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五味明憲の
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 毎年10月に入ると、私はそわそわしはじめます。第4週の金・土・日は、愛媛県西予市明浜町の各集落で、いっせいに「秋祭り」があるからです。17年前に訪れたのをきっかけに毎年訪れ、今では第二の故郷に帰るような気分です。
 みかんやちりめん、真殊で有名な字和海から、南予の伝統が色濃く残る、この秋祭りをご紹介します。
 △狩浜地区・本浦のみかん畑から眺める海。その先に見えるのは高知県境の山

 

△牛鬼の切り回し。


△勇壮な神輿かつぎ

五つ鹿踊り(高山地区・賀茂神社)


△御船踊り。子どもと若者によって披露される日本舞踊



△海上渡御。神輿を船に乗せ、湾内を廻した後、枝浦へ


△海に浸けて清めておいた牛鬼が姿を現した。引き上げの手際も見せ場のひとつ(高山地区)


△「牛鬼組」のハッピの背中


△牛鬼を担いでいるときは無口な牛鬼衆も、民家に上がると場を盛り上げてくれる(狩浜地区・本浦)

△相撲練りの子どもたち(狩浜地区・本浦)


△明浜の夕日




目の前に広がるみかん畑と海



 JR松山駅から宇和島行きの特急宇和海に乗って約1時間。卯之町駅を降りてからは毎年、みかん農家の無茶々園の方に迎えに来てもらい、車で移動します。国道56号線から県道45号線に入り、野福峠のトンネルを抜けると眼下に宇和海が広がって、見事な段々畑のみかん山に囲まれた俵津(たわらづ)の町が見渡せます。

 「大地とともに心を耕せ」。この言葉にひかれて訪れた17年前、軽トラ一台が通る農道で隔てられた二つの園地のみかんを食べ比べたときの驚きは、今でも忘れられません。無農薬(産直用)と農薬(一般流通用)のみかんの味は、わずか一本の農道を挟んで歴然としていたのです。それ以来私は、無茶々園の皆さんにはずいぶんお世話になりながら、明浜通いを続けています。

 みかんが「黄色いダイヤ」ともてはやされたのは50年も前。その後、今から38年前、農薬による栽培に疑問を持った三人の若者たちが、寺から借り受けた広さ15アールの実験地に「無茶々園」と名付けて、有機農業を始めました。無茶々園はLPG(液化石油ガス)基地反対闘争も地元住民とともに乗り越え、自然豊かな環境でこそ安心・安全な暮らしができることを発信し続けてきました。現在ではメンバーは100人近くになります。



釣り好きのうらやむ家



 明浜町の入りくんだ海沿いには、東から西に向かって俵津、渡江、狩江、高山、宮野浦、田之浜と集落が続きます。そのまま進んで行くと、愛媛県最西端の佐多岬にたどり着きます。

 今でこそ道路が整備され、車での移動が楽になりましたが、戦後間もないころは陸の孤島と呼ばれた地域です。団塊の世代の方くらいまでは、宇和島の高校に連絡船で通学していたそうです。

 「玄関を出て10歩も歩けば海」という家も珍しくなく、「家でテレビを見ながら釣り糸を垂らすことができる」と聞けば、釣り好きには涎の出る話でしょう。

 しかし台風の大潮の時には、強風にあおられた潮が200メートル近くの高さにまで、みかん山を駆け上がることもあります。ふだん穏やかな宇和海の景色からは想像もつきません。

 「おとうは海へ、おかあは空へ」という、この地方に伝わる言葉があります。空とは、天空に伸びる段々畑での仕事を指すのですが、急峻な山を背後に抱えた半農半漁の暮らしを言い表しています。



故郷の祭りが一番


           

 南予の祭りに共通するのは、牛鬼(うしおに)です。T字型の取っ手の付いた棒の先端に頭(かしら)と呼ばれる牛鬼面を取り付け、これを竹組みの亀甲型の胴体に通します。頭を激しく伸び縮みさせたり、回転させたりしながら、祭りの先頭を練り歩きます。

 牛鬼は悪霊を追い払う役目をするのですが、土地によって型や頭は異なり、その動き方もさまざまです。妖怪としての牛鬼伝説は各地にありますが、山車(だし)や神輿の形態として祭りに登場するのは、南予独特のものと言っていいでしょう。

 牛鬼は秀吉の朝鮮出兵の際、城攻めに用いられたのが始まりという説もあります。いずれにせよ、日々、天秤棒を担いで山を上り下りする強靭な肉体を持った男たちの晴れの舞台を演出する祭りなのです。

 牛鬼の頭や担ぎ手の装束、動き方などが土地によって異なるのは、長い年月が関係しているのかもしれません。なにせ、ずっと同じ日に続けてきた祭りなので、隣の集落がどんな祭りをしているのか知る由もないのです。

 みんな自分の集落の祭りにかかりっきり、何んといっても、生まれ育った故郷の祭りが一番です、



「ちょっと寄ってきんさい」


 私が毎年おじゃまするのは高山地区と、狩浜地区(枝浦・本浦)です。高山の潮ごり(海水でのみそぎ)は30数人の世話役(若者)たちが六尺褌一丁でコップ酒を飲みほし、掛け声をあげながら、燃え上がる篝火(かがりび)をかいくぐり、次々と海に飛び込んでは身を清め、これを何度も繰り返します。

 数日前から海に浸けて清めていた牛鬼を、頃合いを見計らって、全員で岸に引き上げます。このときのタイミングと手際が見せどころで、四国一円から写真愛好家が押し寄せます。

 狩浜の祭りは本浦から始まります。朝が早く、5時にはいっせいに動き始めます。家々の玄関に吊るされた燈明(とうみょう)を照らすなか、牛鬼衆や相撲練りの子ど五つ鹿、御船組、巫女たちが、春日神社に集まります。

 御霊(みたま)移しの後、全員が神主によるお祓いを受け、本浦の浜でそれぞれの踊りが披露されるわけですが、独特なのは、15人が一体となって担ぐ牛鬼です。昔は、見物客を海に突き落としたりしたそうです。

 一番の見せ場は、頭と尻剣を伸ばしたまま、担ぎ手の前半分が右に、後ろ半分が左にいっせいに走り、その場で回転する切り回し。中に入っている15人が見えるのは尻から下の足だけで、年頃の娘を持つ親たちは足腰の強さを見て、仕事のできる男かどうかを判断したそうです。

 浜での祭典を終えると、後は好き勝手に、どの民家に上がって飲み食いしていいというのも、この地区の祭りの特徴で「まあ、あがんないや」「ちょっと寄ってきんさい」と迎えられ、一杯いただいたところで「ところで、どこからきんさった」「えっ、東京から。わざわ.遠いところを」と、会話もはずみます。海の幸や山の幸など、それぞれの家庭に伝わる手料理を用意して、「できるだけ多くの客を迎える」ことが繁栄につながるという祭りでもあるのです。

 午後は、海上渡御。牛鬼と三基の神輿を船に載せ、枝浦に移動します。この海上渡御も南予の一帯の祭りではここだけのものです。枝浦でも同じように各家々におじゃまして、クライマックスのお還り(宮入り)を待ちます。陽が沈むころ、神社の境内に集まった人々の歓声のなか、神輿が次々と駆け抜けて石段をいっきに駆け上がると祭りは終了です。


故郷は子どもたちを育む海



 「地域全体が豊かにならなければ、個人の幸せもない」「自分ひとりのことでなく、いつもみんなのことを考える」明浜町にはそんな方がたくさんいて地域の人びとの誠実さを感じます。

 祭りの夜、風向きが変わるたびに幟(のぼり)旗が「キィー」ときしみます。巫女や御船踊りの少女、相撲練りの子どもたちは、布団の中でこの音をどのように聴いているのでしょうか。

 故郷は子どもたちを育む海です。子どもたちに誇れる故郷を残すのは、私たち大人の務めでしょう。

 (写真・文 五味明憲・日本リアリズム写真集団会員、あなたと民医連をつなぐ月刊誌『いつでも元気』2012年10月号)





⇒つづく:脱原発集会・首相官邸前  一人の人間として (2011/11/26)
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▽五味明憲のProfile

 1955年生まれ
 現在:カメラマン(日本写真家協会・現代写真研究所専任講師、日本リアリズム写真集団理事)

写真記者を経てフリー。グラフ雑誌などを中心に作品発表

'90「視点」奨励賞受賞。


脱原発:首相官邸前集会

脱原発に向けて、国境を越えて市民一人が思いをこめたプラカードをもって、参加している。3・11への怒りを切り取った写真の数々。
(2012/11/26)

明浜

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 みかんやちりめん、真殊で有名な字和海から、南予の伝統が色濃く残る、この秋祭りをご紹介します。
(2012/12/01)

ライプツィヒ

1989年にニコライ教会を出発したローソクデモ・「月曜デモ」と呼ばれる反体制運動が起き、これが東ドイツにおける民主化運動の出発点となったことは記憶に新しいライプツィヒ。(2012/12/28)

東日本大震災・民医連の医療活動

3・11のあの日以降、息を吸う間もなく多くのボランティアが救援活動を起こした。そして、全国から民医連の仲間も駆けつけた。(2012/12/21)

    
 編集人:飯島信吾
ブログ:ある編集者のブログ
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UP 2012年11月07日
更新 2012年11月26日
更新 2012年11月28日
更新 2012年12月01日
更新 2012年12月03日
更新 2012年12月09日
更新 2012年12月21日