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障害のある人もない人も共に生きる職場・地域を NPO障害者の職場参加をすすめる会

電話でのお問い合わせは048-964-1819

〒344-0023 越谷市東越谷1-1-7 須賀ビル101

「人間を取り戻せ!大久保製壜闘争の記録」――「共に働く街を拓くべんきょう会」第52回


 

(2018.04.30)

新動画《『びっくりした』―― 越谷市で大久保製壜闘争上映会》

  ブログNPO法人労働組合作ろう!入ろう!相談センター(旧NPO法人労働相談センター・スタッフ日記)
   [発信:2018年04月25日 13時51分50秒 ― 障害者]
    https://blog.goo.ne.jp/19681226_001/e/8820329b12550588ad24daafe5f9b653    
   
 
  クリックしてください。youtubeへどうぞ。)



(2018.04.30)

大久保製壜所における反差別のたたかい(ルポルタージュ)

  高杉 晋吾、『月刊社会党』、1978年02月
   日本社会党本部機関紙局
  
     
 
 [参考]
◆19820601 「障害者の労働権――大久保製瓶工場での闘いを通して」,全国障害者解放運動連絡会議編[1982:119-139](『障害者解放運動の現在』)
『障害者解放と労働運動』、高杉 晋吾、19771031、社会評論社、282p.


(2018.04.23)

開催しました。 「人間を取り戻せ! 大久保製壜闘争の記録」上映・講演会。

  山下 浩志 facebook 15時間前 (18.04.22 PM22:00)
   https://www.facebook.com/hoiroshi.yamashita/posts/1605836696151631

 
   
   


▽4月20日(金)NPO法人障害者の職場参加をすすめる会の第52回共に働く街を拓くべんきょう会を開催。52回にして初めて労働運動の現場報告。40数年前から現在まで闘いの形こそ変われ、受け継がれてきた労働差別とのせめぎあいの歴史を学ぶ。大久保製壜のデモに40数年前、わらじの会の障害者とともに参加したのは、当時会の集まりや会報印刷の場所提供、介助などさまざまな面で協力をしてくれていた越谷市職のメンバーに誘われたから。参加した重度障害者は、集会で「大久保製壜のみんなが自分の言いたいことを言った」と月刊わらじに書いた。口述筆記されたその文章に、この夜講演してくれた長崎さんは深い共感を寄せてくれた。
 べんきょう会で私も話したのだが、この女性はつい数ケ月前に初めて街に出た。それまで就学免除にされ、ずっと家に閉じ込められて大人になった。昼間は祖母と二人で家にいて、来客があると奥に隠れ、手のまひが強く足が手の代わりなのに、昔気質の祖母は足を使うことを禁じた。街に出始めてから、やっと足でラーメンを作って食べたり、電動タイプで文章を書くことを身につけた。ある理由で数年後会の活動を離れたが、障害と共にひらきなおって地域で生きる姿勢をいまも貫いて、両親の死後も自宅で暮らし続けていると聞く。
 40数年前に出会い言葉を交わした大久保製壜の障害者たちも、その後のさまざまな差別・抑圧と向き合い、闘いながら、定年を迎え、再雇用も経て、地域で生きていると、長崎さんから聞いた。この夜の映画でも2008年の杉田さん(40数年前の委員長・脳性まひ者)の会社の前で語る姿を見ることができた。
 40数年前の大久保製壜は障害者が100人、健常者が60人という職場で、労働省からモデル工場として表彰された。大久保一族は知的障害者施設を経営し、工場にも寮を設けそこに知的障害者を住まわせていた。40年前、わらじの会の知的障害者の男性も、塗料工場で先輩にシンナーをかけられ火を付けられて耳を焼かれたと書いた。福祉はなくかなりの障害者が労働し、その現場であからさまな差別や暴力にさらされながら生きていた時代。
 いま大久保製壜はかってのような障害者雇用をやめたという。社会全体としても、40年前のような露骨な差別や抑圧は影をひそめた代わりに、障害者専用の契約社員制度や特例子会社、そして就労能力や生活能力によって分け隔てられた福祉施設体系が整備された。差別があからさまだったからこそ、長い苦しみの後に立ち上がった障害者たちは人間宣言を発して、あたりまえに時代を生き抜いた。いま、きめ細かく分けられる時代、それと闘おうとする私たち自身も、とりあえずはその支援制度を活用して沼地に足を踏み入れつつあがいている。あらためて、時代状況をふりかえる機会を得られてよかった。また、最近の東京東部労組の闘い(特例子会社、契約社員障害者)を知り、現に立ち上がった何名かの方々とも出会えた。
 越谷市職や市職と縁の深い県議の参加もあり、登山口からきつい登りを経て、山頂はまだまだ先だけれど、見晴らし台に立った思い。 



   長崎 広‏ @nagasakihiroshi · 4月20日
   https://twitter.com/nagasakihiroshi

 

 ▽長崎 広‏ @nagasakihiroshi · 4月20日
昨日4月20日越谷市「大久保製壜闘争の記録」上映・講演会の様子です。主催「NPO障害者の職場参加をすすめる会」が車イスの障害者や40名程の参加者の熱心さに、僕はかつてなく緊張しました。心暖まる本当に良い集会でした。
   
https://twitter.com/nagasakihiroshi




(2018.04.15)

開催します。 「人間を取り戻せ! 大久保製壜闘争の記録」上映・講演会。



(表と裏合わせた、PDFでお読みください)




 ●障害者虐待差別と闘ったドキュメント
 ●4月20日上映・講演会のお知らせ
 ●制作=ビデオプレス40分

 (PDF版)


 一緒に街に出始めたわらじの会 はじめてのデモ

                 
               (NPO障害者の職場参加をすすめる会 山下浩志)
 
 2004年に当法人の設立から四半世紀以上前の1978年9月―その5ケ月前に「障害のある人もない人も地域で共に生きよう」とスタートしたばかりのわらじの会の6人は、墨田区の路地から路地へ練り歩くデモの中にいた。

 

 60年代後半から70年代を通じて、経済成長が社会の繁栄につながり、家庭の幸福につながるといった幻想に、つぎつぎとほころびが生じてきた。企業による公害たれ流しや労働災害、職業病、そして、被差別部落や外国人、障害者差別、女性差別などが、表面化してきた。埼玉の地域には、年々全国各地から多くは東京を経由して人口流入が続いていた。さまざまに異なる生活史や感覚をひきずった人々が出会うことで、職場や地域をあらためて見直そうという意識が醸成されていた。
 当時の越谷市職員組合の人々は、自分たちの職場の中で一般職と現業職の間の格差があることや、委託労働者の劣悪な労働条件をなんとかしようと取り組むと同時に、地域の人々に対してもただサービスの提供者・利用者としての関係だけでなく、生活者同士として共に生きようと、さまざまな試みを始めたところだった。わらじの会の代表になる野沢、そして新坂姉妹も、会発足以前から若手職員たちが、花見やもちつきに誘うことによって、外に出始めていたのだった。
 そんな市職員たちの呼びかけで、一緒に出かけた大久保製壜闘争のデモ。リポビタンDの壜などを生産している同社は、大久保一族が障害者を多数雇用し、職場の中に重層的な差別構造を築いて、利益を上げていた。障害者たちは組合からも排除されていたが、妨害工作をはねのけて自分たちの組合を作った。会社側は切り崩しに躍起となり、裁判になっていた。

 誰もが一緒に生きる街になったかー大久保製壜から考える
 

 車イスの女性は、わらじの会の発足と同時に家の奥から街へ出てきたばかり。彼女は後にわらじの会内に結成される「自立に向かってはばたく家準備会」という障害者集団の代表となる。                   
 いずれにせよ、障害者が街で生きるための制度は、当時なにもなかった。いまのように介助で生活するなど、ありえなかった。ボランティアはいたが、施設のお手伝いが主だった。ボランティアが施設の入所者の個人的外出を手伝うことすらも、不公平になるからとか、責任が取れないからと、却下されることがよくあった。
 在宅の障害者が街へ出てゆくことは、しばしば家族の不安を募らせ、拒否された。駅へ行けば、階段ばかりだし、当時の改札は狭く車イスが通る幅はなかった。駅員の制止をふりきり、乗客たちの手を借りて、改札をこえ、階段をかつぎ、電車に乗って出かけた。

 あれから40年。街のバリアフリー化は進み、福祉や雇用の支援制度は抜本的に拡がった。しかし、ほんとうに誰もが一緒に生きる街になったのか? 大久保製壜闘争の記録映画と当時から現在まで闘い続けてきた長崎さんのお話を受けてみんなで考えたい。



▽2018.03.28
記録に残っている“デモに参加した障害のある女性の声”――「月刊わらじ6号」
                 
               (NPO障害者の職場参加をすすめる会 山下浩志)
                「facebook」より[2018年3月24日、16:45]


 NPO法人障害者の職場参加をすすめる会では、不定期に「共に働く街をひらくべんきょう会」という夜の勉強会を、法人化前からずっと開いている。というよりも、この勉強会に参加した顔ぶれによって法人化への基礎がつくられたといってもよい。ここでは日常活動に注がれている視線を上げて、遠くの山なみまで心をひろげ、その遠くから日常を眺めてみるといった機会を重ねてきた。
 そして、来月、4月20日(金)に久しぶりの勉強会を開く。先日もfacebookでお知らせした。障害者差別と闘ったドキュメント映画「人間を取り戻せ!」の上映と長崎広さん(全国一般東京東部労組副委員長・大久保製壜支部副委員長)の講演。
 先日のfacebookで、私はわらじの会発足の年に、当時の越谷市職メンバーに誘われて、街に出始めた重度障害者達と一緒に、大久保製壜検査課労組のデモに参加したことを書いた。
 その後、このデモに参加した障害のある女性が、月刊わらじ6号(いまは475号!)に書いていた文章を発見したので紹介する。彼女は就学免除でずっと家の奥で大人になり、数ケ月前に街に出たばかり。だから字もまだ書けず、連れ合いが口述筆記した。以下。


 「びっくりした」

 大久保製びんのみんなが自分のいいたいことをいった。公園から2時間ぐらいデモをして歩いた。工場の前にいったら、みんながバンバンどなっていた。工場のなかからは、会社のえらい人がカメラで写真をとってるの。
 あたまにきたことは、夜、女の人の部屋に、部長さんとか、専務さんとか、会社のえらい人が、からだをさわりにくるの。よっぱらってね。それが一番あたまにくるの。
 つぎにもうひとつはお金のこと。みんないっしょうけんめい働いているのに、お金をやらないで、みんな工場の人があずかってしまうんだって。それも頭に来た。みんな勇気があるんで、うらやましく思いました。
 はじめてデモにいって、デモはおもしろかった。

 




人間を取り戻せ! 大久保製壜闘争の記録」上映・講演会
  http://blog.goo.ne.jp/19681226_001/e/56546d23a026fd1ee78143cd8c370454


 この度、ビデオプレス制作映画『人間を取り戻せ !-大久保製壜闘争の記録-』40分の上映・講演会が行われます。ぜひ多くの方の参加を呼びかけます。
 21年9ヵ月の大久保製壜闘争が全面解決を勝ち取った1997年から今年で20周年を迎えました。
 1975年、墨田区にある「リポビタンD」などのガラス壜製造工場の大久保製壜所における長年の障害者・労働者への虐待・酷使・差別に抗し、ついに36名の障害者・労働者がキリスト教会籠城闘争に決起しました。一旦は勝利しましたが、職場に戻った労働者に会社側はあらゆる卑劣な労働組合攻撃で襲いかかってきました。しかし、地域・全国の仲間に支えられた東部労組大久保製壜支部は、歯を食いしばりながら職場・地域・都労委・裁判で頑張り抜き、職場では次々と仲間と団結し、地域では毎回300名を超える「路地から路地デモ」等で会社を追いつめていきました。
 1987年には、御用労組の青年労働者24名が決起し支部と合流します。危機感を抱いた大久保実社長は、暴力団員を雇い、本物の覚せい剤を長崎副委員長のオートバイに仕込ませ、長崎副委員長を逮捕させるという誣告犯罪攻撃を仕掛けてきます。しかし、東部労組・職場・地域・弁護団のすかさずの反撃で、大久保実社長らは逮捕され、実刑2年の獄につながれます。
 1995年、東部労組の「総反攻」の方針のもと、ストライキ33回、リレーストライキ143日やのべ700名3回に及ぶ大正製薬本社行動等の連続闘争を闘い、ついに1997年東京都労働委員会において支部の要求が満たされた協定が締結され、21年9ヵ月間の大久保製壜闘争の勝利的全面解決が実現します。
 今、私たちのNPO法人労働相談センターと全国一般東京東部労働組合に、年間7千件から8千件の労働相談が寄せられています。
 この間急激に増えているのが、職場の「職場のいじめ・嫌がらせ・パワハラ」です。「辞めさせてくれない」やセクハラ等との合計だけで、相談の半数近くを占めます。
 私たちは、ブログ「労働相談センター・スタッフ日記」とレイバーネットのホームページに毎月集計を発表しています。残業だけで206時間! 15時間・16時間の超長時間労働! 上司のパワハラで自殺においやられる店長!・・・・・・・・
 その中身は、まるで、<大久保製壜虐待・差別・酷使>の全国化そのものです。
昨年7月には相模原市の知的障害者施設津久井やまゆり園における知的障害者19名虐殺がおきました。
 社会では、在日外国人への差別・排外が跋扈しています。
しかし、理不尽な抑圧と搾取と差別に対し、民衆や労働者は必ず闘いに立ち上がります。大久保製壜闘争がそれを示しています。
 ワタミの父母は娘の無念をはらさんと全国の声援を受けて闘いつづけ、ついに渡辺美樹さんの謝罪と法的責任をみとめさせました。
 今、非正規差別に敢然と立ち向かっている東部労組メトロコマース支部の女性たちは不当判決に屈せず「非正規労働者よ 立ち上がろう!」と果敢に頑張っています。
 これからももっともっと多くの仲間たちが立ち上がってくることは間違いありません。 私たちは一緒に闘っていこうと決意しています。
 大久保製壜闘争解決20周年の今年、もう一度大久保製壜闘争を一緒にみなさんとふりかえる事の意義は大きいと考えます。
 ぜひおいでください。
 2017年5月16日
   (全国一般東京東部労働組合 菅野執行委員長)
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仲間は素晴らしい!
長崎 広

 <会社は、「労働者は、(特に"障害者"や"知的障害者"は)自分で考えることなどできず、ケチで臆病で怠け者で、まして人のために闘うことなどできっこなく、虫けらと同じで、一言で言えば無能なのだ」と信じ込んでいるし、またそうであってほしいのだ。実際はどうか。労働者・大衆こそが最も仲間のことを思い、差別を憎み、搾取と闘い、身を犠牲にしても闘う勇気を持っている。・・敢然と闘い、どんな迫害にも屈せず闘い続ける能力を持っている。仲間は素晴らしい。>
 
 これは1975年の36名の身体・知的障害者の仲間とキリスト教会籠城闘争からスタートした大久保製壜闘争5年目当時の私の感想文です。この感想は、21年9ヵ月間の大久保製壜闘争中も、また1997年に全国から多大な支援のもと全面解決を勝ち取った時も変わることは有りませんでした。
 「受けた支援は運動で返そう」の大久保製壜支部の方針を受けて、全面解決後の5年目2002年に28年間の製壜工生活から東部労組本部オルグとなり東部労組運動で出会う全ての仲間への思いも全く同様でした。「名ばかり店長」と闘う東部労組コナカ支部。超長時間労働と闘い、塩田支部委員長の不当解雇撤回を実現させ、最高裁判決で「偽装みなし労働」の全面勝利判決を実現した旅行添乗員のHTS支部。51歳雇止めを粉砕し見事職場復帰した市進支部。過労自死の娘の無念で闘うワタミの父母。非正規差別と敢然と闘うメトロコマース支部の女性たち・・・・。大久保製壜闘争での総括は強まることはあれ、揺ぐ事はありませんでした。
 昨今、労働争議が不幸であるかのような言説で、その為には団体交渉の席上でも怒ってはダメだとか、逆に経営側をリスペクトすることこそが大切だと主張して憚らぬ労組オルグまでいます。自分が臆病だから、自分が階級的立場を捨てたからといって、みんなも労働者も障害者も臆病扱いにするな。仲間は素晴らしいのだ。(全国一般東京東部労組副委員長・大久保製壜支部副委員長)

▼「明治学院 学内社会学会」が主催した案内より。 
上映『人間を取り戻せ !-大久保製壜闘争の記録-』
制作=ビデオプレス40分
講演 長崎 広 明学福祉学科卒業生 東部労組副委員長・大久保製壜支部副委員長
日時: 2017年6月17日(土)上映15:00~
場所:明治学院大学2401教室(東京都港区白金台1-2-37)
主催 明治学院 学内社会学会
 
 

  https://www.youtube.com/watch?v=0us2dlzJ5jw   (youtubeで観られます)





▽『障害者奴隷工場にたたかう』(桑原徹著、出版会刊、定価2500円、1981年12月)

  「大久保製壜闘争」を描いた出版物(山下浩志さん提供)

       ▲PDFで読めます(表紙をクリックしてください)  
    

   ▽同書奥付

   

全障連 過去の学習資料 大久保製壜闘争】


 



 (株)大久保製壜所は、東京の東部、墨田区にある。一九四七年、小さな町工場から始まった会社は、年商一七億円、関連会社八社を経営する企業にのし上がった。取締役は大久保実社長をはじめ、そのほとんどを大久保一族で固め、富を独占してきた。
 大久保製壜所は、二一一名の労働者中一二九名もの「障害者」を雇用し、超低賃金で酷使し、暴力・虐待の限りを尽くし、差別分断支配をもって利益を上げた。
 会社には組合はあったが、「障害者」を組合員として認めず、労働者のために闘うことのない、会社のための御用組合であった。

 労働―生活の実態はどのようなものだったのか?  三組三交代制、一五~一六時間ぶっ続けで立ちっ放しの労働、残業・早出の強制、一方的な休日の取り消し、一五分で終わらせなければならない食事…等々。とりわけ「障害者」に対しては、工場でてんかん発作で倒れた「障害者」を放置し死に至らせ、腕にひびが入っても夜勤ぶっ通しで働かせ、人差し指を切断しても翌日にはそのまま働かせた。会社側は「精薄者(ママ)は人間のクズだ、犬・猫と同じに扱え」と言い、「知的障害者」を直立不動にさせてバットでぶんなぐった。
 こうした差別―虐待が横行する中で、苛酷な労働に疲れ果てた「健全者」の労働者たちは、「障害者」を慰みものにして、おもしろがって眠気を覚ます、うっぷん晴らしをしていたのである。裸にされて柱にゆわえつけられる。首に鎖をつけて縛られる。寮の風呂場で桶に入れた小便を頭から引っかけられる。性器を露出させ女性労働者の前を歩かせられる。マスターベーションを強制させられる。……その上で、賃金は「健全者」の三分の一から二分の一、強制的な社内預金によって実質賃金は月に五〇〇〇円であった。
 こうしたすさまじい酷使と超低賃金、差別と虐待(―虐殺)に対して、「障害者」は団結し身体を張った命がけの闘いに立ち上がった。「障害者」の会社(資本)に対する人間的怒りは、あらゆる敵対―組合つぶしをはね返してより強く闘いぬかれた。
 この映画は、そうした「障害者」の闘い―労働争議の記録である。
   
 大久保製壜闘争は、労働者の解放が「障害者」差別との闘いなしには決して実現できないこと、また、「障害者」の差別からの解放は労働者の解放への闘いなしにはあり得ないこと、そして、闘えば勝てることを明らかにし、従って、労働者と「障害者」ひいてはすべての被差別大衆が一つの団結の下に闘うことこそが勝利を切りひらくのだということを明らかにした、すばらしい闘いである。
 福日労は、差別と闘う「障害者」の介護を組合の闘いとしてしっかりと据え付けて闘い、そして〈徹底非妥協・実力闘争〉を四〇年間闘い続ける三里塚闘争に学び、「障害者」と共に決起してきた。
 何よりも資本・国家権力の支配と弾圧、差別を憎むからこそ、仲間を大切にし、どんな差別も許さない強く豊かな闘いと団結を築いていこう!  その中でこそ「闘えば勝てる」という確信が、必ず我々の団結の手の中に現実のものとして獲得できる。共に闘おう



「一律二ヶ月!」「団結ガンバロー!」
俺たちは闘って労働者になった。

オレ達は忘れない
寒風吹きすさぶ十一月三十日
四年前のこの晩オレ達三十六名は決起した

こわくてこわくて仕方なかった
腰をぬかし歯をガチガチふるわせ
しかしあいつらへの憎しみがこわさにかった

オレ達は人間じゃなかった
パップ野郎、パッピ、バカ、アホウ、ビッコ、「子供」、ロボット、片輪
これが大久保製壜での十年間、オレ達に
浴びせられた呼び名の数々

オレ達は労働者でもなかった
御用組合はオレ達の名前に赤丸印で二重丸をつけて
食堂に張りだした
「加入資格なし」だった

オレ達には法律もなかった
モンキースパナで頭をなぐられても
風呂場で小便をかけられても
社長の実弟取締役に恋人が強姦されそうになっても
強制社内貯金で手元には数千円でも
月のうち二十二日間も無理やり深夜労働させられても
一ヶ月のうち休みがたった一日でも
法律は何も守ってくれなかった

箱詰めや検査は健常者より立派にやっている
それなのに賃金は大幅差別、ボーナスは乗率にまで差をつける
強制呼び出し 十二時間労働―出会い
通し勤務

酷使・虐待・差別・暴力

過労の中で発作でたおれた後藤君
救急車も呼ばれずパレットの上に放置された
次の日「かあちゃんに会いたい」と言って死んでいった

「お前らは生きたロボットだ」
「犬猫と同じだ」
「春になるとさかりがつくんだ」
「検査課はゴミのふきだまりだ」
オレ達の前でうそぶくあいつら
オレ達をぶっとばしてあるくあいつら

あいつらにビクビクしながらも
はらわたはにえくりかえる
酒や競馬で憎しみが消えるわけがない
クソッタレッ

決起!
オレ達は決起したぞ!
オレ達は決起したぞ!
オレ達は決起したぞ!

「チキショウ、チキショウ」とこれだけだった
憎しみ、憎しみ、憎しみ、憎しみ
殺してやりたいほど憎いあいつらを
やっつけるんだ「チキショウ」
あとは夢中だ
てつ夜で工場にすわりこみだ
あやまれ  今までのこと
ボーナスの乗率の差別だけは
絶対に認めないぞ
社長を呼んでこい
来るまでここを動かないぞ

鬼のような社長にはじめて逆らった
殺されてもいい やるしかない
こうなったらとことんだ
チキショウ チキショウ

朝方、工場を追いだされて
教会にろう城した
ろう城闘争が始まった
実力で闘った
会社は次から次と汚い手口でやってきた
暴力、おどし、親をつかっての切りくずし
捨て身で闘った

そしてオレ達の労働組合を
オレ達で作った
組合結成 一九七五年十二月三日
そして大声で叫んだ
イチリーツ ニカゲーツ
ダンケーツ ガンバロー
これしかなかった 何百回、何千回叫んだことか
朝起きて教会の庭で叫んだ
駅の改札口で、ホームで叫んだ
労政の中で、道をいく時も叫んだ
これしかなかった
夜、礼拝堂のストーブの回りで叫んだ
弱気になれば叫び
勝てそうだと喜べば叫び
団交が決裂すれば叫び
ノドがカラカラになっても叫んだ

みんな叫んだ
精薄者も身障者も健常者もなかった
叫んで叫んで叫びまくった
オレ達の叫びで
労政事務所の中がピリピリふるえる
会社側交渉員はそのたびに
ピクッと体をこわばらす
今度は連中がこわがっている

今度は連中のほうがこわがっている
今度は連中のほうがこわがっている

オレ達が連中をこわがらせた
オレ達は労働者になった
オレ達は闘って労働者になった

もうドレイじゃない
オレ達は連中をこわがらせた
オレ達の闘いにあいつらはこわがっている
オレ達が団結すれば
オレ達が闘うために団結すれば
連中はこわがる
オレ達は団結をしった
オレ達はオレ達の力をしった
オレ達の力を
オレ達の憎しみを
おもいきり発揮させてくれたのは
地域の仲間の限りない支援

不眠不休ではりついた副委員長とそれを保証すべく年休をとり彼の家業を代わりに働く東部労組員にみられる総動員体制
ピッタリと寄りそう墨田解同青婦部
三里塚支援の葛飾の婦人達はタキダシと洗タクに四十名も参加
牧師は右ヨクの妨害をはねのけた
鉄パイプと軍手で取りまく職制と
労働者、保母、市民が敢然と対峙

体をはり、よってたかって支えてくれた
オレ達の恩人 兄弟達 何十何百の仲間

そして
全国から会社に殺到する抗議の嵐

勝ったぞ!
「勝ったよ」「勝ったよ」

森ちゃんが叫ぶ
よしおが
重幸が
角田が叫ぶ 叫ぶ
善場がうずくまって泣いている
ろう城闘争七日目だった 十二月八日未明
支援も叫ぶ 一緒に泣いてくれている
杉田がこぶしをあげて叫んだ
「もう二度と許しはしない
虐待を! 差別を! 暴力を! 絶対に」
イチリーツ 二カゲーツ
ダンケツ ガンバロー
    ガンバロー
   ガンバロー

 







(2018.03.18)

東部労組とは。


http://www.rodosodan.org/toburoso/annai/donnatoko.htm

 


 東京東部労働組合(以下、「東部労組」の略称を使います)は1968年12月26日に結成されました。今年(2014年)で、結成46年になります。

  東京の東部地域つまり墨田、葛飾、江東、江戸川、足立、台東、荒川の各区で働く労働者を中心に首都圏全域で、企業のワクをこえてつくられ、地域の労働者の利益拡大をめざして活動しています。
 東部労組には、製造業、スーパー、リネンサプライ、建築測量、ビルメン、運送、タクシー、データ入力、ガス工事、警備などいろいろな職種の中小零細企業、または保育園、福祉施設、病院、臨床心理士、旅行添乗員、牛乳配達、おしぼり配達などで働く労働者があつまり、助けあって組合活動をしています。支部は42支部、 組合員はほぼ850名です。

 ●一人でも入れる地域の労働組合
  東部労組は業種や職種を問わず、また、正社員、パート、アルバイトの区別なく、おもに東京の東部地域と首都圏で働く労働者であればだれでも、一人でも入れる地域の労働組合、地域合同労組です。

  東京都労働委員会の「労働組合資格証明」をうけ、法人になっています。

 ●東部労組には7人の組合専従者
  また、中小零細企業の労働組合がそれぞれ専従者(職業的に組合活動をする人)をおくのは財政的にも困難ですが、東部労組ではみんなの組合費によって7人の専従者をおき、組合づくりの相談や、各支部へのアドバイスやサポートなど組合員の組合活動をフォローする体制をつくって、丁寧できめ細かい応援ができるようにしています。


 ●職場での組合結成はまず一人での東部労組加入からでもできる
  職場(勤め先)で労働組合をつくろうとするとき、一人でまず東部労組に加入して相談し、協力をうけながら少しずつ仲間をふやして、職場で労働組合をつくることができます。
 また、職場で信頼できる仲間・同僚とよく相談して、何人かで東部労組に加入することもできます。

 ●必要と要望に応じて「組合説明会」をやります
  一人でも複数でも、必要と要望に応じて、「組合説明会」を受けて、納得してから組合加入するコースもあります。
 
 さらにグループや労働組合で東部労組に加入することもできます。

 ●一人での東部労組加入の場合は「労働相談支部」の所属となります
  一人だけで東部労組に加入される組合員は労働相談支部に所属することになります。

 労働相談支部は個人加入の東部労組組合員の集まりです。

 ここでは、次のような活動を行います。
(1)自分の職場(勤め先)で東部労組の支部をつくる(つまり労働組合を立ち上げる)にはどうしたらよいか、組合結成のため仲間を増やすにはどうするか、どういう順番で進めていくか、など労働組合の初歩の初歩から、担当する専従者や支部会議で検討し、方針を決め、実行するようにします。

(2)東部労組のかかわる学習会、活動、行事や他の支部の行動、争議、会社前行動などの応援に参加します。それらの行動に参加するかどうかについては一人ひとりの組合員の意志を尊重しています。

(3)それぞれの支部組合員の再就職など進路相談に乗っています。「会社は一時、東部労組は一生」の精神で、要望に応じて応援します。

 〒125-0062
東京都葛飾区青戸3-33-3
野々村ビル1階
TEL:03-3604-5983
FAX:03-3690-1154
e-mail:info@toburoso.org



「ジャパンユニオン」とは。

 

   http://www.jca.apc.org/j-union/(アドレスを「検索欄」にコピーしてください)


 労働者にとって最強のセーフティネットは労働組合!
 労働問題を労働組合加入で解決しよう!
 職場に労働組合をつくろう!
 ジャパンユニオン組合費は月額1000円!

ジャパンユニオンに加入すると・・・
 ■労働組合ジャパンユニオンは労働者のセーフティネット、いざというときの保険です。
 ■ジャパンユニオンはあなたの労働問題での顧問コンサルタントです。
 ■ジャパンユニオンはあなたの味方です。まずはご相談ください。
 ■日本国憲法、労働組合法の団結権、団体交渉権、団体行動権などによって組合員としての権利と保護を受けられます。
 ■組合員として優先的に継続した個別相談を受けられます。
   (ご相談される場合は最初に組合員であることをお知らせください)
 ■組合加入通知、団体交渉申入れ、要求書、警告書等助言します。
 ■労働者の立場にたつ弁護士、医師を紹介できます。
 ■ジャパンユニオンの研修講座など諸活動に参加できます。
 ■月刊「組合ニュース」など有用情報が得られます。
 ■希望者には「ジャパンユニオン組合員証」を発行します。
 ■地域ユニオン加入について助言と紹介ができます。
 ■ジャパンユニオンの脱退は組合員の意志で自由にできます。
  ――詳細は「ジャパンユニオンとは」を参照してください。
  なぜ個人でなく、ジャパンユニオン(労働組合)か
  労働者はどうして個人では闘いづらくて、労働組合の組合員になると闘えるのか。
  それは、労働組合が憲法などでさまざまな権利を持ち、守られているからです。
  たとえば、あなたが会社に不満を持って、個人で社長に文句を言いに行く。その時に、社長が「お前と は話をしたくないよ」と言われて、「ちょっと待て、人の話を聞け」と、あなたが社長に食い下がって社 長を追い詰めて話を無理矢理聞かせたら、それは場合によっては強要罪とか監禁罪、不退去罪とか、労働 者が罰せられます。
  それがいったん労働組合を作って、同じことを社長や会社に要求する。その場合は、同じ行為が労働組 合の「団体交渉申し入れ」ということになります。
  それに対して社長が「そんなの、お前の話など聞けるか」と、話し合いを拒否したら、 今度は社長が 団体交渉拒否という法律(労働組合法第七条「不当労働行為」)違反になり、罪に問われるのです。
  これぐらいに労働組合に加入し組合員になることと、個人のままでやることとは違うのです。
  詳しくは、「労働組合とは」をご覧ください。
ジャパンユニオンの組合員になるには・・・
 組合費は月額1000円です。そのほか、初回のみ入会金2000円が必要。

  
 〒125-0062
東京都葛飾区青戸3-33-3
野々村ビル1階
TEL:03-3604-1294  
FAX:03-3690-1154 
E-mail:j-union@jca.apc.org


NPO法人労働組合入ろう! 作ろう! 労働相談センター。

 「労働相談センター」からの名称変更にあたって

 当センターの前身であるNPO法人労働相談センターでは、従来より「労働組合で問題を解決する」ことを相談者のみなさんに呼びかけてきました。

 その一方で、寄せられるあらゆる労働相談にも原則として応じてきましたが、「労働組合を作る・労働組合に入る」ことで問題の解決を図ることを呼びかけていくという原点に立ち返るとともに、その原点をより強く伝えていく意味で組織の名称を変更し、労働組合への加入、または労働組合の結成を前提にする労働相談に応じることといたしました。
 ご理解のうえ、ご協力をお願いいたします。





ブログ NPO法人労働組合作ろう!入ろう!相談センター。

  NPO法人労働組合作ろう!入ろう!相談センターと東京東部労働組合の記録
 https://blog.goo.ne.jp/19681226_001
(アドレスを「検索欄」にコピーしてください)


 












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