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◆「日本労協新聞」時代 注射針事故をなくせ‼――全国アンケート調査結果報告、松沢常夫、「季刊 仕事の発見」、1987年冬号、1987年11月25日、中高年雇用・福祉事業団(労働者協同組合)全国連合会 仕事にとどまらない連携を、松沢常夫(「じぎょうだん」編集長、中高年雇用・福祉事業団(労働者協同組合)全国連合会))、あかつき印刷社内報、No.231、1988年4月 住井すゑさんに聞く――「罰で便所掃除」に思う、松沢常夫、「季刊 仕事の発見」、1988年夏号、1988年5月25日、中高年雇用・福祉事業団(労働者協同組合)全国連合会 “罰”としてする仕事じゃない――便所掃除の現場から考える、松沢常夫、「機関紙と宣伝」、日本機関紙協会、No.664、1988年9月号 現実に切り込む企画とは、松沢常夫(中高年雇用・福祉事業団(労働者協同組合)全国連合会)、「機関紙と宣伝」、日本機関紙協会、No.676、1989年9月号 病院の注射針と医療廃棄物の取り組み――捨てるごみの向こうに人がいる、松沢常夫、「季刊 仕事の発見」、1993年夏号、25号、1993年6月25日、日本労働者協同組合連合会 労働者協同組合の介護・福祉事業の構想、松沢常夫(日本労働者協同組合連合会)、「賃金と社会保障」、No.1255、1999年8月上旬号、旬報社 さまざまな壁を突破することなしには「社会的なメディア」には進まない、松沢常夫(日本労働者協同組合連合会、『日本労協新聞』編集長)、「機関紙と宣伝」、日本機関紙協会、No.842、2003年7月号 やるしかないでしょう――人間として、女性として、岡元かつ子さん 松沢常夫、『深谷だんらん グループ』、日本労働者協同組合連合会センター事業団・シーアンドシー出版、2005年3月5日 [日本の素顔]人間というもの 愛ということ――生きるということを最後まであきらめない人のそばにいるだけで……、松沢常夫(『日本労協新聞』編集長)、「民主文学」、日本民主主義文学会、2005年10月号 子育て支援の輪 どこまでも――福岡県大野城市、松沢常夫、『協同で仕事をおこす――社会を変える 生き方・働き方』、広井良典編著、コモンズ、2011年11月20日、日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会監修 協同労働 ワーカーズコレクティブ運動の可能性と現状――労働の本来の姿を取り戻す、松沢常夫(日本労働者協同組合連合会常務理事、『日本労協新聞』編集長)、「建設労働のひろば」、東京土建一般、No.83、2012年7月号 ◆「たたかいのルポルタージュ」に発表 「背広の浮浪者」の取材経験から、松沢常夫(全日自労書記、機関紙「じかたび」編集部員)、「ルポルタージュ研究」(第一回機関紙ルポ研究会の記録集)、1978年7月15日日本機関紙協会 人間は変わるんだ 労働者はたたかうんだ――全日自労の中央委員会から、松沢常夫、「たたかいのルポルタージュ」創刊号、1979年5月号、現代ルポルタージュ研究会 “背広の浮浪者”と夜の東京、松沢常夫、「たたかいのルポルタージュ」2号、1980年3月号、現代ルポルタージュ研究会 沢内村見聞記――全国に咲かせる白ユリの花、松沢常夫、「たたかいのルポルタージュ」5号、1983年5月号、1983年5月15日、現代ルポルタージュ研究会 失業――つくりだされる「怠け者」、松沢常夫、「たたかいのルポルタージュ」6号、1984年5月号、1983年5月15日、現代ルポルタージュ研究会 もう「三日坊主」にはならない――金沢「喘息大学病院」に入院して、松沢常夫、「たたかいのルポルタージュ」7号、1985年9月号、現代ルポルタージュ研究会 “次工程は仲間”を求めつづけて、松沢常夫、「たたかいのルポルタージュ」8号、1987年2月号、現代ルポルタージュ研究会 「よい仕事」とは――入院して感じたこと、松沢常夫、「たたかいのルポルタージュ」12号、1997年2月28日号、現代ルポルタージュ研究会 未来に希望を込めて――「労働と人間」を問い続けるワーカーズコープの子育て支援、松沢常夫、「たたかいのルポルタージュ」15号、2011年3月25日号、現代ルポルタージュ研究会 ◆「じかたび」時代 売血、松沢常夫、「生命(いのち)ひしめける、マルクス主義研究セミナー、第2期Aコース記念文集」、文集発行友の会、1976年7月14日(古在由重 序文) 報道記事の取材法、ルポ記事の取材法、松沢常夫、日本機関紙協会、「機関紙と宣伝」、No.566、1980年7月号 全日自労の「民主的改革闘争」の意義、松沢常夫、「マルクス主義研究年報」、1980年版、NO.4、マルクス主義研究セミナー、芝田進午責任編集、合同出版、1981年1月25日 自分たちで生命を守った村―大衆運動の一考察、松沢常夫、「Libertéマルクス主義研究セミナー記念文集」、創刊2号、1981年11月21日 編集者に問われているものは何んだ――斎藤茂男氏の発言から、座談会・松沢常夫他、「機関紙と宣伝」、No.631、1985年12月号、日本機関紙協会 集団の中できたえられた浅利ルポ、松沢常夫、「機関紙と宣伝」、No.634、1986年3月号、日本機関紙協会 集会報道を書いてみる、ルポルタージュを書く、「記者*通信員ハンドブック」、日本機関紙協会、1986年7月16日 大惨事をよぶ国鉄の狂気――首切りセンターと現場では今何がおきているか、松沢常夫、「機関紙と宣伝」、No.642、1986年11月号、日本機関紙協会 ◆プレ機関紙編集者時代 シンポジウム 通信員の組織、「通信員の力を百%生かそう」、松沢常夫(全学連『祖学』編集部)、日本機関紙協会、「機関紙と宣伝」、No.484、1973年9月号 |
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編集人:飯島信吾 ブログ:ある編集者のブログ 企画・制作:インターネット事業団 のホームページ UP 2017年03月03日 更新 2017年03月05日 更新 2018年06月09日 |
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