五味明憲の
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未曾有の大津波が押し寄せた「3.11東日本大震災」。全国から多数の医療従事者が、住民の安全と健康を守る活動に参加した。『いつでも元気』を発行する民医連(全日本民主医療機関連合会)の全国の仲間(医師や看護師・介護福祉士、リハビリなどの専門職のほか、技術・事務スタッフ)も多数参加し、坂総合病院などを基点に住民・市民の健康維持活動を行った。その一こまを切り取った。Remember OOTUNAMI(ある編集子)。 |
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△校舎と船――海岸から2,3キロ内陸を走る国道6号線沿いには、漁船がいくつも打ち上げられていた。小学校の校庭にまで迫った漁船。(南相馬市立真野小学校、2011年6月1日) |
△用水路の自動車――浮かんで流されたあとは、低いところに。幅3メートルほどの用水路には、軽自動車が折り重なるようにうもれていた。(多賀城市内、2011年4月13日) |
△道路わきのタンク――とりあえずの交通確保。バイパス脇にはヘドロにまみれた車や工場のタンクが歩道をふさぐように並ぶ。 |
△被災地に立つ日の丸――アジアへの侵略や、沖縄での集団自決の強制を思うと、私には好きになれない旗だが、瓦礫のなかから見つけ出し、洗って掲揚した人の気持ちを汲みたい。(七ヶ浜町花渕浜、2011年4月12日) |
△まるで空爆――海岸線と平行に走る仙台東部有料道路から海側は延々とこうした光景が続く。道路が盛り土のため防波堤の役割を果たし、内陸への被害が抑えられた。高くて海抜2メートルの平野部では逃げ場もない。この道路を這い上がって難を逃れた人も多い。(仙台市若林区、2011年4月12日) |
△タヌキの置物――釣竿を手にしたタヌキの置物。家族、親せきへの目印となるようにしたのだろう。(七ヶ浜町菖蒲田浜、2011年4月12日) |
△病院の張り紙――病院の通路には情報を共有できるよう各避難所の様子が張り出されていた。(坂総合病院、2011年4月13日) |
△全員――全国から応援にかけつかた医療従事者に、内勤の医師、看護師たちも加わって全体ミーティング。ジャケットの色分けは、各自の専門職を示す。このあと、班ごとに分かれて細かな打ち合わせ。(坂総合病院、2011年4月14日) |
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△被災証明――被災証明の申請に応対する職員。職員もまた、多くが被災者だ。(南相馬市役所、2011年6月1日)
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△お雛様――36人が亡くなった介護老人保健施設「ヨッシーランド」の応接間と思われる一室にあったお雛様。捜索に当たった方がガラスを拭いてくれたのでしょう。ケースに守られ中はきれいなままでしたが、何処となく悲しそう。(南相馬市原町地区、2011年6月1日) |
⇒つづく:脱原発集会・首相官邸前 一人の人間として (2011/11/26)
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▽五味明憲のProfile 1955年生まれ 現在:カメラマン(日本写真家協会・現代写真研究所専任講師、日本リアリズム写真集団理事) 写真記者を経てフリー。グラフ雑誌などを中心に作品発表 '90「視点」奨励賞受賞。 |
毎年、10月に入ると、私はそわそわしはじめます。17年前から毎年訪れる愛媛県西予市明浜町の各集落で、いっせいに「秋祭り」が始まるからです。今では第二の故郷に帰るような気分です。
みかんやちりめん、真殊で有名な字和海から、南予の伝統が色濃く残る、この秋祭りをご紹介します。
1989年にニコライ教会を出発したローソクデモ・「月曜デモ」と呼ばれる反体制運動が起き、これが東ドイツにおける民主化運動の出発点となったことは記憶に新しいライプツィヒ。(2012/12/28)
3・11のあの日以降、息を吸う間もなく多くのボランティアが救援活動を起こした。そして、全国から民医連の仲間も駆けつけた。
編集人:飯島信吾 ブログ:ある編集者のブログ 企画・制作 インターネット事業団(本メールにご連絡ください) UP 2012年11月07日 更新 2012年11月26日 更新 2012年11月28日 更新 2012年12月01日 更新 2012年12月03日 更新 2012年12月09日 更新 2012年12月21日 更新 2012年12月28日 |