06/11/11
不思議なシンフォニー ご案内(以下)の集会<『いのちの証言』出版記念の集い>が、11月10日(金)、夜6時30分から、108人が参加して全労連会館で開かれた。その一端を速報としてUPする。 実行委員会を代表して木村康子さんの挨拶で始まり、<私はなぜ『いのちの証言』を書いたのか>,著者・今崎暁巳さんは「主人公にほれやすいこと、戦前の農村での貧しさを書き込めなかったこと、戦前・戦後を生きた人間像をどうしても次の世代に伝えたかった」と会場に語りかけた。 本書発行を契機に、「憲法・教育基本法で生きる・つながる・創る」をテーマに、トップバッターとして問題提起したのは渡辺治(一橋大学)さんの「民主運動と憲法」。 渡辺治(一橋大学)さん(右が著者の今崎暁巳さん) 渡辺さんは、戦前を統治した明治憲法の時代の特徴と今日のように自由に集会が開かれる日本国憲法の存在を明らかにして、その憲法を豊かに実質化する民主運動の果たしてきた役割を語った。 レジュメを書きとめておく。 はじめに 戸口好太郎の戦前と戦後――今崎暁巳の本の意味 1 憲法が戦後の運動を守り、その発展を助けた 2 運動が憲法を守り、育てた 3 21世紀の日本とアジアを見つめて 連日、日本各地で長い講演を精力的に果たしている憲法学者が、憲法25条を実質化した「朝日訴訟」、平和を希求した平和運動など短い時間で簡潔にまとめ、民衆のパワーを評価した。この講演は、会場に集まったみんなの胸に吸い込まれたようだ。 この集会は、次の世代とのコミュニケーションの回復を今日から始めようという、先輩たちの思いが込められていた。 看護師として医療現場から川上野江子さん。中国の毒ガス弾を埋めた日本兵の存在、今日の中国民衆の被害を知り、知らなくてはいけないことの発見と自己自身の意味を考えさせられた姿を、若い世代の感覚で話してくれた。 首都圏青年ユニオン委員長・伊藤和巳さんは、青年の「ワーキングプアー」の実情と「働くものの権利を知ることによる、こころとからだを通じたエネルギーの高揚」へのプロセスを見事に実践している報告を行った。 労働組合法は、1949年(昭和24年6月1日)に制定され、日本国憲法<1946(昭和21)年11月3日 公布、1947(昭和22)年5月3日 施行>の実質化が、この60年すすんできていない、いや「放棄」した私たち世代の反省が問われなければいけない。この意味は重い。 山科三郎(哲学者)さん 第一部の最後は、山科三郎(哲学者)さん。明治10年代から謀(はか)られた「日本人の人格」を統治・抑制した教育システムを分析し、「教育ニ関スル勅語」を読み上げながら、政府・財界の教育基本法改悪を警鐘した。 第2部は、会場からの発言で、戦前の教育を受けた人、教育現場をになう人、本書発行のきっかけを作った人、中国毒ガス弾を残した日本の課題から見て本書の意味を発言した科学者、戸口さんと同世代の女性の「自主独立の生活者」を心がけた人など、もっと時間があれば一人ひとりのリレートークで、多様な戦前・戦後・現代が語らいあったらよかったと望外の感想をもった。 まとめて的感想発言をした渡辺さんから「安倍内閣が戦前に戻そうとしていても、国民の力はそれを許さない」と明言したのは、よかった。 「ねがい」(大洲中学校3年生有志作詞、山ノ木竹志編曲、たかだりゅうじ作曲)をみんなで歌って散会。 欄外メモ:司会者を担った柳沢明朗さん(元労働旬報社社長)の的確で思いを込めた導入は、参加者の願いと一体となって、みんなの共感を生んでいた。 コーディネーターの山本真一弁護士(東京憲法会議)から、「日本国憲法を変えさせないために、国民の同意をとる旺盛な活動が求められている」「子どもたちにも語りかけることが大事」と。 そのうえで、これまでの日本フィルなどの「市民とともに音楽活動」という経験から学び、「次は音楽を入れたつどいを」と呼びかけている。 真剣なまなざしでしょう(つどいの前の打ち合わせ)。右から木村康子さん、今崎さん、山本弁護士、柳沢明朗さん、渡辺さん、山科さん。 ■ このレポートは、今崎さんの「1本の電話」から事務局に参加した私個人のメモです。先輩たちにはちょっと弱いITを活用し、取材的参加の一環としてUPします。この速さを自覚していただくために。 |