のところ、経済的原因に行き着くのであり、したがって、われわれにとって未解決の問題点は、(1)地球の資源配分を分け合う(divide)方法、(2)誰が何を所有するべきかという方法、(3)土地の果実と工業製品を分け合う(share)方法、それに(4)各人が必要とする部分を公正に得られるシステムを整える方法、をどう確立するかということになる、と。この指摘は示唆に富んでいると言うべきである。何故なら、それが先に記した『報告』の「将来の選択」としての「四つの優先分野」と密接に関連しているように思えるからである。
そしてレイドローは、これらの方法を確立するのには、「世界と人類を支配する力を擁する」政府(第1セクター)と多国籍企業のような私的資本主義企業(第2セクター)との「二大権力」だけでは絶対に不可能であって、この二大権力に対抗する強力な拮抗力(countervailing
force)としての「民衆の力」(people power)を育成し拡大していくなかで、世界と人類を脅かしている諸問題から人びとを救い出す理念、思想それにシステムに導かれた、人間的でかつ合理的な原則に基づいて組織されている有力な「第三の力」(third
force)を民衆の側に創り出さなければならない、と強調した。レイドローにとって、その「第三の力」こそが「協同組合セクター」なのである。そう、協同組合は「第3セクター」の中心=コアになるべき重要な組織に外ならないのである。
今年で30年、一世代を経た『レイドロー報告』は現在でも生きており、協同組合人の思考の一つの羅針盤として役立っているのである。この「レイドロー報告の想像力」を現在の私たちは協同組合運動のなかにどう埋め込んでいくか、問われるところである。くどいようですが、詳しくは上記の『にじ』春号をお読みいただければ幸いです。なお、『にじ』春号は「レイドロー報告特集」です。
●副理事長のページ(No.27)●2009年08月31日
ソーシャル・インクルージョン(Social Inclusion) 中川 雄一郎
この夏の8月17・18日に、私は「ソーシャル・インクルージョン研究会」の一員として北海道の浦河町にある「べてるの家」を訪ねた。この夏の北海道は気候が良くないようで、両日とも気温は20度を超えなかった。私は浦河町にちょっとした係わりがあったので懐かしさも手伝って、千歳空港から浦河町までおよそ2
時間ほどの間バスの車窓から外の景観を眺めることにした。
私は、1996年の夏に明治大学の学生部長として、浦河町の山裾に竣工される町立の「優駿の里」を本学の学生がゼミナール合宿やスポーツ合宿の目的に利用する契約の準備のために浦河町の谷川町長にお会いしたのである。谷川さんは現在も町長職に就かれてご活躍とのことなので久し振りにお会いできるかもしれないと期待したが、あいにく職務のためにその期待は叶わなかった。それでもあの当時はまだ設計の段階であった「優駿の里」のホテルに泊まることができ、私は多少の懐かしさを味わうことができたのである。谷川さんは「谷川牧場」の経営者であり、特に知る人ぞ知る駿馬「シンザン」を育てたことで有名である。谷川牧場の入り口にはそのシンザンの悠々たる銅像が建てられており、研究会の一行もシンザンの銅像に触れることができた。
さて、2 時間ほどのバスからの眺めであるが、私が驚かされたのは「歩いている人や作業中の人」をほとんど目にしなかったことである。夏期休暇ということもあったかもしれないが、途中に見えた苫小牧にしても私が1980年代初めに四全総に基づいた「苫東開発」の問題点を探るために訪れた時よりも閑散としているように思えた。「北海道の景気は最悪だ」とある人が言っていたが、「当たらずとも遠からず」かもしれない。このことは浦河町についても言えることであり、「べてるの家」の関係者であり、またソーシャル・インクルージョン研究会の委員でもある向谷地生良教授(北海道医療大学)も「ここ10年の間に経済活動は半減し、人口も8
万人を切りました」と語っていた。
ところで、「ソーシャル・インクルージョン」であるが―これは日本語で「社会的包摂」と訳されるが―元来は「ソーシャル・イクスクルージョン」(Social
Exclusion)、すなわち、「社会的排除」の反意語であって、1980 年代から90 年代にかけて生起した失業―特に若者の失業―問題の解決策の一つとして打ち出された「労働を通じた市民統合」を成し遂げるためにEU(ヨーロッパ連合)メンバー国が一致して協定した政策である。したがって、EU
メンバー国にはSocial Exclusion Office あるいはSocial Inclusion Unit といった省・庁が設置されている。要するに、EUメンバー国では「人びとを市民として分け隔てしはならない」とのシチズンシップの確立、普及を各国の政策としてこれを実施しているのである。
例えば、イギリスでは、地域コミュニティの再生を目指す社会的企業の多くが障害者のニーズを満たすための事業を展開し、しかも「障害者を市民として社会的に包摂する(社会的に排除しない)」ために障害者の雇用=自立支援を実践している。イギリスではそのような障害者の雇用を創出するために設立された社会的企業(Social Enterprise)がソーシャル・ファーム(Social Firm)と名乗って活動している。ソーシャル・ファームのおおよそのイメージは次のことによって捉えることができるだろう。
・(1)ソーシャル・ファームは、障害者などの雇用を創出するために設立された事業体である。ソーシャル・ファームがその事業において明確に定めている3つの中心的な価値がある。すなわち、[1](権利を行使する経済的、社会的な能力・権限としての)
エンパワーメント、[2]雇用、[3]企業、である。
・(2)ソーシャル・ファームは、雇用を通じた障害者などの経済的、社会的な統合に責任を負う。この目的を果たすための主要な手段はすべての労働者スタッフに市場賃金(率)を支払う経済的エンパワーメントである。
・(3)ソーシャル・ファームは、労働者スタッフに生活支援、目標達成の機会、それに有用な仕事を提供するのに有効な仕事場である。ソーシャル・ファームはまた、市場志向と社会的使命とを結び合わせる事業体である。
私は「べてるの家」もこのソーシャル・ファームの要素を持っているように思える。それらの要素の1つが、「べてるの家」は統合失調症の精神的障害を抱えている約150人のメンバーが「就労を通して浦河町の再生に協力する」というビジョンを掲げていることである。このビジョンは、産業が衰退し、地域コミュニティの過疎化が顕著になりつつある浦河町において、「べてるの家」のスタッフ・メンバーが仕事をおこし、企業活動に参画することにより「町の人びとと結びつく」ことの重要性を認識しているのである。また「べてるの家」がメンバーのための「権利擁護サービス」を遂行していることも、「メンバーの生活支援、目標達成の機会、それに雇用の創出」という点で大きな意味を持っている。「べてるの家」のソーシャル・インクルージョンは「権利擁護サービス」を介してはじめて「メンバーの自立」を可能にする、と私には思えるからである。そしてこの権利擁護サービスは、スタッフ・メンバーの「当事者」を意識させる「協同に基づく自助」によって、ソーシャル・インクルージョンへの架橋的役割を果たしてくれるだろう。イギリスでもっとも有名なソーシャル・ファームの一つで、「うつ病、精神不安定、統合失調症、躁うつ病、摂食障害、自己傷害行為」といった精神的健康問題を抱えている150~200人のメンバーと健常者のスタッフとによってエディンバラで事業展開
している「フォースセクター」(Forth Sector)のケビン・ロビー理事長はフォースセクターの目的を次のように強調している。
フォースセクターの目的は、理解し、受け入れ、育成するという労働文化のなかにあって、現実的で、有意義でかつ刺激的な職業から生まれ出る多くの積極的で建設的な利益を人びとが体験する機会を創りだすことであり、また精神的健康問題を抱えている人たちが、社会的排除を克服して、徐々にそして支援を得ながら雇用に復帰する間もそのコア・スキルを高めていくことのできる機会を提供すること、それに当事者たちの回復のプロセスを容易にするための確たる基礎を準備することである。
私は、「べてるの家」を訪問し、そのメンバーや関係者による説明や話を聴きながら、「べてるの家」はイギリスのソーシャル・ファームによく似た理念を擁する事業体であり、したがってまた、イタリアの社会的協同組合―とりわけB型の社会的協同組合―にもよく似た非営利・協同組織である、と思うようになった。そうであればこそ、1978
年に始まった「べてるの家」のソーシャル・インクルージョンへの戦いと努力は、その独自の労働文化を育みながらより高い峰を目指してなお続いていかなければならないのである。
* ソーシャル・ファーム(social firm)の連合組織であるソーシャル・ファームズUK はソーシャル・ファームを社会的企業(social
enterprise)である、と強調している。ここでは社会的企業の表記の混乱を避けるために、social enterprise を「社会的企業」と表記し、social
firm を「ソーシャル・ファーム」とカタカナ表記にしている。
●副理事長のページ(No.24)●2008年10月31日
ニュー・ラナークの散歩 中川 雄一郎
本年9月11~13日に社会主義者ロバート・オウエンの思想的原点であるニュー・ラナークで開催された「イギリス協同組合学会」に参加した。私は、イギリス協同組合学会の会員であり、機関紙Journalof Co-operative Studies の編集顧問にも名を連ねているので、ジョンストン・バーチャル教授やリタ・ロウズ教授それにジリアン・ロナーガンさんなど何人かの方々に久し振りにお会いできることを楽しみにしていた。残念ながらバーチャル教授にはお会いできなかったが、ロウズ教授とホリヨークハウスのロナーガンさん、それにカナダのヴィクトリア大学のイアン・マクファーソン教授にお会いすることができた。
現在スターリング大学で教鞭を執っているバーチャル教授は、貧困削減・根絶のための「国連ミレニアム宣言」に関わっており、協同組合が貧困削減・根絶のために果たすべき役について―それこそ世界を股に掛けて飛び回って―研究し論じている。バーチャル教授は1998年に明治大学国際交流センターの招きで1ヵ月の間明治大学で講演と講義を行ない、Open
University のロウズ教授は私の拙い英語論文を書評してくださった。またライブラリアンのロナーガンさんとは1985年以来の―私の方が一方的にお世話になっているが―お付き合いで、今でもイギリス協同組合運動に関わる歴史的な資料についての情報を知らせてくれるし、時には必要な資料のコピーも送ってくれる。マクファーソン教授には2003年にヴィクトリア大学で開催された国際協同組合研究大会―私は「協同組合研究の3つのアプローチ」と題する基調報告を行なった―で大変お世話になった。
新しい出会いもあった。2000年に名著Robert Owen:Social Visionary を著したOpen University のイアン・ドナフィー教授とは偶然夕食会で席を同じくし、話が弾んだ。「話が弾んだ」というのは、実は、土方直史先生(中央大学名誉教授)が著した『ロバート・オウエン』(研究社、2003年)のなかにドナフィー教授の文章が何ヵ所か引用されていることを私が彼に話したことから、彼が乗ってきたのである。もうお一人の出会いも印象的である。私は、13日の朝食でデイヴィッド・スミス氏―彼はウェールズの協同組合運動の指導者である―と席を同じくしたのであるが、そのスミス氏が、この学会に参加していたロバアト・オウエン協会の森田邦彦氏との懇談のなかで出てきた日本の「高齢者協同組合」について詳しく知りたい、と私に話しかけてきたのである。スミス氏は、「イギリスも高齢化率が高くなってはいるが、多くの元気な高齢者が社会活動を望んでいることから、イギリスでも高齢者協同組合が創設されるべきだと考えている。そこで日本の高齢者協同組合についての資料など情報を送ってくれないか」、と依頼してきたのである。簡単にではあるが、私は日本の高齢者協同組合の運動についてお伝えし、情報の送付を約束した。
ところで、大方の日本人はおそらく知っていないかもしれないが、オウエンの原点であるニュー・ラナークは「世界遺産」に登録されている歴史的な地所なのである。オウエンが経営者として活躍していた―産業革命時代の―1810~20年代初期のニュー・ラナーク工場はイギリスでも有数の綿紡績工場であった。この工場に隣接して労働者の住居(アパートメント)があり、さらにオウエンの環境論的思想に基づいた「性格形成学院」、それに「生活必需品の店舗」が建てられた。それらは現在、大規模に改修・リフォームされ、一部は広い売店と清潔で比較的広い部屋のあるホテルとなっている。私が宿泊した部屋は車椅子の障害者も宿泊できる大変居心地のよい広い部屋であった。私がここを訪れたのはこれで4度目であるが、世界遺産に登録されてからは初めての訪問であったので、それ以前の訪問の印象を比べると、このニュー・ラナーク工場に来るまでの周囲の道路や家々も含めて、美化に努めていることが窺えた。「世界遺産」の力は雇用にも及び、ホテル(Mill Hotel)や売店を含めた「観光」によって直接間接の雇用が大きく増えた、とホテルの関係者が教えてくれた。
さて、どうしてこの地で協同組合学会が開催されたのかと言えば、今年2008年は「オウエン没後150周年」なのである。私の知るかぎり、イギリスでオウエン没後150周年を記念して開催されたカンファレンスは、このイギリス協同組合学会(Robert
Owen and his legacy)とウェールズのスウォンジー大学の歴史学部と人文学部を中心に組織された 「ロバート・オウエン・ネットワーク2008」によってオウエンの故郷ニュータウンで8月14-17日に開催された「ロバート・オウエン(1771-1858)没後150周年記念カンファレンス」(New
Views of Society: Robert Owen for the 21st century)である。ちなみに、日本では―私が会長を仰せつかっている―「ロバアト・オウエン協会」が本年11月22日(土)に明治大学中央図書館(駿河台)の多目的ホールで講演会を、また11月2
日~12月12日の間同図書館展示場でオウエンの著書、オウエン主義者の著書、肖像画、ニュー・ラナーク関係の写真等々を展示する。私は、学会初日の夕食会が始まる直前のおよそ10分間をいただいて、このロバアト・オウエン協会のイベントについて宣伝し、参加者の関心を引くことができた。
日本では通常考えられないことであるが、イギリスで学会が開催されると大抵のところ参加者が国際的となり、したがって、この協同組合学会も事実上「国際学会」となった。日本からも私を含めて9名が参加し、カナダ、チェコ、ロシアなどからも参加者がおり、夕食会は大変賑やかであった。イギリスに行く機会があれば、公正と平等、相互協同と調和を求めたオウエンの原点であるニュー・ラナークを訪ねてみることも一興である、と私はお勧めしますが、いかがでしょうか。
●副理事長のページ(No.22)●2008年05月10日
農は国民の健康の本なり 中川 雄一郎
駒場農学校(現東大農学部)で教鞭を執った農政学者の横井時敬は「農本主義者」と呼 ばれた。「農は国の本なり」と横井が主張したからである。40 年以上も前になるが、高校で勉強した「明治時代の歴史」を思い起こすと、明治政府は「富国強兵」政策に基づいて「殖産興業」を推進し、いわゆる「上からの資本主義」を成し遂げるために地租改正(1873 年)を行ない、新たな土地制度と課税制度を確立したものの、高額地租(地価の3%を金納)と永小作の剥奪に抗議した農民たちが茨城大一揆や三重・堺・愛知・岐阜の4地方にまたがった三重大一揆などを起こした、との記憶が蘇る。大久保利通を中心とした明治政府は、この大一揆に驚き、翌年税率を2.5%に引き下げた。国民は政府のこの政策を「竹槍でドンと突き出す二分五厘」と揶揄した。そして横井時敬も、これはまさに「農業を犠牲にして工業を優先させる」農業破壊政策だと憤怒した訳である。
高校で習った日本史にもう一つ「農本主義」が出てくる。この農本主義は昭和恐慌下で起こった「窮乏農村再建」の理念と実践の運動の総称である。この時期の農村では生糸・繭価の暴落、豊作による米価下落のいわゆる「豊作飢饉」(1930年)、東北大飢饉(1931年)などが発生し、農村の窮乏化は一層深刻化した。欠食児童や娘の身売りといった惨状が東北地方を中心に続出したことは今でも語り継がれている。この時期にはまた山東出兵に見られる軍部の台頭、血盟団による井上蔵相暗殺と犬養首相暗殺の五・一五事件(ともに1932年)、日満経済ブロック構想など政治・経済・社会に暗雲が漂い、ファシズムが浸透していった。この時の「農本主義」は五・一五事件にも関与した権藤成卿や橘孝三郎などが唱道し、やがて昭和ファシズムの母胎となる。農村の窮乏化・農業の崩壊がファシズムの母胎となったことをわれわれ日本人は決して忘れてはならない。
こうして日本の近・現代史の一、二コマを覗き見しても、「農本主義」という言葉は、それが「農業と農村の状況」に対して持つ意味をわれわれに考えさせ、われわれを慎重にさせる。しかしながら、農業と農村がわれわれの生活と労働にとって持つ意味は実は非常に大きいものであるにもかかわらず、日本人の多くは農業と農村の現況についてあまり気に掛けていないようである。「中国産毒入り冷凍餃子」問題が日本人にまったく偶然に「輸入食料・食品」を考える機会を与えてくれたけれども、しかし、そのことが日本の農業・農村が現に抱えているさまざまな問題にわれわれ日本人を立ち向かわせるまでに至っていないことを私は大いに問題であると思っている。「カロリー・ベースで自給率39%」という日本農業の現状は、本当は非常に恐ろしいことであって、われわれ日本人が常に「食料危機」・「飢饉」と隣り合わせに居ることへの「自然からの警告」であることを軽視しているかのようである。民主主義者の私は「現代版農本主義者」を時々名乗ることがあるが、それは、日本の「農業と農村の再生」、すなわち、食料自給率の他の先進国並みの向上と農村における地域コミュニティの再活性化という経済的、社会的それ環境的な目的の遂行に政府は逸早く取り組むべきだとの私のメッセージである。ある国のある社会は、「国民的食料」が十分に確保されることによってはじめて維持可能となることをわれわれは明確に認識しなければならない。その意味で私の「農本主義」は、正しくは「農は国民の生活の本なり」、というものである。
雑誌『世界』5月号(岩波書店)は「『食』と『農』の危機:冷凍食品事件からみえてきたもの」を特集し、私のそのような心配が現実のものであることを警告している。大野和興氏(農業ジャーナリスト)の「農と食の崩壊と再生:農の現場から道筋を見つけ出す」は1965 年と2005 年の「品目別食料自給率(魚介類を含む)」を比較して、この40年の間に多くの品目の食料自給率が大きく減少したことを示した。例えば、畜産物は47%から17%へ、油脂類は33%から3%へ、小麦は28%から13%へ、野菜は100%から76%へ、大豆は41%から24%へ、果実は86%から37%へ、と減少し、また魚介類にしても110%から57%に大幅に減少している。自給率が上昇したのは砂糖類だけで、しかも31%から34%への僅かな上昇である。大野氏はこのような状況を「自給率が下がってメタボが増える」と次のように断言している―この現象は日本人の食生活のあり方とも関わっている。「食事の内容も変わってきている。コメは一日1 人当たりの量を45%減らした。畜産物の摂取カロリーは2.5倍になった。油脂類は2.3 倍である。野菜は微増。魚介類、ダイズは1.3倍程度。自給率が減る一方で、肉や脂をとる量が増えている。いいかえれば、この列島の住民の食事はますますメタボ傾向を強め、そうなればなるほど輸入に傾斜する方向をたどっている。」
鈴木宣弘氏(東京大学大学院)の「日豪FTA で日本農業は崩壊する:食糧自給率一割台も空想次元ではない」は実に深刻な問題を提示している。オーストラリアとの自由貿易協定(FTA)がEU(ヨーロッパ連合)諸国とのFTA、そしてやがて中国とのFTA…ということになろうし、またなによりも日豪FTA
で主要な重要品目がもしゼロ関税になる場合には、上で見たような日本農業の低自給率の農産物は間もなく壊滅的な打撃を受け、自給率12%に、すなわち、日本農業が崩壊することを農林水産省も推察しているのである。鈴木氏はまた、「我が国の食料市場が世界に閉鎖されているというのが誤りであることは、いまや、日本国民はよく理解している。先進国の中で、日本ほど開放された食料市場は他にはないといってもよい。我々の体のエネルギーの61%もが海外の食料に依存していることが何よりの証拠である。関税が高かったら、こんなに輸入食料が溢れるわけがない。我が国の農産物の平均関税率は12%であり、農産物輸出国であるEUの20%、タイの35%、アルゼンチンの33%よりもはるかに低い」と述べて、日本農政のあり方を強く批判している。
山本博史氏(農業農協問題研究所)の「『日本の台所』になったアジアの実情:工業化・自由化と農業・食糧への影響」は、「毒入り冷凍餃子事件」が端無くも明らかにした、生協の「安さ優先」の事業のあり方を次のように批判し、生協に反省を求めている。「1990年代に日本の生協主流はその商品政策を大きく転換させて、中国をはじめアジア各国からの『半値で売っても倍儲かる』といわれる輸入食品を重点的に取り扱うことによって、「価格破壊商戦」に積極的に参画してきた。その結果、『安全・安心』よりも『安さ』が優先される事業姿勢が、海外からの輸入品はもちろん国内生産者との関係でも強化されてきた。07年に起きたミートホープ事件はその事例の一つといえる。この『安さ』重視への姿勢転換は、商品政策にとどまらず、その後の日本生協連による『食料・農業政策提言』にも反映され、『高い関税は国内消費者が負担させられている』とする発想につながっており、日本の農林水産業を維持発展させる視点を失うに到っている。」
その他の論稿も興味深く、日本の農業、消費者行政、それにわれわれの食生活のあり方などに論及し、私は大いに勉強になった。日本の農業を守り、発展させていく政策とわれわれの食生活を改善し、食育を広げていくこととはコインの裏表であり、しっかり結びついているのであるから、時として「現代版農本主義者」を名乗る私は、「農は国民の生活の本なり」とともに「農は国民の健康の本なり」を言い続けようと思う。
●副理事長のページ(No.20)●2007年10月31日
トーリー的民主主義 中川 雄一郎
保守党の「社会的企業」政策
近代イギリスの政治プロセスのなかで「トーリー的民主主義」という言葉がしばしば使われたことを私は何かの本で読んだ記憶がある。実は私も近代イギリス協同組合運動の歴史を研究しているなかでこの言葉を目にしたことがある。1852年に成立した世界最初の近代協同組合法、「産業および節約組合法」(the
Industrial and Provident Societies Act)を巡る政治プロセスについて資料を整理していた時のことである。
ところで、協同組合研究に携わっている日本の研究者の多くは、おそらく、1844年12月21日(土曜日)の夕刻にロッチデール公正先駆者組合が店舗を開いてからわずか数年の間に消費者協同組合としての「先駆者組合モデル」がイングランド北部に拡大していったと考えているかもしれない。確かに、先駆者組合をモデルとする協同組合は1850年前後のイングランド北部においては消費者協同組合が多数を占めるようになるが、しかし、それまでの「先駆者組合モデル」の多くは消費者協同組合と(労働者)生産協同組合の双方を経営する協同組合であったし、他方またロンドンを中心とする地域ではキリスト教社会主義者などが指導する(労働者)生産協同組合運動が展開されていた。したがって、近代世界の最初の協同組合法である「産業および節約組合法」が成立する背景には、この双方の協同組合を共に前進させ発展させたい、との協同組合人の願望があったのである。成立したこの協同組合法を当時の協同組合人が「協同組合のマグナ・カルタ」と呼んでこの法律に最大の賛辞を送ったことは、そのことをよく物語っている。
この近代協同組合法の成立にもっとも大きく貢献した人物は、イギリスにおけるキリスト教社会主義運動(1848~54 年)を担い、(労働者)生産協同組合運動だけでなく消費者協同組合運動にも大きな影響を与えた3人のキリスト教社会主義者、すなわち、J.M.ラドロー、E.V.ニール、T.ヒューズと、その当時国会議員であった経済学者のJ.S.ミルであった。ラドロー、ニールそれにヒューズの3 人はともに法廷弁護士(バリスター)であったので、協同組合や近代株式会社に関わる法律に非常に詳しく、実際、この協同組合法案はニールを中心に書き上げられたのである。しかしながら、この法案を成立させるのには、もしミルが議会にいなかったならば、若き3人の法廷弁護士を以ってしても難しかったろう、と言われているように、ミルは、議会のなかでこの法律の意義と意味を、したがって、これによってもたらさせるイギリス社会にとっての利益の何たるかを多くの議員に説いたのである。この法案が自由党穏健派のスラニー議員によって下院に提出されたのは、文字通り、ミルの議会内活動の成果であったのである。
しかし、である。ホイッグ党(Whig Party)、つまり自由党の議員―この当時も自由党は「ホイッグ党」と呼ばれていた―の多数はこの法案に反対した。おそらく、自由党支持者の商店主や製粉工場経営者などが消費者協同組合と(労働者)生産協同組合に反対したためであろう。そしてそこで、保守党の前身であるトーリー党(Tory
Party)が自由党のスラニー委員会に提出された協同組合法(「産業および節約組合法」)案に賛成したのである。
自由党の前身は新興資本家階級を基盤とするホイッグ党であるが、このホイッグ党内閣は―労働者の普通選挙権獲得運動を裏切って―1832年に「選挙法改正」(「第1次選挙法改正」)を行ない、選挙区を再編して選挙資格も拡大した。だが、この「選挙法改正」は労働者階級にでき得る限り選挙資格を与えまいとする「改正」でもあって、そのためのイデオログーを買って出たのがミルの父親のジェームズ・ミルであったことは、歴史の皮肉と言うべきだろう。彼は労働者階級に選挙権を与えない理由を説明するために「女性に選挙権を与えない」論理(社会の一部の者に選挙権を与えればよいとする「利益包含説」)を展開したのであるが、この不条理な論理を思想的、社会制度的に論駁したのがオウエン主義協同組合運動の指導者ウィリアム・トンプソンであった。
さて、その自由党であるが、1850年代前半にはその勢力はトーリー党を凌いでおり、近代協同組合法の成立に反対したのであるから、ニールたち3人では到底太刀打ちできず、法案は成立するに至らなかったであろう。そこで、J.S.ミルが―父親の「罪」を拭うかのように―トーリー党議員を中心にスラニー委員会内で多数派を形成するのに成功したのである。こうして、世界最初の近代協同組合法は「トーリー党の賛成」によって日の目を見ることになったのである。これを「トーリー的民主主義」と後の協同組合人は呼んだのである。ニールはこのこともあって後に「トーリー党議員」となる。 それでは、現代では「トーリー的民主主義」はどうなっているのであろうか。私は少なくとも、ミセス・サッチャーの保守政権以後、保守党が時として「トーリー的民主主義」の顔をもたげたことがある、との噂を聞いていない。「トーリー的民主主義」は今ではイギリスの政治プロセスのなかに埋もれた存在となってしまったのだろうか。そのようなことを考えて「社会的企業」を論究していくうちに、「社会的企業は確かに労働党政権の政策的な産物であるが、しかし、市民のある部分はそれを専ら労働党の専売特許に留めおくようなことを望まないだろうから、一体、保守党は社会的企業についてどう考え、どのような政策を提示しているのだろうか」、と思い立って私は保守党の「社会的企業政策」を調べてみることにした。
周知のように、「社会的企業」は、労働党の党首であったトニー・ブレアが1997年の総選挙を目標に唱えてきた政策マニフェストの看板である「第三の道」(The
Third Way) の一部である。そして現在では、イギリス市民の多くは、社会的企業がイギリスの経済-社会に、とりわけ、「雇用の創出」と「地域コミュニティの再生」に大きく貢献している
事実を評価している。この現実を目の前にして、保守党は自らの政策に社会的企業をどう位置づけているのだろうか、大いに興味と関心が沸くところであろう。
次期の総選挙に勝利して労働党から政権を奪還したいと願っている保守党が、市民が現に高く評価している社会的企業の経済-社会的な機能や役割を軽視したり、他人事のように考えたり決してしないであろうことは、私でも解ることである。案の定、2006年1月に保守党の新しい党首に就任したデイビッド・キャメロンは、就任直後に社会的企業の理念に保守党的な肉付けを行ない、「社会的企業ゾーンズ」(Social
Enterprise Zones:SEZs)と称する政策のタスクフォースを立ち上げたのである。キャメロンによれば、SEZsは、(1)社会的企業への私的投資に対する「課税減免」の促進、(2)サード・セクターを支(3)援する新しい
「コミュニティ銀行」の育成、を基本政策とするものである。
キャメロンは、(1)については、(2004年10月に労働党政府によって制定され、05年7月から施行されている)「コミュニティ利益会社」(the Community Interest Companies)は、現行では―「課税減免」措置が基本的に営利企業へのそれと違わないために―チャリティ法に準拠して登録されている非営利組織の「チャリティ組織」が「課税減免」によって現に得ている利益を得られないので、チャリティ組織と同じような課税減免措置を設けて利益を得られるようにして、その利益を社会的企業の長期的なビジネス戦略のために積み立てることのできる「共同出資金」=「コミュニティ利益準備金」(the Community Interest Reserve)の制度について検討すべきである、と主張する。「第3セクター担当影の大臣」のグレッグ・クラークも、「課税減免」の提案は投資家を呼び集める「資金的刺激」を社会的起業家にもたらすであろうし、それは労働党政府の社会的企業政策との最大の相異である、と述べている。
(2)についてキャメロンは、SEZs の計画は融資あるいは資金調達に対する障壁をなくすことが不可欠なのであるから、そのために現在はまだ数少ない非営利の銀行である「コミュニティ銀行」を育成していくこと、またそのコミュニティ銀行を育成するために、銀行の事業経営を任すことのできる人材の育成と、既存の社会的企業や他のコミュニティ主導の機関や制度とのパートナーシップの強化とが図られなければならない、と強調している。
しかし、保守党にとってコミュニティ銀行は果たして社会的企業を発展させるコア・ キーになるのであろうか。コミュニティ銀行をどのような人が経営し管理するのがよいのか、未だ不明瞭である、とクラークは言葉少なげに言い、それに対して「社会的企業連合」(the
Social Enterprise Coalition)代表のジョナサン・ブランドはコミュニティ銀行について次のように述べた。「投資を押し上げ、計画の意思決定を容易にし、地方自治体との契約のアクセスを改善する、との(保守党の)新しい政策的なアイディアはすべて社会的企業にとって建設的なものである。コミュニティ銀行のアイディアも、もしそれがリスク・キャピタル(社会的企業に投下される資本)へのアクセスを押し上げてくれるのであれば、大いに歓迎されるであろう。だが、われわれとしてはなお、(保守党の)社会的企業ゾーンズに関しては、それがどのように機能するかについてもっと詳しく観察した
いところである。それでも、地域コミュニティに利益をもたらしてくれる、チャリティ組織でない社会的企業への課税減免措置の提案や地方自治体による社会的企業への一層の理解や地方自体との協働の機会の促進といった提案は、一般論としては、優れた提案である。」ジョナサンに「してやられた」と言うべきだろう。
コミュニティ銀行それ自体の説明は次の機会に譲るとして、取り敢えずの締め括りとして、保守党が社会的企業に何を望んでいるのか、換言すれば、保守党の「社会的企業政策」のキー・コンセプトは何であるかについて簡単に言及しておこう。
保守党の社会的企業政策の責任者デイビッド・リディントンによれば、社会的企業の能力は、[1]アウトリーチ(福祉サービスなどの市民事業の裾野を広げる)、[2]人びとの自立を育む能力の向上、それに[3]事業上の規律・スキルの向上、に大きく貢献し得ることである。
[1]は、特権的な意識の政府諸機関での仕事や在来型の雇用形態に抵抗を感じる人たち、長期失業者、社会から引き離されている若者、社会復帰を希望している刑余者、アルコール中毒や薬物中毒を克服して社会復帰を望んでいる人たち等々に対して社会的企業は雇用創出の機会としての市民事業を幅広く提供することが可能である、とのことを意味する。
[2]は、社会的企業は地域コミュニティに根差した事業体であるから、おそらく、エキスパートの自治体職員よりもはるかに近隣地域のニーズが何であるかよく知っているだろうし、したがってまた、地域コミュニティが近隣地域やそれよりももっと広い範囲のコミュニティの未来に責任を負うことのできる能力を形成し高める役割と機能を社会的企業は果たし得るのだ、ということである。社会的企業は「読み・書き・計算の能力」や「時間管理能力」といった個々人の基本的なスキルを高めるだけでなく、同時にまた「自尊心」や「自信」といったような無形の資質をも育てる役割を負っているのである。 実は、「地域コミュニティの再生」は地域の人たちのこのような基本的な能力や資質に負うところが大きいのである。
[3]の「事業上の規律・スキルの向上」は、文字通り「社会的企業は事業体である」のだから、きわめて重要かつ不可欠な要素である、とのことを強調している。社会的企業が成功裡に展開されているかどうかの尺度は「金融的な利益配当」ではなく「社会的な利益配当」であるにしても、それでもなお社会的企業は―他の雇用主と同じように―常にその事業の最終結果である収益額に注意を向けなければならないのである。換言すれば、地域コミュニティのニーズを満たす事業を通じて社会的目的を遂行しようとする社会的企業は、もしその事業が失敗したとなれば、解散を余儀なくされてその社会的目的を遂行することができなくなるのであるから、事業上の規律・スキルを絶えず向上させていかなければならないのである。
保守党の「社会的企業政策」の大まかな骨格はこのようなものである。しかしながら、「保守党のSEZs は、ロンドンのドックランズ(ドック地帯)を世界の金融センターとして再考案するのに貢献した、1980年代の保守党政府が立ち上げた『企業ゾーンズ』の成功を見習うべきだ」、と保守党の社会的企業政策のためのタスクフォース・チームが述べているように、保守党は、社会的企業が蔟生(そうせい)している真の原因とその経済-社会的な現在の影響力の遠因がそのまさに80年代のサッチャーリズムにあったことを正しく理解できないでいるようである。それでも保守党が「社会的企業政策」を展開し、その経済-社会的な影響力を自らの陣営に引き寄せようとしている行動は、社会的企業にとって歓迎すべきことであろう。与党の労働党と野党第1党の保守党が社会的企業を巡ってディベイトすることは、社会的企業に関わっているすべての人たちにも大きな興奮を呼び越すだけでなく、イギリスの多くの市民が社会的企業の存在を知り、その経済-社会的な機能と役割を理解し、認識する機会をもまた創りだすからである。
イギリス政府の公式発表によれば、社会的企業の数は1万5,000を超えている。また社会的企業研究者のなかには社会的企業数は約5万5,000であるとする研究者もいる。この数の隔たりは、統一された「社会的企業の定義」がないことによるのであるが、いずれにしても、私は、労働党と保守党の社会的企業政策担当者それに社会的企業の実践指導者が「社会的企業のビジョン」を巡ってディベイトし、日本の私たちが司会を担当する…というような夢を抱いている。もしこの夢が実現するのであれば、私はこの目で、市民の利益を優先させたあの「トーリー的民主主義」を目撃できるかもしれない、と思っているのである。
(因みに、2007年10月18日現在、CICs法に準拠して登録されている社会的企業数は1,292である。)
●副理事長のページ(No.18)●2007年04月30日
「イギリス社会的企業」考 中川 雄一郎
(私的なことを申して大変恐縮ですが)5月の「連休」直後の頃に拙著『社会的企業とコミュニティの再生』(大月書店)の第2版が出版される予定である。この第2版はまた「増補版」でもあって、初版よりも70ページほどページが増えている。ページ増の最大の要因は新しい章(第8章)を設けたことである。この章のタイトルは「イギリスのソーシャル・ファーム―社会的企業としての課題と展望―」である。詳しい内容は第2版に譲るが、今後そう遠くない時期に社会的企業としてのソーシャル・ファーム(social
firm)は人びとの注意をひき付けるだろう、と私は考えている。現在のところ、「本格的なソーシャル・ファーム」49企業、また「本格的なソーシャル・ファームへの萌芽的段階にある」という意味で「新生ソーシャル・ファーム」(emerging
social firm)70企業とその数は多くはないが、最近における数の増加と企業の成長度合には大きなものがある(前者は1997年にはわずか6企業にすぎなかった)。
ソーシャル・ファームは、社会的企業なのであるから、「社会的企業の定義」を受けるとはいえ―実は現在のところ、社会的企業の定義にしても「これこそが統一的な定義である」というものは存在しないのであるが―ソーシャル・ファームは障害者、とりわけ精神障害者あるいは精神的問題を抱える人たちの―「雇用の創出」を通じた―経済的、社会的自立の実現を大きな目標の一つとしていることから、一部独自なコンセプトが付け加えられることになる。現在、もっともよく用いられている「ソーシャル・ファームの定義」は次のようなものである。
ソーシャル・ファームは障害者や労働市場で不利な条件の下に置かれている他の人たちの雇用を創出する事業体である。ソーシャル・ファームは、模範的な事業の遂行と社会的支援とを一つに和合させる環境の下で雇用の機会を提供するために展開され、促進されてきた。ソーシャル・ファームの労働者スタッフのうち(すべてではないにしても)かなりの数の人たちが障害者や労働市場で不利な条件の下に置かれている人たちである。すべての労働者(ワーカー)は、彼らの生産能力が何であれ、市場賃金率であるいは労働に応じて報酬(サラリー)を支払われる。労働の機会は社会的に不利な条件の下に置かれている労働者スタッフもそうでないスタッフも均等である。すべての労働者スタッフは同じ雇用上の権利と義務を有する。
見られるように、この定義の独自なところは「事業の遂行と社会的支援とを一つに和合させる環境の下で雇用の機会を提供するために展開され、促進されてきた」という点と、「(障害者も)市場賃金率であるいは労働に応じて報酬を支払われる」という点である。上で触れたように、ソーシャル・ファームは主に精神障害者や精神的問題を抱える人たちと社会的に不利な立場に置かれている他の人たち(刑余者、薬物依存症、アルコール依存症、長期失業者など)の「雇用の創出」を通じて彼や彼女の経済的、社会的な自立を実現するための企業であることから、政府・自治体などの公的機関の支援を含む他の多くの人たちの支援・援助とソーシャル・ファームの労働者スタッフ(メンバー)による事業とを結び合わせる、との点が強調されることになる。それでも、ソーシャル・ファームとしては自らの事業体(企業)を「市場志向」であると位置づけ、企業による財とサービスの生産をソーシャル・ファームの「価値」だとしている。それは、「ソーシャル・ファームの価値」が「3E(スリーE)」、すなわち、企業(Enterprise)・雇用(Employment)・権利付与(Empowerment)を中心的価値としているところに十分表現されている。
ところで、イギリスのソーシャル・ファームのモデルがイタリアの「B型社会的協同組合」であることはある程度知られているが、しかし、B型社会的協同組合も、したがってまたソーシャル・ファームも、実は、その起源が1960年代からイタリアで、とりわけトリエステにおいて展開された「精神医療民主化運動」にあることはあまり知られていない。この運動は精神医療サービスの「脱施設化」を推し進め、精神医療サービスの分野に「新しいシステム」を導き入れることに成功したのである。それは、およそ500人の精神医療患者が協働してケータリング、農業生産、ファッション、出版、ツーリズムなどさまざまな事業に従事する、というものである。精神医療を必要としている人たちが「医療施設」から外に出て、自ら雇用を創りだし、事業に従事し、就労する、という「精神障害者」の経済的、社会的な自立を目指すタイプのB型社会的協同組合の原型がここに見て取れるのである。
イギリスでは1980年代後半にこの「精神医療民主化運動」が一般に知れわたるようになり、医療患者に発症が見られる間患者は「ショート・ステイが可能な小規模な施設」や、医療ワーカーと一緒に食事をしたり、懇談したりすることのできる「居心地の良い小規模な施設」で医療サービスを受けるが、発症が見られず病状が安定している間は就労できる制度の確立を目指す運動が追求されたのである。それがソーシャル・ファームの運動である。この運動はまた、精神医療を必要とする患者の生活環境全体が彼らの精神状態に大きな影響を及ぼすことを人びとに知らしめることに貢献した。そしてこのことがまた、患者の精神的健康状態を安定させるために、彼や彼女の経済的、社会的な環境を改善することの必要性を国民的な規模で認識させていく契機を作りだしたのである。この時期に、その数はほんの一握りではあったけれど、初期の「ソーシャル・ファーム」が設立されたのである。
それからおよそ20年後の現在、ソーシャル・ファームはそのメンバーに精神障害者を含む社会的企業としてその経済-社会的な機能をより広い範囲にわたって認識されるようになってきた。1999年には連合組織である「ソーシャル・ファームズUK」が創設され、「イギリスにおけるソーシャル・ファームの設立、振興それに支援を通して(精神)障害者のための雇用の機会を創出する」ことを目指して奮闘している。とりわけ2002年に確認された前述の「スリーE」の中心的価値に基づいた「ソーシャル・ファームのチェックリスト」はソーシャル・ファームの組織・事業・経営の特徴的性格と価値を明らかにしている点で、ソーシャル・ファームについての理解を容易にしてくれる。このチェックリストには、「その事業高の少なくとも50%が財とサービスの販売による」(必須項目)、「その労働者スタッフの25%以上が(精神)障害者である」(必須項目)、「すべての労働者スタッフは雇用契約およびナショナル・ミニマムあるいはそれ以上の市場賃金の契約を結ぶ」(必須項目)など、大変興味深い項目が示されている。詳しくは最初に記した拙著第2版(増補版)を参照して下さい。
●副理事長のページ(No.16)●2006年10月31日
女性による女性のための社会的企業 中川 雄一郎
イギリスの社会的企業が今速いスピードで成長していることは多くの人びとの知るところとである。またその成長要因の一つが労働党政府の積極的な支援策にあることも人びとの知るところとなっている。1997年に政権を取り戻した労働党政府は、トニー(Tony)・ブレア首相の主張する「第三の道」に従って非営利・協同組織の拡大・強化を図ってきた。すなわち、労働党政府は、2001年に通商産業省の内部に社会的企業局(social
enterprise unit)を設置して「社会的企業のために適切な事業支援体制の構築」を進め、02年7月に社会的企業の特徴的性格と機能を明確にする「社会的企業:成功のための戦略」を、03年3月に金融を含めた市場への対応能力の向上を求めた「コミュニティのための企業:コミュニティ利益会社(CIC)の提案」を、03年10日には地方・地域での福祉サービスやコミュニティ・サービスの専門的能力と資金調達能力を社会的企業に求めた「社会的企業に関する中間報告」などを公表し、そして04年に成立し翌05年7月に発効した「コミュニティ利益会社法」(CIC法)の制定で締め括っている。その意味で、CIC法は、協同組合法、チャリティ法、会社法それに開発トラスト法などさまざまな準拠法で登録されている非営利・協同組織を改めて「社会的企業」として登録させて、それらの社会的企業が福祉サービスや雇用サービスなどに関わる部門を担当するよう促進しようとするものである。
社会的企業は現在、政府の積極的な支援策やコミュニティのニーズと相俟って、加速度的に拡大し、成長しているのであるが、社会的企業を名乗る非営利・協同組織はCIC法で登録されている組織だけではない、ということに注意しなければならない。政府の積極的な支援策にもかかわらず、CIC法に準拠した組織は依然として少数なのである(06年10月16日現在525)。これから紹介するロンドンのイースト・エンド地区の(アジア・アフリカ・カリブ海諸国からの移民が多い)タワー・ハムレッツ自治区で「女性の経済的、社会的自立」を目指して事業展開しているアカウント3(Account3
Women's Consultancy Service ltd.)も、ある時には「コミュニティ・ビジネス」を、またある時には「社会的企業」を名乗っている。
さて、アカウント3であるが、正確に言えば、アカウント3は協同組合法(「産業・節約組合法」)に準拠して1991年5月に登録・設立されたのであるから、「女性によって構成されている協同組合」である、ということになろう。しかし、アカウント3は「協同組合」としてよりもしばしば「コミュニティ・ビジネス」あるいは「社会的企業」として自らを公表している。ワーカーズ・コープ(労働者協同組合)の企業形態を取るアカウント3にはその方が現在の状況にマッチしているのであろう。
そのアカウント3には他の社会的企業と異なる大きな特徴がある。その最大の特徴は「スタッフ(メンバー)もクライアント(利用者)も女性のみ」、ということである。何故、「女性のみなのか」、と問われれば、アカウント3がそこで活動している地域コミュニティの経済的、社会的、政治的、人種・民族・宗教的環境がそうさせている、と言う以外にない。タワー・ハムレッツ自治区はイングランドで5番目の貧困地域で、イギリスの旧植民地のバングラデシュ、パキスタンなどのアジア諸国、カリブ海諸国それにソマリアなどアフリカ東部諸国からの移民が比較的多く住んでいるコミュニティをいくつか抱えている。失業率が高く、「貧困ライン」以下の生活を余儀なくされ、犯罪も多発するこの地域では、英語以外になんと87もの言語が飛び交っており、文字通りの「人種・民族、文化や宗教が異なり、生活意識も異なる人たちが混住」しているのである。
このような困難を抱えているコミュニティで生活している人びと、とりわけエスニックの移民女性の多くがそのクライアントであるアカウント3にとって、「女性の経済的自立」こそ何よりも優先されるべき目標である。何故なら、彼女たちは家庭においてもコミュニティにおいても「生活に関わる行動や意思決定過程に完全に参加して」リーダーシップを発揮しているからであり、また成年男子の失業率が高いこのエリアでは彼女たちの「働き」なしでは子どもたちの育児・保育や教育は勿論、家族生活全般が成り立たないからである。
アカウント3はこのエリアのすべての女性たちを事業活動のターゲットにしているとはいえ、クライアントの多くはやはり貧しい移民女性である。彼女たちはアカウント3での職業訓練によってスキルを、したがってまた「雇用受容能力」(employability)を身につけ、就労の機会へのアクセス(「自己雇用」を含む雇用の創出)を確かなものにしようと努力している。そこでその一例を紹介して「アカウント3訪問記」とすることにしよう。
昨年の12月にアカウント3の理事長(サービス・マネジャー)であるトニー・メレデュー(Toni Meredew)さんから「アカウント3で職業訓練を終了した女性(Mary
Edwards)がアットホームなゲストハウスを紹介するニュービジネスを始めます。あなたも是非一度ご利用ください。」とのメールが届いた。私は、アカウント3で職業訓練を終了した女性たちが経済的自立を目指して、高齢者・障害者送迎のタクシー会社、移民女性の故国の文化・工芸を活かした創作工芸産業、ビジネスの資金を提供するマイクロ・クレジットなどの事業体を立ち上げたことを知っていたので、ツーリズムに関わるニュービジネスも早晩出てくるだろうと思っていた。メレデューさんのメールからはそのビジネスが間もなく開始されると読み取れたので、一度利用してみようと考えた。しかし、後で聞いたことだが、この時点ではまだ乗り越えなければならないハードルが三つ残っていたとのことである。三つのハードルのうち「確かな資金計画とマーケティング」の二つのハードルはアカウント3の支援と元々タワー・ハムレッツ自治区の行政官であった彼女の努力とによって乗り越えたが、あと一つのハードルは今年の3月になって漸く越えることができたそうである。それは―アカウント3の協力を得て考えだした―事業体を登録するための社名UKguestsである。しかし、世の中には同じようなことを考える人たちがいるもので、同じ(あるいは同じような)社名をノミネートした人たちの審査が行なわれることになり、結局、エドワーズさんが「イノヴェーション・カテゴリー」(進取の気象に富む部門)の「勝利者」になったのである(正式社名はUKguests.com
Ltd)。
UKguestsの主目的は、旅行あるいは研究や語学研修などの目的でロンドンにやって来るさまざまな国の女子学生に清潔・快適でアットホームな宿泊施設(一般住宅の部屋)を安い価格で提供することである(決められた条件に適えば学生以外の女性および男性も可能である)。メレデューさんの誘いを受けて私もUKguests
に申し込み、娘と大高研道先生(聖学院大学)の3人でヒースロー空港からさほど遠くないイーリングにあるシールさん宅の清潔で快適な3 階の部屋を提供してもらった。私たちの場合は1人一泊朝食付き(いわゆるB&B)40ポンドであったが、女子学生の場合は、1~6
の地域ゾーンによって異なるが、B&Bタイプは1 週間1人100~180ポンド、B&Bプラス夕食付きタイプは同じく130~200
ポンドである。その他にキッチンを使って自分で夕食を用意することができるタイプ、それにB&Bプラス弁当ブラス夕食付きのタイプがあり、ロンドンにやって来た目的や期間に応じて選択できるようになっている。
エドワーズさんの呼びかけに応じて「ホスト・ファミリー」になってくれた人たちのなかには私たちのホスト・ファミリーのヘレン・シールさん(Mrs. Helen Sheill)のように「子どもが3歳なのでまだ勤めに出たくない」と考えている若い母親に一定の所得をもたらしてくれることを理由としている人もいる。ヘレンさんは、夫君がマレーシア出身のこともあってか、「アジアの女子学生」を歓迎したいと言っていたが、私には「土足で家や部屋に入る習慣がない」ことも理由としてあげていた。最近、イギリスでも家に入る際に靴を脱ぐ家族が増えてきたと聞いているが、それは大変良いことで「部屋を清潔に保つ秘訣の一つだ」、と私はしばしばイギリス人に言ってきたほどである。
UKguestsはまたヒースロー空港やガトウィック空港などから片道の、あるいは往復の移送(これももちろん距離によって運賃に幅がある)を行なっている。この移送はライセンスを得ている事業であり、運転者に一定の所得をもたらしてくれる。大きくはないかもしれないが、いわゆる「波及効果」が見られるのである。
UKguestsを開始したエドワーズさんは、娘さんのシャネルさん(Miss. Shanel)と共同でこの事業を発展させていくために、次のような「ミッション・ステートメント」を送り続けている。
さまざまな国の人びとがお互いに知り合いになるよう奨励し、促進します。このことは私たちイギリス人家族の寛容と温かいもてなしによって可能となります。それ故、「私たちのゲストとしてやって来て、私たちの友人として去っていく」という私たちのスローガンを共にすれば、私たちには素晴らしい未来があるのです。
私が帰国すると間もなくエドワーズさんから土産が届いた。それは私の60 歳の誕生を祝う小さな鏡の盾で、次のように記されていた。"Happy
60th Birthday Don't count all those candles ! Just enjoy the warmth of
their glow."実感するところである。
Thank you very much, Mary, Shanel, Toni and Josephine, for your warmer kindness.
Toni, I would like to congratulate you on winning the prize of MBE.
(メレデューさんはアカウント3よる「雇用の創出」と「コミュニティの再生」に長い間貢献してきたことから、今年の春にMBE(Member of
British Empire)をエリザベス女王から贈られた。この11 月にその授与式が行なわれる。)
《
別のページへつづく――(2012年02月29日~2014年05月31日)》
『いのちとくらし研究所報』(非営利・協同総合研究所いのちとくらし)への執筆 (本文下線がある論文・エッセイはPDFで読めます)
中川雄一郎のページ(現在、理事長)
『レイドロー報告』30周年、中川雄一郎、非営利・協同総合研究所いのちとくらし所報、No.29、 2010.02.20
日本協同組合学会第30回大会とレイドロー報告、中川雄一郎、非営利・協同総合研究所いのちとくらし所報、No.32、 2010.10.31
シリーズ『非営利・協同Q&A』誌上コメント(その4、最終回)、出席者:富沢賢治(研究所顧問、聖学院大学大学院教授)、中川雄一郎(研究所理事長、明治大学教授)、坂根利幸(研究所副理事長、公認会計士)、角瀬保雄(研究所名誉理事長・顧問、法政大学名誉教授)、司会:石塚秀雄(研究所主任研究員)、非営利・協同総合研究所いのちとくらし所報、No.36、 2011.02.28