2014年3月19日
五十嵐仁教授 退職記念―記念講演・歓送会を開催
主催:法政大学大原社会問題研究所。
法政大学多摩キャンパスで、法政大学大原社会問題研究所前所長・五十嵐仁法政大学大原社会問題研究所教授の「退職記念講演・歓送会」が開かれた。
参加者は、五十嵐先生の諸先輩先生方、友人、旧同僚、大原社研のスタッフ、出版関係者などであった。
当日は、参加者に「退職記念講演・歓送会プログラム」(主催:法政大学大原社会問題研究所)と「略歴 主要研究活動・業績」一覧冊子が配布された。
プログラムの中につづられていた「我が半生(反省)の記 学究の世界に迷い込んだ活動家として」は、これまでの歩みがよくわかり、また人間味あふれた講演だったので、多くの方に読んでいただきたい。
会の模様は、ご本人が「ブログ:転成仁語」で紹介されているので、本サイトにUPする。写真は友人の手島繁一さんからいただいた。 (飯島信吾)
五十嵐仁教授 退職記念講演 次第
2014年3月19日(水) 14:00~15:45
多摩キャンパス 総合棟5階 多目的ルーム
口所長挨拶 大原社会問題研究所所長 原 伸子
口業績紹介 大原社会問題研究所副所長 鈴木 玲
口記念講演 五十嵐仁
司会 大原社会問題研究所准教授 榎 一江
我が半生(反省)の記 学究の世界に迷い込んだ活動家として
法政大学大原社会問題研究所 五十嵐 仁
はじめに
「半生」とは小学校に入学して以降、今日まで、実質的には「半分」以上を占めている ~
それを「反省」をこめて語るという意味で「反省の記」でもある
主として私個人の歩みの紹介、研究所の業務については一部言及するにとどめたい
Ⅰ。大学入学まで
(1)頸城村立大瀁(おおぶけ)小学校松橋分校に入学
新潟の専業農家に生まれる、「勉強なんかしていないで手伝え」という環境
入学前から姉に連れられて学校へ、入学式ではすべり台で遊んでいた
文学少女だった姉の強い影響、親に反発して勉強、隠れて本を読んでいた
4年生までは分校、5年生から本校まで5キロの道を歩いて通学
(2)社会問題への目覚め
頸城村立大瀁中学校に入学、美術部、応援団、生徒会の常任委員として活動
生徒会顧問の大金辰三先生が3年時に社会科を担当、ベトナム戦争の授業に大きな感銘
テレビで仏教徒の焼身自殺を見て衝撃、「黙って見ていて良いのか。何かできるはずだ」
大金先生は退職後市民向け歴史講座を主宰、上越市9条の会代表、12年5月に講演
(3)高校生活動
新潟県立直江津高校に入学、新入生総代として答辞を読む
美術クラブに入部、曽根一郎(現「ラ・ソネ」店主)さんと出会い、大きな影響
受験競争を批判するビラを配布、教務室に呼び出される
1年生の夏休みに上京して銀座の画廊を回り、ソ連映画「戦争と平和」に感銘
弁論部に入部、書棚に労働旬報社の『安保黒書』、帯に塩田庄兵衛先生の推薦文
2年生の夏休みに第13回原水爆禁止世界大会代表として上京
上越地区高校生集会、映画「裸で狼の群れの中に」上映会など
修学旅行団団長、ベトナム人民支援カンパ活動に取り組みトランジスタ・ラジオを送る
頭髪自由化運動で臨時生徒総会、自由化実現、その後、1週間山ごもりで受験勉強
Ⅱ。嵐の中の青春
(1)都立大学への入学と右目の失明
安田講堂の攻防戦で東大の入試中止、東京都立大学に合格
1年生で学生自治会副委員長、自衛官入学、大学立法反対運動など、4カ月間大学封鎖
封鎖解除後約1年間、大学の学生会館ホールで宿泊、住民票を移す
2年生で学生自治会委員長、70年安保闘争を指導
毎日アジ・ビラや立て看を書き、昼休みに演説、後に論孜の執筆や講演で役立つ
71年9月10日午後、暴力学生の竹竿で右目を突かれ右眼球摘出、失明
3年時から塩田庄兵衛ゼミ、5年目の4年時に金子ハルオゼミに所属
(2)大学院への進学
失明事件で報道され、入社案内は皆無、さし当たり大学院へ「緊急避難」
自治会役員として減らした必修の英語の単位申請不足を金子先生に救ってもらう
ほとんど授業に出られなかったが『国民文庫』のマルクス・エンゲルス関係文献を読破
1年間留年して猛勉強、大学院にいた小林英夫(早稲田大学教授)先輩から英語の特訓
この間、『資本論』全3巻、『レーニン全集』1~42巻を読破
法政大学大学院社会学専攻に合格、塩田先生の友人だった中林賢二郎先生のゼミに所属
(3)法政大学大学院時代
入学後、直ちに大学院学友会委員長に、副委員長は森ます美(昭和女子大学教授)さん
中林ゼミで統一戦線論の研究、田沼肇・増島宏・高橋彦博・江口朴郎先生などの指導も
「法政大学政治史研究会」に参加し、コミンテルン研究と共に日本政治研究を開始
論文執筆のために大原社会問題研究所に出入りし、コミンテルン関連資料を収集
修士課程修了時、学位授与式で総代、中村哲総長より学位記を授与
修論「コミンテルン初期における統一戦線政策の形成」は『社会労働研究』に掲載
Ⅲ。専門研究者として
(1)大原社会問題研究所兼任研究員に採用
三宅明正(千葉大学教授)さんとともに、兼任研究員として採用
運営委員会にも出席し、主として『社会・労働運動大年表』の編集に従事、
その後、吉田健二・佐伯哲郎・相馬保夫・梅田俊英・横関至・大野節子さんらが採用
研究所は多摩キャンパスに移転
(2)助教授・教授時代
佐藤博樹助教授の学部への転出に伴い、専任研究員・助教授として採用
中林賢二郎先生の急逝によりゼミを引き継ぐ、学生に頼まれて自主ゼミを指導
江藤俊介のペンネームで『文化評論』などに寄稿
二村先生に勧められHP作成、野村一夫さんに勧められプログ「五十嵐仁の転成仁語」
研究所で従事した業務や共同研究等については、『略歴・主要研究活動・業績』を参照
(3)調査旅行と留学
大学院生時代に都職労調査団の研究員として初めて訪欧、調査報告書を作成
中国の上海外語学院に短期(2ヵ月間)留学、中国共産党と抗日戦争の史跡を調査
旅行記「中国の旅の空から」を『労働法律旬報』に連載
海外研修として米ハーバード大学ライシャワー日本研究所に1年間留学
その後、半年にわたって地球を一周し33ヵ国を訪問、労働資料館と労働組合を調査
旅行記は『この目で見てきた世界のレイバー・アーカイヴス―地球一周:労働組合と労
働資料館を訪ねる旅』(法律文化社、2004年)として出版
Ⅳ。「労働政治研究」の看板を掲げて
(1)政治過程と政治史研究
日本政治研究、現代政治の評論と戦後政治史
「法政大学政治史研究会」での高橋先生の指導が大きく影響
最初の共著は増島宏・高橋彦博編『現代日本の議会と政党』(学習の友社、1980年)
次の共著は中野好夫ほか『危局を読む』(労働旬報社、1981年)
『保守政治リストラ戦略』(新日本出版社、1995年)、「リストラ」用語の混乱
『戦後政治の実像一舞台裏で何が決められたのか』(小学館、2003年)
法政大学大原社会問題研究所・五十嵐仁編『「戦後革新勢力」の源流―占領前期政治・
社会運動史論1945-1948』(大月書店、2007年)
法政大学大原社会問題研究所・五十嵐仁編『「戦後革新勢力」の奔流―占領後期政治・
社会運動史論1948‐1950』(大月書店、2011年)
政治の何が問題か、それはどうしてなのか、解決するにはどうしたらよいのかを解明
中曽根―安倍の危険性、戦後における「戦前」の継続と復活、政治革新の意義と展望
(2)教養としての政治学
高橋先生の紹介で東京農工大学農学部の一般教養部の政治学を講義
講義ノートを元に『概説 現代政治-その動態と理論』(法律文化社、1999年)執筆
畑田重夫編『現代の政治理論』(学習の友社、1988年)をきっかけに最初の単著出版
『戦後保守政治の転換一「86年体制」とは何か』(ゆぴてる社、1987年)の「ゆぴてる 社」を紹介して下さったのは畑田重夫先生
『現代日本政治一「知力革命」の時代』(八朔社、2004年)
『18歳から考える日本の政治』(法律文化社、2010年)
独自の政治理論の体系化、専門家ではなく民主的市民にとっての政治的常識の涵養
(3)労働問題と労働政策研究
研究所の業務として『日本労働年鑑』の編集責任者を担当(1989~2013年)
毎年、必ず3回は原稿に手を入れゲラを読むため、日本の労働問題を勉強
労働問題、労働者状態、労働運動について、自然に詳しくなった
『政党政治と労働組合運動一戦後日本の到達点と21世紀への課題』(御茶の水書房、1998
年)
帰国途上に進藤栄一先生から『労働政策』(日本経済評論社、2008年)の執筆依頼をされる
その執筆過程で『労働再規制一反転の構図を読みとく』(ちくま新書、2008年)を構想
労働の規制緩和への批判、「06年反転説」の提唱、その後の「再反転」への抵抗
(4)政治改革と選挙制度
日本政治研究から派生、93年8月中旬、労働旬報社の加藤さんからの電話がきっかけ
『一目で分かる小選挙区比例代表並立制』(労働旬報社、1993年)とその続編『徹底検
証 政治改革神話』(労働旬報社、1997年)を執筆
12年5月23日、衆議院政治倫理の確立・公職選挙法改正特別委員会の参考人質疑:意見
陳述
12年6月2日、日民協憲法シンポジウム:小選挙区制の問題点とあるべき選挙制度
13年5月11日、日弁連・東京弁護士会主催第22回憲法記念行事:国会は民意を反映し ているのか?
当初から政治改革の問題点を指摘、一貫して小選挙区制に反対し比例代表制を主張
(5)憲法と活憲
ブログでの憲法関連の記事をまとめて一冊にするというアイデア
『日本20世紀館』(小学館、1999年)の編集分担を小林英夫さんから要請
編集者の加藤真文さん、編集委員の金子勝(慶膳大学教授)さんと知り合う
その後、『活憲一「特上の国」づくりをめざして』の出版を相談、小学館では不採用
都立大の後輩で旬報社にいた口石利昭さんの尽力で績文堂・山吹書店から出版
13年3月3日、九条科学者の会結成8周年記念の集いで講演「日本政治の右傾化と憲法の危機一危機打開・活憲に向けての大運動を」
それを元に共著『憲法九条の新たな危機に抗して第二次安倍政権――政治の右傾化と集団的自衛権』(9条の会ブックレット)を出版
(6)留意してきたこと
業績の多くは「注文建築」、どのような注文にも応えられるように技能を磨くのが研究
仕事の「注文」は基本的に断らない、常に3~4個の仕事が同時並行
原稿の締め切り、字数、講演の時間などは厳守する、遅れれば他の仕事に影響
内容の完成度より締め切りを優先、完璧をめざしつつも8割ほどで妥協
批判対象として久米郁男・後房雄・福岡政行・竹中平蔵・大田弘子などの論者を意識
むすびに代えて―謝辞
多くの人に助けられ、支えられてきた
人との繋がりや「注文」がなければ、業績の多くは形にならなかった
「基地」であり「武器庫」であった大原社研の施設・組織・資料・人々の存在は大きい
楽しい職場で、自由に、やりたいようにやらせてもらったことに感謝したい
これまでは学究の世界に迷い込んだ活動家であった
正規軍から遊軍へ― 一兵卒の活動家という元の姿に戻り社会のために余生を捧げたい
五十嵐仁教授 退職記念歓送会 次第
2014年3月19日(水)16:00~18:00
多摩キャンパス総合棟5階 第1会議室
□所長挨拶 大原社会問題研究所所長 原 伸子
口祝辞 法政大学名誉教授 早川征一郎・法政大学名誉教授 相田 利雄
口乾杯 法政大学名誉教授 嶺 学
懇 談
□はなむけの言葉
現代福祉学部教授 大山 博
元高知短期大学学長 芹澤 寿良
昭和女子大学特任教授 木下 武男
国立歴史民族博物館教授 荒川 章二
千葉商科大学教授 金 元重
専修大学教授 兵頭 淳史
旬報社社長 木内 洋育
元大原社会問題研究所兼任研究員 手島 繁一
元大原社会問題研究所主任 若杉 隆志
大原社会問題研究所兼任研究員 畠中 享
口 花束・記念品贈呈
口 謝 辞 五十嵐 仁
司会 大原社会問題研究所准教授 榎 一江
昨日、大原社会問題研究所の主催で、退職記念の講演会と歓送会を開いてもらいました。お忙しい中、北海道などの遠くからも出席していただくなど、沢山の懐かしい顔ぶれが揃いました。
ありがとうございました。この場を借りて、お礼申しあげます。
昨日の記念講演の標題は「我が半生(反省)の記-学究の世界に迷い込んだ活動家として」とさせていただきました。反省を込めながら、これまでの半生を語るという意味ですが、同時に、これまでが「半分」になるほどに長生きしたいという願望をこめたものでもあります。
副題を「学究の世界に迷い込んだ活動家として」としたのは、元々研究者になることをめざしていなかったからです。学生運動の渦中で右目を失明し、それが報じられたりして企業からの就職案内は皆無だったため、緊急避難として大学院への入学をめざしたのがそもそもの始まりでした。
なんとか1年留年して猛勉強し、法政大学大学院社会科学研究科社会学専攻修士課程に入学することができました。これが1974年の4月ですから、以来40年間、法政大学にお世話になったと言いますか、お世話をかけたことになります。
その後、幸運にも大原社会問題研究所の兼任研究員から専任研究員となることができました。助教授として常勤職を得たことで、「命がけの飛躍」に成功したわけです。
もっとも、学生運動の活動家上がりであったことは、大原社会問題研究所への採用の際にも多少問題にされたようです。その活動家が、大原社会問題研究所という極めてアカデミックな世界に迷い込むことになりました。
当初は、コミンテルンの統一戦線論研究から出発したものの、すぐに日本政治研究に方向を転じ、以来、「労働政治研究」の看板を掲げて、①日本の政治過程と政治史、②教養としての政治学・政治理論、③労働問題と労働政策研究、④政治改革と選挙制度、⑤憲法と活憲など、日本の政治と労働にかかわる幅広い分野について執筆したり、話をしたり、してきました。
今回、退職に当たって、これまでの足跡を振り返って『略歴、主要研究活動・業績』という小さなパンフレットを作成しました。表紙や目次、奥付まで入れて全部で56頁となり、驚いています。
我ながら沢山書いて話してきたものです。その多くは依頼されたり取材されたりしたもので、沢山の人との結びつきや援助によって生み出されてきました。
これらの人々や団体の関係者に対しても、この場を借りてお礼を申しあげます。これからも、このような依頼や取材に応え、引き続き「活動・業績」を積み重ねていくつもりであるとの決意を込めつつ……。
送別会も楽しいものでした。数少ないゼミ生や学生に頼まれて協力した自主ゼミの参加者も、懐かしい顔を見せてくれました。
中に1人、来春の統一地方選挙に立候補する予定だという候補者がいました。神奈川県議選に日本共産党から川崎区で立候補するという後藤真左美さんです。
驚きました。自主ゼミに参加していたときは大人しくてそれほど目立たないお嬢さんだったのに、今は見違えるように逞しく積極的な政治家になっていたのですから……。
そのような変貌を遂げるうえで、私の教えたことがいささかなりとも役立っていたとすれば嬉しい限りです。是非、当選していただきたいものです。
「もう暇になると思うから、ビラ配りの応援にでも行きますよ」と、約束して分かれました。この約束が、私にとって学究の世界から一兵卒の活動家という元の姿に戻る第1歩だったということになります。
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