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この街で一人ひとりがつながって、生きられるために。

    2016年02月28日(日) 旧日光街道ぞい(越谷市商工会前)
 第4回 雛めぐり(越ヶ谷 春の宿場まつり)[2月27日から3月3日]
 街・人・にぎわいづくりに参加!                                  
   
 
                
 
  △左が「こしがやブランド認定品ずんだ饅頭」を製造・発売している株式会社イシザキフーズ石崎社長と「町衆」(はたまたお茶の売り子か)の女性に扮した地元の方たち。越谷市観光協会の呼びかけで「水辺の市」(越谷にぎわいの会)からは7店舗、出店した。
 
           
 
  これは「飴売り」の恰好か?

  △町衆とは。室町時代,京都などの都市で自治的な共同体を組織・運営した人々。酒屋・土倉をはじめとする商工・金融業者のほか,その地域に居住する公家や武家の被官も含まれていた。中世後期の民衆文化の担い手の中心となった。(三省堂『大辞林』)

 
  
                                 
 
   
   
 
 食べ物・小物の販売も。 




 やっぱり主人公は、街並み・雛めぐり。
                                  
 
  旧街道沿いの木下半助商店
                            

                                    
   
 旧街道沿い
 
 
 △越谷小学校前にあった旧家と蔵(八百喜参の蔵、三味線の引き手がいた)
                                        
 若い研究者が「なぜ保存できたのか」をガイダンスしていた。「明治初期か江戸時代末期」とのこと。後ろから地元の長老らしき人が「江戸」だと声をかけていたが、「研究者によっていろいろある」と一言(ポラスの販売した住宅地内にある)。
 

          
 
  △東武スカイツリー線・越谷駅前(東口) ツインシティA2F。

  
 

参考 「越谷の市(いち)」は、2と7のつく日で、「400年も続いた」ことなどを語り合った古豪さん座談会
『古志賀谷』(越谷市郷土研究会会報、第15号、平成21年7月刊)
 

聞き書き 50年前の越谷を語る(平成20年〔2008〕12月6日、越谷中央市民会館)。
四名の方のプロフィール ー
         (五十音順)
岩瀬静江さん
 越谷市大沢に生まれ育ち、現在は
 越谷市赤山本町にお住まいです。
北川義男さん
 北葛飾郡松伏村で生まれ、現在は
 越谷市千間台西にお住まいです。
渋谷正芳さん
 越谷市蒲生に生まれ育ち、現在も
 越谷市蒲生にお住まいです。
野口祐許さん
 越谷市谷中町に生まれ育ち、現在も
 越谷市谷中町にお住まいです。


 - 商店街はいかがでしたか -
岩瀬 越谷は商店がそろっていました。何屋さんでも。にぎやかでしたよ。大沢は飲み屋さんなんかがたくさんありましたね。
野口 何だかんだっていっても商店はほとんど越谷の町と大沢の一部だけ、そこへ近郷近在の人たちが寄って来たんで。したがって越谷の町はにぎやかだったんですよ。
岩瀬 今はレジ袋で買い物をしますが、むかしは買い物かごがありました。結婚した時に新しい龍を買いましたよ。
渋谷 籠を持っていくのはまだ高級な方です。ザルですよ、われわれは。ザルを持って魚屋さんに行っても卵を買いに行っても、何にしてもザルを持って行きましたね。ザルがない時は新聞紙なんかでくるんでもらっていましたね。
  買物龍っていうのはずいぶん後になってからのものです。
北川 肉屋さんとか魚屋さんとか、ちゃんとしたお店は越谷の旧日光街道しかなかったんですね。だから「今日は魚を食べるから越谷まで行って買ってこい」と言われると小学校低学年の子どもが大人用の自転車で三角乗りでハンドルの下から顔を出して越谷まで買いに行くんですよ。
  よくやりましたよ。魚を買う時は目玉をよく見て来いってね。魚屋さんは水をぶっかけてね新鮮味を出すんですが、眼はごまかせない。でも、わからないですよね。「こんな腐った魚買って来て」と怒られましたよ。よくね。
野口 豆腐を買いに行く時は、新聞紙を豆腐の上に乗せるんですね。そうすると新聞紙のしみで動かずに豆腐が壊れずに済むことを豆腐屋さんで教わりました。
岩瀬 肉とか魚は経木(きょうぎ)でしたね。
北川 農村ではちょっと離れた所で物を売っているお店を探そうと思ったら火の見やぐらを目当てにするんですよ。その下によくお店があるんですよ。
野口 何にしても町は越谷しかなかったですね。全部ここへ集中してたんですね。だから二七の市が非常に盛んだったんです。毎月二と七の付く日に開かれる二七の市は越谷市に四百年も前から続いていたんですが、都市化現象と交通量の激増でいまは消滅してしまいました。日光街道をはさんで常に百軒を越える出店があってにぎわっていたんですが…。農作物を中心に衣料、雑貨、駄菓子まで持ち寄る品数は多くて、庶民生活の重要な場として二七の市は栄えていましたけれど。
北川 何か買い物をして来いと言われると越谷でしたね。大沢で買ったっていうのは余り覚えていないですね。バスで行っていいかっていうとバカ者と言われてね。バスなんか乗るもんじゃないと言われてね。また、バスはおばあちやんが乗るもんだと言われてね。自転車でよく納豆売りなどが自転車でチリンチリン鳴らして来ましたね。








水辺の市――2015年1月から6月の風景
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/mizubenoiti/2015nen01gatukara06gatu.html

水辺の市――2015年7月の風景

ttp://e-kyodo.sakura.ne.jp/mizubenoiti/7gatu.html


水辺の市――2015年8月の風景

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/mizubenoiti/1508gatu.html

水辺の市――2015年10月の風景

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/mizubenoiti/1510gatu.html

水辺の市――2015年11月の風景
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/mizubenoiti/1511gatu.html 

水辺の市――2015年12月の風景
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/mizubenoiti/1512gatu.html

水辺の市――2016年01月の風景
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/mizubenoiti/160112mizubenoiti.html

水辺の市――2016年02月の風景
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/mizubenoiti/1602gatu.html

水辺の市――第4回雛めぐり(越谷市)(2016年2月28日)
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/mizubenoiti/160228hinameguri.html

水辺の市――201603月の風景

http://e-kyodo.sakura.ne.jp/mizubenoiti/160308mizubenoiti.html


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 編集人:飯島信吾
ブログ:ある編集者のブログ
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UP 2016年03月02日
更新 2016年03月02日