▽参考 「越谷の市(いち)」は、2と7のつく日で、「400年も続いた」ことなどを語り合った古豪さん座談会 『古志賀谷』(越谷市郷土研究会会報、第15号、平成21年7月刊) 聞き書き 50年前の越谷を語る(平成20年〔2008〕12月6日、越谷中央市民会館)。 四名の方のプロフィール ー (五十音順) 岩瀬静江さん 越谷市大沢に生まれ育ち、現在は 越谷市赤山本町にお住まいです。 北川義男さん 北葛飾郡松伏村で生まれ、現在は 越谷市千間台西にお住まいです。 渋谷正芳さん 越谷市蒲生に生まれ育ち、現在も 越谷市蒲生にお住まいです。 野口祐許さん 越谷市谷中町に生まれ育ち、現在も 越谷市谷中町にお住まいです。 - 商店街はいかがでしたか - 岩瀬 越谷は商店がそろっていました。何屋さんでも。にぎやかでしたよ。大沢は飲み屋さんなんかがたくさんありましたね。 野口 何だかんだっていっても商店はほとんど越谷の町と大沢の一部だけ、そこへ近郷近在の人たちが寄って来たんで。したがって越谷の町はにぎやかだったんですよ。 岩瀬 今はレジ袋で買い物をしますが、むかしは買い物かごがありました。結婚した時に新しい龍を買いましたよ。 渋谷 籠を持っていくのはまだ高級な方です。ザルですよ、われわれは。ザルを持って魚屋さんに行っても卵を買いに行っても、何にしてもザルを持って行きましたね。ザルがない時は新聞紙なんかでくるんでもらっていましたね。 買物龍っていうのはずいぶん後になってからのものです。 北川 肉屋さんとか魚屋さんとか、ちゃんとしたお店は越谷の旧日光街道しかなかったんですね。だから「今日は魚を食べるから越谷まで行って買ってこい」と言われると小学校低学年の子どもが大人用の自転車で三角乗りでハンドルの下から顔を出して越谷まで買いに行くんですよ。 よくやりましたよ。魚を買う時は目玉をよく見て来いってね。魚屋さんは水をぶっかけてね新鮮味を出すんですが、眼はごまかせない。でも、わからないですよね。「こんな腐った魚買って来て」と怒られましたよ。よくね。 野口 豆腐を買いに行く時は、新聞紙を豆腐の上に乗せるんですね。そうすると新聞紙のしみで動かずに豆腐が壊れずに済むことを豆腐屋さんで教わりました。 岩瀬 肉とか魚は経木(きょうぎ)でしたね。 北川 農村ではちょっと離れた所で物を売っているお店を探そうと思ったら火の見やぐらを目当てにするんですよ。その下によくお店があるんですよ。 野口 何にしても町は越谷しかなかったですね。全部ここへ集中してたんですね。だから二七の市が非常に盛んだったんです。毎月二と七の付く日に開かれる二七の市は越谷市に四百年も前から続いていたんですが、都市化現象と交通量の激増でいまは消滅してしまいました。日光街道をはさんで常に百軒を越える出店があってにぎわっていたんですが…。農作物を中心に衣料、雑貨、駄菓子まで持ち寄る品数は多くて、庶民生活の重要な場として二七の市は栄えていましたけれど。 北川 何か買い物をして来いと言われると越谷でしたね。大沢で買ったっていうのは余り覚えていないですね。バスで行っていいかっていうとバカ者と言われてね。バスなんか乗るもんじゃないと言われてね。また、バスはおばあちやんが乗るもんだと言われてね。自転車でよく納豆売りなどが自転車でチリンチリン鳴らして来ましたね。